死神に魅入られた

 事件から一週間と二日、Sホールではこの日も葬儀が営まれた。もちろんあの生前葬の一件、それに久根別大造の死は広く町内に知れ渡った。しかし近場には他に葬儀社もない。急な死であればそうであるほど、Sホールは求められ続けたのだ。

 新井の代わりに責任者となったのは司会を任されていた鞍馬である。彼はここ最近、ただでさえ人員の足りないSホールを切り盛りし、今日は昨晩の川崎の死を受け本社へと出向いていた。幸いにもこの日は午後の一件しか葬儀はなかった。

 大河原はこの日、佐野と少し早めのランチを済ませると午後の式へと臨んだ。それは傘寿になる男の葬儀であった。先日この近くの路上で倒れているところを見つかったのだという。普段から運動をし、健康長寿の秘訣を市報に掲載されるほどの男の死はとても急なものだった。

 この式の霊柩車の運転は大河原であった。彼はいつも通り火葬場に着くと、車を戻す前に、少し休憩を取ることにした。火葬場裏の土手。いつもはランニングする住民や、休日であれば草野球をする少年の声が聞こえる土手である。ところがその日はなんだか騒がしかった。でも、彼は彼の時間を謳歌しようと、そんなことには目もくれず、缶コーヒーを買ってきて、チビチビとすすっていた。


 思えばだいぶ退屈な日々を過ごしてきたものだ。彼は缶の縁を舐めながらそんなことを思った。正直、ここ最近の新井の指揮にはうんざりしていたのだ。こういうと、彼が今の仕事に嫌気がさしているように聞こえるかもしれないが、そういうことではない。方針が、考え方が合わなかったのだ。事実、彼はそんなことを思いながらも、その合間に楽しみを見出している。しかし、それが楽しみの真価を発揮していないこともわかっていた。

 試してみたいのだ。もっと、自分が評価されるような環境で。そうすれば、なおこの仕事は楽しくなるんじゃないか。

 そして、今の彼にはちょっとした希望が見えていた。鞍馬がホールの責任者になったことである。環境も変わろう。これでまた、張り合いが出るのではないか。張り合いのある中でこそ真の楽しみを味わえるのではないか。それを試せる日が近づいている。それが彼には楽しみで仕方なかった。


 思えば本当に退屈な日々を過ごしてきたものだ。楽しみを見出す前なんて、毎日が味気なかった。同じことの繰り返し、繰り返し。ああ、今でも時々夢に見る。Sホールの前に配属されていたEホール。あれはひどかった。管理人に問題があったのだ。もちろん、どんな会社だってみんな似たようなところはあるだろう。客の前でこそ神妙な面持ちで控える。その数分前までは阿修羅のごとく猛り、喚き散らしていようとも、にこやかに笑い、どんなに無礼な相手にも頭を下げる。接客の基本だ。でもEホールの管理人はちょっと尋常ではなかった。ほぼ毎日、私たちのBGMは彼の怒声だった。それを聞きながら祭壇に、遺影に白と黄色の花を添えていく。管理人が近づいてきたらその日は不運だったと天を仰ぐしかない。彼は怒鳴り散らしながら、挿したばかりの花を抜き取って叩きつけてくる。それを拾って再び添え直さねばならない。でも、時にはもうそれだけで花は使えなくなってしまう。


 そんな簡単に萎れてしまえるのもかえって羨ましい。


 どうせみんな死ぬのに。腐り、溶け、悪臭を放ち、醜いものになる。そんな様を管理人の浅黒い顔に重ねると、たったそれだけのことなのに、少し笑いがこみ上げて来た。楽しい。

 僕が見出した最初の楽しみだった。


 ノルマが達成できていないと罵られ。罵られる暇があるなら挽回しにいけと資料の山を背負わされる。家庭訪問で水を浴びせられたこともある。チラシは濡れてしまい、それを隠そうと近くの川に沈めた。葬儀の話を切り出せば、気味悪がられて、扉を閉められた。叩きつけるように。軽蔑の目をもって。そんな老人には、今まで見た中でもっとも醜悪な死体を重ねる。あの顔が土色になり、黒ずんだ舌を吐き出し、目を白くさせる姿を想像する。ちょっとは気分が晴れる。ホールに戻れば、外回りのせいで人員が足りぬと怒鳴られ、さらには先ほど訪問した家庭から苦情が来て……。ああ、あの死に損ないが苦情を入れたんだなと、轢かれて体が真っ二つになった老婆の姿を妄想する。いや、こいつには、そんなの勿体無い。火に焼け爛れてもらおうか。

 無論、解約なんてもってのほかであった。その案件は晒しあげられる。今日はまた自分の名前が掲示されている。ああ、次の日はなんとか逃れた。代わりに新人の佐野の名前がそこにある。かわいそうに。朝礼で床に正座させられた彼女は、自分がどういう目にあうのかを想像し仔羊のように震えている。なぜって、彼女は昨日僕に同じことをしたのだ。観客である僕らは、管理人を筆頭にこの生贄に一人一つ罵声をあびせ、萎れた花を投げつける決まりになっていた。明日も見物人の地位を得るためには頑張るしかない。今こうして思い出すと、なんだか笑えてきてしまう。子供じみた、なんの解決にもならないルーティーンは未開の部族の儀式のようである。毎日がそういう儀式になっていた。なんの儀式なんだろう。一体。

 管理人の考えた儀式はこれだけじゃなかった。週間で一番成績の悪いものは、週初め、デスクの上に余った菊の花がたむけられる。それを各々デスクの横の花瓶に挿しては、その本数の多いものを指差し笑った。いつまでたっても花の片付かないデスクは、数日後、キレイに片付けるよう告げられた。管理人はその花束を片付けさせると、

「どうせ、まともに生きられない人間だったんだ」

 と言った。

 やめたってよかったんだ。でも、やめたくないと思う自分もいた。もう少し続ければ何か見えるかもしれない。それに自分は他の連中よりいくらかマシな人間だ。下を見ろ、まだ僕は認められている方だ、時々奨励もされているじゃないか。あいつよりはまともに生きているじゃないか。今日だってきっとそうだ。歪んだ射幸心かもしれないけど、今日もここにたどりつき、一喜一憂し、定められた儀式を繰り返す。今日も僕は花を投げつける地位にいる。それが二つ目に見つけた楽しみであった。

 そうだよ、今よりもっと、やったことはやった分だけちゃんと評価されていたのだ。今思えば、結構贅沢だったなぁ。

 でも、残念なことにあのホールの管理人も相当切羽詰まっていたようだ。ある日来てみると、花が決して咲かないはずの彼の机に菊の花束が咲いてしまった。生前の彼の言葉を誰もが復唱し、弔った。


「どうせ、まともに生きられない人間だったんだ」


 それから数日、Eホールは閉鎖が決まった。代わりにできたSホールはEホールに比べればいい環境であった。まず、管理人の新井がマシな人間であったことが大きかった。近所だからと時折訪れる社長という障害物イレギュラーを除けば、だけど。

 いや、本当にいい環境だったのか? 頑張っても頑張っても評価されてるように感じなかったじゃないか。実感がなかった。張り合いがなかった。楽しくないのだ。みんなもそんなことを思っていたのだろう。ホールの事務室はどんよりとして、覇気が感じられなかった。そんな状況で良いわけがない。住民の猛烈な反対運動から始まったSホールの経営は惨憺たるものになっていたのではないか。新井の顔も疲労の色が日に日に濃くなっていたではないか。

 きっと彼は、僕らが儀式とともに失ったやりがいや利益を一手に担っていたのだろう。本部にはもちろんいい顔をしなければならないし、僕らにもいい顔をした。それが本当にみんなにとって良いことだったかどうか、ちょっと考えればわかろうものなのに。板挟みに合うことと比べたら、何事もマシではないか。かばうにせよ、見捨てるにせよ、強く心を持たないといけない。それがポッキリと折れた瞬間、彼もまともに生きられなくなる。彼の歯車も歪みが表情に現れていたのだろう。

 でも、思ったよりも歪みが広がるのは早かった。なかなか成績の改善しないSホールに本社はしびれを切らしたようで、新井は業績を回復するか、管理人からの降格と本社への勤務をするかの二択を迫られたらしい。かわいそうに、泣いて己の力の足りなさを僕らに詫びた。それでもそこにいた多くの人がEホールからの移籍者だったから、あの頃よりはマシと、結束を見せた。


 思い返すと、みんなバカだなぁと思える。そんなところに幸せも楽しさもない。もっと楽しいことは気づいてないだけで、すぐそばにあったのだ。それはいまだに、僕しか気づいてない。


 それは僕が生涯忘れ得ぬ日だ。無謀なオープンイベントが産んだ解約。契約者は小金持ちの未亡人であった。僕を詐欺師と罵った。口をひん曲げ、カタカタと震えながら老婆は頭を深く下げた僕に言った。酸い臭いのする悪言の霧が頭上に降り注いでいた。


 どうして僕はこんな目にあうのだろう?


 老婆の声はもう耳に入ってこなかった。かわいそうに、何を言ってももう汚いんだ。何をしても一人じゃ汚くなっていくんだ。かわいそうに、僕の襟なんかに掴みかかって。そんなんじゃキレイにはなりませんよ。

 あなたはもう放っておけば醜く死んでしまうんだ。そんなあなたを僕は助けようとしているのに。僕は救いの手を差し伸べてるのに、あなたは気づかないのですね。それどころか、僕をこんな目に合わせるなんて。もっとキレイにしてあげなきゃ。もっと汚くなる前に……。

 ふと、老婆の手の力が緩んだ。濁った目をぐらつかせ、震え、涎を垂らしながら老婆は「死神」と言い残した。

 手の中には守銭奴の成れの果てがあった。でもその死に顔は数分前よりやっぱりキレイで、どこか恍惚としているようにさえ見えた。小柄で、おちょぼ口で、さぞ昔は美しかったんだろうなぁ。


 何とはなしに右を向いたら、そこにはぼうっと篝火のように揺らめく『死神』が立っていた。その時僕は気づいたんだ。そうだよ、僕は間違ってなんかなかったんだ。楽しみ方をしらなかっただけだったんだ。僕が微笑みかけると『死神』もコケた頬を一生懸命張って、顔一面に満足そうな笑みを広げた。


 そこから先、どうすればいいかはみんな『死神』さんが教えてくれた。ホトケの襟首を掴み、台所まで引きずると、その瞬間があたかも夕食時の出来事のように取り繕った。それはすばらしい出来であった。

 ホトケの葬儀はSホールで営まれた。無事、生前契約が実行された。遺族は遠い親戚だったようで、不平を漏らしていたが契約書を見せつけると黙って金を叩きつけて帰っていった。

 この一件を新井は見破れなかったようだ。それどころか彼は勘違いしてくれて、ご丁寧にも「大河原君が契約の破棄を思いとどまらせ、その晩に依頼人が亡くなった」と本部に伝達した。途端、僕は英雄視されることになった。社長直々に表彰も受けた。

 賞状を手に記念撮影に応じる僕には、死んだ魚の群れのような社員が哀れに思えた。ただ一人、その奥の方で『死神』さんが生き生きと微笑んでいた。

 一度行動してしまえば、一度できてしまえば、なんでこんな簡単なことに気づかなかったのか、誰でも自分の無能さを知る。でも、そんな無能な己をもっと無能で哀れなこいつらは羨望の眼差しで見てくる。その期待に応えるように。僕は幾度となく『死神』の手を握った。

 でも、さすがの新井もそこまで愚かな人間ではなかったようだ。結局僕の行いは彼に見つかってしまった。現場を押さえた側なのに、彼は気の毒になるほど顔面の筋肉が弛緩し、涙ながらに僕の肩を揺さぶった。でも、僕の耳はそんな声には流されなかった。眼はしっかりと彼の保身を見破っていたのだ。そう、今ここで僕を突き出せば、すべての責任を取るのはこの男なのだ。だからこの男は僕に何もできない。

 彼は幾度となく諌めてきた。でも、それが不可能なことだとわかると、何故だか僕に詫びだした。こういう境遇に追いやったことを申し訳なく思っているらしい。そしてその原因となった環境を、上を変える方法はないだろうかと問うようになった。僕の知恵でこの澱んだ会社を一緒に変えようとか、みんなを助けようとか。そう、所詮新井もその程度の男だったのだ。本当は自分が助かりたくてしょうがないのだ。それなら僕の答えはシンプル。上をキレイにすればいい。ただ、それだけなのに。

 僕だって悪いヤツじゃない。幾度となく彼にそのチャンスを作ってあげた。でも、そのどれもが踏み切れず、中途半端に終わってしまった。機を逃せばそれで終了。失敗を繰り返せばいずれ全ては発覚する。水泡に帰してしまう。誰にも疑われずに、確実にものにしなければならないのに。ダメだなぁ。バカだなぁ。やっぱり彼にこの仕事はあってないんだ。引導を渡してあげなきゃならない。そんな君に最高の最後の舞台を僕は用意してあげたんだ。


 実際、それはうまくいった。未だに警察は彼の行方を追っているようだ。すべての罪は彼が負ってくれるのだ。僕らや自分自身をかばおうとしてまともに生きられなくなった男にふさわしい役回りだろう。

 しかも、結果的に新井の望んだように環境も変った。僕の思ったままにヒトをキレイにしていたはずが、環境までキレイにしてしまうなんて……。ああ、どんどん世の中キレイになっていくな。


 さて、今日もこれから慈善事業だ。



「おや、こんなところで」

 ふと背後から聴きなれぬ声がして、大河原は回想をやぶられた。機嫌を損ねながら気だるく身を起こしてみると。そこには昨日殺し損ねた紅いジャケットの少女と警察が立っていた。彼は慌てて立ち上がると、斜面にバランスを崩して、あわれその場に尻餅をついてしまった。

「いけませんよ、大河原さん。前ばかり気を取られていますと、横からの車にぶつけられますからねぇ」

 少女はそう言うと、何がおかしいのか、ケタケタと笑い出した。

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