暗中模索

 この時期の紗綾の生活は既に他の探偵譚でも触れているが、夏休みともなれば怠惰の極みであった。軽く昼前まで寝てしまう。しかし、この日はどうしたものか五時ごろに目を覚ますと慌てて外に出て行った。舞は半分夢の中で、どうしたものかね、と思ってむにゃむにゃ再び眠りについた。


 舞が再び目を覚ますころ、すなわち家を出てから三時間後、紗綾はというとS県警の行橋警視のデスクに向かい合っていた。行橋警視は受話器を置くと、ニヤッと笑って言った。

「どこで仕入れてきたか知らんが、面白いこと考えるな。今、リストを探してもらっている」

 行橋警視の頼んだものはすぐにメールで届いた。そのリストには人物の名前と、年齢、死亡した日、そして事件事故などの概要が書かれていた。紗綾はそれを見せてもらうと、今朝方とったメモと照らし合わせていった。

「これ、六十歳以上だけ抽出して、事件の発生順にソートできません?」

「そんなのわけない」

 ちょいと画面をいじると、リストが並び変わった。紗綾はそれをいくらかスクロールすると、ある一点で手が止まった。


――――


「つまりだ、土屋君の考えをまとめると、新井は死んでなんかいない。その新井が久根別大造を殺したということかね」

「ええ、そうです。どうもこの新井がクサイんじゃないかと思いまして」

「しかし、それじゃああの遺骨はいったいなんなんだろうねぇ」

 行橋はお気に入りのマグカップにフィルターを乗せると、先ほど挽き終わったコーヒーを入れ、そっとお湯を注いだ。あの後行橋は紗綾に天ザルをおごってやり別れたのだ。食後の一服。そんなところに相談に来たこの歳上の警部に流し眼をくれてやった。対する土屋警部は缶コーヒー片手にしょげている。

「それは……、行方不明者との照合も考えていますが、数が数ですから」

「まだなんとも言えないと」

「はい……」

「だろうねぇ」

「……ときに、警視はあのガキを放っとくつもりですか」

「不満かい」

 不満も何も、見ればわかるだろという顔をしているつもりなのだが、行橋はその顔をキョトンとして見つめ返している。

「そりゃ不満ですわ。なにかそれとも聞き出せたんですかい?」

「いんや、そこんところはからっきし……。あの女そっくりよ。ここのエビ天は美味しいですねなんて、食うだけ食って帰ったさ」

「あの女ってのはなんです」

「コレよ」

 行橋警視は小指を差し出すとニヤッと笑った。それを見た土屋警部は目玉が飛び出んばかりに驚いた。おまけにコーヒーを吹き出したからたまらない。

「汚いねぇ。まったく」

「警視、本当ですか?」

「なぁに、信じたの? だめだねぇ、だから君はいつまでも缶コーヒー党なのだよ」

 からかわれて土屋警部はたいそうご立腹である。

「じゃあなんなんです?」

「古き良き悪友さ」

 そういうと行橋は窓の外に遠く見えなくなりそうな紅いジャケットの後ろ姿を眺めた。


――――


 そんなことはつゆ知らず、紗綾は火葬場へと向かっていた。徒歩で一時間だから、バス代をケチって歩こうと思ったのだが、夏の陽気である。しかもジャケットなんて羽織っているから、着いた時には滝のように汗が流れる始末だった。

 火葬場の中は冷房がきいていた。今日も火葬を待つ人はいるようで、ロビーに座る紗綾を奇異な目で見ながら喪服の人々が通り過ぎて行く。しばらく待たされて出てきたのは、あの日出勤していた一人の作業員だった。彼は紗綾の紅いジャケットを見るとすぐにあの日の人と思い出したようで、怪訝そうな顔をした。それでも紗綾は相変わらずニコッと笑ってかえすと、

「お忙しいところありがとうございます」

「はぁ、あの日のことでしたらもう警察の方に……」

「いえ、実は今日私が訊きたいのはあの日のことじゃないんですよ」

 相変わらず愛嬌がある。さっきまで汗をたらし疲れ切っていた人と同一人物とは思えない、涼しげな顔をしている。

「過去にも同じようなことがあったんじゃないかと思いましてね」

「そんな、あんな恐ろしいことは一度だけです」

「いや、これは私の言い方が悪かった。私が言いたかったのはこうです。本社からの研修か何かでちょくちょくここに作業に来ていた人がいなかったかということです」

「は、はぁ。研修ですか。えぇ、確かに以前から本社の研修の方が時々見えていました。でも、あの日がそうだったかまでは……」

「それじゃあ、あの出来事の後、研修はありましたか?」

「いえ、それは一向に。でも、時期も時期ですから、てっきり研修は終わったものかと」

 なるほどよく考えたものだ、と紗綾は感心した。

「ときに、その研修で来ていた方って、この方ではありませんか?」

 そう言って紗綾がバッグから取り出したのは、一葉の写真であった。

 紗綾が犯人から襲撃を受けたのはその夜のことであった。

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