暗夜行(7/7)

 帰りの妖精の道はほぼ無意識で歩いた。

 抑えきれない怒りが、そして殺気が体の周囲から立ち上る。その大部分は自分に対するものだ。

 二人が後を無言でついてくる。もし一言でも何かを喋ろうものならばその場で殺されると、二人とも理解していたのだろう。

 妖精王の甥が守る領地に差し掛かり、ネズミ妖精が出てくると、私はナイフで自分の指一本を切り落とし、滴り落ちる血をその喉に流し込んでやった。

「三人分だ」

 ついでに切り落とした指もネズミ妖精に押しつけて進む。

 この程度で私の罪の穢れは晴れない。切り落とした指もじきに生えてくる。


 心はここにはない。

 ジャブラビ・ヘルター。その名前が頭の中で反響する。

 太古の異教の魔神。ザ・ルールに縛られず、通常の魔法とは異なる魔法を使い、しかも一切の制限なしで自分の力を振るっている。

 核爆弾を持った猿ほどに危険な存在だ。

 前回の遭遇以降、バチカン本部に睨まれるのを承知の上でバチカンの裏古文書保管室に入る許可を貰い、そこでジャブラビ・ヘルターについて調べた。

 あの存在についての記述はほんのわずかしかなかった。

 古代の異種族の神。あれは神性を獲得した後に、自分を崇拝する種族を皆殺しにしている。これは親殺しと呼んでもおかしくないほどの掟破りの行為だ。

 ヤツはそうして得た莫大な生贄の力を使い、自分をより高いステージへと押し上げた。だがその結果として傭兵としての暮らしを行わざるを得なくなった。つまり召喚されては依頼をこなし、代わりに生贄や供物を得るという形だ。

 ヤツに抗し得る存在は同じく太古の精霊ルフテン・マブそのもののみ。なるほどヤツも無敵というわけではなかったのだ。

 問題はルフテン・マブに関する記述がそれ以外に一切見つからなかったことだ。召喚法も不明ならば、実在するのかどうかも不明。

 ジャブラビ・ヘルターに関する記述を残したのは二千年前に存在した過去幻視能力者の一人だ。その人物は古代アラム語の暗号化記法でこの秘密の記述を残した直後に死んでいる。恐らくは自分の過去を覗き込んだ者がいることに気づいたジャブラビ・ヘルター自身により始末されたのだろう。

 つまるところ、ジャブラビ・ヘルターに対抗する手段はなく、最悪なのはそいつが今、私の人生を耐えがたいものにしようと頑張っていることだ。それもただ面白いからという理由だけでだ。

 冗談ではない。

 エマもアンディも私に関わって死んだ。そしてこれからも私の回りで大勢が死ぬだろう。これ以上の被害を出さないためにも住み慣れた対策局を出る必要があるだろう。



 対策局の建物はまるで何事も無かったかのように平常運転に戻っていた。

 事務所に入るとそこに鎮座まします山の如きアナンシ司教に冷たい目でじろりと眺められたが、私は魔導士アーダラクの腕を掴むとアナンシ司教の前に突き出した。

 彼が私のギース支配下にあることはすぐに知れるので殺されることはないだろう。死んだ方が良いと思わされる可能性はあるが、それは私の預かり知らぬところだ。

 シェイプシフターのアラバムは掃除係のジャブゼスに変身して事務所の中をちらりと見てから姿を消した。これでオフィスへの出頭命令を果たしたつもりらしい。賢いヤツだ。


 項垂れたまま歩廊を抜けた。自然に足は訓練場へと向かう。

 前方で大勢が騒ぐ音がした。

 訓練場で告別式でもやっているのか。

 エマやアンディの死体に向き合うだけの勇気が私にあるだろうか?


 剣戟の音。打ちあう武器の音。喘ぎ声。

 告別式には似つかわしくない音。まさか襲撃?

 いや。違う。

 私は強烈な衝動に突き動かされ、足早になり、最後は走った。

 訓練場の中に飛び込む。3秒前に部屋に飛び込む私の姿を見たアンディが顔を上げ、それを知ってエマが飛びついてきた。

「神父!」神学生たちが集まって来た。私の回りに人垣ができる。

「どういうことだ!?」

 いかん。泣きそうだ。そんな姿は意地でも子供たちには見せられない。

「どうって、何時間か前に皆昏睡が解けたんです。マスターが何かしてくれたのでしょ」

「いや、私は何もしていない」


 本当にそうだろうか?

 あのろくでもない魔神が気を変えて魔法を解いた?

 それだけは絶対にあり得ない。あれは慈悲とは無縁の血と悲鳴と命を貪る魔神だ。


 これまでの私の行動のどこかに、ジャビラブ・ヘルターに影響を与える何かがあったのだ。魔神の弱点に触れる何かがだ。

 それを解かない限り、私の命は、そして私の周りに居る者たちの命はそう長くない。

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