邪眼(3/6)


 背後に二人を引き連れて教えられた番地を訪ねた。タクシーはここまで来たがらなかったので途中からは歩きだ。

 驚いたことに拾ったタクシーはまたあの運転手だった。彼は前とまったく同じ会話をして私たちを止めたが、私は前とまったく同じ会話をして彼だけを先に帰した。

 どうやら天の上の神様は私を揶揄って楽しんでいるらしい。それともこれは大天使たちの悪戯なのか?

 目的の番地に建っていたのは古い大きな洋館だ。建物と言うよりは廃墟と表現した方が正しい。壁一面にスプレーで落書きされ、庭にはゴミが積もっている。窓ガラスはすべて割れ、ご丁寧にもその上から鉄板で補強されている。周囲も廃墟に近いビル群なので、背景には見事にマッチしている。いかにもゴブリンが好みそうな建物だ。

 門柱にびっしりと並ぶ弾痕を指で撫でながら、私とアンディとエマは僧服のままで通り抜けた。念のため全員サングラスをかけている。

「それ以上近づくんじゃねえ!」

 甲高い声で罵声が飛んだ。姿は見えないが、ゴブリンに間違いない。

「銃で狙っているぜえ。神父さんよ。おっとそこの尼さんだけは通っていいぜ。大歓迎だ」

「マスター」エマが小さく呟いた。

「駄目だよ。エマ。殺しは無しだ」

 成りたての人狼は極めて興奮しやすい。私はエマに釘を刺した。ここには喧嘩をしに来たのではないのだ。

 その点ではアンディは落ち着いたものだ。アンディはその能力も相まって銃弾の飛び交う中でも悠々と散歩ができるメンタルの持ち主た。

「落ち着きたまえ」私は鉄扉の向こうのゴブリンに声をかけた。

「君たちのボスに用があって来た。取り次いでくれ」

「その前にお前さんは誰だ。少なくとも俺の友達ではないぞ」

 門番役のゴブリンが答える。その横に並んでいるのはオークだろうな。

「馬鹿馬鹿しい。いったいどこのゴブリンに友達なんてものがいるのか」

 私は指摘した。

「ちげえねえ」ゴブリンは苦笑した。

 うん、良いスタートだ。ユーモアは地獄の門すら緩くする。

「お前はまだ答えていねえぞ。どこの誰だ?」

「バチカン特殊事例対策局のファーマソン神父だ。儲け話を持ってきた」

 扉の向こうでバタバタと走り回る音がした。それから叫び声と悲鳴。しばらくして洋館の窓という窓から銃口が突き出した。大口径から小口径、拳銃からショットガン、ライフルまで全種類が揃っている。

「お前たち三人だけか?」

 先ほどとは違う声がした。

「そうだ。ところでいつまでここで待てばいい?」

「お前たちは招かれざる客だ。歓迎されるとでも思っているのか?」

 鋭く答えが返ってくる。

 私の中のダークがごそりと動いた。うん、もういいか。とりあえず皆殺しにして入るか。いや、待て。まだ早い。

「これ以上待たされると、君たちに取って大変にまずいことになると思うがね」

 私は指摘した。

「それはお前たちに取っても同じだろう」

 ゴブリンは言い負けない。小さくて卑怯でひ弱な種族なのだが、プライドだけはヒマラヤ山脈よりも高い。

「そうでもないさ」思わずにやりとしてしまった。

 こういう彼我の力の差がわからない奴らは大好きだ。たまにはダークにも餌をやらないと爆発してしまう。私はアンディの動きに注意しながら待った。何かあればまず真っ先にアンディが動くからだ。

 しばらく間が空いた後、がちゃりと音がして扉が開いた。

「ボスが会いたいとさ。入んな。下手な真似はするなよ」

 扉の向こうには身長ニメートル半はあるオークが両側を固めていた。オークは表情に乏しく頭の悪さが滲み出ている。だがその体は筋肉の丘というべきもので、人狼の私でさえ、これ一体を殺すのに優に一秒はかかりそうだ。

 それに比してゴブリンはオークの腰ぐらいまでの背の高さだ。人間で言えば中学生程度。こうして並ぶと実にデコボコな取り合わせだが、主導権はゴブリンの側にある。

「さあさあ入った入った」

 そう言いながらゴブリンはエマの尻を触ろうと手を伸ばした。

 自分の指がどうして折れたのかゴブリンには最後まで分からなかっただろう。続けてエマの蹴りがその顎に入ったからだ。

 派手な音を立ててゴブリンが床に叩きつけられる。

 オークがそれに反応して前に出そうになったので、私はサングラスを外すと彼らの眼を見つめた。


 暗い洞窟の中。か細い炎を囲んで身を寄せる生き物たち。ひたひたと周囲の暗闇が迫る。その暗闇は、黒より昏く、闇より重い。その中に赤く輝く眼が浮かび、真っ白な牙がその下に浮かぶ。

 轟く遠吠えは、運命の時を告げる。


 私の中のダークに見つめられて、オーク二体は凍りついた。その脳裏に浮かぶ光景の中で、惨めな焚火に縋り付いているのは自分たちだと、直感的にオークは理解した。

 本能が動くなと命じた。その命令はわずかに二つの言葉で構成されている。

 『動けば』『死ぬ』

 オークとしては賢明な行動をした。二体は天井を見つめてただの彫像と化したのだ。

 部屋の奥にいた別のゴブリンに目を向けると、慌てて私たちをボスの元に案内した。



 豪華な部屋だった。洋館の外側の寂れ具合が嘘のように内装は凝っていた。壁には高価な壁掛けがぶら下がり、趣味は悪いがこれも高価は調度品が部屋を埋め尽くしている。隅には大きな金庫が一つ置いてある。

 部屋の奥には大きな革張りのソファがあり、そこに恐ろしく太ったゴブリンが座っていた。これがこの群れのボスだ。眼の前のテーブルには色々な料理が山盛りに置かれている。その両側で金で飾られた燭台が、煌々たる天井の照明の下で意味もなく炎を灯している。

 周囲の壁の前にはオークが数体と手に手に武器を持ったゴブリンたち。たいがいは自分の体に合わせた二十二口径の小さな拳銃だ。何人かは奇怪な形状の武器を持っていて、魔術師と見えた。もっともゴブリンという種族には魔術は適合しないので弱い魔術を使うのがせいぜいだろう。

 ボス・ゴブリンが口を開いた。

「対策局の人間か。名前は何と言ったかな?」

「ファーマソン神父だ。覚えておいてもらおう」

「俺は忙しい。要件は何だ。さっさと言え。それを聞いてからお前たちをどうするか決める。そっちの姉ちゃんはうちで働いてもらおうか」

 こういう手合いはまず相手を脅すところから話を始める。そうしないとまともに会話もできないのだ。実につまらない。私はそれを無視することにした。

「こちらのメンバーが何人かそちらの犯人に石化された。石化したヤツを対策局に差し出して貰おう」

「おい、おい、いったい何のことだ?」

 ゴブリン・ボスはとぼけた。目の前の皿からブドウを一粒取ると自分の口に放り込む。こんな奴に食われるブドウが可哀そうになったが、この世のなかは悪い奴ほど旨い食い物にありつけるようになっている。

「無駄な時間を使わせて欲しくないな。すでに調べはついている」

 ゴブリン・ボスの顔からにやついた笑いが消えた。

「で、対策局はその代わりに何を差し出すんだ?」

「そうだな」私は頬を掻いた。「こういうのはどうだ。大人しく犯人を差し出すならお前たちが対策局の職員にしたことは忘れてやる。どうだ? バーゲンセールだぞ」

 ゴブリン・ボスの顔に赤みが差して、総合的にみて茶色に変化した。ゴブリンは悪魔をベースに作られている癖に反応は人間そっくりだ。

「ふざけんじゃねえぞ。てめえ、何様だ」

「それはこっちの話だ。対策局に喧嘩を売ったことを忘れてやると言っているんだぞ。普通の組織なら泣いて喜ぶ提案だ」

「ウチをそんな組織と一緒にするな。この辺りじゃ最大の組織なんだぞ」

 もっと規模の大きい普通のゴブリン組織はたいがいは悪魔が統括している。そういった連中は対策局には極力関わらないし、逆らわない。対策局の中には多くの怪物が飼われていて、下手につつくと恐ろしく厄介なことになると知っているからだ。

 闇の世界の中でアナンシ司教を恐れないものは存在しない。

「ならば仕方がないな。交渉は決裂と考えてよいのかな?」

 私は再びサングラスを取ると、ゴブリン・ボスに目線を合わせた。今の自分の顔は見たくない。もし鏡を使って自分の瞳を覗きこみでもしようものなら、捨て去ったダークがそこに見えるだろうからだ。

 何かがゴブリン・ボスの体を駆け抜けた。例のあれだ。そう、生存への執着と呼ばれるヤツだ。

「待て」手のひらを突き出して言った。それで私の視線を遮ったつもりなのだ。

 ゴブリン・ボスはテーブルの上の電話器を取り上げ、電話をかけた。昔は伝書鳩がせいぜいだったのに、最近ではゴブリンまでもが人間の文明のお世話になっている。

 私は自分の耳に意識を集中する。聴覚が増感し、ひそひそ声の内容が聞き取れるようになる。


「アザースか。そうだ。マルコーニだ。情報を売ってくれ」

「お安い御用です。マルコーニさん。何をお売りしましょう?」アザースの声が返る。

「いまここにファーマソンって神父が来ているんだが」

 アザースの悲鳴が聞こえた。命拾いしたと祝杯を上げていた所にこの電話が入ったのだろう。

「騒がしいな。いったい何をやっているんだ? アザース。

 でな、こいつが何者か知っているか」

「それを私に訊かないでください。もちろん知っています。知っていますが言えません」

「金は払う。この神父、何かがおかしい」

「金はいりません。だからいいですか、よく聞いてください。そのお方には絶対に逆らっては駄目です、何でも言う通りにしてください。私はお得意様を失いたくないんです」

「何を言っている?

 お前が金がいらないだって?

 悪い物でも食べたか?

 いいからこいつの正体を教えろ。いくらでも払う。対策局の人間だってことは知っている。それ以外の情報をだ」

 いきなりアザースの口調が変わった。恐怖の余りに我慢の限界が訪れたらしい。

「値段はつけられるがあんたには払いきれねえよ」

「いくらだ。言ってみろ」ゴブリン・ボスは動じなかった。

 アザースは金額を言った。アザースはプロの情報屋だ。やはり私の情報に値段をつけていた。

「バカを言うな!」ゴブリン・ボスが怒鳴ると、こちらをちらりと見て、また声を潜めた。「街を一つ買おうってわけじゃねえんだぞ」

「それを教えれば俺は地球の反対側に逃げないといけなくなる。いや、たぶん月まで逃げないと駄目だろう。無茶を言っているわけじゃない。これは適正価格だ」

「いったい何者だ。こいつは。じゃあ質問を変える。答えられるなら答えてくれ。こいつの危険度はケルビム級か?」

 智天使ケルビムか。可愛い奴らだ。たいがいは群れを成して空を飛び、いつもニコニコしていて、戯れついでに町を焼き払う。そんな奴らだ。

「いいや」震える声でアザースが答える。「もっと上だ」

「トローン級?」

「もっと上だ」

「セラフィム級?」

「もっと」

「おいおい、まさかミカエル級だなんて言うんじゃないだろうな」

 ゴブリン・ボスが呆れた。それに対してアザースは真剣に答えた。

「もっと上だ」

「バカを言え。そんな存在が・・」

 ゴブリン・ボスは絶句した。そんな存在に思い当たったのだ。

 地域のマイナーゴブリンですら知っているある存在に。

「見た目に惑わされるな。そのお方は神父なんかじゃない。それとは対極にある存在だ。絶対に逆らうな。言いつけにはなんでも従え。次の満月を楽しみたければ」

 アザースはそれだけ言うと電話を切った。

 ゴブリン・ボスもアザースの情報の確かさは知っている。先ほどまでの態度とは打って変わったように態度を変えた。ソファから立ち上がり、顔に追従笑いを浮かべる。

「これはこれはいらっしゃいませ。ファーマソン神父。対策局からの御用ですな。私どものボーンズに用があるとのことで」

 くるりと向きを変えると、近くに立ってこの有様を見ていたゴブリンに怒鳴った。

「ボーンズを呼んで来い! すぐにだ!」

 命じられたゴブリンが慌てて部屋を飛び出す。周囲のボディガードたちがボスのこの突然の変化にざわめく。オークたちは何が行われているのか分からずに混乱している。

「どうかここにお座りになって」

 先ほどまで自分が座っていた豪華なソファーを示す。

 エマが嫌な顔をした。そのソファーはゴブリン臭いだろうと想像したのだろう。

 三人とも座りはしなかった。これからこの訪問の一番のクライマックスが訪れる。場合によっては大立ち回りになるかもしれないのだ。

 エマが料理を指さした。「マスター。これ貰っていいでしょうか」

 ゴブリン・ボスが答える前に私は頷き、エマは焼いた鳥足を一つ取るとバリバリと食べ始めた。

 骨ごと鳥足を齧る尼僧服姿のエマを見て、ようやくゴブリンたちも彼女が普通の人間ではないことに気がついた。恐らくここのゴブリンたちは銀の武器を用意していない。銀無しで人狼と同じ部屋にいることは致命的なのだといつの日か彼らも学ぶだろう。

 それにしてもここに食物があってよかった。エマがオークに食いついている光景は見たくない。肉の硬さは無視できるにしても、オークの肉はひどい味なのだ。


 やがて彼女が肉料理をあらかた片付けた頃に、ドアにノックがあり、ゴブリンが一人の少年を連れて入って来た。

「ボス。ボーンズです」

 確かに少年だ。年の頃は十五ぐらいか。見たところは人間に見えるが、怪物の中には擬態能力を持った者が多いのでそれは信用できない。

 少年は薄汚れて痩せている。

 ゴブリンたちはきちんと食べさせているのだろうか?

 少年の視線がテーブルの上の料理に飛んだのを見ると、そうではないようだ。

 顔はマスクではなく素顔だ。ということは彼はメデューサではない。メデューサは顔の造作に魔法的な秘密があるからだ。何よりメデューサの女王を除けばどれも例外なく醜い。この少年はごく普通の顔立ちだ。

 ゴブリン・ボスがにこやかな顔で少年に向くと、肩を優しく叩いた。

「ボーンズ来たか。お前はこれからこの人たちと一緒についていくんだ」

 少年は動揺した。

「でもボス。俺にはお勤めが」

「もういいんだ。ボーンズ。もういいんだ。俺たちは自分たちだけでやっていける」

 ゴブリン・ボスはどこから取り出したのか1ドル札を丸めてボーンズの胸ポケットに突っ込んだ。

「これは今までの礼だ」

 何とも有難いお言葉だ。確かにもし気前の良いゴブリンが居たとしたらそれはゴブリンとは言えない。

「だけど俺がいなくなったら対策局の奴らが押しかけてくる・・」

「いいんだ。いいんだ。ボーンズ。この人たちがその対策局のお方だ。お前を迎えに来たんだ」

 少年の顔がこわばった。よろよろと後ずさる。

「ボス、ボス。まさか、俺を売ったのか。俺を見捨てるなんて」

 そろそろ割って入るべきか。私はそう考えた。人間というものは追い込むとろくな結果にならない。


 その通りだった。

 少年がわけの分からない叫び声をあげた。

 アンディがその特殊能力を発揮し、エマに飛び掛かると床に引きずり倒した。

 少年の額の皮膚が割れ、そこに一つの目が現れた。

 怪物カトプレバス。その能力は死の視線。究極の邪眼だ。

 背後でゴブリンたちがその視線を受けて悲鳴を上げた。いずれも煙を上げ始めた自分の顔を抑えて倒れている。動きの鈍いオークはその場に立ったままだが、その目が白くなっている。石化プロセスの開始だ。

 私は至近距離でまともにカトブレパスの邪眼と視線が合ってしまった。ガンと頭を殴られたような感じだ。視界がぼやけ、暗くなる。カトプレパスの視線を間近で受ければ石化は免れない。ゴブリン・ボスを睨むためにサングラスを外していたのが仇になってしまった。

 ピシピシと音を立て始めた自分の顔は無視して、私は素早くナイフを抜き出した。右側に備えているナイフは銀を含まない鋼鉄製だ。ここからは時間の勝負だ。

 少年が逃げ出すのが音でわかったが、私は彼を殺すためにナイフを抜いたのではない。

 素早い一振りで、自分の顔の前面を切り裂いた。顔ごと石化した部分を削り落とす。顔の前に血の霧が噴き出すのが分かった。霧の一部も石化している。

 たちまちにして顔の再生が始まった。床の上では切り離された自分の顔が石のデスマスクと化しているだろう。

 眼球の再生と共に、腰を抜かしているゴブリン・ボスの姿が見えた。今の私の顔を見たならば不思議はない。人体模型図もかくやという光景のはずだ。

 あっと言う間に肉が盛り上がり、顔面が修復される。もしこのゴブリン・ボスが今までに人狼を見たことがあるなら、これほどの速度で再生する人狼が存在することに驚いただろう。これもダークの時代に受けたあらゆる魔導処置の結果だ。

「マスター」アンディが叫んだ。

「大丈夫だ」私はサングラスを取り出すと顔にかけた。

 二人がサングラスをかけたままであることを確認してから、少年の後を追った。

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