魔導具争奪戦(2/9)

 その日は朝から騒がしい日だった。


 まず対策局の魔術部門で爆発があった。

 原因はご想像通りに新入りの魔導士のアーダラクだ。

 前回の事件以来、彼は特例で対策局魔術部門に所属することになった。最初は大昏睡事件の犯人として冷たい目で見られていたが、その恐るべき魔術の腕でたちまちにして対策局所属の魔導士たちの心をつかみ取った。つまり全員を弟子にしてしまったのだ。

 最初の頃はバチカンの裏古文書庫に入り浸っていたが、やがてそこにある禁書以外のあらゆる文書を読みつくしてしまったらしく、ふたたび新しい魔術の実験に戻った。

 その結果が朝の爆発だ。幸い人死には出なかったが召喚されて暴走した魔獣たちが対策局のあらゆるオフィスを駆けまわった。その狩り出しに対策局の全員が動員される羽目になった。

 ここまではまだ神学生たちのよい訓練になったから、終わりよければすべて良しとも言える。


 魔獣の暴走の中で一番まずかったのは大型魔獣の一体が共用オフィスに飛び込んだことだ。そいつはアナンシ司教の大理石テーブルの上のゲーム盤に突っ込んでしまった。

 アナンシ司教の本物の怒号を皆は初めて聞いた。

 それでもオフィスの窓はヒビが入るだけで済んだ。ロケット弾でも破壊できない最高グレードの防弾ガラスという謳い文句は嘘ではなかったと証明されたことになる。

 こういったわけで部屋中に飛び散ったゲームの駒をすべて回収するまで共用オフィスへの立ち入りは禁止された。

 アナンシ司教はこう宣言したのだ。ガラスの駒を踏みつけて壊した者は、私がそいつを直々に壊すと。こうなるともう誰も怖くて部屋に足を踏み入れることができない。

 不思議なことに魔獣の死体はどこにも見つからなかった。きっとアナンシ司教に食べられてしまったのだと皆は結論した。



 次に来るのはアーダラクの監督官である私が呼び出されて説教されることだと予想して、私は自分のオフィスに閉じこもった。

 そこで神へ祈りを捧げる真似事をしていると窓を何者かがノックした。

 悪意がある者は対策局周辺の保護結界を越えることはできないが、あの腐った魔神の例もある。警戒は怠れない。

 恐る恐る窓を開けると、外に居たのは人間の子供ほどのサイズの小さな天使で、一般に智天使ケルビムと呼ばれている存在だ。そいつは小さな翼をはためかせて宙に浮いている。

 ケルビムは普通に人が想像するような子供の天使ではなく、体が小さいだけで性器もちゃんと大人に遜色ないものがついている。当然というかそれはきちんと服を着ている。やはり白を基調とした天国の最新モードだ。

 この天使一体で人間の軍隊の最新装備一個小隊に匹敵する力があると聞けば驚くだろうか?


「やあ、君はどこの子かな?」私は訊いた。

 基本的にケルビムは上位天使のお遣いが仕事だ。

「アリエル様配下のボルマンと言います」

 それは自己紹介した。

「アリエル?」彼が私に伝言とは珍しい。何事も控えめな大天使なのだ。

「いえ、あのお方の遣いではありません。今回はマドウフ・ベイル様に依頼されたのです」

 光の精霊マドウフ・ベイル。

 なるほど、精霊たちは召喚されない限り天界都市からは出て来たがらないので、手近にいたケルビムにお遣いを頼んだということか。

「これです」

 ケルビムはどこからか大きな写真本を出して来た。なんとそれは高級家具カタログだ。

 それも一般的なカタログではなく、セレブたち専用の目の玉が飛び出るほど高い家具が並んでいるものだ。一般人はこの本を見ることもできない。極めて限られた数だけが出版されているカタログだ。

「マドウフ・ベイル様はこの本にしおりを挟んでおりました。そのページに伝言が書き込んであるそうです」

 賢明にもケルビムは中を覗かなかったようだ。本来の職務以外のことに深入りしないのは褒めるべき性質だ。

「分かった。ご苦労様。他になにか無ければ帰っていいよ」

 あまり長い間天使と話をしていると必ず誰かが目撃してしまう。要らぬ危険は冒すものではない。

 一礼してケルビムが消えると私はカタログを開いた。


 天使たちはこういった地上のアイテムをたまに天界に持ち帰る。彼らの仕事の大部分は地上界の監視だからだ。マドウフ・ベイルはそういった鹵獲品の一つに目を止めたのだろう。

 本に挟まれていたしおりは光でできた木の葉っぱだった。輝く葉脈でできており、とても綺麗だ。しばらく眺めた後に私はそれを捨てずに神父服のポケットにしまった。芸術作品にはそれなりの敬意を表するべきだからだ。

 しおりが挟まれていたページにはアンティーク家具が並んでいる。本物の骨とう品ではなく、それらに似せて現代の技術で精巧に作り上げた品だ。値段は要相談となっていたが、だいたいの金額は分かるようになっていて、それが一つで百万ドルを超えているのを知り私は絶句した。

 まあ絶滅危惧種の樹木を始め、今では入手困難な材料をふんだんに使っていればそれも不思議はない。

 ページの余白に文字が書き込まれていた。

 しばらくその見慣れぬ文字を眺めていて、それが古代アラム語であることを思い出した。キリストの時代に使われていた古代文字だ。

 しばらく集中して頭の中の『忘れじの花』の魔法を探す。ダークの時代に魔導士アーダラクが私の頭の中に組み込んだものだ。この魔法はいくつにも分けた記憶領域を別々に使えるようにしたもので、発狂することなく大量の記憶を保持できるようにしたものだ。

 アーダラクは物覚えが悪い魔王というイメージを嫌ったのだ。

 記憶が蘇るにつれて意味のない記号の羅列が目の前で変化し、意味のある単語へと変化する。


 その内容はこうだ。

『ダーク。我が友よ。頼みがある。印をつけた家具を私宛に送ってくれないか』


 おい。思わず独り言を言ってしまった。

 まったく、都合が良いときは友達扱いか。だいたい精霊が家具をどうするというのだ。きっと私なんかには想像もできないような用途に使うのだろう。

 おまけにクレジットカードの番号も書いていない。ということは代金は私持ちということか。だがまあ仕方がない。大概の精霊が世事に疎いのは当たり前だからだ。

 幸いダークの時代にやった裏の仕事の代金がケスマイ島の秘密口座に使われることもなく残っている。

 私はその内の一つを選び、電話で注文を出しておいた。

 たしかこの口座は某国の政府議員の一人を暗殺したときに作ったものだ。警戒は厳重でおまけに魔物の一匹を人間に偽装させて護衛につけていた。だがダークの配下にとっては赤子の手をひねるよりも簡単な仕事だったのを覚えている。

 神よ。ダークとその配下の魂を許したまえ。

 家具は指定の場所に届けてもらえれば、後は深夜の内に天使たちが天界に運ぶだろう。精霊と天使はお互いに干渉はしないが、そう仲が悪いわけではない。



 さて一段落がついたとコーヒーを入れていると外の廊下に二人分の足音がした。

 ドアにノックがあり、返事をするとアンディがドアの影から顔を見せた。

「あの。マスター」

「何だ?」

 天使が去った後で良かった。アンディたちに目撃されたらまた何か厄介なことになる。

「あのその」

 アンディは隠していた右手を差し出した。その手は毛むくじゃらだ。

 ああ、と理解した。

「その、魔法薬学の講義に出ていたのですが、そこに魔獣たちがなだれ込んできて」

 アーダラクが呼び出したヤツだ。子供たちのいる講堂にまで侵入したのか。よく人死にが出なかったものだ。

「それで実験中の薬液がひっくり返って」


 毛生え薬は合成が簡単なので魔法薬学の講義によく使われる。雪男の肝臓と水棲馬のタテガミの入手が難しいだけの単純な薬剤だ。

 これを浴びた部分にはたちまちにして毛が生える。


「心配しなくても良い。一週間もすればすべて抜け落ちて元通りになる」

 そうなのだ。この薬効の短さから結局は商品化できなかった代物だ。そうでなければ対策局の良い資金源になっただろうに。

「それがその」アンディは言い淀んだが、意を決してドアの脇に隠れていた人物を引っ張り出した。

 全身毛むくじゃらの尼僧服の人間がそこに居た。見た目は雪男そっくりだ。

「まさかエマか!?」

 毛むくじゃらの人物はわあっと泣き始めた。

「まともに頭から薬液を被ったんです」とアンディが後を続けた。


 勘弁してくれ。こういうときは何と言って慰めればよい?


「取り合えず。アンディ」

「はい」

「彼女を浴室に連れていけ。それと安全カミソリと脱毛クリームを山ほど買ってきなさい」

 実はそれはあまり効果がない。魔法の薬液の効果が切れるまでは、剃る端から次の毛が生えてくるのだ。

 だが気休めでも何もやらぬよりはマシだ。そのうちにエマも諦めがつくだろう。



 最期に被服部のマグダラ尼僧が無表情な顔で私の部屋を訪れた。マグダラ尼僧は取った歳月の分をすべて不愛想な皺だらけの顔に変えてきたような人物だ。

 その手にしたトレイの上には綺麗に畳んだ私の神父服が載っていた。

 彼女はそれを私の目の前で広げるとこう言った。

「取れないのですよ」

 彼女はその老齢に合ったこれも皺だらけの手で神父服の表面を撫でた。

 キラキラ光る何かがそこから舞い散った。

「これはいったい何ですか? ファーマソンさん」

 声に抑揚は無かったが、それが彼女が激怒しているときの声だと私は知っていた。

「うっかりと他のものと一緒に洗濯したら、大変なことになってしまいましたの」

 それは私のミスというよりご自分の専門領域に対する貴方のミスでは、と言いそうになって慌てて言葉を飲み込んだ。もう嫌な予感しかしない。

 そこまで来てその光の粉の正体に気がついた。

 天界で光の精霊マドウフ・ベイルが私に吹きかけた力の名残だ。人間の魔術では真似することさえできない純粋な魔力のきらめきだ。

「それは時間が経てば消えるはずです」かろうじてそれだけ言った。

 彼女の眉が大きく上がった。これが彼女の攻撃モードの表情だ。

「確かですね? 神父。ただの言い訳ではないでしょうね?」

「本当です」

 強烈な魔力の残滓は冷たい荒野の中の焚火だ。やがては散逸して消える。ただしその前に虫を引き寄せる誘蛾灯のように周囲のあらゆる霊を引き寄せてしまうが。

 そのことは敢えて説明しなかった。


 奇跡的にスマホからメールの着信音が鳴り、私は天の助けとばかりに飛びついた。

 驚いたことに夜の吸血鬼女王リビアからのものだ。例によって短い一言。

「手を貸して」


 その場で対策局を飛び出した。

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