駒澤文名という男

 東京から電車と路線バスを乗り継いで三時間四十分。伊豆半島の突端、石廊崎まではそれほどの時間がかかる。朝の十時頃に東京をたてば到着するのはもはや昼過ぎなのだ。その石廊崎から少し海岸沿いをたどっていくと、白い塀の中に白い塔のそびえる小さな小さな島があることに気づくだろう。この島は海水面が特別低いときはそのまま岩をつたって渡れるのだが、ほとんどの場合、海を渡らねばたどり着けない。

 この小島から生え出た巨木のような白い塔は近くの住民から白亜の館と呼ばれている。昔はさる芸術家のアトリエであったのだが、人が絶えて久しく、つい最近まではその目の眩むような白い壁も黒ずみ、廃墟の体をなしていたという。そんな小島が急に騒がしくなったのは、ここ数ヶ月のことだった。まず、閉じたきりになっていた跳ね橋が再び本土と小島に架かった。続いて黒ずんだ壁が洗われて、まばゆいばかりに白くなり始めた。一体何が始まるのだろうと地元の人は好奇の目で日々進む作業を眺めていたのだが、ある日その外壁に赤と青で彩られた横断幕がかかって、いよいよ住民はその目的を理解し、驚いたのである。

 それは、リゾートホテルのオープンを告知するものであった。

 住民にとってこれは、ただの開発ではなかった。あの白い尖塔がこう売りに出されるということが何よりも衝撃的であったのだ。彼らはたとえ廃墟然としていても、あの尖塔に愛着を、その設計士であり持ち主であった人物に敬意を抱いていたのだ。あの尖塔がリゾートホテルのとして再利用されるとは……! それは同時に、あの尖塔の持ち主の身に何か起きたということを意味した。事実、数日の後、彼らはこの白亜の館を作り出した男の死を知った。

 その男は駒澤文名といって、戦後の画壇のみならず、建築界をも騒がせた稀代の芸術家であった。それだというのに、彼の死を知らせる記事はその業績に比して小さく、ともすれば見逃しかねないほどの扱いであった。

 駒澤文名は名実ともに芸術家であった。画家でも、彫刻家でも、建築家でもなかった。かれはまさしく芸術家であった。確かに彼は最初画家として名をあげたから、画家として扱う者が多いのだが、本人は画家という枠に収まっていることができなかったのだ。あのパプロ・ピカソがそうであったように、カンバスという枠を超え、立体造形へと飛び立っていった。彼は絵画を三次元の世界に大いに広げていったのだ。それは光琳と乾山の世界を現代に体現したとも評される。彼はそこに欧米の科学技術や制作手法を積極的に取り入れていったのだ。その作風、手法は瞬く間に他の芸術家へと影響を及ぼしていった。

 その立体制作の極致ともいえるのが建築物であった。彼が最初に手がけた建築物こそ、自身のアトリエで、信州のさる湖に浮かぶ、水のアトリエであった。ガラスを水玉のように、無機質なコンクリートに散らした姿は幻想的ながら、その無機質さゆえに、あたかも湖に浮かぶ軍艦のようであった。その艦橋のようなアトリエを人は水の館と呼んだ。

 その次に彼が居を構えたのは伊豆諸島のとある島であった。島ひとつを買い上げた文名はそこに数々の鏡を配したアトリエを建てた。彼の誘いで訪れた人は皆、あれは鏡の館だろうと評した。

 こうして彼の名声はとどまるところを知らず、各方面に鳴り響いていったのである。

 知命、齢五十を過ぎ、彼自身、死という逃れられない結末を感じることが多くなってきたと自伝は語る。それを裏付けるように、彼は後進の育成に力を注ぐようになった。まずは数名の協力者と学校を設立した。その学校の美術科は現在廃止されているのだが、多くの卒業生を輩出した。もちろん個人でも弟子を迎えた。調べてみたら、そこの画廊に出している何某はあの学校の二期生だ、あちらのビルで宣伝している映画の監督は五期生だと、数多くの門下生が現在でも活躍している。

 還暦を迎え、彼が終の住処として建てたアトリエがこの石廊崎からいくばくかの地に建つ白亜の館であった。芸術家として名を馳せ、成功を収めた彼の最後の巨大製作となった白亜の館は、水の館にあった奇抜さは失せ、整然とした数理的な法則が秩序をもたらしていた。

 中央の塔は正八角形を成している。中に足を踏み入れると、そのほとんどが吹き抜けであることに誰しもが驚くであろう。見上げる先には梁で固定された正方形のテラスが浮いている。そこに向かう階段は辺に張り付くように配置されている。

 この八角形の館の外側にあるコテージは白亜の館を取り囲むように、これもまた正八角形の配置となっている。さらにその周りも正八角形の白壁に囲まれている。全てが計算された魔法陣のような館が、この伊豆に現れたのである。住民たちが度肝を抜いたのはいうまでもない。

 しかし今やその白亜の館もリゾート地として再開発の手が伸びているのだ。


 瓦木紗綾がこの館に初めて訪れたのは七月も末、二十三日の昼過ぎであった。

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