第2話 稲葉弥太郎
森弥太郎は富山在の郷士の家に生まれたが、両親を早くに亡くし、剣術に魅入られるままに十五の歳に出奔し、諸国を遍歴した。
やがて備前岡山城下に新陰流の道場を構える稲葉源蔵と巡り合い稲葉に傾倒し弟子入りすると、稲葉も邪気など微塵もなくひたすら剣術に励む弥太郎をすっかり気に入り、養子にして一人娘の多恵と所帯を持たせたのである。
弥太郎はたゆまぬ鍛錬を続けやがて源蔵をも上回る遣い手となり、道場の師範代として弟子達からも信頼される存在になっていった。
菊江という孫娘も生まれ、穏やかな日々を送っていたが源蔵は菊江が六歳になったころから
度々体調を崩すようになった。
菊江が八歳になった頃にはいよいよ医者から、もう長くはないと言われたのである。
源蔵は弥太郎を病床に呼び
「私が死んだ後はすぐここを去るのだ。わかっておるな」
「はい、それは承知しております」
この稲葉道場は藩の家老鷺坂主膳の援助で成り立っていた。当然鷺坂の息子達も通っている。
鷺坂がこの道場を源蔵亡き後は次男雅之助に継がせたいと考えていることは周知の事実である。
しかし実力、人柄、全てにおいて優るのは弥太郎の方であったため、弥太郎が後を継ぐべきだという声が多数上がっている。
道場は二つに分かれていた。
「よいか、この金と刀を持ち争いに巻き込まれる前に逃げるのだぞ。」
そこには金三十両と源蔵が大事にしていた名刀貞宗があった。
「この道場に未練はございませぬが、この地に父上の墓を残して行くのだけが心残りでございます」
「墓など忘れろ。人は死んだら土に還りそれで終わり、無になるのだ」
「私の血と剣の道は菊江と弥太郎に継がれた。これ以上の幸せなどない。よいか、私の最後の願い必ず守れよ」
それからまもなく源蔵は息を引き取り、弥太郎家族は葬儀を終えた日の夜、そっと岡山から去った。
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