三題噺「神様」「水族館」「肖像画」 作:奴
その日の中見湾は風がなく凪いでいて、沖の船がごく小さな点としてでもはっきり見えた。穏やかで軟らかい日差しを細波の群れが撥ね、散らした。
中見湾沿いに伸びる国道は市と市を結ぶ片側五車線の巨大な道路で、晴れている時分には海がじつに美しく見渡せるものだから、休日にはロード・バイク乗りが海沿いを行くコースの一部にその国道を使っていた。海風は冷涼ながら湿っていて、心地よかった。散歩をするにもよかった。
私はその歩道を歩き、中見湾に面した水族館へ向かっていた。仕事のために水族館へ行くのはまるきりはじめてのことだから、妙に落ち着かない心持が私の足取りをおぼつかないものにしている。山の麓に家宅があって、土のにおい、草木の青いにおいは嗅ぎなれているにしろ、潮のにおいにはまったく慣れていないのもあるかもしれない。私は海より山が好きだ。
私は画家だ。それも肖像画、あるいは人物画専門の画家。私が描くときにはかならずモデルがあるし、モデルと対面した。私のアトリエに来てもらって、日に二時間くらい、休憩を挟みながら絵を描き進める。モデルはそこにいるし、私はその人を細大漏らさぬよう注意深く観察する。モデルの表情や、体や、しぐさには、意識するとせずとにかかわらず、その人の本質的な部分が露出する。それを私は掴み取ってカンヴァスに表象するのだった。だから実際にカンヴァスに絵具を塗抹してゆくときには、眼前にモデルがあることが不可欠であり、そうでなければ私は描きかけの絵にいっさい手を加えなかった。
それを思えば、今度はたいへんな作業になるだろう。モデルは水族館にいて、しかも、当人のことばを借りれば、≪ぜったいにここから出られない≫。いちいち画材を持ち運ばなければならないだろう。仮に館内のどこかに置いておけるのだとしても、商売道具を私の手の届かぬところに放っておくのは気が引けた。私は苦手にすら感じている磯のかおりに不快になっていた。わざわざ大きな白いカンヴァスと絵筆などを、春の淡い日のもとで運んでいると、さすがに汗が出た。
依頼の手紙を送ったモデル本人は若い女性であるという、それだけはわかっていた。けれどもなぜ水族館から出られないのかは、私にはぜんぜん明らかでなかった。湾に突き出るかたちで埋め立ててできた土地に建つ水族館が、わりに離れているところからでも明瞭に見えた。日の光を受けて輝く真っ白な塗装の建物。私は遠くからそれを眺めていてもまぶしく感じた。
水族館はその日、休館日で、人も車もまったくなかった。表を巡回している警備員に話をするとすぐに通された。館内はおそろしく静かだった。
無人の水族館。
スタッフのほか誰も歩いていない展示スペース、イルカ・ショーの舞台。ふだんは観光客が押し寄せて、子どものはしゃぐ声や、大人が叱りつけている声などが響くはずだ。今日は私と、魚と、スタッフのほかでは誰もいない。仕事だけのために来た私は、せっかくだからとスタッフに展示スペースをあちこち案内されながら、その特殊な雰囲気に呑まれていた。そのひと気のない観光地は、どうも私のためだけに用意された虚構のようだった。次の一瞬にも虚無に返りそうだった。
静かだ、静かだと思っていても、その静寂な夢のなかを巡っていると、しだいに小型水槽のモーター音や、絨毯様の床を靴で踏むときのあらゆるものを吸いこんでからっぽにしてしまうような、とそとそ、という音が、耳にはっきり聞こえだす。始終鳴っていたのだろう、私が気づいていなかったのだ。しかしこうしたごく小さな環境音すら、私一人を招き入れて容易には出してくれぬ幻惑世界の駆動音のように思えてならなかった。
私はひとわたり展示物を見て回った。何だか形のわからない熱帯の水生動物には案内係の解説をもらい、鮫が悠然と泳いでいる銀幕のように巨大な水槽の前では立ち止まって長いこと眺めていた。小さなクラゲがたくさんいる水槽もしばらく観賞した。
それからようやくモデルとなる依頼主のいるところへ赴いたのだった。
私は当初、館長か腕利きの飼育員かだと推理していた。≪ぜったいにここから出られない≫というのは、館内での業務があまりに忙しいからだと考えていた。その想像からすれば、実際のモデルはずいぶん違っていた。
私は、≪うちの目玉でもあります≫という水槽に連れていかれた。鮫がいた巨大な水槽よりは小さいが、たしかに≪目玉≫を展示するにはちょうどよく見えた。そこで泳いであるものに私は目を奪われた。
水槽内部の広くも狭い世界のなかで、ただ一匹、人魚が泳いであった。上半身は人間の女性で、腰のあたりからヒトの皮膚などではない桃色の鱗が生え、足のかわりに尾ひれが伸びていた。思いのままに泳いでいるさまはあまりに美しかった。
私は何遍も全身を眺めた。頭髪は鱗と同じ桃色で、肩にかからないくらいの短髪だった。目鼻立ちはおよそアジア系である。乳房は隠されていなかったし、脇の毛も生えてあるままに水流に任せて揺れていた。ヒトの皮膚と魚鱗との境目はある程度はっきりしているが、腹のあたりには数枚の鱗が飛び飛びに生えてあるふうだった。それから目を引いたのがひれだった。単なる魚のようなひれというのでなしに、尻びれと言うべきか、無数の小さなひれや髭のようなものがあった。
彼女は私とスタッフとに気がつくまで、のびのびと泳ぎ回っていた。彼女のほかには水草と岩しかない。そのなかを、その人魚は楽しくてならないのだというふうに行ったり来たりしていた。われわれを水槽外に発見すると、大きな岩山の上にいた人魚はすうっと降りてきて、私に深々とおじぎした。あなたが絵描きか、というような身振りをする。私は大きく、ゆっくりうなずいた。
私は一度、裏に回って、彼女と直接話をすることにした。職員しか入れぬ水槽の裏側ははじめてだった。
指をさして合図したとおりに、水槽の上に上がると、彼女は水面に顔を出した。
「こんにちは、はじめまして。ビエイといいます。美しく・泳ぐ、で美泳です。人魚です」
彼女の挨拶は実に事務的だったが、感じがよかった。口元に漂う微笑は案外幼げだった。
モデルになりたいと依頼したのは実際美泳だった。文字を書いたのは専属の飼育員だが、文面を考えたのは本人だった。
私は、こちらからモデルを募集したときにせよ、相手から依頼があったにせよ、どういう絵を希望しているのかを、ちょっとした世間話のなかから引き出すのがつねであった。そのときも、水面から胸のあたりまでを出してふちに手を添え身を支える美泳とその場で三十分くらい話した。そのうちほとんどは絵とは直接的な関係のない話だった。
美泳は、展示用人魚の養殖に力を入れているこの水族館で生まれた≪五尾目≫の人魚だった。むろん父母や祖父母にあたる者がいるのだが、彼らは国立の人魚研究所に映されて飼われているという。つまりこの水族館にいる人魚は今のところ彼女だけだった。
美泳がこのたび肖像画の依頼をしたのは、≪時間のうえで言えば今がもっとも若い瞬間である自分を絵に収めたいから≫だった。熱帯産の祖母からの隔世遺伝で、国有種にない桃色の髪と派手なひれを持つ美泳は魅力的だ。老いた人魚がどのようになるかはよく知らなかったが、目の前にいる彼女は人間とは異なる独特な美麗を発していた。
美泳をモデルに絵を描く仕事は、その日からはじまった。水槽越しに、低い平たい岩の上に腰かけるふうの彼女を描く。休憩のときには、座りこんでいた人間が体を休めるためにかえって動き回るのと同様、彼女は水槽のなかを自由に泳いでいた。その姿に私は圧倒された。
水を介するとどうもよく彼女の表情が見えなかったので、私はときどき美泳をふちのところに呼んだ。すると美泳はまた話をしていたときのように胸のあたりまでを水面から出し、飼育員とことばを交わしたり、スナックを食べたりした。それで気づいたのだが彼女のこめかみから顎にかけて、その稜線に沿ってえらがついていた。それは飾りのえらなどでない、魚と同じものだった。水にまた顔をつけると、えらがぱく・ぱくと開いて、真っ赤な部分があらわになる。
「水中ではえら呼吸、水面から顔を出すと肺呼吸に切り替えるんです」と彼女は言った。
それから、水族館が閉まった夕方以降と休館日とを利用して、私は美泳を描きに行った。画材やカンヴァスは結局そこの事務所の一室に置いておいた。環境を管理するという点で言えば、たしかに水族館は適所かもしれない。
ただ、私は、仕事のために絵を描きに行っているのか、仕事を利用して美泳に会いに行っているのか、わからなかった。私は彼女に惚れていた。上半身だけ見れば髪を桃色に染めた若い人間であるが、ただそれだけのためではなくて、彼女が人魚であるという点は重要であるらしかった。自分の思うまま水中をあちこち飛ぶように泳ぐ。そのとき水槽の上方にある照明だか天窓から差す日の光だかが水のなかに差しこみ、その下で優雅に身をたゆたわす美泳を見ていると、私は教会の円天井から降ってくる宗教的な戦慄に近いものを感じないではいられなかった。休憩が終わって、また低いところにある岩に戻る彼女は、もはや単なる人魚ですらなく、人を惑わし波間に引きずりこむ妖艶な存在のようでもあり、私をはるか幽遠の境地にいざなう神のようでもあった。私は筆を止めて彼女の姿態を呆然と眺めているときがあった。美泳にはそういう危険的な魅惑があった。
美泳の肖像画を描き終えたのは、一か月後である。私は絵と向き合い、彼女と向き合っては何度も描き足し、そこにある美泳をあるがまま刳り抜くようにして画上に表せないか苦慮した。ただその一方で、美泳の姿にうっとりと見惚れているだけの日もあった。いくらか筆は進んでいたものの、ふと美泳を見た瞬間に、前後不覚に彼女に引きこまれるときがあって、私はそのまま一時間も彼女が泳いでいるようすを見ていた。
だから絵が完成して、あとは絵具が乾くのを待つだけになったとき、私は絵ができあがった喜び以上に、彼女と二人きりで会うことができなくなることにずいぶん落胆した。むろん客として会うことはいくらでもできるだろう。ただ美泳のほんとうの美しさというのは、人のないがらんどうの水族館に一人きりになって、日の光を背に受けて悠々泳ぐときにしか見出せないのだろう。
絵具が十分に乾いてから、彼女に絵を見せると、美泳はひどく喜んでいた。そばにいた飼育員もたいそう感激して、その目に涙すら浮かべていた。私の渾身の作だった。
この絵をどうするのだと尋ねると、美泳は秘密、と笑んだ。
それからである。私は美泳に絵を引き渡した数日後、彼女が亡くなったことを新聞で知った。自殺だった。
驚いて水族館へ電話をかけ、事情を聞きに休館日に訪ねた。
それで私は警備員に案内されて正面の入口から入るなり、またあッと驚いた。建物に入ってすぐの大きな広間の壁に、あの肖像画がかかっていた。
彼女の専属の飼育員が私を出迎え、顚末を語ってくれた。美泳はその人に遺言めいたことばを残していた。
美泳はしだいに老いていくであろう将来の自分を想像して、前から恐怖に駆られていたという。今はまだ若くきれいな人魚である。それが年月を経るにつれ、人間の部分にはしわが刻まれてゆくだろうし、魚の部分にしても、鱗はくすみ・褪せ、ひれからは生気がなくなっていくにちがいない。美泳にとってそれは何にも勝る戦慄だった。だから、今この瞬間がもっとも若く・美しい自分を絵に残しておいて、その絵よりもだんだん老いてみすぼらしくなっていく実世界の自分は死んでしまおうと企てていたのだ。
彼女は美と心中したのだ。自己のうちに蓄えられている、若いがゆえの美しさを、蓄えたままで生を遂げるために、死を選んだのだ。それは殉死も同じだ。
私は飼育員から目を離し、壁にかかった美泳の肖像画を見上げた。桃色の髪と鱗がきれいだった。
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