過去からの呼び声(6/6)
追い込まれた人間は、いや、人間でなくても、脅かされた生き物は自分が慣れ親しんだ住処に戻るのが常というもの。
この場合はニュージャージのアトランティックシティの郊外にある墓地がそれだ。
当時のダークはやはりリビアのフラットに入り浸っていたので、活動の痕跡のほぼすべてがニュヨーク周辺に集中している。
悪徳の街は悪党や魔物に取っては住み心地が良いのだ。
その墓地の一番奥にある一番大きな区画が昏睡したダーク・ワンを埋めた所だ。
大きなコンクリ作りの玄室で、中央に棺。その周囲に副葬品を並べるという古式ゆかしい造りだ。副葬品の周りに張り巡らされた魔術の罠も含めてすべてダークの趣味に合わせてある。
本物のダークが死んだと思わせることで術者を炙り出すつもりだったのだが、その肝心の術者が昏睡しているのだから誰も来ないわけだ。そういうわけでダークの当ては外れて今に至る。
つまりダークは冷酷にもこの影武者のことはあっさりと忘れたのだ。
花束を持って墓を訪れる。しばらくその前で祈りを捧げる振りをした後に、周囲の人影が消えた瞬間を見計らって墓の扉の中に滑り込む。
湿ったカビの匂い。顔にかかる蜘蛛の巣。蜘蛛ってやつはどんなに密閉した所にもいつの間にか入り込むという魔法の力を持っている。
玄室の中は暗いが広い、そこに安置された棺の上にそいつは座っていた。そいつの身じろぎと共に周囲で明かりが灯る。
奴の手の中にあるのは魔道具コンジャラ。いわゆる魔法の杖で、ドラゴンと同等の火炎のブレスを噴き出すガラクタ魔道具だ。
「待っていたぞ。これが罠だとは考えなかったのか?」
不敵な笑みを偽ダークは浮かべた。
そうだ。そうだ。昔の私はこんな歪んだ笑い方をしていた。今の私のように青空の下で高らかに笑うなんてことはダークには逆立ちしてもできない。
そしてその笑いを続けるためにも、私はこの過去からの呼び声を解決しないといけないのだ。
「ああ、ドッペルゲンガー。無駄な戦いはしなくて良いんだ。お前はダークではないし、私もダークではないのだから」
「何を言っている?」
「その杖は小さな炎も出せる。少しだけそれで灯りを作って私の顔を見るがよい」
偽ダークは躊躇った。だが私の言葉に興味を惹かれたのか、杖を振ると炎を噴き出させた。
私の顔を炎が舐める。まったく人の言うことを聞かない奴だ。少しだけと言ったのに。
私の顔の皮膚が焦げたがすぐに再生するので問題はない。彼の失礼は忘れてやろう。ダークはともかく、ファーマソンは寛大なのだ。
私の顔を見て偽ダークの目が見開かれた。
「お前は何者だ。どこかで見た顔だぞ」
「鏡を見てみるがいい。副葬品の中にあるはずだぞ」
「お前は俺だ。どういうことだ」
「いや、俺はお前じゃないし、お前は俺でもない。ドッペルゲンガー。さあ、擬態を解いて元の姿に戻るがよい」
「お前は何を言っているんだ!?」
「お前はバー・ザー・ランの呪術を受けて脳にダメージが残っているのだ。お前はドッペルゲンガー。昔のダークに化けたシェイプシフターだ」
偽ダークが呻いた。その頭の中で何かの記憶が葛藤を始めたらしい。自分で自分の顔を掻きむしる。
「嘘だ。嘘だ。お前は嘘をついている」
「嘘はついていない。何ならギースをかけようか?」
そのとき、背後で爆発音とともに墓所の扉が吹き飛ばされた。素速くステップを踏み、偽ダークの横に位置を取る。
迂闊だった。偽ダークの説得に注意を注ぎ過ぎて外の気配を聞いていなかった。
悪魔たちの部隊が飛び込んで来た。被っている戦闘帽に特徴的なマーク。この間リビアを襲った連中とはまた別の部族だ。
やれやれ偽ダーク。いったいいくつの悪魔を襲ったんだ?
そしてよりにもよって何で悪魔マークス族を選んだんだ。彼らは闇大戦の前は熱心なダーク擁護派で貴重な戦力の供給源であった。そして闇大戦の後はダークを仇敵として付け狙うようになった部族だ。
ああ、偽ダークの頭の中の勢力地図は、まだ闇大戦の前のものなのか。
それは偽ダークもさぞやびっくりしただろう。味方と信じて訊ねてみればいきなり襲われたのだから。
「殺せ! 殺せ!」悪魔の一人が悪魔語の方言で叫ぶ。「動いている者は皆殺せ」
動かなければ見逃して貰えるのかな、と心の隅で思ったのは秘密だ。
「ようこそ。我が家へ」偽ダークが言った。
「そいつだ!」リーダーらしき男が叫ぶ。そこで私に気づいて動きが一瞬止まった。神父服が目に留まったのだろう。
「そいつも殺せ!」そう続けた。
私の頭の中でその悪魔にタグがつく。それはとても短い言葉だ。『敵』
私の中の本物のダークの反応だ。
偽ダークがコンジャラの杖を持ち上げた。それを見て私は彼の背後の棺の後ろへと跳んだ。
この魔道具は杖の前方にドラゴン・ブレス並みの炎を噴き出す。それだけ聞けば役に立つ魔道具に聞こえる。だが私に貢がれた魔道具はどれも使いようのないガラクタだったことを思い出して欲しい。
コンジャラの杖から爆発にも似た炎が噴き出した。炎は墓室の中一杯を隙間なく埋め、武器を構えた悪魔たちをすべて焼き尽くしながら墓室の外へと噴き出した。
それはきっとニューヨークからでも見えたに違いないほどの凄まじい炎だった。ドラゴンに匹敵する炎。耐火耐爆耐衝撃を誇るドラゴンの鱗を持つモノだけが使える炎。
墓室の壁が照り返しで焼け、それは杖の後ろにいた偽ダークとこの私も同じだった。
私の髪の毛が瞬時に焼け落ち、顔の皮膚が黒く炭化する。神父服は特殊な難燃性の素材でできているので燃え上らない。だがその下の肌は流石に熱い。
だがいずれも問題はない。私の怪我はもう治り始めている。黒く焦げた皮膚が次々に剥がれ落ちて新生する。
これが魔道具コンジャラの問題点だ。その炎は見境がなく、使用者まで焼けてしまう。絶対に部屋の中で使って良い魔道具ではない。
それは偽ダークも同じで、全身から煙が上がっていた。
所詮は偽物だ。狼男の治癒力は彼にはない。
守りの盾バンジュラムがあればここまで被害は大きくなかっただろうが、それは闇の番人に破壊されてしまっている。
「おい。お前はシェイプシフターだ。焼けた皮膚を変形させて一か所に集めるんだ」
私は彼の耳元で怒鳴った。ドッペルゲンガーは体のパーツをかなり自由に操ることができる。そのため一度に体の大部分を失わない限りはそうそう簡単には死なない。
だが何も起きない。彼は自分がドッペルゲンガーであることを忘れているのだ。それどころか人狼たる自分の火傷が何故治癒しないのかと狼狽している。
すぐに生き残った他の悪魔たちが墓室に飛び込んで来た。こいつらは何等かの魔道具か魔術で炎を防御したに違いない。どちらも高価なので下っ端には使わせて貰えないのが哀れだ。
偽ダークは焼け焦げた顔を上げた。目は焼けているが耳はまだ聞こえる。気配を察したのだろう。
その手が動き、懐から新しい魔道具を取り出すと投げた。
魔道具チャムラム・バイタル。短剣の魔道具だ。それは宙を飛ぶと、飛び込んで来た悪魔たちを切り裂きながら飛び回った。
強力な魔力をその刃に凝集させ、魔術の防御を切り裂いて悪魔の首を貫く。一人殺すとその生命力をすべて吸い尽くし、次の攻撃へと移る。生きている者が存在する限り、このサイクルは延々と続く。
一度放てば使用者以外は敵味方の区別なく殺してしまう魔剣。
これほど役に立たない道具はない。オーバーキルの代名詞みたいな魔道具だ。
さきほど悪魔が叫んだ『動くものは皆殺せ』というセリフをそのまま短剣に仕上げたものと言える。
私は身構えた。瞬く間に墓室内の敵をすべて殺し尽くした後、チャムラム・バイタルはその軌道を私に定めた。真っすぐに私の胸目掛けて飛んでくる。
意識することもなく私は腰の後ろから二本の短剣を抜いた。一本は特殊鋼材の鋭いナイフ。もう一本は刃に銀を流してある対人狼用のナイフだ。
チャムラム・バイタルがこちらの鋼鉄の短剣にぶつかり火花を散らした瞬間を狙って私はその魔道具に噛みついた。
鉄の板でもかみ砕ける狼男の顎に挟まれてチャムラム・バイタルの動きが止まる。舌の上でその刃がぴりぴりと辛く感じる。
私の生命力が吸えるものならやってみるが良い。その手の攻撃に対する対処はダークの時代に体に組み込んである。役立たずの魔導書の一冊から取り込んだ魔術でだ。
その魔術の副作用は体の魔力構造を改造している間に被験者が即死しかねないほどの麻酔も効かない苦痛が生じることだ。術が完成するまでに二十四時間かかる。それに耐えられる生き物はこの世にいない。
人狼以外には。
私は自分の延髄を破壊して子飼いの魔導士に命じて術をかけさせたのだ。これなら魔法の痛みを感じることはできない。あくまでも首筋に埋まるナイフの痛みだけだ。そして術が終わればナイフは抜かれて延髄は治癒し、私は生き返ることになった。
闇大戦の直前のダークはそんな無茶苦茶なことを繰り返していたのだ。まさに狂っている。
昔のことを思い出しながら、私はチャムラム・バイタルの急所、柄に埋め込まれている魔石を銀のナイフで叩いた。
呆気なくそれは砕け、チャムラム・バイタルの動きは止まった。ただの死んだ魔道具として床に転がる。
「さあ次は何だ?」
後はどんな魔道具を彼に与えていただろうかと考えながら私は尋ねた。
それに応えたのは偽ダークではなかった。墓室の外の悪魔の残党が携行ロケット砲を撃ち込んで来たのだ。
私は高速モードへと滑り込んだ。空中を飛んでくる殺気の塊りに手を伸ばして掴む。そのままぐるりと体を回し、ロケット弾を墓室の外へ放り出す。
爆発。そして誘爆と思われる新しい爆発が二回ほど。
それで終わりだ。外が静かになった。しかしこれはまずい。じきに警察や消防隊が血相を変えてここに集まってくるだろう。
棺の上に横たわった偽ダークは死にかけていた。体の前面が丸ごと焼けたままだ。死んだ組織を一か所に集めて切り離せば問題はないのだが、まだ自分がシェイプシフターだと思いだしていないのだ。
私が彼の方に一歩足を踏み出した瞬間にそれは起った。
墓室の床に転がっていた黒焦げ悪魔の一人はまだ生きていたようだ。そいつがサブマシンガンの銃口を上げると撃ったのだ。
最悪なことに私は高速モードを解いた直後だった。高速モードは一度解くと次に入るまでに数秒のインターバルが要る。
止められなかった。数発の弾丸が偽ダークの体を貫いた。
反射的に銀のナイフを投げ、その悪魔の心臓を貫いて殺す。
偽ダークに駆け寄った。
「銀だ」偽ダークの口から呟きと血が溢れ出した。「俺の心臓が」
「馬鹿野郎」思わず怒鳴ってしまった。「お前はドッペルゲンガーだ。さっさと俺の姿の変身を解いて、焼けた皮膚を切り離せ。銀の弾丸はお前には効かない。破れた心臓もそのまま切り離して新しい心臓を作れ」
無茶を言っているのではない。シエィプシフターは肉体形成のプロだ。治癒はしないが古い部分を捨て、新しく作った部分だけでやっていける。
「俺は・・俺はダークだ。ああ、俺の心臓・・」
くそっ。バー・ザー・ランの奴。いったいどんな呪術でこいつの頭を壊したんだ。
こいつ。こいつ。そう言えばこいつの名前は何だ。ダーク・ワン。ダークの影武者。
確かアラバ・・、そうアラバムとかそんな名前だ。
名前だ。完全な名前。いま必要なのはそれだ。シプシフターは擬態中でも本当の名前を呼ばれれば反射的に擬態を解く。そんなことを聞かされたことがある。あろうことか目の前のこの男から。
私は自分の記憶に集中した。神に触れられて以来、自分の内面に潜る術を覚えた。無数の他人の意識と経験を流し込まれて破綻しかけていた自我を保つためには、自分の内側を探って、そこに本物の自分を見つけるしかなかったのだから。そこで見つけたのが今までダークの内側で静かに登場を待っていたファーマソン神父だった。
記憶の底の底までを探って、ようやく一つの名前が見つかった。
「ドッペルゲンガーのアラバム・バルカス。しっかりしろ。自分を思い出せ。偽の記憶は捨てろ。お前はダークじゃない」
その先の言葉は私の内面深くから浮かびあがって来た。
「俺がダークだ。その名前を私に返せ。ダーク・ワンたるアラバム・バルカスよ。これを汝に命ずる。ダークはただ我一人なり」
バルカスの目に光が戻った。今までどこか遠くを見ているようだった目の焦点がはっきりと私の顔に合った。
自分の頭から何かを排出するかのように頭を振り、そして改めて私を見た。
「おお・・」その唇から声が漏れた。「ダーク様。我が魔王よ」
「話は後だ。早く体を作り直せ」
私は指摘した。
「それから恥ずかしいから二度とその呼び名を使うな」
自分の顔が恥ずかしさで耳まで真っ赤になっていることは感じていた。
*
アナンシ司教は私の報告を受け、アラバム・バルカスの対策局入りをあっさりと認めた。
シェイプシフターはレア・モンスターだ。特に彼のように訓練を受けている者は。アナンシ司教は表情には出さなかったが内心飛び上がるほど喜んでいたはずだ。彼はトリッキーな駒ではあるが、使い方によってはアナンシ司教がやっている複雑なゲームでの切り札となるものを手に入れたのだ。
アナンシ司教はさっそく彼を表す駒を彫り上げた。それは青ガラスで出来ていて、仮面の形をしていた。
彼の目の前の大理石のテーブル、そこの盤の外に見慣れぬ駒が一つ増えていることに私は気づいた。
どうしてアナンシ司教がそれの出現を知ったのかは分からない。だがその駒が何を意味するのかは一目で判った。ダイヤモンドで作られた白く輝くキラキラした大きな駒。
そのことは敢えて訪ねはしなかった。あの異教の神にまた召喚の言葉と取られては堪らない。
ダイヤモンドの駒は何か一言では形状しがたい形をしていた。
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