銀色の魔術師
「ってことは、先輩……犯人が分かったんですか」
宗像が身を乗り出すと紗綾はゆっくりと頷いた。
「そう、あなたたちがここを離れたときのことをしっかり覚えていてくれたからね」
ぽっと宗像の頬が染まった。
「宗像さんたちが美術室を後にした時、美術室に異常はなかった。それが今朝になると強烈な暖房がついていたんだよ。ほら」
紗綾はそう言ってリモコンを差し出した。
「設定温度が三十二度。さすがにこんなに部屋を暑くするのはいかに春の夜が寒かったとしても変だね。それにさっき言ったように宗像さんも成岩さんも帰る時にエアコンはついていなかったという。じゃあいつエアコンがついたのか……」
「タイマーですか」
辻堂が呟いた。
「そうそう。エアコンのタイマーでつけたんだ。これもリモコンを見ればわかることだけど、六時間後につく設定になっていたんだ。校内の見回りといったって夜中にはやらないからね。下校前にタイマーをセットして、夜中にエアコンがついても朝まで誰も気がつかないというわけだ」
「でも、それがどうしたんですか? それと咲良ちゃんの作品が盗まれたのになんの関係が……」
小杉が問うと紗綾は目を瞑って深く頷いた。
「大ありさ。でもね、あの作品は盗まれたんじゃなくて、無くなったんだよ。ね、日置さん?」
紗綾に突然名前を呼ばれた日置は肩を震わせた。しかし紗綾は彼女の返事も待たずに、
「元に戻せって言ってもそれは難しいんじゃないかな。だってメデューサの首は溶けてしまったんだから」
「そんなわけないですよ、先輩。アレだって石膏でできてたんじゃ……」
「児玉さん。あの作品が何でできているかはあなたの想像だったよね。確かに一見すると白い石膏像だけど、誰もアレが石膏であると確かめたわけではない。何か他の材料で作って、その表面を白くすればそれで完成さ。誰も触らないから石膏かどうかなんて確かめようがない。もちろん、触ったら溶けちゃうから触れない代物だろうけど」
「だからって、溶けるって、そんな……。氷じゃあるまいし」
「ガリウムね」
突然、一団のしんがりに控えていた美輝が口を開いた。
「ガリウム……?」
「やっぱり美輝は知ってたか。いやぁ、実はそこのところ、具体的な物質が何かはわからなくてね。黒崎がいたら聞いてみようと思ったんだけど。ほら、よくテレビとかでスプーム曲げってあるじゃない。擦っているとスプーンがだんだんお辞儀して、しまいにはぷっつり折れて切れてしまうあのマジック。アレはね、摩擦熱程度で簡単に溶ける金属を使ってるんだよ。それがガリウムって言うんだね?」
すると美輝は頷いて。
「そうです。ガリウムでできたスプーンです。融点は二十九・八度酸にも塩基にも溶ける両性元素の一つ、数少ない異常液体の物質ね。まあ、この辺りの性質は関係ないと思うけど。融点が三十度に満たないから、三十二度に設定された部屋では溶けてしまうと、そう言いたいのね」
「そう、それ。あの部屋があまりに暑いから、まず疑ったのが作品自体が溶けるという手法だった。溶けたとするとどこか流れていく場所が必要だ。それであの作品の置かれていた台座を観察してみたんだけど、よく見るとあの台座は中央がうっすらとくぼんでいるんだね。そしてそのくぼみの中央に小さく穴が空いているのを見つけたんだ。その瞬間ね、私はその物質が何にせよ、銀色の魔術師さんは作品を熱で溶かして台座の中に流し込んだんだとわかったんだよ。こんな風にね」
と言って紗綾は台座を取り上げるとそれを軽く振った。中からはカタカタと硬い音がする。
「これをこじ開けてみてもいいんだけどさ、どうだい、そろそろここまできたら十分じゃないかな、日置さん、いや銀色の魔術師さん?」
窓枠から離れると紗綾はスッと日置の前に立った。そしてそのままにっこりと笑ったのである。日置はちょっと目尻に涙を湛えてこくりと頷いた。
「ありがとう」
紗綾は日置にそういうとくるりと踵を返した。紗綾が予想外に明るく接してくれているのが嬉しいのか、日置は潤んだ瞳を拭うと恥ずかしそうに笑った。
「で、これがこの問題の核心だけどね、なんでこんな狂言を考えたのかな?」
すると日置はぼんやりと頬を染めながらうつむいた。それはちょっぴり、さやには予想外の反応であった。
「す、すごいなって思ってたんです。先輩のこと」
日置はひょいと顔を上げるとそのまま紗綾を見つめた。その目にはどこか羨望と尊敬の色が現れているように感じられたのだ。
「先輩の話を色々聞いて、すごいなって。それで、すみません。すこしはやっぱり、あっと言わせてみたかったのかもしれません。すこし悔しいんです。でもやっぱり、先輩はすごいんだなって思ったんです。だって、生で先輩の推理を見れたんですよ。しかも私の作った謎を鮮やかに解く姿……。見たかったものが見れたんですから、後悔はないです。ごめんなさい。試すようなことをしてしまって……」
ああ、なるほど、と紗綾は彼女の独白を聞いて思った。紗綾は真相に気づいてからずっと疑問に思っていたのだ。確かに紗綾はまだ素人の探偵さんである。しかし探偵は探偵であると紗綾は自負している。だからあのような予告状を送る理由がわからなかったのだ。探偵との戦いを望んでいるのはもちろんとして、私はあの文面通り過大評価されているのか、それとも裏腹におちょくられているのか。私を事件に巻き込むことで何かトリックを成立させようとしているのか……。しかし彼女の弁によれば、なるほど、彼女は紗綾の推理を見たかったのかもしれない。紗綾を見つめる彼女の目には一点の曇りもないように見えたのだ。
日置が頭を下げたから、紗綾は急に我に返って手を振った。
「みんなを巻き込んだのは確かによくないことかもしれないけど、いいの、みんなだってほら」
紗綾はそう言うと、今にも泣きだしそうな日置の頭に手を置いた。
「それにね、面白かったよ。だから、ね」
日置はその言葉に涙をたたえたまま微笑み、頷いた。
なるほど、銀色の魔術師である。紗綾はきっと彼女のことを生涯忘れ得ぬだろう。
銀色の魔術師 裃 白沙 @HKamishimo
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