プロローグ・【傾国】の事情

夕食を食べ終えたジェイクは自室にいた。


『そろそろレイラと社交界デビューの頃合いですわね』


(いや、そのままレイラを巡って決闘間違いないのに一緒に行く訳ないじゃん。っていうか招待自体されないし)


『おほほほほ。立場が低いことを忘れて美女を連れていく程無能じゃありませんでしたか』


(そもそも無能じゃない)


『1人で外に出た奴が何を仰っているのやら』


(退屈だったもんで……)


 ジェイクと【無能】の心の中での会話だが、彼とレイラは余計なトラブルを避けるため、初めて会った時から全く屋敷を出ていない。まあジェイクがその時表に出たのは、彼が誰からも必要とされていない時期だったためで、レイラと出会ってからは彼女のいる場所を守るためどこにも行っていなかった。そしてそれはレイラも同じで、まだ【傾国】を完全にコントロールできていないため、男達が騒動を起こすのは目に見えていたので、この両者は常に同じ屋敷でいる状態だった。


『それで、いつ言うんですの? もう心は決まってるんでしょ?』


 それつまり、ずっと一緒なのだ。


 それぞれ勉強しているとき以外、ジェイクは王子なのに周りの反対を押し切って、拙いながらレイラと一緒に家事をして、常に一緒に食事をして、遠からず一緒に寝起きするだろう。


 愛してくれる者を愛する、愛に対して主体性のないジェイクだが、言葉に出さずとも自分のことを態度で愛してくれているレイラに答えを言う必要があった。


 いや、レイラ達に。


「そうだなあ、今」


『は?』


 敢えて心の会話ではなく、言葉にしたジェイクに【無能】はポカンとした。


 ◆


(今は自信をもって幸せと言える)


 レイラは自分の部屋で自分の人生を振り返っていた。


『俺の子じゃない』


 まず生まれからして既に悪い。両親は何の変哲もない農村の男女だったが、【傾国】が作用する前から真っ白な肌と髪、瞳を持って生まれた彼女を見た父は、自分の子ではないと思い込んだ。しかしこれは少々致し方ない。全人類がレイラと両親の血縁を見出せない程似ていないのだ。尤も、その彼が父親として接していたなら、ジェイクだけは共通点を見出しただろうが。


『どうして私からこんな子が……』


 一方でお腹を痛めてレイラを産んだ母親も、自分との共通点がまるでない娘を気味悪がり疎んじたが、それでもレイラはなんとか生きていける育児を受けることが出来た。今生きていることがかなり奇跡的な程度の、だが。


『なんであんなに真っ白なんだ?』

『気味が悪い』


 それは閉鎖的な農村の中でも変わらず、自分達のコミュニティーで発生した明らかな異物である彼女を村人は避け続けた。


『あんなに綺麗に……』


 だが彼女が女として成長し始めると男達は掌を返したのだが……【傾国】が作用してしまった。


『レイラは俺の女だ!』

『なんだと!』


 最初はいざこざだった。誰誰と将来結婚したいかという若者達の他愛ない会話。そこで全員がレイラの名前を挙げて、なんだよお前もかと話は終わるずはずだったのに、本気の殴り合いに発展したのだ。


 まだまし。


 ある家で男の親子がレイラを巡って殴り合う。


 まだまだまし。


 レイラを自分の物にしようと襲いかかろうとした男に、別の男が襲い掛かり、そこへまた別の男が襲い掛かる。


 まだまだまだまし。


 疎んじていたはずの父が急に話しかけてくる。


 まだまだまだまだまし。


 ついには村にいた男全員がレイラの家に押しかけてそれぞれ殴り合い始め、その混乱に乗じてやって来た者達が彼女を連れ去らねば、村人全員が殺し合いをしていただろう。


 そう。彼女の人生はそのまま不幸の人生だったのだ。


 彼女を連れ去った者達すら【傾国】に狂わされ、そして狂わなかったジェイクに出会うあの日まで。


 無能王子に


 無能に


 なんの才もない者に


 勉強の才能がない者に。運動の才能がない者に。戦いの才能がない者に。政治の才能がない者に。魔法の才能がない者に。金儲けの才能がない者に。ありとあらゆる才能がない者に。


 当然だろう。寂しさと悲しみを感じる感性でありながら、三大欲求も、生存本能すら捻じ伏せて成すべきこと成せる、精神の才能という言葉は存在しないのだから。


 ともかくそれ以降は幸せそのものだった。友人と言えるエヴリン、勝手に妹と認定しているリリー。ここからは地位が高すぎて腰が引けるが、姉のようなイザベラ、厳しくも優しいアマラとソフィー。


 そして心の底から望み、だが叶うことはないだろうと思っていた、自分が隣にいても襲ってこず、優しく微笑んでくれる存在であるジェイク。


 レイラは今十分幸せだった。


「レイラ、いる? 入っていい?」


「うん? ああいいぞ」


「邪魔するね」


 過去の物思いに耽っていたレイラがノックの音で今に戻り、ジェイクが部屋に入ってくる。既にジェイクはレイラに、自分達しかいない状況では素の口調になるよう無理矢理説得していたため、ここにいるのは単なる男女だ。


「どうした珍しいな」


 時刻は夜であり、こんな時間にジェイクがやってくるのは珍しい。そこで考えが止まってしまう辺り、【傾国】とはいえ、いや、男を自由自在に操れるからこそ、男女の関りについての才能が全くない。


「兄上達が結婚したら結婚しよう」


『む! む! 無能おおおおおおおおおおおおおおおおお! 無能すぎいいいいいいいいいいいいいい!』


 だが相手は才能がないどころか完全に無能の中の無能王子だった。兄2人が結婚していないのに先にする訳にいかないのは正論。王族が恋愛の手順を知らないのも仕方ない。だがそれにしたって【無能】の絶叫通り、無能以外表現しようがない。


「ジェイク!」


『ちょろすぎいいいいいいいい!』


 だがレイラも負けず劣らずだ。全く前段階なし、手順なし、情緒なしの告白。ジェイクを蹴とばしても誰も文句を言わないだろうに彼へ抱き着いた。冴えない王子と人類の至高美が抱き合う光景は、一応なにかの物語の題材になりそうだが実際は最低最悪である。


 だが物語の題材として最悪でも2人は大真面目だ。


「本当に……本当に私でいいんだな? 【傾国】だぞ?」


「【無能】ですがよろしくお願いします」


 彼らが初めて会った日の同じやり取り。


「破滅するんだぞ?」


「人間どうせ死ぬんだ。なら愛した人と一緒に死ぬさ」


 だが、最後のジェイクの言葉だけは若干違い、そして2人は完全に重なった。








 ◆


『これ【奸婦】【傾城】【悪婦】【毒婦】【妖婦】にもしますの? え? 本気で? やり切れると思ってますの?』


 ジェイクはやり切った。

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