過去からの呼び声(1/6)
私はバチカン特殊事例対策局の指示でファーマソン神父の名前のスマホは持たされている。だが実を言えばスマホがあまり好きではない。だからいつも電源を切っている。映画館に映画を見に行ったときにマナーとして電源を落として、そのまま電源を入れるのを忘れていたと言う風を装う。
それにスマホで話をしている神父の姿なんてあまり見た目が良いものではないだろう?
知らない一般人が見たら神父がスマホで神様と会話をしているように誤解されてしまう。
まあそういうわけで私のスマホはいつも電源を切っている。そうしておけばアナンシ司教からの呼び出しの電話を受けなくて済む。
だが不思議なことにアナンシ司教からの電話は掛かって来る。なぜかそのときだけ偶然スマホの電源が入っているのだ。例えばアンディに用事があって電話を掛けた直後などに掛かって来る。ひどいときは何かの拍子にポケットの中のスマホをぶつけてしまい、気がつくとそれで電源が入っていたりする。そしてその瞬間にアナンシ司教からの電話が掛かって来る。
くそ。彼の魂に呪いあれ。
きっと彼は何らかの魔術的手段を使っているのだとは思うのだが、私の知る限りの魔術防御を使っても防げないところを見ると、実はすべて単なる偶然が成せる技という可能性もある。
あるいはアナンシ司教は1分間に1回の割で常に私に呼び出しの電話をかけているかだ。
ああ、うんざりする。
だがそれでもアナンシ司教からの呼び出しを無視するのは得策とは言えない。彼を無視した者には常に恐ろしい報復が待っているからだ。
しぶしぶという様子を全面に押し出して私は対策局のオフィスの扉を押し開けた。
広い共同オフィスの中央にまるでエベレストの山のようにアナンシ司教の巨体が聳えている。その前に置かれている大きな大理石のテーブルの上には何かの駒が並べられている。
その中でも一番安物の青ガラスで出来た駒はそれぞれ対策局のメンバーを示している。赤のガラスの駒は対戦相手の駒だ。それ以外の駒ももちろんあり、それらはすべて何らかの宝石でできている。
それらの駒が実際には何を表すのかはアナンシ司教以外は誰も知らない。
アナンシ司教はその駒を使ってどこかの誰かと何か複雑なゲームをしているに違いないと対策局のメンバーは噂している。だがその真偽は誰も知らない。
そもそもアナンシ司教のような存在が他にもう一人居ると考えるだけで空恐ろしいことであり、それを考えると夜に寝られなくなりそうだ。
「来たか」遅いぞという含みを持たせた声色でアナンシ司教が声をかける。
「人蛙族と蛙人族の縄張り争いの仲裁をしていたんですよ。司教もご存じでしょう? あの例の呪われた聖なる溜め池に関する拗れに拗れた案件」
「解決したのか?」
「いえ、でもすぐに解決するでしょう。蛇人族に仲裁に入って貰うことにしたんです」
「血が流れるのは無しだぞ?」
「その前に妥協点を見つけるでしょう。どちらも蛇人族に食われたくはないでしょうから」
私はその想像に思わずにやりとしてしまった。
「両者が妥協する前に蛇人族が空腹に負けた場合はどうなる?」
「その場合は縄張り争いの仲裁の問題が蛇人空腹殺蛙事件の捜査に切り替わるだけです。そちらの場合は犯人が明白なのですぐに事件は解決します」
この完璧な論理に我ながら惚れ惚れした。もっともこれはファーマソン神父のやり方ではない。発案は私の中のダークだ。いつもなら奴の言葉には耳を傾けないのだが、きっとその時には私は酔っていたのだろう。なにぶん人蛙族も蛙人族も人の話を聞こうとはせず、相当私を苛つかせていたというのも背景にある。
喚きさえすれば自分たちの思い通りになると考えているような連中は死ねば良いというのは私とダークの共通の意見だ。ただその筋道が二人の間では少しだけ異なるだけに過ぎない。
しばらくの間アナンシ司教は自分の目頭を抑えていた。それから何か悪い考えを振り払うかのように頭を振って、立ち直った。それから本題の質問に入った。蛙たちの問題は諦めることにしたようだ。
「ファーマソン。一週間前にはどこに居た?」
一週間前? ええと。私は記憶を探った。
「アストリアの裏神学学会に出席していました。ほら、不良天使たちが悪魔の若者たちを嬲り殺しにした事件を例に取っての懺悔の効用に関しての発表があったので。オブザーバーに呼ばれたんです」
「大盛況だったか?」
「大盛況でしたよ。もう少しで悪魔側の聴衆たちによる大暴動に発展する所でした」
「ああ、それ以上は言うな。よし、それに出演していたならば問題はない」
アナンシ司教は手元の別の資料を捲った。
「三日前は?」
それなら良く覚えている。エマが暴走して四人ほど重傷者が出たからだ。
「子供たちの戦闘訓練をしていました」
子供たちとは対策局にスカウトされてきた若者たちのことだ。それが普段エマに勝てない事を根に持ってかなり汚い手段を持ってエマをやり込めようとしたのだ。
怒り狂ったエマが獣化を引き起こして大惨事になる前に私が止めに入ったのだ。
満月の時期に未熟な狼娘を怒らせることほど馬鹿なことはない。暴走すると破壊衝動を自分でも制御できなくなるのが人狼というもの。
私の返事を聞いてアナンシ司教の目が細くなった。
「それではアリバイにならないな。子供たちはみなお前のファンだからな。頼めばどんな証言でもするだろう。そのとき他に誰かいなかったか?」
「途中で清掃員のジャブゼスが見学に来たような」
ジャブゼスは対策局全体を一人で掃除している古株の清掃員だ。対策局の範囲は広い。たった一人で彼がどうやってこの偉業を達成しているのかは誰にも分からない。
「裏を取ってもいいか?」
「もちろん」
アナンシ司教はその底知れぬ深さを持った瞳でじっと私を見た。その瞳に見つめられると背中がムズムズする。それはファーマソンだけでなく、私の中のダークも同じだ。深淵に覗かれるという表現がピッタリくるのがこれだ。
アナンシ司教の正体は私にも分からない。天界の天使たちも魔界の悪魔たちもそのことについてはまったく何の情報も掴めていないのだから、尋常ではない。だが他人の秘密を掘り下げる者は長生きはできない。特にここ、対策局では。
「では無罪放免だ。ファーマソン」
何という事だ。この私の誠心誠意ある言葉よりも一介の清掃員の方が信用があるとは。この世はどこか狂っている。
「何が何やら分かりませんが、これで用事は終わりですか?」
「いや、本当の用事はこれだ」
アナンシ司教は新聞を投げて寄越した。異国の新聞だ。
「訃報欄だ。上から三番目」
現代でも訃報を新聞に載せる人間がいるなんて思わなかった。新聞の日付は二週間前だ。言われた欄を覗くと、英語とスペイン語で同じことが書いてあった。
バー・ザー・ランの死亡通知。葬儀のお知らせ。告知された葬儀の日取りは一週間前。
懐かしい名前だ。だがそれはトラブルを予感させる名前でもあった。
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