魔導具争奪戦(4/9)
リビアのところを去る前に、自動記録されている監視カメラの映像はすべてチェックした。ついでにマンションの監視カメラもだ。高級マンションの警備主任は最初は渋ったが、リビアが口利きするとあっさりと折れた。実はこのマンションはリビアがオーナーだとは後で知った。道理で壁に装甲鉄板を埋め込んでもどこからも抗議が来ないわけだ。
確実ではないがそれでモーリスという男が取った行動が大体分かった。
ネックレスを盗んだ後、堂々と正面のエレベータで階下に降り、その直後に高級マンションのサービスの一つである洗濯物サービスの収集所に潜り込む。洗濯物の山の中に隠れて、予め買収しておいた係員に運ばれてトラックの荷台に移ると、そのまま逃走した。まあそういうところだ。
リビアは彼の血の味と匂いを知っているので追跡は可能だが、実際には相当近くにまで行かないと見つけ出すことはできない。この点では人狼に大きな分がある。だからあれほど護衛に人狼を雇えと言っているのに。
元やり手の実業家だけあって、モーリスは賢い男だ。慎重に計画を立て、正確な一撃をむき出しの相手の弱点に食らわせる。こういうのを策士と言うのだろう。
お陰で彼を探し出すのは容易ではない。おそらく身を隠すのにも何らかの準備をしていたに違いない。
だが古代遺物の魔導具とくれば、何としても回収してリビアの下に戻さなくてはならない。それが齎す影響は現代に作られた魔導具のような半端なものではないのだ。
場合によっては危ういところで保たれているこの世界のバランスを根底からひっくり返しかねない。
ではどうやって?
目についたバーの片隅に陣取って考える。神父服のままで酒を飲むのは周囲の好奇の目が痛かったが敢えて無視した。
モーリスは何のためにリビアの魔導具を盗んだのか?
冷酷なリビアへの仕返し。無論それもある。
だが一番の目的は、尽きかけている自分の命をつなぐことだろう。そしてそれができるのは吸血鬼だけだ。
ならば彼が取れる手段はただ一つ。
盗んだ魔導具をリビアとは別の吸血鬼派閥へ売りつけること。その代償としてそこの吸血侍従にしてもらうこと。
吸血鬼派閥の電話番号は電話帳には載っていない。となると裏の情報屋に渡りをつけるしかない。
頭の中で裏の情報屋のリストをざっと眺める。魔導士のアーダラクが私の頭の中に埋め込んだ『忘れじの花』の魔法の効果で、一度覚えたことはいつでも引き出すことができるのは有難い。
この魔法は副作用として使うたびに脳にダメージが出るので再生能力にすぐれた魔物にしか使えないのが難点だ。
ニューヨークの情報屋の中で闇世界の情報を扱っているのは二人。以前は三人いたが一人はすでに死んでいる。たしか体を二つに切断されて死んだはずだ。ダークの秘密を売ったために殺されたと噂が流れていたのを覚えている。
残り二人の内で一人は詐欺師だ。いい加減な情報を売りつけて生きている。となると最後の一人が当たりだろう。確かこいつは深夜にしか営業しない。
スマホの電源を入れてチェックするとエマやアンディからたくさんのメールや電話が来ていたが、問題なしと判断するとすぐにまたスマホの電源を切った。ぐずぐずしているとアナンシ司教から電話がかかって来る恐れがあるからだ。
ニューヨークの空から見える星の数は少ない。スモッグのせいだ。数少ない星が中天高く輝くまで待ってから私はバーへ向かった。
どうして人間たちは綺麗な空気と綺麗な空が嫌いなのだろうと考えながら、バーの扉を押し開ける。
人気の無い薄暗いバーの一番奥まったテーブル席。そこだけはさらに一段と照明が暗い。
置いてある小さなテーブルの前には背の低い髭面の初老の男。いや、前に見たときよりももっと歳を取り背が丸まっている。もうすっかりと老人だ。当たり前だ。前に見かけたのは闇大戦の前だからもう何年も前だ。人狼などの長命生物は時間の感覚が人間のそれとは大きく異なっているため、こういうことは良くある。
「やあ、ザムラン」私は声をかけた。
「お客さんかな」
ザムランは眼鏡をずらして私を見た。たしか前は眼鏡はかけていなかった。
通称ザムラン。偽名かどうかは知らない。知ることに意味がないからだ。彼はアザースのような表の世界の情報屋も兼ねるようなことはしていない、ニューヨークで古くからやっている闇の世界の生粋の情報屋だ。
当然、彼の周囲は隠された魔術だらけだ。敵意を持った者は近づくどころかこの場所を見つけることもできはしない。敵対者を焼き殺すように作られたシジルの上にわざと立つと私は言った。
「一つ聞きたいことがある」
「神父さんがこんなところに来るとは珍しい。あんたの神は飲酒は禁じていないのかい?」
「別に十戒は酒を禁じてはいないな。モーゼのも教会のも」私は答えた。
「そりゃそうだな。下手に酒を禁じたら入信者が減っちまうだろうしな」
「ここ、いいかな?」
彼のテーブルの向かいの椅子に座る。
私が正面に来ると彼の目が細くなった。私の顔をじっと見つめる。その目が大きく見開かれた。
「まさか、あんた」
「ファーマソン神父だ。今の私はそれ以外の何者でもない」
「そ、そうだな」
彼は自分の椅子に深く座りなおした。ここで慌てふためいでも何もならないと覚悟したようだ。たしかに彼はアザースよりも度胸がある。
「何が聞きたい? いや、それより前に酒か」
彼が合図するとラム酒が縁一杯にまで入った酒のグラスが私の目の間に置かれた。中に注がれているのはロンリコ151。度数151度という狂った酒だ。
酒が出るということは私が客として合格したということ。不合格の場合は銃弾が飛んできているはずだ。この椅子の周りに深く染みついた古い血の匂いがそれを教えてくれる。
もっとも私が誰かということを知っていて彼が銃弾をチョイスするとは思えない。それはC4爆薬を撃つのと同じ意味になる。
私はその酒を一気に喉に流し込んだ。別に酒が飲みたいわけではないが、相手の歓待に対する礼儀だ。アルコール純度75.5%の酒が喉を焼きながら滑り落ちていく。瞬時に私の肝臓がそれを分解する。耳の穴から蒸気が噴き出したような気がした。
「モーリスという男があんたに話を聞きに来たはずだ」
私は言った。強い酒で声が掠れなかったかな? よし、大丈夫だ。もう喉粘膜は再生している。
「客の情報は売れないな」彼は答える。
声は平常、ただし彼の体から恐怖のフェロモンが噴き出している。
ダークの時代にはにこんな口ごたえをする人間はいなかったな。いても次の瞬間にはいなくなっていた。それが普通だった。
「値段次第だろ?」私は指摘した。
もちろんそうだ。情報屋に取ってはどんな情報も商品だ。ただしモノによってはこの世の誰も買えない値段になるだけ。そしてモーリスの秘密にはそこまでの値段はつかない。
「断っておくがモーリスの居場所についての情報は商品棚には並んでいない。売る売らない以前に本当に場所を知らないんだ」
「それはこっちで調べる。私が知りたいのはモーリスとの会話の内容だ」
ザムランは眼鏡の位置を正すと私をもう一度見つめた。どのぐらい吹っ掛けられるか改めて値踏みしているのだ。そしてどこまで吹っ掛ければ私が怒り狂って彼を殺しにかかるのかも考えている。もし私が以前のダークのままだったら、値段はゼロだ。協力を断った瞬間に確実に命を失うことになる。
ザムランはようやく決意した。
「二百万ドルだな。モーリスは口止めは依頼しなかったからこの値段だ」
「払おう」私は即決した。スマホを出して操作する。適正な価格なのかどうかは分からないが、金を節約している時間も節約する必要もどちらも無い。
今度使った口座は確か悪魔の一派に頼まれて敵対する別の悪魔の一派を滅ぼしたときに得たものだ。作戦の指揮を執ったのは魔導士のアーダラクで結局何の支障もなく作戦は終了したと覚えている。あいつは殺した悪魔の体を魔術実験に使いたくて自ら参加したんだ。
あのときのヤツは本当に狂っていたな。ちょっと懐かしく感じた。
「確かに受け取ったよ。お前さん。景気がいいな。それとも神父さんってそんなに儲かる商売なのかね?」
ザムランは手にしたスマホの銀行口座の画面を見ながら満足そうに呟いた。
「神様は気前がいいんでね」私は嘘をつき、それから訊ね返した。
「モーリスの依頼は何だったんだ?」
「ヤツが欲しがったのは吸血鬼派閥の連絡先だ」
予想通りの答えた。
「どの派閥だ?」
「二つ。一つにつきあいつは百万ドルを支払った」
相槌は打たずに私は待った。それだけの金額ならモーリスのなけなしの財産のほとんどに当たるのではないか?
「闇の牙、それと血の呼び声だ」
どちらも吸血鬼の武闘派閥だ。
「ありがとう。それで十分だ。他に私が知っているべきことは何かないか?」
「特にないな。ただモーリスはひどく具合が悪そうだった。あの高齢なら不思議はないがな」
一週間前までは若さを誇っていただろうに。老衰はすべての吸血侍従が最後に辿る道だ。
話は終わりだ。私は立ち上がった。
ザムランは一瞬だけ引き留めた。
「いったい何が起きているんだ? 昨夜からひっきりなしに吸血鬼どもが訪れてくる」
「気にするな」私は彼に背を向けながら、昔のダークの口調で答えた。「知ればお前は死ぬことになる」
古代遺物の魔導具が盗まれた。ザムランはそのことを知らない。恐らくはニュヨーク中でモーリスを探している吸血鬼たちもその捜索の理由は知ってはいまい。
もしザムランが盗まれた魔導具を知っていると匂わせていたなら、私はこの場で彼を殺していただろう。それぐらいにこの情報はヤバい。アメリカ全土で闇の勢力による争奪戦が始まるぐらいに。これは絶対に広めてはならない類のゴシップだ。
暗い街路を音もなく歩きながら、私は考えた。
二つの派閥はいずれも武闘派と呼ばれる連中だ。武闘派というのは戦いを好むという意味ではなく、この世を支配するのは人間ではなく吸血鬼であるべきだという思想を持つことを意味する。
これに対してリビアの派閥のような穏健派は人間との共存を理想としている。まあつまり人類という種に寄生して生きる道を選んだということだ。
なぜモーリスがこの二つの派閥を選んだかの理由は推測がつく。
リビアが大事にしている魔導具を不当に手に入れるということはリビアの派閥と明らかに敵対するということになる。弱小派閥は最初からそんな危険を冒すことはできない。吸血鬼派閥同士の戦いは協定で禁忌とされているが、派閥間で力の差があるときはときたま破られることがある。
その場合は一つの派閥の巣と真祖である派閥ボスが一晩で綺麗に滅ぼされて、後に空っぽの巣だけが残るという形になる。
武闘派の一つ。『闇の牙』は武闘派ではあるが、今までに騒ぎを起こしたことがない。恐ろしく統率が取れているのだ。実際に世界を支配できる機会が訪れるまではただひたすらに静かに耐えている。それ故にアメリカに存在する五大派閥の中で対策局が一番恐れている吸血鬼派閥がこれである。
長老はシャンドリア・V・バランティ。アメリカ移民の時期にヨーロッパから移動して来た貴族の血筋で、リビアと同じく古い血に属している。
もう一つの武闘派は『血の呼び声』。例の吸血鬼バカ息子リチャード・V・ノーラスの父親であるアンドレア・V・ノーラスの派閥だ。
こちらはとにかく騒ぎを起こすのが好きな連中で対策局の悩みの種である。
この派閥は前回の事件以来、明確にリビアの派閥との対立姿勢を取っている。
対策局ニューヨーク支局に連絡を取り、そこで引き出した情報からざっと今後の行動を決めた。
まず手始めに吸血鬼のボスどもに会いに行かねば。たった一人で。
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