糸、惑星、造花
カーテンを開くと朝だった。まばゆい朝日が、徹夜明けで充血した眼に痛い。ため息をつきながら歩く足取りは重く、照明のスイッチを叩く指は固い。私がゲームをしている横を、遮光カーテンの向こう側に通り過ぎて行った朝のことを後悔しつつ、カーテンを閉めいつものようにベッドに向かう。そこで初めて、自分が薄手のスウェット一枚で夜を越していたことに気が付いた。つい昨日まで、夜が、ヒーターなしでは耐えられないほど寒かったことを思うと、これは驚くべきことだった。いや、もう三月も上旬なのだからどちらかというと昨日までの寒さが異常だったのかもしれない。
ここで私は、朝の散歩をしてはどうだろうかと考えた。かれこれ三日は家を出ていなかったし、初春の朝日という言葉は大変に魅力的だった。思い立ってからは早かった。寝巻の上から薄手のカーディガンを羽織って、伸ばしっぱなしの髪に軽く櫛を通した後、ドアを押し開けた。ドアは存外に軽かった。
ドアを開けるとそこは春だった。春のやさしい陽光が、サンダルの上にむき出しになった足から足元を温かくした。ゆるりとした風にのせられて、花の香りや繁殖期のヒヨドリの声が流れていく。ちらりと視界の端にシャボン玉のようなものが映り込んだ。──惑星草か─ぼそりとつぶやいた。シャボン玉が流れてきた方向に向かうと、案の定、惑星草が大輪の花を咲かせていた。惑星草は、世界中に広く分布している惑星草科の多年草だ。形こそヒマワリに酷似しているが、花弁や葉の質感が布のようにべらべら、茎がてかてかとしているところが異なる。その自然物らしくない見た目から『造花草』なんて呼ばれたりもしている。すっと顔を近づけると、形容しがたい不思議なにおいがした。惑星草は、ヒマワリの種子にあたる部分に大きな差異がある。惑星草は文字通り花の中心に、大小さまざまな惑星が詰め込まれている。米粒大のものもあれば、野球ボールほどのものまであるし、色合い透明度もまちまちだ。中には生暖かい恒星なんかもある。
ふっと息を吹きかけると、たくさんの惑星が空に飛びあがった。カラフルな惑星たちが、それぞれの軌道を描きながら深い空に吸い込まれていく様子は、あまりにも神秘的で思わず息をのんだ。この惑星たちが宇宙の果てまで飛んでいき星々となることを思うと、感慨深かった。
そのとき、ピンポン玉ほどのごつごつした小石のような惑星が目の前を横切った。魔が差した。私は、まるで蚊を殺すかのように、両手を広げ全力でその惑星を叩き潰した。生々しい感触が手に広がる。ゆっくりと手を広げると、それは跡形もなくぐちゃぐちゃになって糸を引いていた。その残骸を観察するに、生物が誕生する可能性を秘めた惑星であると思われた。私はその事実に大いに満足して、軽い足取りで自分の部屋に引き返した。太陽はいつの間にか頭上にあった。短い影だけが私の前にまっすぐ差し込んでいた。
2022.4.17九州大学文藝部・三題噺執筆会 九大文芸部 @kyudai-bungei
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