真相
「私はな、真綾に一度文句を言ったことがあるんだ」
「はぁ、なんと?」
「探偵はなぜ決着がつくその瞬間まで真相を誰にも教えないのか、そして、最後にさも自慢げに私に語るのかとね」
紗綾はフゥンと言わんばかりの無関心さでミートソースのこぼれそうなラザニアをぱくついた。
「母は、なんて答えたんですか」
「君ならなんと答える?」
「怖いんですよ。答え合わせをするまでが。だから、ちょっと卑怯と言われても反論はできませんね」
「なるほどな、そういうところはあんまり似てないな」
「母はなんて言ったんです?」
行橋はコーヒーを片手に口をへの字に曲げた。紗綾の問う眼差しが、やっぱりあの女に似ていたのだ。
「『だってその方が面白いでしょ』ってね。それが本音かはわからないがな。本当は、君のように思ったことを口にできなかっただけかもしれない」
そうですか、と紗綾はモゴモゴしながらいうと、口の中のものをゴクンと胃にやって、店員にペスカトーレを注文した。
「食うのはいいが、ちょっとは喋ったらどうだ」
「食べながら話すのは行儀が悪いって、そういう環境で育ちましたからね」
「ケッ、よく言うよ」
行橋も店員にコーヒーのおかわりを頼んだ。それが運ばれてくると、紗綾はそれを待っていたのか、
「でも、犯人は捕まったわけですから、私なんかに聞かなくても、答えを確認できるじゃないですか」
「そうしたいところだがな。私の役回りはどうもそうできてないようでな。死神がどうとか、大河原の発言も要領を得ないんだよ。だから、君なりの答えを一度聴いておこうとね」
「そうですか。じゃあ行橋さんの質問に答えていきますから、どんどん質問してください」
そう言ったところで紗綾の前にペスカトーレが運ばれてきた。紗綾はその写真を撮ると、さあどうぞと手を差し出した。
「そうだな。まず、あの火葬場で何が起きたのかがよくわかってない。新井の死体が川から上がったということは、あの日火葬場で現れた人骨は新井のものではなかったということだろう?」
「ええ、あの時出てきたお骨は新井さんのじゃありません。あれは、あの日火葬された別の人の骨ですよ」
「しかしそれは……。その骨の主の遺族はどうしたんだ。収骨もせずに帰ったというのか? そういう報告はどの遺族からもなかったぞ」
「ええ、それがこの事件、一番の問題なんです。これがなければ犯人も大胆な行動は取れなかったはずなんです。本来焼いても骨は出ないはずの蝋人形から骨が出た。そうなると、まずどこかで柩が入れ替わったのかと疑われるでしょう。でも、どこかで入れ替えがあるなら、行橋さんの言うとおり、入れ替わった先の遺族が気付くはずなんです。ところが、そんな申し立てはどこからもなかった。土屋さんはだいぶ悩んでらしたようですね」
「のんきに言うがな、あいつはこの一件のせいですっかり意気消沈してるんだ。少しは優しくしてやってくれ」
「後でよろしく言っておいてください」
フフンと紗綾は息をはくと、先程からずっとフォークの先でパスタをクルクルとしていたが、ここでようやくそれを口に運んだ。
「どの遺族からも申し立てがないということは、ここに遺体が一つ増えてしまったことになる。では、その増えた遺体は何なのか……。例えばどこかから遺体をくすねてきたか。いえ、これはうまくいかないでしょう。いずれ病院なりなんなりとの照合があればわかってしまう。発覚を遅らせることはできるかもしれませんが」
「発覚を遅らせるだけで十分なのではないか?」
しかし紗綾はフォークを片手にクルクルと回しながら、首を横に振った。口の中のものを飲み込むと、再びフォークを取り上げて、
「ええ。普通の事件ならそれだけで十分かもしれませんけど、今回の場合、犯人は少なくとも火葬場の件については半永久的に発覚しない自信があったと思うんです」
「なぜだい?」
「犯人が大造を殺したのが入院から一週間後ということです。もし、いつ発覚するか不安な計画でしたら、さっさと入院翌日の夜とかに殺してしまえば良いんです。これほどまでに頃合いを見はからう余裕が犯人にはあったんです。これは、大造の死後矢継ぎ早に副社長の川崎と、怪しい動きをする私を狙ったのと比べるとはなはだ暗示的だと思いませんか? 私はね、連続殺人の場合、発覚する可能性が高まる、すなわち計画的かつトリッキーな犯行や、犯人にとっての安全策を脱した時点で、犯人は矢継ぎ早の犯行を行うと思うんです」
紗綾はそこまで一息に語ると、興奮気味にフォークを一度皿に戻した。
「例えば今回の場合ですね、犯人がこの第一の事件、すなわち新井の失踪とお骨の出現について、安全地帯にいるという自信を強く持っているならば、次の犯行までの時間は大きく開く。ここまではいいですね? しかし機を見て、ひとたび大造を殺してしまうと、実は連続殺人だと明らかになってしまう。こうなると、新井の失踪は欺瞞なのではないかと捜査陣は考え出すわけです。一方で、新井の失踪は真で、第二の事件も同じ犯人が行ったと考える人もいる。エトセトラ、エトセトラ。この第二の事件すらも計画されているなら犯人は焦る必要などありません。しかし、仮にそうでなかったとしたら……? 疑われる時間が長いほど、自分にたどり着く確率が上がるわけですから、次の犯行へ、次の犯行へと手をかける。焦りが生じればそこから先はもう坂を転がる石のよう」
「実際、第二の事件後、犯人は短期間に犯行を重ねていると」
紗綾はそこで再びフォークを取り上げたが、思ったより早く行橋が返事をしてしまったようで、巻いたパスタを再び宙に浮かせたまま、
「そうです、そうです。つまり、犯人にとって一番アリバイが硬い、あるいは疑われない自信のある事件が第一の事件だったというわけです。しかもそれは数日経たぐらいでは疑われない……。どうすれば可能か、ちょっと、問題を変えてみるんです。どうすれば誰にも疑われず、死体を増やせるかって。案外簡単なことなんですけどね」
行橋自身、その答案が頭の中にないことはよくわかっていた。だから首を傾げてみるのだが、思った通り、紗綾はニッと笑った。
「人間の骨が、あそこにはひとりでにあつまってくるじゃあないですか」
おそらく、ここで水爆が爆発しようと、これほど彼が茫然とすることはなかっただろう。彼は脳天に焼けた鉄串を打ち込まれたような衝撃にしばらく言葉が出て来なかった。舌が乾き、張り付いている。頼んだばかりのコーヒーを飲み干すと、食いいらんばかりの眼で紗綾を見つめた。相変わらず紗綾は飄々として、微笑をたたえたままである。
「冗談みたいでしょう? 遺骨を少しずつ集めて、一つの人体に相当する遺骨をでっち上げたんです。もちろん、頭部は苦労したんじゃないですかね?」
「しかし、あの骨はほぼ一人の人物の骨格だと、そこまではわかって……あっ」
「そう、この事件は二つの遺骨入れ替えから成り立っているんです。私たちの目の前に出てきたのは、確かに一人の人物の遺骨です。私もそれが誰かは知りません。じゃあ、私たちの眼の前に現れた人骨、その本当の遺族は何を拾ったか。それが寄せ集めの遺骨なんです。遺族に人骨の専門家でもいない限りわかりはしません。それに、遺骨の状況は火葬にかける時間や遺体の状態にも依存してしまう。グズグズの粉になることもある。素人目には、これがご遺体の遺骨ですと言われてしまえばそれまでではないでしょうか?」
紗綾はそこでようやくパスタを口に運んで、
「確かにとっても手間のかかる計画です。でも、その方が発覚する恐れも少ない。一つの遺族につき骨の一つや二つの差ですからね。じゃあそんな根気のいる計画ができる人間は誰か。まず真っ先に考えられるのは火葬場の作業員の方でしょう。でも、誰だって単純な柩の入れ替わりまでは想像する。すると作業員は真っ先に疑われる。では他にいるか……、と考えると、いるじゃないですか。私たちの目の前で、蝋人形の入っているはずの柩を炉に入れた謎の作業員が。彼は実際火葬場の作業員ではなかった。じゃあ誰か、それは、死体の入れ替わりによって、本当は死んでないのだけれども、死んだはずだと思われる人、その人ではないですか?」
「新井は共犯だったのか」
「それがどういうスタイルの共犯だったかはわかりません。でも、あの後新井さんも死体となって見つかっている以上、主従の主は大河原にあったんじゃないですかね? それに、大河原は柩が出てから炉に入る瞬間まで柩に近づかないどころか、私たちのそばにい続けた。これほど完全なアリバイがあるんですから、大河原が従とは考えにくくありませんか?」
「アリバイを作れればあとは用無しと」
「ええ、それに、これは別の角度でもそう思われる節がある。まず、事件の前日譚である久根別大造への数々の襲撃です。車のペダルの故障も、お茶での入院も確実に久根別大造を殺すには少し詰めが甘く思えるんです。例えばペダルの故障は乗る前にちょっと注意すればわかってしまう。お茶だって、入院で済んでるんです。致死量を入れたわけではない。本当に殺すつもりだったんでしょうか? 殺すにしては踏みとどまってますね。ところが、あの火葬の後、犯人は大造をついに殺しているんです。今度はちゃんと致死量をもってね。しかもそのあと立て続けにナンバーツーの川崎を轢き殺し、不審な動きをする私を殺そうとした。前者の襲撃に比べ、後者三つは確実性が高く思われる。つまり前者の出来事と後者の出来事は殺意のレベルが異なる、二人の犯人の手によるものだと考えて、ようやくしっくりくるんです。そして、ねぇ、行橋さん。人を殺したい、そういう強い欲求を持つ人間が、自分が確実に疑われない完全なアリバイを手に入れたとしたら、真っ先に起こす行動はなんでしょう?」
「殺人か」
「でしょうね。ちょうど前者と後者の境目があの火葬の日ですから、これも非常に示唆に富むわけです。以上をもって、共犯相手が誰にしろ、新井は既に死んでいるべきだと、まず結論づいたわけです」
紗綾はそこまで語ると、いよいよムール貝に手を伸ばした。
「動機は?」
「そう、動機。これは気になりますね。本人たちに聞かない限りは確実なことは言えませんが、新井さんが共犯だったとすると、それ相応の事情が新井さんにもあったことになります。これはあくまで私の推測ですが、大造の会社、あるいはSホールはなかなか運営が厳しかったんじゃないでしょうか。Sホールの成績が悪いことは川崎さんも認めていました。特に最近解約者が多いと……。それで、私にしては珍しくラジオ体操に行ってみたんです。そこで色々良からぬ噂も聞いた」
「ラジオ体操?」
突拍子もないものが登場して、行橋は面食らったようである。その顔が紗綾には少し可愛らしく思えた。
「ええ、しかもはるばるSホールの近くの公園までね。ラジオ体操は朝早起きの老若男女、最近じゃ老男女でしょうけど、地域の方と交流できるいい機会じゃないですか。それで、その日ラジオ体操に参加していた方からSホールと契約している人、解約を考えている人を探し出したんです。そうしたら、老人会の間で良からぬ噂が立っていた。Sホールと契約した人には死神が憑くとね。どういうことか聞いてみたら出るわ出るわ。契約してた誰々さんがこの間車に跳ねられた、列車に轢かれた、亡くなられたってね。だから死神が憑いているんじゃないかって。なるほど、そんな立て続けにコミュニティ内の人が死んではそんな噂も流れましょう。しかし、私にはそれが全くの噂とは思えなかった。もちろん死神なんて信じませんよ。でも、死神のような発想を持った人間の意志がそこにあるのではないか。それで、Sホールと契約していた人たちの名簿と行橋さんの見せてくれたS市における高齢の死亡者リストを照らし合わせてみたんです。これはなかなか興味深い結果ですよ」
紗綾はそういうと手を拭いて、バッグからA4の紙を取り出した。それはSホールとの生前契約者の一覧であったが、その一部は取り消し線が引かれ、その横に紗綾の字で事故死、薬の過剰摂取による中毒死、そして熱中症など多岐にわたる死因が書き記されていた。
「この数ヶ月の死亡者の半数が契約者のリストから出ているんです。さらにそのうちの半数は、ここ一ヶ月の死者です。それもそうでしょう。先ほどのトリックに必要な遺骨を生前葬のイベントまでに用意するのはそう簡単じゃありません。人なんていつ死ぬかわからないんですから。でも、それを用意するために殺人を加速させたなら……?」
「それに新井も加担していたのか」
「加担していたのか、口を出せなかったのかはわかりません。とにかく葬儀さえ行われればその場しのぎでも利益が出る。大河原の殺人がSホールの経営を支えていたなら、新井もおいそれとそのことを告発できなかったのではないでしょうか? こうして誰も止めることなく次々とこのリストから殺人が行われた……。本当は、このリストの整合性から、私はあの悪魔のようなトリックを思いついたんですけどね」
紗綾は最後の貝を食すと、フォークとスプーンをきれいに置いて、食後のコーヒーに口をつけた。
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