邪眼(4/6)


 少年が逃げた先はすぐに分かった。廊下に顔を抑えて呻いているゴブリンが点々と倒れていたからだ。

 カトプレパスの死の凝視は意外と器用に使える。気絶や失明から石化までその気になれば効果の強度を変えられる。今は興奮状態だから目があっただけで失明するレベルだろう。

 廊下を抜けて出た先は洋館の裏手だ。バイクの音がして少年が飛び出てくると道路を一目散に逃げ出した。750ccの大排気量のバイクだ。少年の体で御しきれるものではない。

 私は体のギアを入れて走り出した。

 道路を恐るべき勢いで走る神父。外から見たらきっと異様な光景だろう。

 少年のバイクは前を行く車の間をすり抜ける。そのすぐ後ろを神父服の私が追う。前の車の横を抜きざまに、目を丸くしている運転手に軽く手を振ってみた。

 私の追跡に気づいて少年がバイクの速度を上げる。

 いけない、ここまで速くすると事故が起こる。そう私は見て取った。

 頭の中でシミュレーションをする。

 私がバイクに飛び乗る。少年がハンドル操作を誤りバイクが横倒しになる。衝撃で少年の頭が割れる。駄目だ。

 少年の横に並んで走り説得を試みる。私から逃げようとしてバイクが転倒する。これも駄目だ。

 後ろから飛びつき、バイクの上から少年だけを攫う。バイクはそのまま走り、どこかに飛び込んで大事故へと繋がる。駄目だ。

 だが最後の案は悪くない。実行するなら次のカーブだ。

 私は心を集中した。神経反射が加速されるにつれ、周囲の時間が引き延ばされる。時速百二十キロの世界の中でタイヤの数ミリの位置まで感じ取る。体の筋肉と神経に次の動きを教えておき、発動を待機させる。訓練された人狼の力と、禁忌とされる魔術の集大成こそが成せる技だ。

 今だ。私は跳び、少年の体をバイクの上から攫い取った。

 主を失ったバイクは一直線に進み、カーブを突き抜けて地面の上を転がり火花を上げた。

 私は神父服の裾をはためかせながら、空中で姿勢を整え、時速百二十キロでの接地の瞬間を計る。右足で地面を蹴り、左足で地面を蹴り、その度に軽くブレーキをかけていく。一瞬でも力の加減を間違えれば体勢は崩れる。そうなれば体は回転して地面を転がることになる。その場合はひき肉になった少年を腕に抱えたボロボロの神父服の男が一人出来上がる。

 十歩の内に止まった。足が触れた地面に点々と大きな穴がえぐれている。人狼の骨でなければこの大地との接触であっさりと折れて終わっていただろう。

 ミッション終了。完全停止。

「無茶はやめろ」少年に向けて言う。

 青い顔をした少年が私の腕の中で目を回している。私は素早く手を伸ばすと少年の額を抑えた。カトブレパスの眼がある辺りだ。

「それは使うな」

 カトプレパスの邪眼は自身の生命力と引き換えだ。使いすぎると死ぬ。

「俺を殺すのか」少年は必死の形相だ。

「何のために?」

「復讐だ。俺はそちらのメンバーを何人か殺している」

 おやおや、自供か。というよりある種の諦めだ。私の力は十分に見たろうから。

「誰も死んではいない」私は答えた。

 これは本当だ。治療能力持ちがいれば石化は死と同意語にはならない。

「嘘だ」

「私の言うことを否定して君に何の得がある?

 とにかく君は人を殺していない。それに私は君を殺しに来たわけではない。殺す気ならバイクから蹴り落とすだけで済んでた」

 火を噴きあげるバイクを横目で見ながら、私は少年を地面に下ろすと背を向けた。神父が少年をお姫様だっこしているのを他人に見られたらどんな噂が立つか分からない。

「ここは騒がしくなるな。ついてきてくれ、君に話がある」

「いったい俺に何の用が」

 正直に話してしまっていいかな?

「君をスカウトに来た。対策局で働く気はないかね?」

「対策局?」

「君に石化された連中が働いていた職場だ。御覧のとおりに危険な職場でね。特殊能力持ちは喉から手が出るほど欲しい」

「俺が欲しい?」

「君が欲しい。ところで君の名前は何という。ボーンズだけじゃないんだろ?」

「ボーンズ・アーメット・ゲネットです」

 敬語になった。うん、良い兆候だ。こちらを雇い主として認めたということだ。

 エイオピアでの命名法は、自分父親祖父の順に名前を並べる。となるとこの子の父親はアーメットという名になる。

 記憶を探ってその名前に思い当たった。

「もしや君の父親は『睨み目のアーメット』と呼ばれていなかったか?」

「それには聞き覚えがあります。もしや神父さんは親父の知り合いですか。俺が生まれた直後に親父は死んだという話ですが」

「ああ」私は遠い目をした。「彼は私の部下だった」

「親父は対策局の職員だったのですか!?」

 それは違う。当時は私は対策局ではなかった。


 アーメットは忠実な男だった。まだ私がダークだったときの。

 彼の死因は大天使との闘いだ。体を上から下まで炎の剣に真っ二つにされて死んだ。代わりに相手の大天使も石化してその戦いは終わった。

 出来上がったばかりの大天使の石像はダークが粉々に砕いた。その大天使の本当の標的は私だったのだ。

 つまり私は彼の父親に命一つ分の借りがあるということになる。

 ダークはそれを借りとは考えずに、すぐに彼と彼の家族のことを忘れてしまった。それがダークという男だった。自分を救うために他者が命を投げ出すことをむしろ当然と思うほどに傲慢な男だった。

 もっともその直後にダークには神との対決が待っていたのだから忘れても無理はないのだが、それは言い訳にはならない。


 一緒に歩きながら私は彼に謝った。

「君のバイクには悪いことをした」

「構いません。どうせ盗品です」

 おやおや、どうやら盗みの罪について彼と話をしないといけないようだな。

 この子の罪に神よ。お許しを。アーメン。



 今の時代は良い時代だ。はぐれた仲間とすぐに合流できる。もっとも私が持つスマホの寿命はどれも短い。たいがいどこかで壊れて終わる。対策局の人狼の生活はハードなのだ。

 ホテルのレストランでアンディたちと待ち合わせた。今日はここで一泊した後、明日出発だ。

 簡単に自己紹介をした後、ボーンズ少年は山ほど注文した料理をエマと一緒になって平らげた後、テーブルに突っ伏して眠ってしまった。

 余程疲れていたのだろう。

「マスター。彼はカトプレパス?」アンディが訊いてきた。

「カトプレパスだ。カトプレパスは雄性遺伝だ。代々生まれた男に力は受け継がれる」

「彼をどうするんです?」

「対策局で雇う。そうアナンシ司教にねじ込む」

「うん、そうなれば彼はエマの弟弟子ということになりますね」

「教育係はまたアンディに頼むことになる。よろしく頼む」

「あら、あたし、弟ができたってこと」

 まだ口に物を頬張りながらエマが言った。

 うん、彼女とは礼節の大切さについて話し合わなくてはいけないな。私は心にメモをした。

「そういうことになるな。私は彼の父親に借りがある。彼の親父が死んだのは私の愚かさのせいだし、彼がゴブリンどもの下で働くことになったのも、元はと言えば私のせいということになる」

「あの時代の話ですね」とアンディ。こちらは一足先に食後のコーヒーをいただいている。

「マスター。昔のことってあたしには教えてくれないんですか?」

「あまり話したくないんだ」私は言い訳をした。

 間違った応対だった。その一言でエマの好奇心に火をつけてしまったのが分かった。

 私は早々に降参した。どのみちエマは私の過去を探り出すだろう。その過程で本部の連中に聞きまわられるのだけは防ぎたい。

「この話は二度としないと約束しなさい」

 このエサにはエマはすぐに食いついた。

「します!」

 私はギースのサインを作り誓約の言葉を唱えた。

「もう一度。エマよ、二度とダークについて尋ねないと約束するね?」

「します!」

 魔法の誓約の下での了承だ。これの恐ろしさをエマはまだ知らない。だまし討ちみたいで気は引けるが、私の昔話は危険なのだ。

 ふわりと何かが私と彼女の上にかかる気配がした、注意していないと気づかないほどの微かな魔力の気配だ。我らの誓約は精霊に聞き届けられ、記憶された。

 いつの日か彼女はまたダークについて話を訊こうとして、それができないことに気づくことだろう。


「昔むかしその昔、あるところに一人の愚かな男がいた・・」

 私は話始めた。

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