悪友の面影

 大きくフロントのへこんだ車の横で、行橋警視はタバコに火をつけると、足元に座り込む紗綾を見おろして、ふっと息をついた。少し膝を擦りむいているのか。行橋はポケットの中に一枚絆創膏を見つけると、それを紗綾に差し出した。

「すいませんね」

「すまないも何もあるか。まずは感謝だろう」

「ありがとうございます」

「これだからよ、探偵はやめとけって言ったんだよ」

「……?」

「お前の母親にな」

「行橋さんは、母を知っているんですか?」

「ホームズにとってのレストレード。いや、金田一耕助にとっての等々力大志というところかね」

「それで私にも協力してくれるんですか?」

「んなわけないだろ」

「そうですか」

 フッと行橋は笑うと急に真面目な顔になった。

「ときに、川崎はしっかり車にはねられちまったそうだ。そのアシで君も轢き殺すつもりだったんだろうな」

 紗綾はぶるりと肩を震わせた。

「向こうさんも君の行動には注意しているわけだ。今後護衛はつけるけどな、そろそろどういうことか、私に喋った方がいいんじゃないか?」

 しかし紗綾はそれに答えなかった。代わりに、


 ぐぐぅ。


 とお腹を鳴らせると、あらためてうずくまった。

「もうしばらく待ってろよな。代わりの車が来るからよ。そしたらうまいもん食わせてやるよ」

「ありがとうございます」

「その代わり、今度はちゃんと答えてもらうぞ」

「ああ、うぅん。その前に一つ確認していいですか?」

「なんだ」

「川崎さんは、亡くなられたんですね」

「ああ、はねたうえに、ご丁寧に轢き殺していったそうだ。見る影もないね」

「そうですか」

 紗綾はそれきりしばらく口を開かなかった。時折車に寄りかかると目を閉じて首を横に振っている。そのすぅっとした顔が、昔の相棒の面影がちらついている。行橋警視は空を見上げた。夜でも雲が広がり、星も月も見えない。ただオレンジ色の街灯だけが辺りを照らしている。

「行橋さん」

 行橋は一度咳をはらうと、紗綾に顔をあえて背けた。

「なんだい」

「犯人は、結局何がしたかったんでしょうね?」

 彼には、彼女がポツリポツリと語るその様子が懐かしかった。それが意見をきいているわけではないことは、随分昔に教えられた。

「犯人は、もともと久根別大造を狙っていた。でも、確実に殺そうという意志は、はたしてそこにあったんでしょうか?」

「確実に殺すなら、もっと他に方法があったと」

 紗綾はコクリとうなずいたのだが、行橋警視にはそれを見ずとも反応がわかった。

「おかしくなってきたのは、生前葬の後なんです。犯人は、立て続けに殺人を実行した。堰を切ったように。いったい、犯人に何があったんでしょう? ねぇ、行橋さん。私、お願いがあるんです」

「なんだい?」

「私もこればかりは確証が持てないんですけど、火葬場の裏にある川、捜索してもらいたいんです」

「なにがあるか……。いや、君は何があると思ってるのか、次第だな」

 紗綾はその答えを渋るようにまた首を回した。でも、ようやく決心がついたのか、すっと立ち上がると、ツッと背伸びをして行橋の耳元に囁いた。

「新井さんの遺体です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る