第一章 濁った瓶の底(2)通過点、なのに

 ルーにとって、生活圏にあるものは「莫迦ばかばっかり」だった。


 彼女はガラの悪い仲間たちとよくつるんでいた。いや、彼女の生活のほとんどが、そのコミュニティーのために費やされていたと言っても過言ではない。


 ルーは一年くらい前まで別の男と付き合っていたが、うまくキングの女になることができた。そうなれるよう、虎視眈々と狙い続けたのだ。前の女を追い落とし、自分の魅力でキングを籠絡したのだ。付き合っていた前の男は、何らかの理由で私刑を食らい、どこかへ消えた。


 キングというのは、このあたりの不良連中の頭目の渾名あだなだ。別にどこかの国の王様というわけでもない。大仰な名前だった。キングは見た目はそれなりにイケていて、ルーにとって自慢できる彼氏だ。だけど薄っぺらで、中身がなく、ただただ気性が荒い。


 コミュニティーの行きつけの場所は、巨大な廃工場だった。そこに、遊び道具やギャンブルの道具を所狭しと並べて、みんなで面白おかしく暮らしていた。


 他人のものを壊したり盗んだりといった行為も、ここでは数ある遊びのひとつとして捉えられていた。


 あるときは、仲間のひとりがキングの命令に従わなかったということで、私刑を受けていた。


 このときのキングの命令というのも、実につまらないものだ。馴染みのリバの店から、星芒具をひとつかっぱらってくるように。それだけだ。しみったれた、コソ泥の強要だ。


 キングに従わなかった男は、廃工場の床に跪いていたが、複数の男たちから蹴りを浴びせられ、顔を腫らし、口を切っていた。


 それを周りで見ている女たちは、ケラケラと笑う。ルーもまた、一緒になって笑っていた。内心、こいつら全員、莫迦らしいと軽蔑しながら。


 その日のルーは、両肩と腹を露出した、薄い布の、扇情的な服装をしていた。それは別に、彼女の趣味ではなく、あくまでもキングの趣味だった。ルーにとっては正直好みではなかったが、キングが着ろと言うのなら彼女はそれを着た。


 ルーはキングにぎゅっと肩を抱かれる。さながら、キングが誇示するトロフィーのようだ。キングは腹の底から響くような声で、罪状を告げる。


「お前は俺の命じたとおりに、リバの店から星芒具を一式、もらって来るという話だった。なのに、リバと示し合わせて、こっそりカネを置いて来た。ばれないとでも思ったのか」


 男たちから蹴られている『裏切り者』は、頭から血を流しながら、キングに答える。


「でもよ、リバは古い付き合いなんだ。それに、あいつの暮らしだって厳しい。盗みなんて……」


「なんだお前、ノリが悪いよなあ。盗みだって? 俺はちょっと拝借して来いと言ったんだ。人聞きが悪いよなあ、なあお前ら!」


 キングは左腕に装着した星芒具を起動し、『裏切り者』を殴り飛ばした。身長の三倍ほどの距離を吹っ飛び、『裏切り者』は顔から床に落ちる。キングの星芒具は戦闘用の調整チューニングがなされていた。


 男たち、そして、女たちの笑い声が起こる。


 『裏切り者』をよってたかって蹴っていた男たちにも、これは洒落にならないと思って青ざめた者がいた。敏感にも、キングはそういう変化に気づき、笑わなかった男に近づいた。


「なんだ、お前。お前もノリ悪いんじゃねえのか。笑えよ」


 笑うのを忘れていた男は、慌てて口角を上げようとしたが、遅かった。彼もまた、キングに殴られ、昏倒する。昏倒した男を介抱するものはいない。そんなことをすれば、またキングに目を付けられてしまう。


 虫の息になっていた『裏切り者』は血を吐きながら、立ち上がろうとする。口の中を切ったのか、口から血が流れ出している。


「なあ、キング。俺たち、仲間だったよな!」


「ああ、仲間だとも。いまお前、最高に笑わしてくれてるぜ!」


 キングはまた、つかつかと『裏切り者』のほうへと近づくと、とどめとばかりに拳を振り下ろした。


 『裏切り者』は動かなくなる。


 歓声が上がる。笑わない者などいなかった。


 「キング最高!」と叫びながら、「莫迦ばっかり」と、ルーは思っていた。

 

 ここはあたしにとって通過点でしかない。いずれ、もっと上に行くんだから。




 足下が危うくなった、と感じたのは些細な事件がきっかけだった。


 そのころ、惑星世界カディンの街では、ルルベリーのドリンクが流行っていた。ルルベリーはカディンの特産のフルーツで、赤黒い色をしていて、甘い芳香とは裏腹に、舌に載せると次第に渋みを生じる奇妙なものだった。


 普段は誰も、このルルベリーに見向きもしない。だが、おおよそ五年に一度、ルルベリーの飲み物をはじめ、ケーキやビスケットなどの菓子が流行るのだった。

  

 ただし、このルルベリーはアレルギー性物質を含む。少なからぬ人がこれを摂取すると喉が腫れ、呼吸困難に陥るのだ。


 ルーにとっての問題は、ルー自身が、そのルルベリーのアレルギーを持っているということだった。


「飲みなよ、ホラ」


 目の前に差し出されたのは、ルルベリーの赤黒いドリンク。ルーは生唾を呑み込んだ。

 

 飲めるはずがない。


 不良の仲間たちはゲラゲラ笑いながら、ドリンクを回し飲みしている。ご多分に漏れず、この不良グループの中でも、このドリンクは流行していた。


「いや、あたしは別に……」


「えー、それってなんかサムくない? みんなチョー盛り上がってんじゃんね」


 そうやって、ルーはルルベリーのドリンクを押しつけられる。押しつけてきたのはナルマだ。ナルマはキングの周りをうろちょろしているネズミのような女だ。ルーは彼女がキングの女の座を狙っていることなどわかっていた。


「要らないったら要らないんだよ! あたしは要らない!」


「えー、ノリ悪ーい。ねー、みんな」


 ナルマはとぼけている。ナルマはルーがアレルギー持ちであることを知っていた。ルーはナルマがわざと知らないフリをしていることに気づいていた。


 ルーにとって出来ることといえば、このまま突っぱね続けることだ。彼女にはできる。キングの女にはそれだけの力がある。


 そこへ、肩幅が広くて背の高いキングがやって来る。ルーとナルマが揉めそうだからやって来たという風だ。


「どうした」


 ルーが「このドリンクは飲めない」と説明するより早く、ナルマが早口でまくし立てる。まるで、キングと示し合わせているのではと思うほどのタイミングの良さだ。


「聞いてよ、キング。ルーちゃんノリ悪いのー。せっかくこうして分けてあげてんのに、要らないとか言うわけ」


「まじか、ルー。お前ノリ悪いな」


「だって、これは……。キングだって知って――」


「周り見ろよ。みんな美味い美味いっつって飲んでるぜ。お前だけ飲まねえの? 興醒めじゃん」


 キングだって、ルーがアレルギー持ちなのは知っているはずだ。それを忘れている。いや、あえて忘れたフリをしているのか――。


 ルーは仕方なくドリンクを受け取り、ニッコリと笑ってみせた。


「そこまで言うなら、遠慮はしないよ。ハハハ」

 

 極力明るそうな声を出そうと努力しているのとは裏腹に、ルーの内心は恐怖で一杯だった。必死で、恐怖で手が震えるのを抑えようとした。そうだ、運が良ければアレルギーは出ないこともある。ここは出ないほうに賭けるしかない。


 意を決して、ルーは赤黒いドリンクを一気に喉に流し込んだ。味なんかわからない。とにかく早く胃に放り込むのだ。


「おっ、いい飲みっぷり」


「ルーちゃんすごいー。はくしゅー」


 空になったコップを口から離し、ルーは再びニッと笑ってみせた。すべてがうまく行くことだけを祈った。


 だが、だめだった。


 ルーの手はコップを取り落とし、両膝を床につく。喉が腫れて、急速に息がしづらくなっていく。胃が切り裂かれたように痛い。


「あ、が、が……」


 そして、盛大に吐き戻した。胃が猛烈に拒絶したルルベリーの赤黒い液体は、腫れ上がった細い喉を通じて噴き出した。ルーの口からはかなり遠くまで血のような液体がまき散らされ、最後はボタボタとしたたり落ちて服を汚した。


「ルーちゃん、きたなーい」


 ナルマはケラケラ笑っている。


 キングも笑っている。周りの「仲間たち」も全員笑っている。


 「ここ」では他人を嘲笑うのはよいことだ。強さの証だ。安全圏にいることの証左だ。だけれど、嘲笑われることは違う。嘲笑われることは、生け贄であり、犠牲者であり、除け者であることを意味する。


 悔しさのあまり、息も絶え絶えに、ルーは床を這いずって、ナルマの脚に取り付いた。


「ナ、ル、マ……! お前……! お前なあ……!」


 ルーは他人を見下して笑うことはするが、笑われるのだけは許せなかった。それもこれも、ナルマが嵌めたせいだ。無罪放免というわけにはいかない。


「ちょ、ちょっとやめてよ、キモいんだけど!」


 振り払おうと何度も足蹴にしてくるナルマに、必死にしがみつくルー。呼吸もほとんどままならず、命の危機だ。だが、このままの状態を許すということは、この不良グループの中での社会的死を意味する。それは認められなかった。


 だがルーは、ナルマではなく、キングに殴られてすっ飛んだ。軽々と身長の数倍の距離を飛ばされて、床にたたきつけられる。


「やめろよお前。俺の女クイーンなら、そんなみっともないことは、やめろよな」


 ルーは痛みと苦しさと悔しさの中で身体を起こす。


「キング……。あんた、星芒具使ったでしょ。空冥術で強化してあたしをひっぱたいたでしょ。信ッじられない! 信ッじられない!」


「うるせえな。少し頭冷やしとけや。行こうぜ、みんな」


 キングはナルマの肩を抱き、手を振って仲間たちに合図を出して、仲間を全員連れてぞろぞろと出て行った。


 廃工場の床の上に残されたのは、呼吸困難の、赤黒い液体にまみれた女がひとり。


 あたしは上手くやったはずなのに。そう、ルーは思った。あたしはこの莫迦ばっかりの世界で、上にあがるために最大限努力したのに、どうして……。


 ルーはまた、えずき、血のような液体を吐き出す。


 だって仕方ないじゃない。ここには莫迦しかいないんだから。ほんとうに、ここは莫迦ばっかりだ。


 早く上にあがって、ここを出ていきたい――。


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