魔導具争奪戦(3/9)

 ニューヨークまでは旅客機で一本だ。時間はわずかに六時間しかかからない。

 急ぎではないようだったので着いた日はバーで酒を飲み、因縁をつけてきた相手と軽く喧嘩をして、次の日は一日ぐっすり眠ってから夜にはすっきりした顔でリビアのフラットを訪ねた。


 リビアはちょうど起きたところだ。八十一階の防弾ガラスの向こうに見える外の夜景が綺麗だ。

 前回の悪魔たちの襲撃の痕跡は綺麗さっぱりと消えていた。それと警備員の顔ぶれがすべて入れ替わっている。

「やあ、リビア」私は挨拶した。

「いらっしゃい。ダーク」とリビアが答える。

 リビアはいつも綺麗だ。高位吸血鬼は食事を選ぶ。その時代の美男美女の血を好んで飲むのだ。それを繰り返している内に、吸血鬼の容貌も犠牲者の資質を取り入れて美男美女に変化する。これは魔法生理学とでも呼ぶべきものだろう。こうして吸血鬼は時代毎に変化する美の基準にいつも追いつく。

「まだ警備の者は人間だけか。たまには人狼でも雇ったらどうだ? 吸血鬼の護衛には最適だぞ」

 私の勧めにリビアはふふっと笑った。素晴らしい笑み。それを手に入れるためなら資産のすべてを投げ出す者も多い。

「あら。そのポストはあなたが職を探しに来たときのためにわざわざ空けているのよ」

 それに対して私は片方の眉を上げて見せた。

「それは是非ともアナンシ司教に聞かせたいものだな。ヘッドハントがかかっていると知ればもっと私の扱いも良くなるだろうに」

 それを聞いてリビアはまたもやほほ笑んだ。傾国の美女の微笑み。背後に毒を塗ったナイフを隠した者の笑み。

「いいわよ」

 細く美しい手を伸ばすと電話機を取り上げた。美しく磨き上げた貝殻が全面に張り付けられている特注の電話機だ。

 その指が『嫌な山脈』と表示されたボタンを押す前に、私は止めた。

 アナンシ司教は今ゲーム盤の件で気が狂ったようになっている。わざわざ火に油を注ぐ必要はない。

 しかし彼女はいったいどうやってアナンシ司教直通の電話番号を手に入れたんだ。いや、吸血鬼なんだ。どんな手段でも使うことができる。


「それより、リビア。私に何か用か?」

「お願いがあるの」

 リビアはソファから身を起こした。黒く長い髪が水のように体を流れ落ちる。体を覆っている薄い絹の服の隙間からその真っ白な肌がときどき覗く。胸の完璧なる曲線がその存在を主張する。

 思わずごくりと唾を飲んでしまったのは失敗だった。

 悪戯な表情がリビアに浮かんだ。

「あら、ダーク。あたしはいつでも良いわよ」

 もちろん、誘惑に乗るつもりはない。リビアが好きなのはかっての血と暴虐に満ちたダークなのだ。そして私は再びダークに戻るつもりはない。

 私は十字を切って見せてから言った。

「父と子と精霊の御名において、この女性の誘惑から我を救いたまえ。アーメン」

 ふんとリビアは鼻を鳴らした。まるで優しいベルであるかのような音。

「あら、言ったこと無かったかしら。あたし、救世主に会ったことがあるの」

 初耳だ。考えてみればリビアは古い血を引く吸血鬼の女王だから不思議もない。彼女は二千年前にも生きていた。吸血鬼は加齢とは無縁なのでつい失念するがそれほどの歳だ。人狼も同じく長命種族だが、歳だけは極めてゆっくりと取る。

「じっくりと話してあげようか?」リビアは話を続けた。

 父たる神が存在しないとしたら、その子たる救世主はいったい何者なのだろう?

 疑問は尽きなかったが、ここで詳しく話を聞くのは間違いだと直感が告げた。彼女がその気になれば抵抗できる自信は私にはない。

「それよりも何の用か言ってくれ」

「そうね。そちらが先ね」

 彼女はうんと背伸びをした。どんな動作をしても彼女は美しい。

「あたしのお大事のお宝が盗まれたの」

 そいつは驚きだ。リビアから何かを盗める者がいるとは。

「魔導具よ。それも古い古い魔導具。お婆様から譲られたものなの」

 嫌な感じがした。


 リビアの年齢が数千歳ならば、その彼女の祖母ともなれば数万歳となる。

 人類文明が始まりかけた時代に魔導具があるとすれば、それは古代魔導時代、つまり伝説の前人類の時代に作られた魔導具ということになる。

 そういった魔導具は現代の魔導士では到底たどり着けないレベルのものが多い。我々人狼や吸血鬼が魔法創造された時代の技術なのだ。

 リビアが盗まれた魔導具も当然普通のものではあり得ない。古代魔導具。それは怪物のような力を秘めた本物の災厄だ。

 私は一度だけそれを使ったことがある。あの時はあのまま世界が崩れ去るかと思った。


「そいつはいったいどんな魔導具なんだ?」

「ネックレスの形をしているの。カットした宝石をいくつも連ねたもので、破壊は不可能。一度も使ったことがないのでどんな機能かは判らないわ。でも野放しにはできない」

 事態の重大さに頭がくらくらする。それにこれは対策局に報せるわけにはいかない。

 古代魔導具は第一級の禁制品だ。こういったものの所持がバレれば非常に厄介なことになる。下手に使えば世界を揺るがしかねないからだ。

 頭がくらくらする。私は来客用の椅子に座り込んだ。

「で、リビア。盗んだ者に心当たりは?」

「あるわ。モーリスという男よ。吸血侍従の一人」


 吸血侍従とは各吸血鬼派閥が抱えている人間のスポンサーたちのことだ。

 永遠の命と引き換えに毎年一定の金額を吸血鬼派閥に提供するという仕組みになっている。吸血侍従は完全な吸血鬼とは異なり、増殖能力はない。毎月吸血鬼ボスの劣化処理した血液を貰って飲むことで、不老と健康と若さを維持できる。リビアの派閥では膏薬の形で提供していたと覚えている。赤い軟膏で、これを肌に摺りこむという形で服用する。

 対策局は吸血鬼の数を厳しく制限している。これには対策局だけではなく、あらゆる魔物の派閥が協力している。魔物は多かれ少なかれ人類全体に寄生していて、人間の血や肉や技術製品に依存しているのだ。だから一つの種族が人間を独占して支配することは許されない。

 結果として吸血侍従の席にも厳しい制限が生じる。リビアの派閥では十ほど席があったはずだ。これを勝手に増やすことはできない。

 だからその席は非常な高額で売り買いされる。吸血派閥の最大の収入源と言ってよい。


「モーリスの財団はこの間の株の暴落で破綻したの。毎月の上納金が払えないとなったので、吸血侍従の席を追われることになったの」

 吸血侍従がその座を追われるということは不老サービスが得られなくなるということだ。ボスの血が貰えなくなれば、吸血侍従はたちまちにして本来の年齢に戻ることになる。つまりは死だ。

 眉をひそめながら彼女は続けた。

 リビアも冷徹ではあるがまったくの冷酷というわけではない。吸血侍従の座を失うということが死の宣告だとは分かっているが、だからと言って血を分け続けるわけにもいかない。吸血侍従の席は吸血派閥が生きていくための重要な商品である。巨額な商品を遊ばせておくわけにはいかない。

「ボディガードの一人が買収されていたのに気付いたときはすでにネックレスが盗まれた後だったの。当然そのときにはモーリスは姿を消した後よ」


 なるほど、その魔導具を取り戻してほしいということか。

 確かにこの仕事はその性質からして普通の探偵にも賞金稼ぎにも魔物にも頼むことはできない。古代魔導具が盗まれたなど公にすればその時点で、世界中の怪奇機関が争奪戦を始めかねない。古代魔導具にはそれだけの魅力がある。

 迂闊にもリビアは他人が見ている前で金庫にパスワードを打ち込んだことがあり、そのときにボディガードの一人が番号を覚えてしまったのだ。

 吸血鬼や人狼などの長命種族は精神的成長が人間に比べてひどく遅い。リビアはこの中の誰よりも歳を取っているが、生き方に甘い所がある。でなければそんなミスはしなかっただろう。


「それでそのモーリスという男についての情報は?」

「一通りのものはあるわ。ウチの吸血侍従だったのだから。でも現在の居場所は不明。影も形もないのよ」

 それはそうだろう。相手は吸血鬼について熟知している。

 吸血侍従は半吸血鬼だ。不老長寿ではあるが、それ以外は通常の人間に近い。

 つまりそのモーリスという男は夜はどこかの物置の中に隠れていて、昼だけ行動している。吸血鬼が探しそうなところにも近づかないし、もちろん酒場にも顔を出したりはしない。

 夜の女王リビアからお大事の魔導具を盗み出すぐらいだ。馬鹿ではない。


 このニューヨークのどこかに、人類の核兵器に匹敵する魔導具を持った男が隠れている。何としてもそれを取り返さなくてはいけない。

 こうして人狼神父から人狼探偵になった私はリビアのフラットを出た。

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