第11話 新宮藩 婚姻

 俊介の出世は董平にとっては大きな衝撃だった。

俊介から話しを聞かされた董平は思わず


「菊江さんには気持ちを伝えたのか?」


「断られたんだ」


「なんと愚かな!藩中の女性を敵に回すつもりか」

董平は腹が立った。自分が恋焦がれた俊介が告白しているのになんともったいないことを!


俊介は苦笑いをして

「悲しいけど、そんな菊江さんだから好きになったんだ、董平もそうだろう?」


「私は……二人が好きなんだ。俊介と菊江さんが一緒になればよいと思っていた」


「宮坂塾で董平に出会ってからずっと楽しい毎日だった。この思い出があるから城に入っても耐えられる。

今までありがとう、達者で過ごしてくれ」


それを聞いた董平は思わず俊介に体当たりするように抱きついてしまった。


「く、董平?どうした?」


「私はどんな時も俊介の味方だ、これからもそれを忘れないで」

と言って離れたが、顔は涙でびしょびしょに濡れていた。



 それから俊介は尾木の付き人となって城に上がり務めを覚えるとともに、継子の豊丸の学問補佐という役職を与えられた。


豊丸も瞬く間に俊介の虜となり学問指南がない日でも俊介を何かと呼び出し困らせている。

城中の者も美しい俊介見たさにウロウロする始末で、藩主の水野孝徳は尾木に

「お主はどこであのような若者を見つけてきたのじゃ?城中ざわついておるぞ」


「殿、あれは逸材でございます。いずれは私の後を任せたいと思うておりまする」


「あの美しい若者はそれほどに優秀なのか!

豊丸のためにも頼もしい限りだが、この騒ぎは

どうする?」


「細貝は浮ついたところがまるでない真面目な若者でございます。周りなど全く気にせず役目をこなしておりますので、そのうち野次馬も平常を取り戻すでしょう」


俊介は控えめで賢い、そしてあの美しさ……

期待を遥かに超えていた。

一刻も早く絆を深めるために婿養子に迎えたいが、柊子の婿にするのは気が引けた。

そうだ!選ばしてやろう、娘は三人いるのだから。

もはや柊子よりも俊介の方が尾木にとっては大事な存在になっていた。


ところが俊介は

「柊子様でお願いいたします」

と言う。


「本当に柊子でよいのか?父の私が言うのも変だが妹達の方が男好みだと思うぞ」


「いえ、柊子様にしていただければ光栄でございます」

俊介にとっては覚悟の婚姻であり、それなら長女をもらうのが筋だし妹達など顔も覚えていない。


「そうか、柊子もさぞかし喜ぶことであろう、父として感謝する」

「さっそく祝言の準備にとりかかろう」




 「父上、お話しがあります。」夕餉を終えると

菊江が改まって言った。

勝蔵も何事かと菊江を見ている。


「私、子を授かったようでございます」


「え?……」絶句した弥太郎に代わり勝蔵が


「お、お嬢!そんな相手がいたのかい?」


「俊介さんの子でございます」


「俊介さんがお嬢を好いてるのは知っていたが、もうご家老様の元に行ってしまったじゃあないか!無理に迫られたのかい?」


「いえ、俊介さんに嫁に来てくれと言われましたがお断りしたら泣きだしたので身を任せました」


「お嬢……」今度は勝蔵が絶句した。


ようやく弥太郎が絞り出すように

「子ができる事を考えなかったのか?、その子をどうするつもりだ」


「もちろん、せっかく授かったのですから、父親など関係なく私一人の子として産んで育てるつもりです」



菊江は時々突拍子もない事をする子であったが、まさかこんな事態になるとは……

俊介はこれから出世街道を走っていくだろう、その人物の子を産むということがどのような波紋を広げるか全然わかってない。


「お前の気持ちはわかった。これからのことを考えるのでそれまでは絶対口外しないように」


とは言ったものの、どうすればよいのか弥太郎は途方に暮れた。

男親とはこんな時無力だと思い知ったが、急がねばどんどん腹も出てくる。


とりあえず、矢幡作太郎に相談しようと決心したのだった。



 董平は俊介を忘れるため仕事に没頭していた。勝蔵と作業をする時はおおよその構想をまとめ、それを話し合いながら調整していく。

その構想を練る場所は実家の書庫であった。

幼少より慣れ親しんだこの部屋にいると色々な発想が生まれる。

その夜は早めに床についたが、頭が冴えて眠れず書庫に行った。

もう書庫は知り尽くしているので暗闇でも自由に動ける。適当に書をとり持っていこうとした時、ボソボソと声がするではないか。

書庫は客間の奥にあり、この客間はよほど重要な話しの時しか使わない。

思わず耳を傾けると、知った声だった。

「稲葉先生だ!」

もう聞かずにはいられない

「……産むと言っております」


「しかし、……は秋にご長女と祝言が……」


「私も困り……」


……なんということだ!

董平は内容がわかってしまった。


翌日勝蔵に作業を頼み、自分は材料を調達してくると嘘をついて菊江に確かめに行った。


「菊江さん、俊介の申し出を断ったのに子ができたのというのは本当か?」


「お答えできません」


「もしそうであれば私と夫婦になろう」


「え?」


「今すぐ私と夫婦になればその子は私の子として産める」


菊江は驚き、その後暫く沈黙していたが、ぼそっと喋りだした。

「……幼い頃初めて手裏剣に触れた私はもう夢中になりただ上手くなりたかった。

お祖父様、父上、母上は一歩外に出れば女と差別される世の中から私を守り剣術を続けさせてくれました。

そして、こんな私を慕って道場に入門する女性も増え、その者たちを放り出すわけにはいかない。

だからこのまま変わらず生きていきたいのです」



「生き方を変える必要などない、私を利用するればよいんだ」


「董平さんは何故私と夫婦になりたいのですか?」


「私は俊介がずっと好きだった。

女性と婚姻するなど考えた事もないし、生涯一人でいようと思っていた。

でも菊江さんに子ができたと聞いた時、思いついたんだ。

二人が一緒になれば全ての厄介事が解決し、お互い助け合えると」



「好きでもない私と一緒に他人の子を育てられるのですか?」


「それは違う!違うんだ!菊江さんの事はこの世で俊介の次に好きなんだ。だから菊江さんの子なら喜んで育てる」


「私も父上と勝蔵の次に好きなのは俊介さんと董平さんです。

だからこそ、董平さんを利用するなどできない」



「私がそうしたいんだ。私達が親から守ってもらったようにその子も二人で大切に育てていきたい」


菊江は少し考えさせてくれと言って即答を避けた。


夫婦とは何なのだろう……。

自分は父母しか知らないが世間には色々な形の夫婦がいるのだろうか。

董平と夫婦になるとどのような生活になるのだろう。

彼は私の事を二番目に好きと言ってはくれたが、女性の私と営みができるのか?

菊江は俊介との交わりを時々思い出しては身体が疼く。快感を知ってしまっただけに、ただ形だけの夫婦だとしたら私はこの先満足できるのか?

董平にそこまで深く聞けなかった。

菊江は悩みに悩んだ。


そして二日後

「董平さんのご好意に甘えることにしました。これからよろしくお願いします」


それからの董平は、素早く話をまとめあげた。

まず父に話すと

「お前はそれでよいのか?」


「はい、御父これで全て収まります」


作太郎は複雑だった。

確かに頭を悩ませていた相談事だが、愛息がまさか関わるとは思っていなかったのである。

父が考え込んでいるのを見た董平は

「御父、私は俊介に恋焦がれていた。でも

菊江さんとなら夫婦になっても楽しく過ごせると思う。菊江さんでなければ、一人で生涯終えるつもりだ」


作太郎は薄々感じていた事を告白されて

「いいだろう、御母には私から上手く話しをつける。ただし子がいることは黙っているように、菊江さんにも口止めしてくれ。

母としてお前が他人の子を産む女性と婚姻するのは受け入れ難いだろう、董平の子として育てるつもりなのだから真実は私とお前、そして先生、勝蔵、菊江さんが墓場まで持って行くのだ、よいな?」


「はい、御父必ず守ります」



父の許しを得ると次に弥太郎に話しに行った。


やはり弥太郎も最初は董平を犠牲になどできないと断ると

「犠牲などとんでもない、これからの生活を考えると楽しみしかないのです、先生こそ剣術をやめてしまった弱い私が婿ではお嫌なのでしょうか?」


「菊江はそこら辺の男より遥かに強く、あの子より腕が立つ者などそうそういない。

私は菊江が幸せで相手も同じ気持ちならよいのだ。

董平は本気なのか?後悔しないのか?」



「はい、勿論です」



それから慌ただしく準備して身内だけでひっそりと祝言を挙げた。


 祝言を済ませると、董平は菊江がそのまま変わらず過ごせるよう稲葉の家に入り、梅雨に入り間も無く菊江は元気な男の子を産んだ。



 






 


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