第4話 神様の名前

「あなた、名前はあるの?」

 わたしが尋ねると、神様は首を横に振った。


「みいちゃんの好きなように呼んで」

「えっ、どうしよう。ちょっと考えさせて」

 

 きょろきょろと辺りを見回し、ヒントになるようなものを探す。

 庭の祠、満開の桜、鳥の鳴き声、青い空、眩しい光……。


「じゃあ、ひかるくん!」

「ひかる?」

「うん。きらきら光るの光。どう? 気に入らなかったら他の名前でも――」

「ううん。光がいい!」

 どうやら気に入ってくれたらしい。


「今さらだけど、光は男の子だよね?」

 一応確認してみると、きょとんとした顔をした。

 神様に性別ってあるのかな。まあ、光って名前なら男でも女でも大丈夫でしょ。


「何でもない。それより、ちょっと触ってみてもいいかな」

 

 光は、少し驚いたような顔をしたが、こくりと小さくうなずいた。

 小さな頭にそっと手を伸ばすと――さわれた。

 凄い! 神様に触っちゃった。

 さらさらの髪、柔らかいほっぺ。


「ぎゅってしてもいい?」

 光は勢いよく首を縦に振った。

 小さな身体をそっと抱き締めると、ぎゅっと抱き返してくれた。


「みいちゃん」

「なに?」

「これ、気持ちいいね」

「……おばあちゃんはしてくれなかった?」

「神様に触ろうとする人間なんかいないよ?」

 

 当たり前みたいに言われたけど……わたし、思いっ切り触ってるなあ。


 体温は感じないが冷たいわけじゃない。こうしているとただの子どもを抱いているようだ。

 おばあちゃんが施設に入ってから八年もの間、光はこの荒れた庭の片隅で、誰かが現れるのをずっと待ってたんだ。そう思うと泣きたいほど切なくなる。


「わたし、光のこと思い出したの、ほんとに最近なんだ。あんなに仲良かったのに忘れててごめんね」


「違うよ。引っ越しが決まったとき、みいちゃんがあんまり泣くから、ぼくが記憶を消したんだ」


「そうなの!?」


「うん。また会えたときに戻せばいいと思ってたんだけど……」


「あー、ずっと来なかったからね。ごめんね。これからは毎日ぎゅってするから許してくれる?」

 光はちょっと恥ずかしそうにうなずいた。

 

 しばらく抱っこしてから、「そろそろ部屋に帰りたいんだけど、光はどうする?」と聞いたら、ほこらに戻ると言う。


「でも、あんな狭くて暗いとこ嫌じゃない? 家の中に住めないの?」


「中は狭くないよ。力を取り戻してからまた広くなったし、あっちの方が落ち着くから」


「へえー、そういうものなんだ。わかった。寂しくなったらいつでも部屋に入ってきてね」

 

 手を振っていったん別れる。朝はパンでいいや。今日のお供え物は何にしようかな。何が好きか聞いておけば良かった。おにぎりもケーキも食べてたから、何でも食べられるのかな。

 自分のご飯よりお供え物が気になるって、なんか変だなと可笑しくなった。


「ママ、桜が咲いてるよ」

「あら、ほんと。まだこんなに咲いてるのねえ」


 外を通り過ぎる人達の驚く声が聞こえてくる。


   ◇


 お隣の恵子さんから「お花見させて」とメールが来た。花見団子を持ってきてくれるというので、わたしは縁側に座布団を敷き、いそいそとお茶のセットを用意した。


「お邪魔します。ごめんね、突然来ちゃって。あんなに綺麗に咲いてるのを見たら我慢できなくて」

「あはは、なぜか寝て起きたら満開になってて、びっくりしましたよ」

 

 しょうがないから笑ってごまかす。


「色々な種類のお団子を買ってみたの。定番のお花見団子に、あんこ、みたらし、甘くないのも欲しいから、しょうゆもある」

「ありがとうございます。日本茶でいいですか?」

「ええ、お願いします」


 わたしたちはのんびりとお花見をしながら、たくさんお団子を食べた。


「あー、お腹いっぱい。ちょっと横になっていいですか?」

「ふふ、どうぞ」


 座布団を枕にしてごろりと横になったわたしに恵子さんが教えてくれた。


「お花見団子って、必ずピンク、白、緑じゃない? これって色々な説があるんだけど、私が好きなのは、ピンクは花で春、白は雪で冬、緑は新緑の夏、秋がないのは、いくら食べても飽き(秋)が来ないってやつ」


「まさかの駄洒落ですか! 他にはどんな説があるんですか?」

「あとはねえ……」

 恵子さんは面白い蘊蓄うんちくを次々と披露してくれた。光にも聞こえてるかな。


「なんだか桜だけじゃなくて、庭の草花がみんな生き生きとしてきたみたい」

「……確かに、そうですね」

 恵子さんに言われるまで気が付かなかった。


「きみ子さんは、庭の薬草でよく薬草茶を作ってたわ」

「薬草茶?」

「ええ。レシピノートに書いてなかった?」

「ちょっと、取ってきます」


 恵子さんに言われてノートを探し出したが、まだ一度も見ていなかった。レシピノートは何冊もあったが、『薬草茶』と表紙に書かれたものがあったので、それを持って行く。

 ページをめくると、色鉛筆で薬草のイラストが描いてあり、その下には効能や注意などが詳しく書いてあった。基本的に、採取・乾燥・焙煎の三段階で作るらしい。結構、大変そうだ。


「へえ、ドクダミは便秘に効くんだ」


「あ、それ、きみ子さんに頂いたことあるわ。あと、咳がひどい時にオオバコ茶も。飲みやすいように、他のお茶とブレンドしてくれてたみたい」


「凄いな、おばあちゃん。わたしは面倒臭くて出来ないなあ。薬を買った方が早いと思っちゃう」


「ふふ。わたしも無理。でも、凄く効いたのよ。この庭に生えてたものだからかな……この土地は神様に守られてるってきみ子さんが言ってた。よくあそこにお供えをして拝んでたわ」


 恵子さんは祠に目を向けたが、それ以上、神様のことには触れずに帰って行った。




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