v案件 (2/4)

 リビアはニューヨークの吸血鬼社会については隅々まで良く知っている。そしてそれを完全に支配している。だからこそ『夜の女王』という吸血鬼社会では最高の称号を受けている。

 吸血鬼間の闘争はタブーという決まりが無ければ、この件は彼女が片をつけていただろう。例え相手が長老の馬鹿息子であろうとも。彼女は穏健派ではあるが、闘争が嫌いというわけではない。ひとたび彼女が激怒すれば人間も人外も大勢が死ぬ。それは間違いない。

 この私でさえ彼女を怒らせるようなことはそうそうしない。何百年も前に私が別れ話を切り出した後の彼女の暴れ様を思い出すと二度と怒らせようとは思わない。


 私はリビアに教えられた会員制のナイトクラブを訪れた。

 私が着ている神父服にクラブの用心棒は最初は訝し気な視線を投げつけてきたが、すぐに何かの余興だと判断したようだ。何枚かのドル札と引き換えに中に入れと促した。

 何構わんよ。そいつはどうせ対策局の予算から出る金だ。経理に請求するには賄賂の領収書が必要だが、いつものように偽造すれば済むことだ。

 ここは会員制の割にはあまり上品なナイトクラブではない。中はタバコの煙と粗野な笑い声で一杯だ。強い酒がビールのように飲まれ、中央のステージで布切れ一枚のダンサーがポールに絡んで踊っている。会員制になっているのは、この部屋の中で大量の麻薬が振舞われているからだ。それは匂いで分かる。それともう一つ別の匂い。吸血鬼に特有の腐った血の匂い。

 一番奥の薄暗いテーブルにそいつはいた。どうしてこの手合いはいつもこういったお決まりの場所に居るのだろう。心底不思議だ。かっては私もそういう場所を定位置としていたが、今から振り返るとその理由を全く思い出すことができない。きっとこの世の誰もが同じ悪夢を見ていて、つまりこの薄暗い場所はその悪夢の光景の中心ということになる。

 ボス吸血鬼のリチャード・V・ノーラスは細身の背の高い男だった。椅子に深く腰掛け、足をテーブルの上に載せてクロスさせている。部屋の中だというのに帽子を目深に被り、その下から睨みつけてくる。これもお決まりの光景だ。傍から見て自分が如何に滑稽なのかをまったく理解していない。

 これでも年齢は二百歳を越えているだろうに。成長しない者はいくら時間が経とうが成長しない良い例だ。

 周囲に微動だにせず立っている三人の男はボディガードであり、吸血鬼の直属の眷属だ。吸血鬼にはどこか人形を思わせる所作がある。人間ではああ身じろぎもせずに長時間立っていることはできない。

 男のテーブルの前に立ち、向いの椅子を指さして尋ねてみた。

「ここ、いいかな?」

「駄目だ」返って来たのは冷たく厳しい声だ。

 ハードボイルドを気取っているのだなと思った。この手の手合いには多いことだ。そんなことには何の意味もないのに。

 彼の答えは無視して、私は椅子を引き、座った。ほらな。ハードボイルなんて意味が無かっただろう?

 ボディガードたちが動いた。普通の人間なら彼らが瞬間移動したと感じただろう。これは吸血鬼特有の素早い動きだ。二人は私の左右に立ち、最後の一人は私の背後に回って、懐から出した大きなナイフを私の喉元に当てた。

 喉元に突きつけられた白く光る刃を見なくても匂いで分かる。銀が引いてある刃だ。してみるとすでに私の身元は知っているということだ。恐らくはリビアの側近の誰かが情報を漏らしている。後で教えてやらねば。いや、リビアの事だからすでに知っているだろう。知っていて私を送りだしたのだ。


 リビアは私がどういう存在なのか良く知っている。


 これはある意味助かる。一から説明しなくて良いから。

「リチャード・V・ノーラスだな。バチカン対策局のファーマソン神父だ」

「聞いたことがないな」ノーラスは答えた。

 ダークと名乗った方が良かったかな?

 そちらならこの田舎者でも分かるだろう。だがその名はとうの昔に捨てたのだ。

「別に宣伝しているわけではないからな。まあ、いい。対策局としては一応警告をするのが習わしでな。内容はこうだ。これ以上増えるな。増えたらその段階で君たちは死ぬことになる」

「ああ、確かに警告は聞いたよ」

 リチャードはコツコツと指でテーブルを叩いた。少し考えてから、彼は右手で自分の首を掻っ切る仕草をした。

 旋風が吹き抜けた。

 私の後ろにいた男はナイフを持った右腕を引きちぎった。その体は一回転し、はずみで上から落ちて来た自分の銀のナイフが胸に深々と刺さる。

 右の男は首をねじ切って投げ捨てた。左の男には強烈な蹴りを胸に入れた。内臓が背中から弾けだして噴出した。その懐から潰れた銃が滑り落ちる。恐らくこれには銀の弾丸が装填してあるだろう。

 すべては一瞬の間に終わり、私は元の位置と姿勢を保ったままリチャードの正面に座り続けていた。

 瞬きの間の殺戮。

 リチャードは人狼については知っていたが、本当の意味では知っていなかった。普通の人間の十倍の筋力を持つ吸血鬼は恐ろしく素早く動くことができる。だがあらゆる生物は動く速さに制限がある。それは吸血鬼でも同じだ。

 唯一の例外として、訓練を続けた人狼はその速さの上限に制限がない。

 人狼の特性は大規模な変身である。つまりは肉体を流動させ、破壊と再構築ができるということ。正しく訓練した人狼の体は、筋肉ばかりではなく神経まで再配列されることになる。それはつまりただでさえ膂力に満ちた全身の筋肉を予め命令しておいた順序で完璧なタイミングで動かすことができるということ。その結果は人間どころか吸血鬼の目でさえも捉えられない神速の動きになる。

 ましてや今夜のような満月の夜にはそれは最高潮に達する。

 銀の武器さえ持ち出せば狼男を倒せるなんて、どこかのファンタジーじゃあるまいし、無理に決まっている。

 こちらの騒ぎに気付いたのか、背後で悲鳴が上がる。無理もない。床は吸血鬼の腐った血で一杯だ。

 ここらが潮時だろう。私はリチャードの目を見つめながらゆっくりと立ち上がった。

「警告を忘れないように」

 くそう。リチャードが名門吸血鬼の馬鹿息子で無ければ、ここで片を付けて仕事は完了したのに。

 悪態をつきたかったが止めておいた。神がどこかで見ていらっしゃる。私はまた頭の中での呪文の反芻に戻った。ああ、もう、これはいい加減に鬱陶しい。



 対策局からの援軍は流石に超音速ジェット機を使うというわけにはいかない。見習い神父の軍団が到着するまでには時間がかかる。それにまずありえない事だが吸血鬼リチャードの気が変わって勢力を増やすのを止めるかも知れない。どちらにしろ今日明日の話ではない。もっとも一か月後というわけでもない。一か月後経てば吸血鬼は倍に増える。

 見習い神父と云えども過労死させるわけにはいくまい?


 暇なのでエマに案内してもらってニューヨークを見物した。流石に神父服と尼僧服の二人が歩き回ったのでは目立ちすぎるので二人とも私服だ。

 昔この辺りはちらりと見て回ったことはあるのだが、当時は見物などという状況では無かったので、大して記憶に残っていない。かろうじて覚えているのは立て籠もり易そうな建物や、武器の集積に使えそうな倉庫、それに街の裏社会の連中の集まる場所。そんなところだ。

 今思えば実に味気ない人生だった。暴力と闘争だけ。今もそれに関しては大して変わってはいないが、こうして観光するようになっただけマシとは言える。少なくとも文化を尊重するようにはなった。

 尼僧服を脱げばエマはごく普通の若い娘だ。私は一応サングラスで目元を隠して下手な変装とした。私の年齢は数百歳になるが見かけ上は三十歳程度に見える。傍から見てただの歳の差のあるカップルに見えてくれると良いが。


 メトロポリタン美術館なんて人生で初めて入った。正直に言うが芸術というのは良くわからない。私がこの世て一番美しいと思うのは満月であり、それに比べるとどのような美術品も色あせて見えてしまう。

 そんな私の気持ちには気づかずにエマは美術館の中の様々な部屋を見て回り、解説してくれた。エマの目は美術品の上を廻っていたが、私の目は別のものを捕らえていた。

 肖像画の並ぶ回廊の一番奥の絵は偽物だ。顔料の臭いが違う。それは絵ですら無かった。いわゆる変化する絵。絵の形をした化け物だ。

 彫像の部屋の真ん中のダビデ像もそうだ。大理石の被膜の下には極めて体温の低い生物が隠れている。捕食頻度は数年に一度ぐらいか。いつの日か不運な犠牲者がその像の下を通りかかるのをじっと待っているのだ。

 現代美術の部屋に飾ってあるモービルは極めてレアな怪物だ。いくつもの幾何学の断片が一種の魔法陣を構築するようになっている。それらが整った瞬間だけ深淵よりその真の姿を現す。

 すべてメモしておいた。後で対策局に報告しておこう。いつもならそのまま頭で覚えるが今は例の呪文で頭が一杯なので無理だ。

 エマは心底この観光を楽しんでいるようで、私はそれに合わせて各美術品に関する蘊蓄を披露してみせた。何、それらが最初に噂になった当時に私がそこに居合わせたというだけの話なのだが。確かにミケランジェロは面白い男だったよ。かなり偏屈ではあったが。


 美術館の後はホットドッグを買ってセントラルパークをぶらついた。

 二人でベンチに腰かけて青空を眺める。

 久しぶりの休日を楽しむエマの横で、私は行きかう人々を眺めていた。人間族に、人狼族が少し。それに人間ではあるが魔力のオーラを垂れ流している魔女たち。首が二つある連中もいれば、手足が八本のアラクネたちも混ざっている。もっともそれらは人間の眼では普通の人間にしか見えないだろう。みんな太陽の光の下での散歩が大好きだ。大変に結構。

 後ろの木立の中の一番大きな木にはドリュアドが棲んでいる。木の葉の陰からちらりと私に目で合図した所を見ると、恐らくは対策局には申請済の存在だ。危険性無し、非監視対象、特に保護対象とはしない。そんなものだ。

 こうして平和な風景を見ていると、どうしてもっと早く自分がこの境地に達しなかったのかと不思議になる。今の私からみれば人間たちも怪物たちもすべて同じ子供たちにしか思えない。これから先の人生を歩み、経験を積み、成長していく子供たち。彼らはみな保護し慈しむべき対象なのだ。ああ、ダークよ。どうしてお前はああ猛々しかったのか?

 吸血鬼でも無いのに、血の海の中を歩いていた。


 この散策の間、エマは何度も私の仕事に探りを入れたが、すべてはぐらかした。

 やれやれ、若い娘というのは恐れを知らない。好奇心は猫をも殺すというのに。対策局の仕事なんかろくでもないものに決まっているのに。

 その内、エマの事が少しは分かってきた。彼女はきっとファザーコンプレックスなのだ。やれやれ、こちらの方が数百歳は年上だと言うのに。



 夜になり一人自室で色々考えていると窓ガラスに何かが当たる音がした。同時に匂いで外にいる存在に気づく。

 高位の吸血鬼は血の周囲に肉の塊を纏わせて分割することで、自身の体をより小さく細分化することができる。大概の吸血鬼はコウモリの群れに変身する。ネズミの群れに変身する者もいるにはいるが極めて稀だ。やはりプライドの問題なのだろうか。

 窓を開けると予想通りにコウモリの群れがなだれ込んで来た。それは私の目の前で一つに固まると夜の女王リビアへと変じた。

 リビアは驚くべきことに吸血鬼なのにも関わらずキリスト教徒だ。呪われた存在が教会の中に居るというそれだけでも相当な負担が掛かっているはずだが、それをおくびにも出さない。

 下位の吸血鬼ならとうの昔に萎びた肉の塊になっているところだ。

「ファーマソン神父。情報を上げるわ」

 貸しだとは言わなかった。この情報を提供することは彼女にも利があることだったから。

「リチャードとその眷属の居場所を教えるわ。その代わり、一つ約束して」

「何を?」

「リチャードを殺さないで。彼を殺すとアンドレアとの戦争になる」

 アンドレア・V・ノーラスは武闘派吸血鬼派閥『血の呼び声』の長老だ。

「この情報はアンドレアから?」

「そうよ。アンドレアは吸血鬼の革命を起こすにはまだ時期が早すぎると考えている。だから息子を再び監禁したいと考えている。でも息子が死ぬのはノー・サンキュー。そうなればすぐに吸血鬼大戦が勃発するわ。色々アンドレアに確かめてみたけど本気みたい」

 提案されたのは先延ばしに妥協に親馬鹿か。まあそれでもこの問題はひとまず収まる。

「いいだろう。その提案を飲もう。私はリチャードを殺さない」

「約束よ」

 リビアは誓いを立てろとは言わなかった。魔法のギアスをかけなくても一度そうすると約束したからには私は必ずそうすることをリビアは知っている。

 リビアが教えてくれたのは十年ほど前に潰れたダンスホールの建物だった。驚いたことに都心の一等地のど真ん中にある。複雑に絡んだ権利関係のお陰で誰も手が出せなかったらしい。そうでなければ当の昔に再開発の餌食になっていたであろう建物だ。

 私は紙を持って来ると、鉛筆の先を舐め、それから素早く一枚の似顔絵を描き上げた。クラブで見たリチャード・V・ノーラスの顔の絵だ。

「似てるかな?」

「そっくりよ。ダーク。貴方にこんな才能があったなんて初めて知ったわ」

「練習したのさ」私はリビアにウインクした。

 これは対策局に入ってから身につけた技術だ。なにぶん妖怪や怪物の中には写真に写らないという特質を持つものが少なくない。魔法の原理はこの二十一世紀のテクノロジーとはひどく相性が悪いのだ。だから手配書を作るには似顔絵に頼るしかない。

 必要は発明の母と言うだけはある。


 リビアが顔を寄せてくると言った。

「ねえ、ダーク。あたしの絵も描いてくれる?」

 甘い匂いがした。思わず頭がくらくらする。恐るべきは吸血鬼女性の魅力。

 私は再び鉛筆を取ると、リビアの似顔絵を描きあげた。元々が素晴らしい素材に加えて、さらに少しばかり美化した。できあがったものは絶世の美女の似顔絵だ。こんなものがもし道端に落ちているのを見つけたら、誰でも拾って帰って部屋の壁に飾るだろう。そしてその顔を見つめ続けて、一生を終わる。

 最後に彼女の瞳の横に小さな皺を二本加えた。一本は彼女のこれまでの人生に敬意を表して、もう一本は彼女の積んできた経験に対して。それで似顔絵にはぐっと重みが出た。それが作り物ではなく、実在の人物を描いたものであるという重みが。


「有難う。あたしは写真には写らないし、画家に描かせるとあたしに見惚れて筆が進まないのよ。だからあたしの肖像画は一枚も無し」

「そいつをどうするんだ?」私は似顔絵を指さした。

「もちろん芸術の回廊の一番奥に飾るのよ。きちんと額に入れて。

 あたしの趣味を忘れたの? ダーク。

 芸術家の卵を見つけて援助したら、代わりに最高の宝物を貰うの」

 私が目を白黒させている間に、リビアは再びコウモリの群れに変身すると飛び去った。


 神学生軍団は明日到着する。このリチャードの似顔絵があれば彼を殺さないように神学生たちに指示ができるだろう。

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