中学美術部

 美術室のある東館五階は美術室と美術科の教員室、廊下を挟んで水場と二つの部室が配置されている。二つの部室というのは高校部と中学部それぞれの美術部にあてがわれたものになっており、普段紗綾たちは奥に位置する方の部室を使っている。廊下には動物の剥製や、部室から溢れた石膏像、それに画板やイーゼルといった画材が積み重ねられているのだが、この校内展の期間は余剰の机や椅子も全てこの廊下に積み上げられている。この椅子と机の山が、二つある美術室の入り口の間に鎮座していて、生徒はこの美術室を抜けぬ限り山の反対側には行けぬようになっているのだ。紗綾たちは外階段でこの東館五階に来るとまず部室を覗いた。中には隼と、彼の影になってて見えないが、おそらく葉月が抱き合っていた。二人は顔を見合わせると、そのままそっと扉を閉じて美術室に向かったのである。

 部室側の入り口は校内展の出口になっていた。だから彼女たちは出口から入ったことになるのだが、評価シートの集計ボックスは出口においてあるし、美術部の作品も後半に集中しているから構うことはないのだ。

 中では小杉と成岩がモップを持って床を拭いていた。

「あっ、先輩」

 先に気がついたのは小杉であった。

「部室見ました?」

 舞と紗綾は何も言わずに勝手なリズムで頷くと、呆れ顔とも気まずい顔ともつかぬ顔を向けてみる。

「なんとかしてくださいよ、先輩」

「私からもお願いです……。部室に荷物置いて来ちゃって、取りに行けないんです……」

「それで手持ち無沙汰だから七海ちゃんと掃除してるんですけど、いい加減飽きちゃって……」

 それもそうだろう。葉月と紗綾たちは同じクラスだから、ホームルームが終わってずっとあの様子だとして、もうかれこれ二十分である。その間ずっと掃除していたというならご苦労なことである。チリの一つも残っていない。

「いやぁ、あれは私たちでもちょっときついね」

 ええ、と成岩が眉を寄せる。

「美輝は?」

「部長なら函南先生とお話ししてまして」

 と、成岩は教員室を指差した。と、突然彼女の表情から曇りが消し飛んだ。あれ、と思って振り返ってみると葉月である。

「満腹ですか?」

 と声をかける小杉をみんなで後ろに隠すと、その隙に成岩は部室へと駆けていった。葉月は何のことだかわかっていないようで、子猫のように首を傾げている。

「それで紅羽ちゃん、もうシートのまとめは終わったの?」

 背後の小杉に尋ねると、小杉は不満そうな表情をなぜか一層不満険しくして、

「どうでしょう、部長が持って行っちゃいましたから。でもねぇ、先輩の作品は好評でしたよ」

 小杉はどうやら舞の質問が、己の作品に対する評価を気にした故のものと映ったようだ。しかし真意はそこではないのだ。問題の作品の評価が気になったのである。

 舞は高校部の副部長だから、小杉や成岩までの作品と名前は一致する。その中に「魔女の暦」なんて作品はなかったから、きっとこれは中学部の作品なのだろう。案外、部活が中高で分かれていると、直接年代の被らない三学年下とはあまり面識がないのだ。活動日も異なるからどんな作品を作っているか、タイトルが何であったか一致する方が珍しい。無論それは紗綾も同じであろう――いや、実際舞以上に疎いのだが――から、舞は少し助手ワトソンでも気取って、評価シートに目を通そうと思ったのだ。

 一方の紗綾は部員の作品を今一度見ておこうと、入り口の方に向かっていた。ちょうど美術室の真ん中あたりが授業作品と部活作品の分かれ目になっている。その境目のあたりに来ると、入口の方から声がする。覗き込んでみると、少しまだあどけなさの残る一団が椅子を輪にして屯している。ああ、彼女たちが中学部の部員か、と紗綾は微笑ましく思いふと我にかえった。そうだ、彼女たちの中に問題の作品を作った生徒がいるはずなのだ。

 一団を数えると都合三人。紗綾から見て正面に座るのは中学部の部長、三年生の早川希である。黒々と艶やかな長い髪を揃え、いかにも真面目そうなメガネをかけているから、どうも数年前の美輝を思い出すような風貌である。事実彼女のこの髪型は美輝をリスペクトしていると聞いたことがある。

 早川は紗綾たちが中三の時中一だったから面識もあり、紗綾ですら覚えているのだが残りの二人は名前がわからなかった。ということは二年生なのだろう。

「あら、瓦木先輩じゃないですか」

 早川が紗綾に気づいた。他の二人は一度紗綾の方を向いたが、早川の口から瓦木先輩という名が出るに及んで、びっくりしたように顔を見合わせた。

「ああ、どうも。お邪魔しちゃったみたいで」

「そんなことはないですよ」

 早川はそういうと、右に座る御下げ髪の少女の背中を突いた。

「あっ、はい。すみません。私、辻堂ひかりっていいます。一年生です。先輩の名前は前から色々……、あぁ、えっと。そうです。それでこちらが智慧先輩です。よろしくお願いします」

 辻堂はへこへこと頭を下げるとたどたどしく自己紹介を途中で打ち切り、隣に座る智慧先輩とやらに話のボールを投げつけた。なかなかの逸材である。他方、投げつけられた智慧先輩は思案する顔をやめて、まだ心の準備ができてなかったか、

「えっ、それだけ? えっと、児玉智慧です。お久しぶりです」

 そうだ、この子が児玉さんだ、と紗綾は内心手をポンと鳴らした。くるくると巻き髪になっているのが印象的である。よし、もう忘れまい。

「他の人たちはまだかしら」

 三人はエンジンのピストンのようにバラバラに頷いて、

「あとはみっちゃんと咲良ちゃんがまだです」

「ああ、すみません、宗像さんと日置さんのことです」

 側から早川が注を入れた。ああ、そういえばそんな子たちが入部していたなぁと紗綾は昨年の歓迎会を思い出した。やはりどうしても身を入れて覚えようとしなければなかなか覚えられないのである。例えば今度のように事件の兆候がなければ……。

「何かあったんですか?」

 早川が眉をあげた。紗綾は慌てて笑顔を作った。すこし表情が深刻になっていたのかもしれない。

「いやぁ、評価シートをみんなに返そうかと思って。まだ啓ちゃんが持ってるけどね」

 とっさに出て来た言い訳にしては上出来だった。ああ、なるほど、と三人は頷いた。するとそこに丁度よく美輝が現れた。手に持つカゴには綺麗に角を揃えられたシートの束が入っている。

「そっちはみんな……来てないですね」

 こうして見るとやっぱり早川は美輝に似ている。早川は笑顔を隠しきれずに、

「私が預かりましょうか」

「お願いするね。紗綾、あなたのもあったよ」

「ああ、うん。ありがとう。ちょっと作品見たいからさ、舞に預けといてくれる?」

「はい」

 美輝はそういうとくるりと回ってパーテーションの裏に消えた。それを見届けると、紗綾もゆっくり作品を一つずつ見て回ることにした。

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