第3話 巡り合わせ

 弥太郎はとりあえず大阪を目指そうと考えた。

当座の金は源蔵のおかげで困らぬが、身体の弱い妻とまだ八歳の娘の為にもなるべく早く落ち着いて職探しをしなければならない。


 五日かけてようやく西宮に着き大阪に行く前に体調を崩した多恵のために有馬に寄ることにした。


 鳥のさえずりしか聞こえない鬱蒼とした六甲の山道を歩いていた。朝からどんよりとしていたが、とうとうポツポツと降ってきた。

……あと、もう少しだ、急ごう。


とその時、突然「ぎゃっ」という悲鳴が聞こえた。

緊張感が走り、弥太郎は立ち止まり二人を庇うように腕を広げ、周りの気配を伺った。

「この先のようだ、一足先に見て参る」

「菊江、用心しながら母とゆるりと来るのだ。

いざという時はわかっておるな。まず、足を狙え」


「はい、父上お任せ下さい」


菊江はまだ八歳の女子だが、祖父の源蔵に鍛えられていた。

源蔵は手裏剣の名手でもあり、継承したのは弥太郎と菊江である。

源蔵は菊江が三歳の時遊びで手裏剣を教えると、あっという間に覚えてしまった才に驚き

正式に教え始めた。

その上達ぶりはすざまじく、同時に菊江に合った軽く短い木刀を与えて新陰流の型も習得させた。

まだ成長過程の非力な子供、それも女子に身体に負担がかからぬようどうやって教えたらよいか試行錯誤しながらも、この稀な才能を伸ばす喜びが源蔵の晩年の生きがいになった。


弥太郎も菊江の才能を知り、源蔵に全て任せていたが、源蔵亡き後は弥太郎が稽古を引き継いでいる。

……このくらいの状況なら菊江で対処できる。

と思うと弥太郎は安心して離れられるのであった。

弥太郎は駆け出し十町ほど行くと人の塊が見えた。

一人は倒れ商人らしき二人を暴漢二人が囲ってる様子である。

「そこで、何をしておる!」ありったけの大声で叫んだ。

暴漢はぎょっとして振り向き

「なんだお前?関係のないやつは引っ込んでろ!」と言い放った。


「そちらのお方。助けが必要ですかな?」

再び大声で問いかけると

「お、お助け下さい!いきなり金を出せと襲われたのです」と返事がきた。

暴漢の一人が「黙れ!」と手を挙げた所に弥太郎は懐から出した石を投げ、見事に頭に命中し男はよろめいた。

弥太郎は手裏剣を菊江に持たせ、自分は河原でちょうどよい形と重さの石を探して、常に懐に入れておく。

もう一人の浪人風の男が刀を抜いて向かって来た。

「お前は武士か?盗賊に身を落としか?」


「うるさい!」と斬りかかってきたが、弥太郎は軽く交わし

「ふん、それでは私は斬れぬ。長年の垢が染み付いておるぞ」と言って睨んだ。


この言葉で男は逆上し「殺してやる!」と再び刀を振り下ろしたが、もうその時には首から血が吹き出して倒れていた。


……こやつは生かしておけん。

人を殺す事を生業としていると感じた弥太郎が素早く腰をかがめて相手の下からスッと頸動脈を斬ったのだった。

もう一人の男はこれを見て逃げ出した。

弥太郎はすばやく石を投げ今度は足に二発当てた。

男は転んで、お許しをと手を合わせながら

「あっしは大阪で、たまたまこちらの旦那が大金を持ってるのを目にして、ちよいと脅かして盗んでやろうと考えただけなのでごさいますよ」


「嘘をつけ!お前のせいで殺された人がおるのだぞ!」


「そっちは用心棒らしき人を含め三人、あっしだけだと無理だと思い、知り合いから凄腕の浪人を紹介してもらったのでございます。

脅かして軽く怪我を負わせるだけと頼んだのに、いきなり殺してしまい私も恐ろしくて何も言えなくなってしまったのです」

と涙ながらに訴えた。


弥太郎は

「こやつの話しはどうです?事実ですかな?」

怯えていた主人がようやく落ち着いたのか、

「確かにこの方は私共の連れを殺した時は驚き、慌てた様子でした」と冷静に答えた。

「ふむ。お前、この方に感謝しろ。お連れを殺されたのに見たままを話してくれたぞ。たとえこの方から金を奪ってもすぐあいつに殺されていただろうよ。

よいか、悪事はいずれ自分に返ってくるのだ。もう次はないと思えよ!」

と言って脇腹に一発拳を入れた。

男は気絶した。

そして、主人に向かい

「肋骨を何本か折っただけです。目を覚ましても痛みでしばらくは動けないでしょう。お仲間を一人殺されたのです。後の始末はお任せいたします」

と言って

「では、これにて」と頭を下げ多恵達の方に戻ろうとした。

主人はあまりにそっけなく行こうとする弥太郎を

「お待ち下さいませ!」と追いかけて来て

「私は紀伊新宮で材木問屋をしております矢幡作太郎と申します。あちらにいるのは手代の利助でございます。もう一人は護衛として雇った荒木様という御浪人でしたが、あっという間に殺されてしまい、私ももうこれまでかと覚悟した時に貴方様が現れて救って下さいました。なんとお礼を申し上げてよいか」


「私は稲葉弥太郎と申します。たまたまの巡り合わせでやったまでの事、気になさらずともよい。護衛の方は気の毒でしたが、腕もないのに甘く考えて引き受けたのですから、自業自得でしょう」

と言って歩き出すと矢幡は回り込んで

「このままお別れする訳にはまいりません。

どうかお礼をさせて下さいませ」

「いや、お気持ちだけで十分」

というやり取りをしていると、多恵達が追いついてきた。


「おお、大事なかったか?」

「はい、貴方もご無事でようございました」


「私の妻と娘です。三人で有馬に向かう途中に出くわしたのです。雨も降ってきて早く休ませてやりたいので、失礼します」

今度こそ別れようとすると矢幡は土下座をして

「お願いでございます!せめて有馬だけでもご一緒してお礼をさせて下さいませ」

と地面から頭を上げない。

雨は相変わらずポツポツと降っていた。

困り果てた弥太郎だったが、多恵の

「よろしいではありませんか。旅は人が多い方が楽しゅうございます」

という一言で一緒に過ごす事になった。


 有馬に着き矢幡の行きつけの旅籠に案内してもらい、三日ゆるりと身体を休めた。

矢幡はかなり大きな材木問屋らしいが、気さくな人柄で話しも面白い。多恵や菊江にも細かく気を遣ってくれてすっかり打ち解けた。

弥太郎も事情を隠すことなく話した。

三日目の夜

「すっかり甘えてお世話になってしまった。

私も多恵も菊江も貴方のおかげで旅の良い思い出ができ、感謝しております」

すると矢幡が真面目な顔つきで、

「稲葉様、大阪ではなく私共の新宮藩にいらっしゃいませんか?

新宮藩はこの国で一番豊かな藩でございます。

ご家族も安心して暮らせるでしょう」


「……しかし、私のような剣しか能のない者に仕事はあるのだろうか?」


「私が責任を持ってお探しいたしますし、ご家族の面倒も見させていただきます」


「いや、そこまで甘える訳には……、もう十分にお礼はしてもらいました」


「これは、お礼ではなく私の願いなのです。

私は長年貴方のような方を探していたのです」


「はて?どういう事か」


「貴方に出会い私もまだ運があると確信しました。

私の願いはすぐ叶うとは思いませんが、貴方が必要なのです。

どうか一緒に来ていただけませんか?」


「ありがたいお話しだが、これ以上の旅は妻には無理なので」


「それも承知しております。私は船を持っております。大阪から船で参りましょう」


「……では、家族と相談して返事をしてもよいですかな?」


「もちろんでございます。必ずや良いお返事がもらえると信じてお待ちしております」


部屋に戻り多恵と菊江にこの話をすると、多恵がすぐに

「良いお話しではありませんか。矢幡様は誠実なお方と感じました。矢幡様を頼りましょう」と言った。


多恵はどんな事も直ちに決められる性格であった。それに従って今まで後悔した事はない。

しかし、今回はまだ迷っていた。


 弥太郎は「武士は食わねど高楊枝」などとは

真逆の性格で、食べられるなら人足だろうが、用心棒だろうがどんな仕事もいとわない。

むしろ武士の体裁というのが大嫌いだった。

それに組織の中で上手く立ち回ることもできない。

源蔵もこの性格を十分にわかっていて道場から逃げろと言ってくれたのである。


……今まで私は巡り合わせで幸せに過ごしてきた。

今回もそうと考えてよいのだろうか。


悶々として床に着き、中々眠れなかった。ようやく、うとうとしてきた時、枕元に源蔵が現れた。

「おい弥太郎、お前は剣術は強いのに、他は相変わらず優柔不断だな」


「父上、私はどうしたらよいでしょうか?

多恵と菊江をもし不幸な目に合わせたらと思うと不安で決められませぬ」


「多恵に従えばよいさ。多恵の幸せはお前と菊江といることだ。どこに行っても三人一緒なら幸せなのだ」


「私は答え一つ出せぬ情けない夫です」


「そんな弥太郎を好きになって、多恵が一緒になりたいと申してきたのだ」


「ああ、これはやはり夢だから、嬉しい事を言って下さるのですね…」


「はぁー!お前は疑り深いやつじゃな。よいか、多恵の決めた通りにするのだ!それがお前の最善よ」

と言ってパッと消えた。


そのまま弥太郎は眠りについた。

翌朝

「前から聞こうと思っていたのだか、多恵は何故私と夫婦になったのだ?父上に言われたからか?」


多恵は笑って、「私が貴方を好きになって父上に頼んだのです」


「本当なのか?」


「ええ、本当でございますよ」


弥太郎は胸が一杯になり、心の中で

「父上、ありがとうございました」と礼を繰り返していた。


それから弥太郎は、矢幡作太郎の申し出を受け、有馬を出て大阪に向かい矢幡所有の船に乗り新宮藩に向かった。








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