暗夜行(2/7)

 寄宿寮に居住していた神学生三十二人、そして尼僧見習いが一人、そのすべてが昏睡状態で発見され、対策局は大騒ぎになった。もちろん尼僧見習いとはエマのことである。

 全局員に動員令が出された。

 神学生全員が医療局に運ばれた。人間医学から初めて魔術治療、治癒系特殊能力者による施術まで行われたがいずれも功を奏しなかった。

 患者のバイタルはすべて正常。ただし意識は戻らないということだけが判明したすべてだ。


 アナンシ司教の巨大な大理石のデスクの回りに集まった局員の一人が報告を開始した。デスクの上には透明なガラスの天板が新たに置かれ、その下のゲームの駒には誰にも触れないようにされている。

 このゲームの正体が何だか知らないが、その駒にアンンシ司教以外が触れることはタブーだ。

 実際に触れることを禁止されているわけではないが、それは誰もやらない。前回それに誤って触れてしまった局員は、南極の果てのミッションに送り込まれてまだ帰ってきていないからだ。


「魂魄探査の結果をご報告申し上げます」

 発言しているのは眼鏡をかけた理知深そうな女性だ。霊媒能力持ちでかって魔女として火炙りにされていた一族の出身である。

「予想を裏切り被害者の魂は彼ら自身の肉体の中に留まっています。これにより魂魄剥奪系の魔術の使用は否定されます」

「寄宿寮の防御結界の様子は?」とアナンシ司教。

「それが一切問題が無いのです。聖別指数も正常ですし、精霊反応も出ず。防御魔術は極めて正常に働いています。魔法の痕跡は一切ありません」

「となると薬物か?」

 それに応えて別の一人が立ち上がった。

「医療班の分析の結果、血液からは何も異常な薬物は発見されていません。また食堂のメニューも調べましたがいつも通りのものです」

 それは本当だ。対策局の食堂はあまりにもメニューに変化がないので子供たちからは不評を聞かされている。

 もっとも子供たちは外出は制限されていないのでお金さえあれば外食で済ませることができる。たまにエマがこっそりと彼らを連れ出して自分に支給された無制限カードを使って食事を奢っていることを私は知っているが、それはまあ責めるような筋合いではないので私は知らないフリをしている。


 つまるところ、これほどの現象を引き起こせるのは魔法以外には存在しないが、対策局の敷地は極めて厳重に魔法防御がされているのでそれは不可能のはずなのだ。

 ここロンドン郊外にあるバチカン特殊事例対策局が存在している場所はかってラビアン大聖堂が建っていた場所だ。歴史には残っていないこの秘密の聖堂はかっての十字軍運動の残り火とでも言えるもので、イスラムから追い払われた十字軍の残党がまき直しを願って建設したものだ。

 特殊な発祥に加えて、狂気のごとく行われた無数の殉教行為により、ここは一種の聖地として聖別されてしまった。その結果、この場所ではあらゆる種類の魔術の動作が狂い、減衰する。対策局が認めるただ一つの信仰以外の魔法はだ。

 まさに理想的な魔術の要塞。それが対策局がここに居座る理由なのだ。

 その防御がこうもあっさりと抜かれてしまった。顔にこそ出さないが対策局のお偉方は心の中で冷や汗をかいているだろう。


 しかし困った。これでは原因が不明ということだ。そして原因が不明な限り、アンディたちは決して目が覚めないということになる。

 会議が一段落ついたとみて、アナンシ司教が手を叩いた。

「わかった。皆は引き続き調査を続けてくれ。今日の会議はこれで解散する。それとファーマソンは残れ」

 人払いということだ。たちまちにして皆が共用オフィスから出ていき、私はアナンシ司教と一対一で対峙する羽目になった。

 嫌な予感がする。実に望ましくない状況だ。


「さて、ファーマソン」アナンシ司教はじろりと私を睨んだ。

 言いながらもそのハムのような手で手元の駒を無意識にいじくりまわす。

 それはダイヤモンドで出来た異形の駒だった。

「また何かをやらかしたのか?」

「いったい何のことだ?」できるだけ冷たく聞こえるように返した。

「とぼけるんじゃない。寄宿寮が狙われただけならまだわかる。だがエマ局員がそれに加わっているとなれば話は別だ」

 アナンシ司教はその鋭い目で私を見つめた。小さな虹彩の中でさまざまな色が移り変わる。その小山のような巨体の上についているこれも大きな頭の中でいったい何を考えているのかは誰にもわからない。

「エマ局員だけは寄宿寮ではなく尼僧修道院で寝泊まりしている。つまり、彼女も被害を受けたということは、このすべてが君に関連して起きていることを明白に示している」


 濡れ衣だ、と言おうとしてそのセリフを飲み込んだ。たしかにアナンシ司教は正しい。今まで気づかなかったがこれは私に対しての何者かの攻撃に違い無い。そう考えるとすべてが符合する。

 それも極めて高度な何らかの手段を使ってのものだ。

 アンディたちが昏睡に留まっているのは何故か?

 神学生たちは私の体に組み込まれているような高度な防御魔術は持っていない。だからアンディたちをいきなり殺さないことの目的はただ一つ。

 人質だ。敵は私が大事にしている者たちを人質に取ったのだ。


 私は考え込んだ。

 最近何か虎の尾を踏むようなことをしたことがあるのか?

 偽ダーク事件に関与した悪魔たちの報復?

 いや、悪魔には無理だ。彼らが使う手段そして使える手段については熟知している。彼らは獰猛で凶悪だが創造性だけはない。このような今まで見たこともない攻撃を作り出せはしない。

 ではモヘンジョダロ遺跡発掘に関わる魔導書騒ぎの件?

 いや、あれは結局対立する遺跡マフィア間の闘争に発展し、私の手を完全に離れた。

 ドラゴンたちの結婚式を飛び入りで台無しにしてしまった件は深く謝罪して許してもらえたはずだし、バリュハーダイ大聖堂を全焼してしまった件は私の仕業だとはバレてはいない。

 他に何かないか?

 何もない。


「すみません。アナンシ司教。私にはまったく何の覚えもありません」

 一応嘘ではない。

 アナンシ司教の目がさらに細くなった。

「本当にか? 本当にないのか? ファーマソン。隠すとためにならんぞ」

 アナンシ司教の脅しは単なる脅しではなく、その背後には、言ったことはかならず実行するという彼自身の保証がついている。

「本当にないんです。隠してはいません」

 もちろん実を言えば隠し事はある。闇の保管庫などはその代表だ。だから真実を証言するようなギースをかけられるのもまずい。アナンシ司教は尋問のプロだ。何をどう質問すれば相手が言いたくないことを引き出せるのかは良く分かっている。


 アナンシ司教がテーブルを叩きその巨体を乗り出そうとしたその時、デスクの上の電話が鳴った。

 外部には公開していない電話番号に外線からの連絡が入る。間違い電話かあるいはここの番号を探りだすことのできる何者か。

 アナンシ司教は太い指を電話機の上のボタンにそっと下すとトーキー機能を有効にした。

 どこかで聞いたような気がする男の声が電話機から流れ出た。

「ダークの電話だな。一度しか言わないから良く聞け。お前のお大事の部下たちを二度と目覚めぬ眠りに落としたのはこの私だ。彼らを解放するための条件はただ一つ。ダークよ。お前の身柄だ」


 電話が切れ、私は天を仰いだ。やれやれとんでもないことになった。

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