魔導具争奪戦(6/9)

 さて、こうなるとモーリスと取引する可能性があるのはアンドレア・V・ノーラスだけだ。

 特に彼の派閥『血の呼び声』はリビアの派閥『血の盟約』に深い恨みを持っている。あの吸血鬼の馬鹿息子リチャードのせいだ。

 この馬鹿息子はよりにもよってリビアの縄張りで大増殖を始め、その結果として鋼鉄のシェルター内に無酸素状態で封印された。そしてこれから先数百年はそのままにされることになった。そのとき、対策局に手を貸したのがリビアだ。

 つまりは逆恨みということだ。リビアが口を利かねば封印どころか滅殺されていたろうに。

 アンドレアに取ってはリビアの方から戦争を起こしてくれるなら望むところだろう。吸血鬼派閥間での戦争は一応タブーだからだ。最初に戦争を始めた派閥には誰も手を貸さないことになる。


 アンドレアが公開している電話番号に連絡してみたが応答が無いので、対策局ニューヨーク支部に電話をして、彼の動向を聞いてみた。

「しばらくお待ちください」

 冷たい声の受け付けの声が返って来た後に回線が切り替わり、いきなりアナンシ司教の怒鳴り声が響いてきた。その場でスマホをゴミ箱に投げ入れたくなったが、何とか抑えた。

「どこで油を売っている! すぐに帰ってこい」

 私が今何をしているのか言うべきかどうか。

 言うべきだ。対策局の情報は必要だ。ここで時間を食えば、モーリスが取引を終えてしまう。今アナンシ司教に邪魔をされるわけにいかない。

「ハンバーグを探しています」

「なに?」

 電話の向こうでアナンシ司教が目を剥くのが想像できた。

 対策局では一か月毎に秘密の暗号コードを変える。今月の符牒表ではハンバーグは古代魔導具を意味する。絶対に使わないだろうと思っていたコードだ。

「友人の自宅からハンバーグが盗まれました。今それを追っています。見つけて元の持ち主に返さないと、コアラがパーティを始めてしまいます」

 コアラは吸血鬼で、パーティとは戦争だ。吸血派閥は大勢の人間の大富豪と関わりがあるのでその影響は人間界にも広く及ぶことになる。

「本当か?」アナンシ司教は疑り深い。

「本当です」

 それ以上は何も言わない。彼の中で悪い想像が膨らむに任せる。

「分かった。確実にそれを片付けてこい。それができたら今までのことは不問にする」

「了解です」

 電話を切った。長く話していると今度は何を言いだすかわからない。

 見つけた古代魔導具を対策局に納めろなどと言われたら困る。そんなことをしたら対策局とリビアの派閥での戦争になってしまう。

 再び対策局ニューヨーク支部に繋ぐ。先ほどのオペレーターが出た。

「ファーマソン神父。最優先権が貴方に設定されました。何をいたしましょう?」

 さすがアナンシ司教は仕事が早い。色々性格には問題がある人物だが、こと仕事に関しては有能かつ真摯だ。彼は仕事自体には私情を挟むことはない。

「吸血鬼派閥『血の呼び声』のアンドレア・V・ノーラスの居所を調べてくれ」

 対策局の仕事の一つに各吸血鬼派閥の長老級の人物の監視がある。だから答えはすぐに帰って来た。

「ノーラスは居城に居ません。二日前に名だたる幹部を連れてニューヨークに向かっています」

 ビンゴだ。

 モーリスと取引したのはコイツだ。半吸血鬼であるモーリスに警戒厳重なニューヨークの境界を越えて貴重な魔導具を運ばせるよりはと、自ら足を運んで来たのだ。

 ニュヨークのどこかに居るモーリスの下へ赴き直接取引するつもりだろう。


 考えてみた。

 モーリスが一番避けたいのは魔導具をノーラスに奪われることだ。吸血鬼がその気になれば普通の人間と大して差のない半吸血鬼のモーリスには為す術もない。

 自分をノーラスの吸血侍従にさせるにはギースを使わせるしかない。モーリス自身は魔法を使えないから、ギースをかけるのはノーラスでないといけない。

 どうやってノーラスにギースを迫る?

 答えは爆薬だ。魔導具のネックレスに爆薬を仕掛けてその解除をギースの条件に盛り込むのだ。吸血侍従化とネックレスの無事な譲渡の取引だ。その文言もすでに熟考してあるに違いない。

 ギースを遠隔でかけることは可能だが、距離が離れるほどにギースを成立させるのに必要な魔力の量は増大する。ギースによる生命力枯渇で死にたくなければ対面で掛けるのが鉄則である。

 といいうことはノーラスから辿れば、モーリスへと辿りつくはずだ。問題はノーラスが魔導具を手に入れる前にモーリスを見つけることができるかどうかだ。

 いくつかの作戦を考えてみてから、私は連絡を取っておいた魔導士のアーダラクとシェイプシフターのアラバムが到着するのを待った。

 これには二人の力が要る。



 ノーラス一行はニューヨークの有名ホテルの最上階を1フロアまるごと借り切っていた。ペントハウスになっているやつだ。

 リビアもそうだが高位吸血鬼は高いところに住みたがる。太陽光線に少しの間でも堪えられるならば、最上階はコウモリになって逃げるときに有利だし、襲撃するにも困難だからだ。

 逆に低位吸血鬼は地下の穴蔵を好む。憎むべき太陽からできるだけ離れようという本能が強いためだ。


 一応アポは取った。私は喧嘩を売りに来たのではないからだ。

 エレベータを出るとそこで待っていたのは二匹の吸血鬼だ。高価なスーツに身を固めて見かけだけの上品さを纏っている。

 私の顔を見ると、左側の一匹がハンドトーキーに向かって喋った。

「ボス。ダークの野郎が来ました」

 ダークの野郎? なんてひどい言いざまだ。

 もし私が本当にダークだったら、こいつはその場で首をむしり取られていただろう。

「ファーマソン神父だ」改めて自己紹介する。

「どちらでもいい。通んな。奥でボスがお待ちかねだ」

 そう言いながら胸のホルスターに吊るした銃を見せつける。そこから銀の匂いがする。


 誰もが思う。俺は銀の弾丸を持っているから人狼を恐れることはないと。

 そして人狼と実際に戦ってみると誰もが思う。どうして弾が当たらないんだと。

 相手の得意げな顔が絶望に歪むのを見るのが、実を言えば私は好きだ。ダークは神の経験を得てファーマソン神父に成長はしたが、持って生まれた性格というものはそう変わるものではない。ただ単に、それを抑えることを学ぶだけなのだ。


 二匹の間を抜けて、私は奥に進んだ。耳の奥に小さな無数の嗚咽が聞こえる。左のドアの奥からだ。怯えた人間が放つフェロモンが匂う。それと大量の血だ。

 廊下の一番奥にあるリビングルームにノーラスは陣取っていた。

 ノーラスはかなり太った中年の男だ。髪は豊かだが、若くは見えない。顔は整っているが、退廃の色がその上を濃く覆っていて、だらしなく見える。

 背後に見覚えのない三匹の人狼が立って護衛している。対策局に未登録の連中で、いわゆる野良と呼ばれる人狼傭兵たちだ。


 吸血鬼がどれも美貌に恵まれるのは、その時代その時代での美男美女を食料とするからだと言うのが、対策局所属の科学者の結論だ。彼らは吸血の際に獲物の遺伝子を取り込むことができると見られている。

 ノーラスがあまり美しくないのは、吸血相手を選んでいないためだ。手当たり次第に人血を飲んでいるに違いない。その体形が語る通りに恐ろしく大食いなのだろう。


 ノーラスは椅子を勧めようとはしなかった。それどころか椅子に体を沈め、テーブルの上に足を載せて、その汚い足の裏を私に向けている。

 この親にしてあのバカ息子ありかと納得した。

 先に口を開いたのはノーラスだった。

「何の用だ。ダーク。対策局に文句を言われるようなことはしていないぞ」

 バカ息子の大繁殖騒ぎは無かったことにしているようだ。あれはあらゆる方面にかなりの遺恨を残している。

「私がここに来た理由はわかっているだろう? ノーラス」

 私は彼の足が載っているテーブルの端に腰かけた。

 テーブルの上には高級ブランデーと氷、そしてやっぱり葉巻が置いてある。

 もしかしたらこいつはあのシャンドリア長老に対抗心を燃やしているのか?

 私は断りもせずに葉巻を取ると、先端を毟り取ってからそれに火をつけた。鼻を刺す煙が葉巻から立ち上る。

「今はリビアの頼みで動いている。対策局はこれには関わっていない」

「ほう。あのアマがどうしたって?」

「分かっているだろ? 悪いことは言わない。モーリスとの取引は止めろ。吸血鬼戦争を始めるつもりか?」

「もしそうだと言ったら?

 それに、ダーク。お前はそういうことを気にするタマだったかね?

 むしろ騒ぎは大歓迎じゃなかったか?」


 おやおや、大きくでるなあ。その昔はダークに会いたくなくて逃げ回っていた癖に。しばらく見ない間に吸血鬼は変わるものだ。そんな心の中の思いをぐっと堪える。


「ダークはそうだろうな。だが今の私はファーマソン神父だ」

「分からんな」

 ノーラスは背後の人狼たちに合図をした。

「それよりも、ダーク。お前の腕が鈍っていないか試してやろうか。ずいぶんヤワになったと聞いたからな」


 じゅうと音がした。私が手にした葉巻をノーラスの足の裏に押しつけたからだ。慌てたノーラスは足を引っ込めた拍子に椅子から転げ落ちた。

 まったく、吸血鬼特有の優雅さもない男だ。これが一大派閥の長だというのが頭が痛い。遠からず彼の派閥は次の闇大戦の種となるだろう。

 三匹の人狼たちがざわついた。戦いのときと見て獣化現象を起こしその体が膨れ上がる。体毛が濃くなり、人間の顔が変形して狼のそれに取って替わる。

 今日は満月でもないのに獣化できるということはそれなりに訓練を積んだ人狼ということだ。人狼傭兵と見た私の目は間違ってはいなかった。

 いきなり私は咆哮を放った。その声は部屋中どころかホテル全体に響いた。


 狼王の咆哮だ。

 魔王の咆哮だ。

 死の遣いの咆哮だ。

 雄叫びは世界のすべてを埋め尽くし、聞いた者の魂を畏怖と絶望へと貶める。

 轟轟と荒れる風の中で何か恐ろしい存在が自分を見つめている。そう感じさせる狼の咆哮だ。


 三匹の人狼が床に伏せた。いずれも両耳を抑えて、その場にうずくまる。

 ぐらぐらする頭を押さえながらノーラスが怒鳴った。

「馬鹿どもが。攻撃しろ!」

 一匹が申し訳なさそうに答えた。

「勝てません。ボス。彼がアルファです」

「雇い主は私だぞ。前払いはしてある。お前たちは死ぬまで契約に従う義務がある」

 恐らく彼らにはギースをかけてある。契約を破れば確実に死ぬ。

「わかりました。ボス」

 三匹はよろよろと立ち上がった。死を避ける本能とボディガードの義務の板挟みになっている。ここで雇い主を見捨てれば彼らの誇りもキャリアも粉々に砕けてしまう。それ以前にギースの報いが来る。

 善しと私は思った。死を恐れるなど人狼にあってはならぬことと、子狼のときから叩き込まれるのが我ら人狼の定めなのだ。

「いいぞ。お前たち」俺はにやりとした。「俺に逆らうことを許す」


 狼フォームに変身はしない。この状態で変身したら神父服が裂けてしまう。そんなことになったらマグダラ尼僧に後で何て言われるか空恐ろしい。

 先頭の人狼が飛び掛かって来た。両手を前に伸ばし、鋼鉄の強度になった爪と大きく開いた顎による攻撃だ。防御は完全に無視の人狼スタイルの攻撃行動だ。

 一瞬で私の手の中にナイフが現れる。特殊鋼のナイフと銀のナイフだ。

 特殊鋼のナイフで相手の左手を切り落とし、銀のナイフの先端で相手の右手を貫く。蹴り上げた足で相手の顎まるごとを下から蹴り上げて粉砕する。

 相手は一瞬で脳震盪を起こし、その場に崩れ落ちた。切り落とした方の腕の血管がみるみる内に塞がり出血が止まる。そいつが脳震盪から立ち直る前に首を蹴り飛ばし、頸骨を折る。人狼にはこれは致命傷にはならないが再生して動けるようになるまでしばらくかかる。

 左後ろに居たヤツは自分でも銀のナイフを出してきた。俺のよりも長めものだ。人間の目では見えない速度でそのナイフを突き出して来る。

 俺は前進し、突き出されたナイフを指で掴んで止めた。相手は人狼の怪力でナイフを引っ張ったが、俺はそれ以上の力でナイフを固定した。

 少しの間の力のせめぎ合いの後に、銀のナイフが中央から折れた。反動で相手が後ろにたたらを踏んだところで、俺は折れたナイフの欠片をそいつの足の甲に打ち込んで床に縫い留めた。

 動けなくなったそいつの両肩に連続で蹴りを叩き込み、砕けた関節の隙間に自分の銀のナイフを突き刺しておく。こうなるといくら人狼でもすぐには治らない。傷口についた銀の粒子が再生を阻害するからだ。そいつから離れざまに背骨を蹴りつけて綺麗に折っておく。

 最後の一人が使ったのは銃だ。自動拳銃を私に向けて銀の弾丸を連射した。銃のスライドが停止したときには俺はすでに彼の前にはいなかった。拳銃程度の弾速では俺の動きについてはこれない。

 素早くナイフを腰のホルスターに納めてから、そいつを殴った。

 鋼よりも硬い拳がそいつの体をただの肉袋になるまで砕く。三十発まで数えたところで拳を引き、壁に貼りついた人狼の残骸を眺める。

 ここまでやっても人狼には致命傷にはならない。だが普通の人狼だから再生するには丸一日は優にかかるだろう。

 私は手首から小さなカプセルを出すとそれを砕き、手のひらに転げ出てきたものを壁についた派手な血のシミの中に貼り付けた。それは素早く魔法を発動して透明化し、見えなくなる。

 私の背中に隠れて、ノーラスにはこれが見えていなかったはずだ。

 これで良し。細工はできた。


 それからまだ床に転がっているままのノーラスの上に立った。

「有難うよ。ノーラス。面白い趣向だったぞ」

 まだ俺はダークのままだ。血を見ると、いつもダークはこの世に居座りたがる。

 私はノーラスに顔を近づけた。

 ノーラスの目がすっと細くなる。彼は一切怯えていない。さすがに吸血鬼派閥のボスだけはある。

 ノーラスは私を避けて立ち上がると、服の埃を軽く払う。

「ずいぶん弱くなったと噂で聞いたのだがな。どうやら間違いだったようだ」


 優しさを弱さと勘違いする輩は多い。こいつもその類の馬鹿だ。

 吸血鬼五大派閥のボスともなれば簡単には殺せない。殺せば派閥間の危ういバランスが崩れて吸血鬼大戦が始まってしまう。そしてそれは第二次闇大戦の引き金になりかねない。

 ヤツはそれを良く知っている。仮にも対策局に身を置いている者がそんな危険は冒さないことを。


 ノーラスは背後の壁に貼りついたままの人狼の残骸を見ると顔を顰めた。

「高い金を取っておいてこの体たらくか。まったく役立たずの人狼どもが」

 私の手が無意識に動き、特殊鋼のナイフをノーラスの喉首に突き付けていた。

「殺してはいない。死んだように見えていても。再生するまで大事に扱え。もし一匹でも死んだと分かったら、俺はお前の前に帰って来る」

 ナイフを引いた。

「そのときは吸血鬼派閥がどうなろうが気にしない。人狼を殺してよいのは群れのボスである俺だけだ」

 別に人狼たちから選ばれたわけではない。だが俺は生まれながらにして人狼の群れのアルファなのだ。


 ノーラスは部屋の外で機会を伺っている高位吸血鬼たちを呼ばなかった。吸血鬼にしか聞こえない超高周波音で動くなと命令を下しているのだろう。

 襲い掛かってくれればよかったのにとはダークの思いだ。

「とにかく、モーリスとの取引はするな。ただでさえ騒がしいこの世の中をひっくり返すな」

 ノーラスは何も答えない。下手に言葉を紡ぐと、ギースに繋がりかねないからだ。口は災いの元という言葉は魔法が働く世界では真理だ。

 私は扉を押すと廊下に出た。そこでは高位吸血鬼たちが殺気に満ちた表情でずらりと並んでいる。だがどいつも私に手は出さない。吸血鬼に取ってボスの命令は絶対だからだ。

 ノーラスが魔導具を入手すれば、それですぐにリビア派閥との戦争が起きる。ここで私と本格的な騒ぎを起こしたりすれば彼の戦力は相当な被害を受ける。そうなればノーラス派閥は詰むことになる。

 つまるところ、私はノーラスに手が出せないし、ノーラスも私には手が出せない。その前提の下で両者は危ういゲームをしているのだ。

 廊下を歩く。背後にぞろぞろと吸血鬼どもが脅すようについて来る。私はわざと振り返りもしない。

 ホテルのエレベータの前に立ったところで、門番役の二匹の吸血鬼が待っていた。

 早く帰れと言わんばかりに、一匹がエレベータの呼び出しボタンを押す。

 それを完全に無視すると私は足を止めて右手のドアの前に立った。あの小さな悲鳴が聞こえていたドアだ。

 どうせ鍵がかかっている。それを確かめる手間などかけない。

 吸血鬼どもが止める間もなくドアの両側に手を埋め込んで壁からまるごと引きはがした。大音響とともに金具が弾け飛び壁が崩れる。

 周囲で吸血鬼どもの怒気が膨れ上がったが無視した。部屋の中は暗いが人狼は暗視ができる。瞳孔が素早く開き一瞬で明確な視界が戻る。

 部屋の中には大勢の女性が身を寄せ合っていた。全員ひどく怯えている。隅に二人ほど横たわって動かない女性がいる。

 吸血鬼の食糧庫。

 明かりのスイッチを見つけてつける。

 明るくなると惨状はもっと明確になる。あちらこちらに血が飛び散っている。彼女たちの服装はまちまちだが若いのだけは共通している。どこかのバーやクラブから言葉巧みに誘拐されてきた女性たちだろう。

 外からの光の中に浮かんだ私の神父服を見て、彼女たちの瞳にようやく希望の光が灯る。この乱暴な闖入者が吸血鬼の仲間ではないと分かったのだ。

 私は彼女たちの注目を引くために手を叩いた。

「さて、みんな、答えて欲しい。この中に契約の下に彼らに買われて来た、もしくは奴隷となった者はいるかな? いるならば手を挙げて欲しい」

 契約の下に自分を売った者たちに対策局は手を延ばさない。それは魔物たちと対策局の約定に定められている。彼らがそうなら私も助ける気はない。契約は常に順守されるべきものだからだ。でなければこの世は無法で満ちてしまう。

 私の問いに女性たちは黙ったままだ。

「君たちはニュヨーク在住?」

 手近にいた女性が弱よわしく頷く。

「では君たちは違法に誘拐されたことになる」


 ここで言う法とは吸血鬼の法だ。

 ニューヨークはリビアの縄張りだ。ここに住む人間を他の地域の吸血鬼が許可なく狩ることはできない。

 そしてリビアがノーラスに狩りの許可を出すことはあり得ない。

 ノーラスは勝手にニューヨークで狩りをし、契約もしていない人間の血を飲んでいたのだ。これだけでも相当にやばい行為だ。


「よし、じゃあ皆お家に帰る時間だ。全員こちらに来なさい」

「何を勝手なことを」門番の一匹が前に出た。

 次の瞬間、そいつの首は私の手の中にあり、千切られた首から呪われた血を噴き出す自分の体を見つめていた。

 高位吸血鬼の感覚は人間よりも遥かに鋭いが、高速モードの私の動きを見ることができる者はその中でもわずかにしかいない。

 私は手の中の首を門番の片割れに押しつけて言った。

「誘拐の現行犯として対策局の権限で犯人を処罰した。それをボスに渡し、そう伝言しなさい」

 実際には伝言などしなくても、この群れのボスであるノーラスには分かっているはずだ。これらの行為を命じたのはもちろんノーラスだが、それを声高らかに糾弾するわけにはいかない。まだその段階ではないのだ。

 目の前で何が行われたのかようやく理解した吸血鬼たちが私を殺そうと殺到しかけたが、その動きは止まった。耳の奥で微かに耳鳴りがする。ノーラスが配下に超音波の命令を下している。内容は私に手を出すな、だろう。

 怯えている女性たちを一人一人引き出すと、上がって来たエレベータの中に押し込む。

「できれば誰にも何も言わないよう」そう念を押した。背後で牙を剥いている吸血鬼どもを指で示す。「噂を聞きつけるとまた彼らが君たちの家を訪れることになる」

 全員を逃がすまでにエレベータを五回ほど往復させた。ホテルのロビーは今頃大騒ぎだろうが、それ以上のことは起きない。警官隊が呼ばれることもなければ新聞記者が寄って来ることもない。

 吸血鬼派閥は大富豪の吸血侍従を抱えていて、実に悲しいことに金は人間世界のすべてを律している。

 最期の一人をエレベータに押し込むと私は言った。

「これからは夜遊びはほどほどにするように。神の加護があらんことを。アーメン」

 存在しない神の加護というものがどんなものかと想像してちょっと憂鬱になった。

 吸血鬼どもの憎しみの視線を無視して、部屋の中に入ると横たわっている二人の女性の死亡を確かめる。血液はすべて吸い尽くされている。吸血行為は被害者を殺さなくても行えるのにわざと死ぬまで吸ったのだ。

 いつかこの吸血鬼どもも報いを受ける日がやってくるだろう。あるいはダークのように償いの日々を送るようになるのかもしれない。


 天の定めを誰が知る?


 死体二つを抱え上げ、私もエレベータに乗った。ここに捨て置くのはあまりにも可哀そうだから。

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