過去からの呼び声(3/6)

 対策局にある自室に戻るとさっそくに出張報告書を書き上げる。バー・ザー・ランの家族の近況とその死の状況などだ。

 調査結果はどれもシロ。怪しげな動きはカケラもない。そう書いておいた。事実だから問題はあるまい。ダークと呪殺に関する事項はわざわざ報告することはない。

 最後に旅費を計算し、途中で立ち寄ってトラック一杯分食ったステーキの代金も付け加えて請求する。これぐらいは役得というものだ。

 アナンシ司教は口うるさい男だが、必要と思われる経費はケチったりはしない。人狼の食費は大事な経費で、これを節約しようとする試みは大概が悲惨な結末を迎えることは彼も良く知っている。

 空腹状態の人狼は実に簡単に理性を失うものなのだ。周囲にごまんといる人間が美味しそうな肉に見えるようになるまでにさほど時間はかからない。

 提出前にスマホの電源を入れると、珍しくもメールが一通届いていた。差出人の名前を見て目を剥いた。


 この人物からメールを貰うのは初めてだ。滅多にないことなのですぐにメールを開いてみる。

 ニューヨークの吸血鬼の女王リビアからのメールにはただ一言だけ書いてあった。

『電話して』

 もちろん緊急だ。それ以外にリビアが私にメールを送る理由がない。

 その場で電話すると、コール一回でリビアが出た。

「遅いわ」

 リビアが人を責めるような口調で話すことも滅多にない。だから単刀直入に尋ねた。

「何が起きた?」

「バールバナ」

 それだけ言ってからリビアは電話を切った。慌ててかけ直してももう繋がらなかった。


 私は対策局専用の超音速ジェット戦闘機が大嫌いだ。それは巨大なエンジンの化け物で、試作として一機だけが製造された。ところが対策局所属の怪物の一人以外には誰も使えなかったために対策局専用になったという経緯があるいわくつきの機体だ。

 この戦闘機の通常巡航速度はマッハ5だが、アフターバーナーを使うとマッハ7になる。飛行中は角度を一度変針するだけで10G近い加速度がかかる代物だ。大量の燃料を消費して地球一周も可能だが、そのコストは莫大なものになるので誰もやらない。

 狼男の私が本気で動くとこの体にはそれどころでないGがかかるが、自分で動く分には気にならないものだ。だが乗客という立場で縦横無尽に強烈なGがかかるとたまらない。その強烈さはとてもこの繊細な胃袋が耐えられるものではない。

 パイロットは岩人間だ。いわゆるガーゴイルと呼ばれる種族の一人で闇レッドデータブックの中では絶滅危惧種に指定されている。

 体のほとんどが生きている岩とでも言えるもので、彼はかなりのGでも気絶せずに耐えることができる。しかも彼には胃袋と言えるものはない。有り体に言えば内臓が元より無いのだ。

 操縦は彼に任せて、私は太いベルトで座席に体を縛り、太い注射器で麻酔薬を自分に打ち込んだ。

 象でも一年間は眠り続ける薬の分量だったが、五分後には体が解毒して目が覚めてしまい。その後はいつものように拷問の時間となった。

 諦めて行程のほとんどは目を瞑って過ごした。


 バールバナ。その名前が頭の中をぐるぐると巡る。絶対に聞きたくはなかった言葉だ。それはトラブルを、それも極大級のトラブルを予感させる言葉なのだ。


 ダークが天界への襲撃の準備をしていたときの話だ。

 闇に属するあらゆる組織がダークの下に貢ぎ物を持って来た。

 あらゆる種類の魔道具、そしてあらゆる種類の魔導書。ただのガラクタから一度作動すれば大きな街一つが炎の中に消え去るものまであらゆる種類があった。

 それらは貢ぎ物という名前の悪意の塊りだった。

 使用者の命を確実に奪ってしまったり、動き始めると止まらなかったり、攻撃の対象を選ばなかったりと、危なくてまともに使えないものばかりだった。

 天界との闘いを助けるなどとは言っても闇の組織たちの考え方は様々だった。

 単に天界への意趣返しを狙うもの。

 他の闇の組織をうまく潰し合わせようとするもの。

 単純に思い上がったダークがひどい目に遭うことを期待するもの。

 そういった集大成がそれらの贈り物であった。


 だがダークはまったくの馬鹿というわけではなかった。これらの贈り物を安易には使わず、配下の魔導士たちに調べさせたのだ。そしてその特性をすべて露わにした。時には配下の命を躊躇わずに犠牲にして、その秘密を一つ一つ暴いていったのだ。

 そしてそれらを五つの危険度に分類し、それぞれを闇の保管庫に納めた。

 闇の保管庫には使い魔の番人が置かれ、ダーク以外の何者をも闇の保管庫に触れなくした。

 その内の危険度で三番目に分類される闇の保管庫の名前がバールバナなのだ。ダークと親しかった連中以外の誰も知らない名前だ。

 その保管庫のアイテムの一つでも、街一つを滅ぼすには十分な威力がある。

 それに今、誰かが触れようとしている。



 挨拶もせずに吸血鬼女王のリビアが棲む高層マンション八十一階のフロアを押し通った。

 サブマシンガンを持った護衛たちが血相を変えて隠れ場所から飛び出して来たが無視してその横を通り抜けた。彼らには私の動きが見えなかっただろう。

 しょせんは人間だ。リビアはいつになったら護衛の人狼を雇うのだろう?

 一陣の突風となり美術品が並ぶ廊下を走る。ミケランジェロの未発表の彫像の横を通り、ヒエロニムス・ボスの隠れた名作を横目で見ながらリビアの居室の扉を押し開ける。鍵は掛かっていたが扉の内側のボルトが呆気なく折れて開いた。この程度のバリケードでは本気になった狼男は止められない。

 特に私は。


 大きくて高価で豪華なソファの上にリビアは体を横たえていた。

 夜の女王、ニュヨークの吸血鬼たちの支配者であるリビア。昼でも起きていられるきわめて高位の吸血鬼の一人。古き古き血の持ち主。

 彼女が人間であったときにどの民族であったかはもう分からない。齢が五百年を越えた吸血鬼は例外なく肌の色を失って透き通るように白くなる。全身の骨格や肉のつきかたさえも少しづつ変化し、最終的にその時代の美形とされる姿へと変じる。

 この変貌のプロセスが生理学的なものなのか遺伝子的なものなのか、それとも魔法学的なものなのかはいまだ解明されていない。

 ただ彼女の髪が黒色をしていることだけは元のままだと思う。

 リビアの肢体を包む薄い絹のガウンは幾重にも分かれてその体の周囲に広がっている。下着をつけていないのがそのガウンを透かして見てとれる。髪と眉毛以外はまったくの無毛だ。美しい乳房の先がガウンを押し上げている。

 彼女は恥ずかしがらなかったし、私もそうだ。昔さんざん見た体だ。何十年経っても少しも衰えていない。老いぬ体は吸血鬼の特権だ。


 背後からボディガードが飛び込んで来ると、私とリビアの姿を見て一瞬固まった。ボディガードとしては侵入者を見ないといけないのに、リビアの姿から目が離せず困惑している。

 吸血鬼の持つ魅了の魔力。その効果の半分は美しい肉体が引き起こす欲情という生物学的効果で作られている。

 彼女が手を振ると、ボディガードはようやく納得してリビアから視線を引きはがすと外に出て行った。ここではボスの命令は絶対だ。それがリビアの魅力のためなのか、命令に逆らえば容赦ない死が与えられるためなのかは分からない。

「やあ、リビア」客としての礼儀として私が先に声をかけた。

「いらっしゃい。ダーク」

「私はファーマソンだ。ダークは死んだ」いったい何度このセリフを言ったことか。

「嘘ばっかり」リビアは嫣然と微笑んだ。

 その微笑みを得るためなら全財産を差し出す者も多い。

 その片手が上がると私を招いた。白というよりは透き通った青白い色の華奢な手が伸びる。その薄い青の瞳が煌めき、そこだけ赤い唇がわずかに開く。

 その口の中に伸びる長い牙はうまく隠している。

 その優雅な動作に合わせて微かな魔力の匂いがした。甘く蕩けるような、欲情の期待を込めたものだ。

 魅了の魔法。それは少しも危険を感じさせない。だが一度かかれば自我を支配され、奴隷と化す。それほどの致命的な魔法なのに警戒する者は少ない。

 随分昔にダークが自分の魂に埋め込んだ魔術式が反応し、蠱惑の霧が晴れる。代わりに創り出されたのは強烈な嫌悪感。もし今ここにいたのがダークならリビアを殺そうとしていただろう。つまるところダークは自分以外の誰も信用などしていなかったのだ。

 私は屈んでその手に軽くキスをすると、背を伸ばして着ている神父服を強調した。

「ビジネスの話に移ろう」できるだけ冷たく聞こえるように言い放つ。

「あら、ダーク。つれないのね」

「今はファーマソンだ」厳しい声で言う。私は今は彼女の恋人ではないし、またそれに戻る気はない。

「それと二度とやらないでくれ。どこまで抑えられるか自信がない」

 次はリビアを殺してしまうかもしれない。もちろんリビアほどの古く強力な吸血鬼を殺すのは狼男の力を持ってしても至難の技だ。

 リビアは私の言葉を逆に取り、自分の魅力に自信を得て微笑んだ。

 この私の中に埋め込んである防御反応のことはリビアにも教えたことはない。いくつもの秘密を持つことで今まで何度も私は危機を乗り越えてきたのだ。

「あら、ダーク。あたしはいつでもいいのよ」

 なんというセリフだ。罪深き者よ。汝の名は女なり。私は嘆息した。

「悪いがその余裕はない。今の私の頭の中はバールバナで一杯だ」

「嘘ばっかり。本当はあのエマとかいう小娘のことで一杯何でしょう」

「いったいどうしてそんなことを思うのか」私は呆れた。

「彼女は私の直系、それも最初に作った人狼なんだぞ。言わば私に取っては娘に相当する。そんな感情はない」

 それに答えてリビアは断言した。

「嘘ばっかり」

 うん、これは駄目だ。私が何を言っても信じてもらえない。齢数千歳なのに、それでもリビアは女性の本性を維持している。大したものだ。

 数千歳? リビアの言によるとかって救世主を誘惑したことがあるそうだ。当時はリビアという名前では無かったらしいが。

 彼女がキリスト教の信者になったのはその頃らしい。


 さて、何か忘れていないか?


 そうだ。大事なのはバールバナだ。その言葉がリビアの口からどうして出て来たかだ。

「ちょっと長い話になるわよ。座ったらどう?」

 彼女はソファの横の椅子を示した。見事な彫刻が施されたアンティークの椅子だ。恐らくは彼女の趣味である芸術家の青田買いで手にいれた、どこかの有名芸術家の未発表作品だ。

 これに座るなんてとんでもない。それこそ芸術に対する冒涜だ。私は立ったままでいることにした。

「あのね。あたし、この二週間、ダークと暮らしていたの」


 なんだって?


 ある日、彼女のフラットをダークが訊ねて来た。

 それは本当にダークだった。かってのダークその人だった。姿形も態度も言葉使いも。

 恋人に会いに来たのだとダークは言った。そして彼を止めようとしたボディガードを殺しかけた。

 リビアが介入しなけば大変なことになっていただろう。

 しばらくの間、そのダークは彼女とここで暮らしていた。


「偽物だとは気づいていたんだろ?」

「もちろんよ」

「では、どうして?」

「好きだから。ダークを。愛しているから。ダークを。でもあなたはダークを辞めたし、あたしはダークが欲しかった。だから偽物でも興味を惹かれた」

 そう言うとリビアは私の反応を探るかのように悪戯っぽく目を覗き込んできた。

 なんということだ。これほどの年月が経ってからリビアの告白を聞かされるとは。

「ダーク。あなた、あたしがどうして天界への挑戦などという暴挙に手を貸したと思うの?」

「それは君たち吸血鬼の悲願だから。そうではなかったのか?」

「ダークは賢かったけど、同時に馬鹿だったのよね。吸血鬼はみな現状に満足しているわよ。だから武闘派を穏健派が抑えていられる。誰も世界のトップに立ちたいなんて考えていない。今でも不死を求める人間たちの血でプールを十分に満たすことができるのに、それ以上を求めて不安定な玉座に座りたがると思うの?」


 本当に馬鹿だ。ダークは。すぐ近くにあった愛にすら気づかないほどに。

 そして今やダークはファーマソンになり、その愛を手にいれる機会すら失ってしまった。


 私は頭を切り替えることにした。

「その偽ダークはどんな奴だったんだ?」

「だからダークにそっくりだって。鋭くて、すぐ熱くなって、すぐ冷めて、賢くて、そして残酷。いつも身に纏っている他人の血の匂いも同じ。殺しを躊躇わない冷酷さも同じ。

 楽しかったわよ。昔のダークが戻って来たみたいで」

 リビアは本当に楽しそうに笑った。彼女は昔からこういう笑い方をする人だったか?

 ダークは今まで彼女のいったい何を見てきたのだろう。

「どこもかしこもあなたとそっくり。裸の背中のアザも同じ。女の愛し方もあなたとそっくりだったわ」

 その言葉の内容はちょっと衝撃だったが、リビアならありそうだとも思った。吸血鬼には貞操観念はない。基本的にフリーセックスが彼らの生き方だ。

 ここまで聞くとその偽物の正体はただ一つだけ、思い当たった。

「彼はしばらくあちらこちらに出かけていたみたいだけどね。数日前にバールバナに行くと言って出て行ったの。この名前、例のアレよね?」

「そうだ。私は今、とんでもないトラブルの中にいるようだ」

「私たち、よね?」

「私、だ。君は関係ない。できればしばらく別の隠れ家に移って欲しい。もし奴が闇の番人にダークと認められたら恐ろしいことになる」


 その昔、神に触れ、ダークはファーマソン神父に変化した。それ以来何度か闇の保管庫に行ってみたことがあるが、闇の番人は保管庫を開けてくれなかった。

 それぐらい私は変化した。闇の番人は私をダークとは認めなかった。まあもともとそれら保管庫の中身にはもう興味を失っていたんで、これ幸いと忘れることにした。一度使えば所有者の命を吸い取るような魔道具などこの世に出ない方が良い。

 だがもしかしたら保管庫の番人たちはその偽ダークをダークと認めてしまうかもしれない。

 問題があるのは魔道具だけではない。質の悪い魔導書がいくつか世に出るだけで戦争が始まる可能性がある。あれらはたいがいが自我を持ち、しかもそれは悪意の側に傾いていることがほとんどだ。それらの魔導書は所有者に力を与え、ついでに自分たちの楽しみのために所有者を操ることまでする。魔導書に取り憑かれた魔導士が世界を征服しようとして騒ぎを起こすことは今でもときどき起こることだ。

 うん、今回のこれは十分な災厄だ。


 私はリビアのフラットを出ると、偽名でスポーツカーを借り、時速二百キロでかっとばした。

 例によってアナンシ司教から呼び出しの電話がかかってきたが今度ばかりは無視した。バールバナと闇の保管庫のことをアナンシ司教だけには知られてはならない。そんなことになれば単純に世界が滅ぶことよりもまずいことが始まる。

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