魔導具争奪戦(5/9)
最初に会いに行くのは『闇の牙』派閥の長であるシャンドリア・V・バランティだ。
彼はアメリカとカナダの国境付近の街であるアボッツフォードに居を構えている。正確に言うと国境線に敷地がかかるように建物を建てているのである。
人間に取っては国境線はただの地図の上に引かれた線に過ぎない。だが魔物に取っては違う。それは魔法の法則上での厳として存在する壁として作用する。彼はその居城を利用してアメリカとカナダの二つの国に同時に手を伸ばすことができる。
そのための場所だ。
有難いことにまだ使える妖精の道の一つがその近辺に繋がっている。それならたいして時間をかけずに訪れることができる。
セントラルパークまでタクシーで行き、入り組んだ木々の間に足を踏み込む。決まった時間になると一本の木の陰が他の影と交わり、小さなアーチを形作る。
短い呪文を唱えながらその影のアーチを潜る。そして歪んだ世界。妖精の道へと足を踏み入れた。
無数の闇の視線の中を駆け抜け、下り坂を登り、飢えに身震いする道を忍び足で通過する。
花開く肉食植物の葉の下を潜り、石畳の道は後ろ歩きで進んだ。一つでも対処を間違えればその道の所有者と殺し合いになる。
中央大分岐点につくと巨大なネズミが待ち構えていた。
そいつは私を見ると挨拶をしてきた。
「やあ、ダーク」
「どちら様でしたかな?」
「フィズだよ」
巨大ネズミは頭を掻いた。もちろんその正体はネズミではない。妖精だ。
「おや、フィズ。しばらく見ない間にでかくなったなあ」
「不思議だろ。何だか急に体が大きくなっちゃって」
「通行料は以前と同じだろうな。その大きさに見合う分だとこちらが干からびてミイラになってしまう」
「それは心配しないでくれ。値上げは来週からだ」
彼の気が変わる前に私は一滴の血を支払った。
あまりやるとまたフィズが大きくなってしまう。もっともフィズ自体は自分の成長の原因に気づいていない。天界で吸収した魔力を豊富に含んだ血を飲めばどんな生き物でも急速に成長してしまう。大盤振る舞いは失敗だった。あのときは気が動転していたからと言い訳しよう。
妖精の道から出た先は目的の吸血鬼の館のすぐそばだ。偶然ではない。シャンドリア長老もまた妖精の道の使用者に間違いない。
陽光の中に立つ吸血鬼の館は大きな古い石作りの洋館だ。百年も前から繁茂しているに違いないツタがその全体を覆っている。微かな血の匂いが館全体から立ち上っている。
日差しの下でもやっぱり暗くて陰気で不気味。実に魅力的な館だ。
一見人気が無いように見えるが、この館の中は怪しい気配で一杯だ。
少なくとも高位の吸血鬼が十体は潜んでいる。ここの戦力だけで人間の軍隊一大隊に匹敵すると見た。同じ魔物でもゴブリン・ギャングとは大違いだ。
錆びた門を押し、前庭に入る。
綺麗な花が一面に植えられている。これは実は大変なことだ。
吸血鬼が棲む場所の近くは生命力が乱れる影響で植物がすぐに枯れてしまう。恐らくここは一か月毎に庭の植物を植え替えている。この綺麗な前庭は驚くばかりの労力で維持されているのだ。
地上に存在する地獄の出張所の中にさらに作られた楽園の花畑。なんという自虐的な美なのか。
道を歩いて館の玄関へとたどり着く。
一応電話で予約は入れておいたので拒絶される心配はしていない。
ドアノッカーを鳴らす。
通常、吸血鬼は夜に活動する。だがここのシャンドリア長老は違う。無理に昼のリズムに合わせている。
それは背伸びというよりは、吸血鬼というくびきに対する挑戦だと思えた。
自分たちは太陽を恐れていないという表現だ。
何と誇り高いこと。
大きなドアがゆっくりと開くと、中から初老の男が現れた。慎重にドアが落とす影から踏み出さないようにしている。
高位の吸血鬼は直射日光にも耐性がある。だがそれは即死しないというだけであり、光をまともに浴びれば人間で言うならば火傷に相当する傷を負う。
さすがに光の精霊マドウフ・ベイルのような純粋な原初の光には高位の吸血鬼でも耐えることはできないが、あれはもう例外中の例外だ。
夜行性は私も同じだ。ドアの向こうの暗闇の中に恐れもみせずに滑り込む。
ドアを開けたのは執事の一人か。館の奥へと案内を始めた。周囲の壁の向こうで吸血鬼の気配が右往左往していたが、あえて無視する。
彼らは興味津々の割には私の目に見える範囲に出ないように注意している。
ゲストの扱いに関してかなり厳しく命じられているに違いない。臆病なのではない。ただ単に統率が取れているのだ。
執事の後ろ姿を観察する。匂いからしてやはり吸血鬼だ。吸血鬼は歳を取らないのでメイクで初老に見えるようにしているのだろう。
背後に装甲鉄板が隠されている廊下を抜け、奥の部屋へと導かれた。この辺りの作りはリビアのフラットと同じだ。
二重隔壁、ガンオイルの匂い、銀の匂い、酸の匂い、強くなる血の匂い。焼けた鉄に配線のビニールが微かに焦げる匂い。火薬それもプラスチック爆薬の粘っこい匂い。
この館全体が強固な要塞として建てられている。
何者かが襲ってきても、夜が来て全員がコウモリになって飛び立つまでは抵抗できるようになっている。
人間の内臓の匂いはしない。悲嘆を示すフェロモンの匂いも。ここでは派手な食事はしないことになっているのだろう。
少し気分が良くなった。賢いヤツは好きだ。たとえそれが敵であっても。
最後のドアが開くと大きな執務室が現れた。執事はそこに私を置くと姿を消した。
そこに居たのは二人。いや、二匹。
一匹はシャンドリア・V・バランティその人。オールバックに黒く撫でつけた髪。高級そうな、そして実際に目の玉が飛び出そうな値段のスーツ。均整の取れた体はスポーツ選手のものだ。彫りが深い顔立ち。穏やかな目つき。これはどこかの雑誌に出てきそうなナイスミドルと呼ぶべきか。
「やあ、ダーク。久しぶりと言うべきか」
「シャンドリア。たしかに久しぶりだな」
闇大戦の前に彼に会ったことがある。天界への闘争に加わるようにとの要請を携えてだ。賢くも彼の派閥はダークの頼みを断った。
あのときは危うく彼の派閥との大戦争になるところだった。
ダークは何にでも噛みつく愚か者だったから、リビアが間に入らなかったら悲惨なことになっていただろう。
「それと今の私はダークではない。ファーマソン神父と呼んでくれ」
自分が来ている神父服を強調して見せる。マグダラ尼僧のお大事の一品だ。
「神父の恰好とはひどい変装だな。ブラックジョークにしか思えない」
シャンドリアは眉を顰めてみせる。私は軽く十字を切って返す。彼はキリスト教徒ではないからこのシンボルは効き目がないと承知している。
「それと彼は」シャンドリアは隣の男を示した。「私のボディガードだ」
私よりも頭一つ大きい男が前に進み出ると右手を差し出した。肩の辺りが筋肉で膨れ上がっている。
どこのボディビル雑誌から抜け出して来たんだ。この男は?
それから以前見たファイルを思い出した。
三大人狼の一匹。通り名は巨狼のトライド。文字通り一匹オオカミの人生を送っていた男のはずだが、就職先を見つけたらしい。
私も右手を差し出して彼と握手をした。それから体内の魔力の壺を開いた。相手の方が体が大きいのだ。フェアプレイなど最初からやる気はない。
二つの右手が爆発的な力でお互いを握りつぶそうとぶつかりあった。
推定握力数十トン。大型プレス機の世界。間に挟まれたものは何でも潰れる強度だ。
魔力を1レベル増大し、右手に流し込む。ぎりぎりと周囲の空気が焼ける感じがした。
驚いた。私の力についてこれるものはそうそういない。
もう1レベル増大。推定握力数百トン。深海艇の強化外郭でも握り潰せる力だ。
急に相手の手から力が抜け、私も慌てて力を抜いた。もう少しで相手の手を握り潰すところだった。
「ボス」彼はシャンドリアに向けて真っ赤になった右手を振りながら言った。「彼は前よりも遥かに強くなっています」
闇の存在にとっては私を殺すことには多くのメリットがあるから、私が弱いと見たらここで殺すつもりだったのだろう。よくあることだ。
シャンドリアの顔に面白そうな表情が浮かんだ。
「お前でも敵わないのか?」
その問いに巨狼のトライドが答える。
「彼がアルファです。彼がその気になれば我々は終わりです」
「では丁寧に対応しなくてはな」
シャンドリアは私に目の前の椅子を示すと、自分も対面に座った。食えない『紳士』さまだ。
応接セットは豪華だった。吸血鬼の派閥はどれも金持ちだ。どこも金持ちの吸血侍従をたくさん抱えてそこから大金を吸い上げている。
シャンドリアはテーブルから葉巻を一本取ると、私にも勧めてきた。もちろん断る。人狼の類は例外なく匂いが強すぎる葉巻は嫌いだ。
「そうか。では私は遠慮なく」
そう言うとシャンドリアは伸びた爪の一本で葉巻の先端を切り落とすと火をつける。吸血鬼の爪はどんな刃物よりも鋭い。
「さて、君がここに来た理由は分かる。リビアのところから盗まれた古代魔導具の件だな」
私の体に走った殺気に反応して、彼の背後に立っているトライドがびくりとした。
「そう緊張することはない。どうして私がそれを知ったのかって? 別にそういう噂が流れているわけではない。簡単だよ。モーリスに聞いた」
私は彼の目を見つめた。これは罠か?
「モーリスとは電話で話しただけだよ。直接会ったわけではない。結構吹っ掛けてきたよ。魔導具と引き換えに永遠に吸血侍従にしろと言っていたな」
「で? その提案に乗ったのか?」
いけない。つい声が厳しくなってしまった。一歩間違えればこの館の中にいる高位吸血鬼の群れすべてを含めての戦いになる。
「乗るわけがない。確かに古代魔導具は貴重だ。それを手に入れるためならば戦争も辞さないほどに。だがこの魔導具にはそこまでの魅力がない。実はそれがどんな魔導具か知っているんだ」
「なに!?」
「元はリビアの祖母が持っていたものなのさ。弱小派閥だったリビアの派閥がここまで大きくなったのはその祖母の働きが大きい」
初耳だ。リビアの祖母となると一万年も前の話になりかねない。
「ひどいクソ婆だったよ」
上品なシャンドリアの口から出るとは思えない汚い言葉だ。そうせざるを得ないほど実際にひどい人物だったのだろう。
「だからあの魔導具は良く知っている。だが私には使えない。だから興味はない。そんなもののためにリビアの派閥と戦争を起こす気はない」
彼は真実を言っているのだろうか?
ギースを使えば真偽を確かめるのは簡単だが、そんなギースをシャンドリアが受けるわけがない。古い血の吸血鬼は絶対に人に話せない秘密の百や二百は抱えているものだ。下手に真実のギースを受けて、その直後に別の質問をされたらまずいことになる。
「私も無用なトラブルは好まない。これならどうかな?」
私の心を読んだかのように、シャンドリアはギースの仕草をして言葉を紡いだ。
「ギースの誓約の下、私シャンドリア・V・バランティはモーリスと魔導具の取引をしていないことを証言する」
取引の対価を必要としない一方通行のギースだ。私はそれを受ける。ギースの魔法の帳が降り、契約が成立した。ギースが成立するということは、彼が真実を述べているということだ。
シャンドリアは手の中の葉巻を消して、両手を叩き合わせた。
「さあ、トライド。お客さんはお帰りだ。玄関まで送って差し上げなさい」
促されるままに私は館を後にした。
妖精の道はまだ開いたままだ。私はそこに足を踏み入れた。
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