第48話 支払うべき代償

「深町先輩は、どうした? 」


「アイツはお前まで手に掛けてしまったのが辛かったんだろう。この奥の洞穴に身を投げたよ。……元彼の元へ旅立ったんだろう」


「嘘だ……。お前が彼女を……」

 僕は彼の思考が手に取るようにわかった。

 彼にとって共犯者である深町先輩の存在は、現段階では邪魔でしかない。生かしておけば彼にまで被害が及ぶ。

「みんなを殺し、深町先輩に全てを擦り付けるつもりか……」


「ほう、結構良い推理をするな。その通り。理彩を殺したくは無かったが、お前を刺してしまったことで相当に動揺してしまってな。もう駄目だ、耐えられない。自首するとか言い出したわけだ。……あんな状態じゃ、島を脱出しても警察に走り込みそうだったからな。ふう、俺にまで被害が来るんじゃ本末転倒だからな。まだまだ充分使い道のある良い女だったんだが、まあ仕方ない。連続殺人鬼の女と恋仲じゃ、たまらんしな」


「お前は、何を考えているんだ。人の命をなんだって……」


「そんな批判など興味がない。む……そうだ、いいことを思いついたぞ」

 そう言いながら綾に近づく。

 地面に倒れ込み、ぐったりしている綾の体を抱き起こす。

「確かにいい女だな。まだ少し色気が足りないが、理彩の代役、いやそれ以上のものかもしれないな」


「何をする気だ……」


「殺そうかと思ったが、やはり惜しいと思ったんだよ。……俺の女にしてやることにした。実際、生存者は一人では疑われる可能性がある」


「そんな事うまくいくはずがないだろう! 綾は黙っちゃいない。お前の悪事を暴露するはずだ」

 そろそろ限界が来ている。発する声も掠れて聞こえる。


「さてさて、どうなのかな。恋人の敵を討つため、理彩は長谷川の女にまでなった。そんな女がいつのまにか俺の言うことなら何でも聞くようになってるんだなあ。これがどういうことかわかるか?

 どうやら、山寺はお前のことを好きらしいな。お前が死んだら俺が殺したと思い、激しく憎むだろうな……。むしろその方がやりやすい」


「……深町先輩は操り人形じゃない。復讐の為にお前も利用しただけだ。すべてが、思う通り進むと思うな」


 僕は挑発をしたが、軽く笑っただけだった。


 僕はこの男が何を考え、どういった根拠でそういったことを言うのか理解できなかった。しかし、綾が危険なのだけは理解できた。


 僕がこのまま負けたら、綾は奴の自由にされてしまう。

 殺されるか、生かされるか、それはわからない。だが、どちらにしても地獄だ……。


 今こそ、約束を果たす時なんだ。


 僕はそばに転がった木ぎれを掴むと、それを杖代わりにして立ち上がった。

「うぐっ! 」

 脇腹に激しい痛みを感じる。

 傷口から止まったかに見えた血が再びあふれ出してきているのだ。


「おいおい、大丈夫なのか? そんなんで彼女を守れるのかい」

 小馬鹿にした口調で長野先輩が笑った。

「それに田中、お前、左目が見えてないんじゃないのか? 」

 指摘され、僕は言葉が出てこなかった。

「ククク、お前の行動を見ていたら気づくことだがな。片眼が見えないんじゃあ遠近感も取りづらいだろう? そんなんで俺を倒せるっていうのかな」

「そんなこと関係ない」

 確かに僕の左目はもはや完全に光を失っている。視野が半分、さらに重傷を負っている。まともに闘って勝てるとは思えない。

 しかし、負けることはできない。

 一歩二歩と僕は歩み寄る。


 彼の顔から笑みが消えた。

 その刹那、彼は両手を後ろに回した。 背後に何かを隠し持っているのだろう。

 次に両手を前に持ってきた時には、禍々しい物を両手に持っているのがわかった。

 ナイフ……。

 普段見たこともない形状の物だ。

 10センチ程度の刃渡りか……。返しのある歪な形をした刃。ハンドル部分の根本からも刃が生え、グリップ部分を守るように反り返った刀身が光る。常に手入れされているのか、僅かな光にもテラテラと光る。


 そのナイフを両手で持ち、ゆっくりと構える。


 すぐに僕は悟った。

 目の前の男の構えから、いや体から発散される闘気とでもいうものだろうか? それだけで全てが分かった。今のこの満身創痍の状態でまともにやりあって勝てるはずはなかった。


 ツ……。

 すり足で動いたかと思った時には、既に僕のすぐ前にまで来ていた。

 僕の目の死角をついての攻撃だ。

 木刀を構え、防御しようとしたときには、左の太ももが焼けるような痛みを発していた。


 思わずうめき声を上げ、片膝を突く。

 ナイフが僕の左太股を深く貫いていた。


「どうだ? 痛いか……」

 耳元でささやくと、力任せに刺さったナイフをえぐるように引き抜かれた。


「うわああ! 」

 返しの突いた刃物故、激痛が襲う。

 血が傷口から噴き出すのが見えた。


「こんな甘いもんじゃない」

 そう言うと、僕の首に両手を回したかと思うと頭をしっかりと掴み逃げられないようにして、思い切り僕の右の脇腹に膝蹴りを入れる。何度も何度もだ。

 傷口を抉るような蹴りに悲鳴を上げるしかなかった。


 情けないほどの声を出して、僕は地面に突っ伏す。

 頭を強く打ち、ぬるりとした暖かいものが頭から額に伝ってくるのがわかる。


 洞窟に哄笑が響く。

「おもしろいな……。こんなに脆いなんて。—————あの時のお前からは想像できないな。

 お前は惨めに、好きな女を守ることもできずに俺に嬲り殺されるんだ……。

 どうだ、その気持ちは。痛いか、悔しいのか? その辺りを教えてくれ。綾ちゃんにもきちんと聞かせてやらないといけないからな」


 こんなに残虐な部分が眼前の男ににあったとは思ってもいなかった。

 痛みと出血のため、視界が狭く感じる。


 僕は必死で立ち上がる。まだ負けるわけにはいかない。


「おお! よく頑張るな……。その怪我でそこまで動けるとは凄いぞ!! 普通太ももをざっくりやられたら立ち上がることなんてできないんだぞ。すげえ!」

 声を上げ、面白そうに長野が僕を見ている。


 脇腹と足を刺され、もうまともに戦うことなんて叶わない。彼の攻撃をかわし、相手に一撃を入れられるのだろうか。

 僕は木刀を短く持ち、切っ先を前方の敵に向ける。


 防御を考えるから隙ができる。攻撃をかわしてさらに相手にダメージを与えるなど、 今の僕には不可能。

 そうなれば、方法は一つしかない。僕はラストチャンスに賭けるしかない。


 どうやら今回は命をかけないとダメみたいだよ。


「何度やっても無駄だけど、そうやってがんばる奴を踏みつぶすのは快感だ」

 ニヤニヤと笑い、長野先輩は話し続ける。

「このまま放置しておいてもお前は出血多量で死ぬんだろうな。それはそれでもいいんだが、お前と俺にはちょっとした因縁があるんだ。覚えているか」

 朦朧とした意識の中で僕は彼が何を言っているのか理解できなかった。ただでさえ狭い視野がどんどん狭くなっている。

「そ、そんなの知らない。お前とは高校で初めて、顔を合わせたはずだ」

「フハン。やはり覚えていないだろうな。まあ当然だろう。かれこれ5年くらい前の話だからな。—————小中学生剣道大会の県大会のことだよ。思い出したか? 」

 僕が初めて出場した剣道の大会の事を言っているのが分かった。当時、僕がどの程度の実力か分かっていないことを危惧した親父が勝手に申し込んだ大会だった。確かに道場に来る人たちは僕に気を遣って負けてくれていたから自分の実力がよく分からなかったのは事実だ。

 綾よりは強いけど、先輩たちには勝てない……その程度だと思っていた。


「俺は大して興味は無かった。頼まれて出た大会だった。実際、どいつもこいつも相手にならない連中だった。そんな中、お前と対戦したんだよ」

 僕には全く記憶が無かった。何試合かして勝っていたのは覚えている。ただあの時は綾が体調を崩したっていうんで一緒に帰ったはずだ。

「お前は小学生だったはずだ。義務教育大会とかいうやつの俺の出ている部門に小学生が出ているとは知らなかったからな。なめてるんじゃないのかって思ったよ。オール一本勝ちで上がってきてたから、天狗になってるガキだろうと思った。ちょうど良いからボコボコに叩きのめし、プライドをズタボロにしてやろうと思ったよ。ところがだ。開始早々、俺は何もできないままお前に一本取られた」

 その時を思い出したのか、彼の表情が明らかに曇った。

「そんなこと覚えていない」

「……だろうな。だが俺は覚えている。俺は呆然としたよ。全く歯が立たなかったってことと相手が小学生だってことにな。俺は仲間の笑いものさ。おまけにお前はその後の試合に出なかったしな。なめているのもいい加減にしろってところだ」

 会話を続けていても、出血は続いている。視界がどんどん灰色になっていく。

「その後、俺はリベンジのためにお前を捜したが、どの大会にも出なかったしどこの奴かさえ分からずじまいだった。—————俺は一度負けた相手には次戦で必ず完膚無きまでに叩きのめして汚名を返上してきた。だが、お前はその機会を俺に与えなかった。数年間、あの敗戦が俺の心の深いところに刺さったトゲとして残ったままだった。そんな時、お前が現れたんだよ。うれしかったなあ」

「そんなこと、僕には関係ない」

「まあそうだろうな。—————ここからが本題だ。本来なら放っておいても死ぬ。わざわざ俺が手を汚す必要はない。だが、過去を精算するため、お前は俺の手で斃さなければならないってことを伝えておきたかったんだよ。どれほどその機会を伺っていたか……。まさかこんな時に、しかも殺すチャンスが訪れるなんて、ラッキーだ。俺のプライドに傷をつけた奴はそれ相応の報いをうけなければならない。それが今なのだ」


 彼が嬉しげに語る話など、僕にとってはどうでもよかった。僕は自分の体の状態を必死に把握しようとしていた。右太股へのダメージは相当なもので、実際片足で立っているのと同じ状態。脇腹の負傷も致命傷といえるものでいまだ出血が止まらない。視界はうつろだし、意識も遠のきそうになる。次の一撃が僕にとっての最後の一手となるのは間違いない。外せば終わりだ。

 幸い、相手も僕の状況を完全に把握している。

 まともに戦えないと判断し、油断しているのは間違いない。そこが付け目だ。間違いなく僕の死角の左側から同じように攻撃してくる。あとはそれにどう対処するかだ。


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