魔導具争奪戦(1/9)

 豪華な調度で整えられた部屋の中でニューヨークの吸血鬼の女ボスであるリビアは長い黒髪を揺らしながらうんと大きく背伸びをした。

 見事にバランスの取れた体形を基とした滑らかな姿態。透き通るようなやや青みが見て取れる真っ白な肌。完全な形の顎に続く滑らかな白く細い首が蠱惑的に強調される。その肌に触れることができる喜びを男なら誰でも夢見ることだろう。女ならなおさらだ。ただしその望みはこの肌を剥ぎ取って自分のものと入れ替えることができたらなというものだ。

 リビアの動きにつれて、その首に巻かれた美しい宝石のネックレスがその妖しげな輝きを強める。中央に大きな名も知れぬ八十一面体にカットされた宝石。その周囲を彩る七つのそれぞれ異なる宝石たち。それらはまるで自ら発光しているかのように見える。魔力の渦に包まれてまるで意思あるものかのように次々と色を変え、主人の姿をさらなる輝きで飾る。

 美の化身たる彼女の体はこの世で最も貴重な売り物である。だからその体を買うことは可能だ。

 その金額は一晩につき一億ドル。

 だがそれでも夢のような一夜のためにその金額を喜んで払う者は多い。それと同時に購入者は己の血の一部も捧げることになる。その代価の意味も知らずに。


 豪華なソファに寝そべっているリビアの前で、床に頭を擦り付けている男がいた。そんな姿では着ている高価なビジネススーツが台無しだ。

 リビアの横にはボディガードが二人立っていて油断無く機関銃を構えている。プロだけに目の前で這いつくばっている男に対しては何の感情も見せない。それに装填されている弾は普通のものではない。銀の弾丸から聖水を仕込んだガラスの弾丸まであらゆるものが入っている。どんな魔物に襲撃されてもそれなりに戦えるようにだ。


 這いつくばっている男に向けて、ほとほとウンザリしたという口調でリビアが口を開く。口紅を塗ったわけでもないのに常に真っ赤に染まった唇が淫らに踊る。

「モーリス。いい加減にしつこいわよ。貴方は今月分の上納金を払っていない。だから吸血侍従契約はお終い。ここには貴方の席はないの」

 モーリスと呼ばれた男が顔を上げた。かなり年配の老人に見えた。

「お願いです。リビア様。私の財団は破滅したのです。もう差し上げるお金はないのです」

「では私たちの契約も終わり。もともと私の派閥と貴方とはそういう関係だったでしょ?」

 リビアは冷たい声で返した。

「そんな。これだけの長きに渡って忠誠を尽くして来たのに」モーリスは抗議する。

「その代わりに貴方には不老長寿を上げたわ。さあ、お行きなさい。モーリス。ひどい顔よ。分かっていると思うけど貴方の時間は尽きかけている。残された時間を大事にしなさい」

「だからこそ。リビア様。お願いです。血の膏薬をください」

「ダメよ。もう貴方の席に次ぎに座る人間は決まっているの。バートラム卿よ」

 それを聞いてモーリスの顔が歪んだ。

「あ・・あの成金。あんな俗物!」

「それでも彼は入札であなたの席に千億ドルの値を付けたのよ。大事な空席を空けておくわけにはいかないの」

「お願いです。主よ」

「しつこい」

 リビアの頬に怒りの赤みが差した。

 この瞬間モーリスの命は天秤の上に載せられていた。半吸血鬼とは言えモーリスはリビアの子に当たる。吸血鬼社会では子殺しは禁止されているわけではないが、それでも眉を顰められる行為だ。ただその慣習だけがリビアの怒りからモーリスを守っている。


 部屋の奥のドアが開き、ボディガードの一人が入って来た。

「女王様。ハインズ様からお電話が来ております。秘匿回線なのでこちらに回せません」

「後にしてって言っておいて」リビアが振り向きもせずに答える。

「それが火急の用との事です」

 リビアは考えを変えた。

「いいわ。すぐに出ると答えておいて」

 渡りに船だ。この鬱陶しい状況を終わりにできる。

 ネックレスを首から外すと、ソファの横の扉を開きそこに納める。それは金庫に見えない金庫だ。ネックレスが収容されると金庫は自動的に閉じロックがかかった。これで特殊合金製の金庫はパスワードが入力されない限り開かなくなる。

 リビアはまるで重力を感じないかのように軽やかに立ち上がると薄いガウンを靡かせながら謁見室を出た。

 背後でモーリスが伏せていた顔を上げた。その眼がぎらりと光る。


 長い電話が終わり、リビアが謁見室に戻って来ると、部屋に残っていたボディガード二人が床に倒れていた。モーリスの姿は無い。

 ガスの匂いを嗅ぎ、リビアがその整った眉を顰める。麻酔ガスと判断する。吸血鬼は薬物に強い抵抗力があるのでこの程度は問題がない。

 はっと気づき、ソファの金庫を開ける。

 そこが空っぽであることを知り、彼女は咆哮した。

 女王の叫びを受け、奥の間にいた配下の吸血鬼たちが飛びこんでくる。

 リビアの手がテーブルの上の通話機を叩く。

「モーリスはどこ!?」

 全フロアを統括する監視室から返事が戻る。

「モーリス様なら10分前にお帰りになられました」

「どうして止めなかったの!」

「マダムからのご命令が無かったからです」

「モーリスが盗むところを見ていたでしょ」リビアは言った。その音声には普段彼女が絶対に見せないものが含まれていた。

 震える声で監視室からの抗議が返る。

「失礼ですがマダム。謁見室には現在監視禁止命令が出ています。これは他ならぬマダムご自身の指示です。モーリスに死告げる姿を誰にも見せたくないとの意向でした」

 それを聞いて再びリビアが咆哮した。吸血鬼にだけ聞こえる超音波の命令がビル中に満ちる。

 フラット内に居るすべての人間の運命がこの時点で決定した。

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