第47話 新たな危機

「動いちゃ駄目! 徹君、もういいよ。事件の事や誰が犯人かなんてもうどうでもいい。そんなことなんて興味ない! 徹君を病院に連れて行くことが先よ」


 僕は激しい胸騒ぎを感じていた。……最悪の事態を。


 先輩達二人が逃走するのは理解できる。どうやってこの島から脱出するのかはわからないが何らかの手段を持っているのだろう。

 無線機を持っているのか、それとも迎えの船は予定通り来るのかもしれない。もしかすると船が隠されているのかもしれない。


 しかし、事実を知る人間が紀黒島に二人残されるということを彼らは忘れているのだろうか?

 ……そんなはずはない。確かに、僕はこのまま放置されれば死ぬ確率が高いだろう。だが、綾は生きている。

 

 町に帰った二人は、この事件のことを明らかにするだろう。自分たちが被害者であることを立証するために。そうなると警察がこの島にやってくる。


 彼らは目撃する。

 生存者が他にいることを、綾が生きていることを。連続殺人事件の目撃者たる人間が。

 

 綾は真実を語るだろう。それは犯人達にとって致命的な事実だ。考えられることは一つ。

 

 ……障害は排除する。


 僕は必死で起きあがろうとする。目眩、吐き気、激痛。痛みを気にしている場合じゃない。

「綾……。早く、ここから逃げるんだ」


「……どういうこと? 」

 理解できていない表情で彼女が見返す。


「犯人の二人は逃走した。僕らを島に残して逃走したのかもしれない。それは問題ない。だが、僕たちは生きている。島から脱出した二人は警察に行くだろう。それもそんなに時間を空けることはできない。……警察に疑われるからね。

 警察がこの島に来るとなると、すぐに僕たちは発見されるだろう? 僕たちだって、事情聴取をされるはずだ。貴重な目撃者だからね。そして、彼らの証言と僕たちの証言は食い違う。それは犯人にとっては致命的な事だ。……犯人達はどうする? 」


 すぐに僕の言う意図を理解したようだ。辺りをきょろきょろと見渡す。


 覚悟を決めたように僕を起こそうとする。


「何をするんだ? 」


「徹君も一緒に逃げないと。早く立って……」


「駄目だ。僕を連れて逃げられるわけがない。足手まといになる。綾はここから逃げて、島のどこかに隠れるんだ。……先輩達は綾が見つかるまで探し続けることはできない。食料がないし、迎えの船も呼ばなければならない。そうなれば、すぐに警察がやってくる。綾には生き残るチャンスがあるんだよ」


「嫌! そんなの嫌」

 

「これがベストな方法だ。今、先輩たちに見つかれば二人とも殺されてしまう。君が助かれば事件は明るみに出るんだ」


 綾は首を振る。

「徹君はどうなるの? 殺されるじゃない。そんなの絶対駄目」


「……我が儘を言う時間は無いんだ。早く逃げてくれ。先輩達が戻ってくる」


 僕の話が聞こえないのか、彼女は僕を立ち上がらせようと懸命だ。


「頼む、綾……。逃げてくれ。僕を連れて逃げるなんて無理だ。もう分かっているだろう? 僕が助からないってことくらい。頼む、犯罪を隠ぺいさせちゃいけない。……いや、そんなことはどうでもいいんだ。綾、キミだけは助かってくれ、お願いだから……」

 痛みが全身を貫く。もたもたしている場合じゃないんだ。

 綾を逃がさなければ。


 綾の力では僕を連れて逃げることなど無理なのだ。

 彼女もやっとそのことに気付いたのか、諦めたような表情を見せている。

「綾、お願いだ」


「嫌……。だったら、あたしもここに残る。死んだって構わないもん。一人だけ助かったって、徹君が一緒じゃなきゃ意味がないわ」


「駄目だ……。僕は君を守るって約束したんだ。だから」

 全身に脱力感を感じる。

 早く逃げてくれ、そう思っているのに彼女を説得するうまい言葉が浮かばない。何で僕の頼みを聞いてくれないのか! 苛立ちに似た感情さえ沸いてくる。


 綾は僕を床に横たえると、ランタンを持って立ち上がる。

 この空間の何かを探しているのか?


 壁の方に歩くと、一本の棒を掴んだ。長さは1m以上ある細長く丸い棒きれだ。それを利き腕に持った姿は、剣道場で練習をする綾そのものだった。

 

 彼女は僕に歩み寄ると、そばにランタンを置く。

「徹君はあたしが守る。安心して」

 そう言って微笑む姿は凛々しかった。


「無茶だ。相手は長野先輩なんだ……ぞ」

 僕は仰向けの状態で綾を見る。


 噂だけで聞いた話だが、長野先輩は格闘技に秀でているとのことだ。

 実際、かなり鍛えているようだし、前に学校に侵入してきた他校のチンピラグループを

 一瞬で叩きのめしたと聞いている。


「大丈夫よ」

 綾は笑顔を見せる。


 確かに綾は剣道有段者だ。

 剣道三倍段という。

 長野先輩がどの程度の実力かは知らないが、木刀を手にした綾に素手で勝てるとは思えない。しかし……。


「それなら、その腕前を見せて貰おうか」

 洞窟の奥から聞こえた声に、綾が飛び上がりそうに反応した。


 ゆっくりと人影が現れる。

 ランタンの光に照らされ、その正体が明らかとなる。


 ……長野先輩だ。


「お前たちの推理を聞かせて貰ったよ。……お見事だな、だいたい合っている。妙な事を考えなければ、山寺だけは助けてやろうと思ったんだがな……。残念だが仕方ないのか、……な? 」


 綾は僕の前に立つと、木刀を中段で構え、切っ先を長野先輩に向ける。


「やる気満々だな……。いらない事に気付かなけりゃ、無事に返してやったのに。……つくづく愚かだな、お前は」


「残念だけど、そうはうまくいかないわ。罪は償ってもらうし、あたしたちは町へ帰るから」


「フハハハ」

 唐突に長野先輩が笑い出す。


「何がおかしいの? 」


「俺を倒す……? 最高のジョークだな。見た目以上に気が強い女だな、山寺は。……そういう女は好きだぞ」


「あたしは、先輩みたいな人は大嫌いです」


「ますます気に入ったよ」

 そう言って、長野先輩は綾へと歩み始める。


「どうだ? 山寺。俺の女にならないか? そうすればお前の命は助けてやるよ。……そこに転がっている奴は、放っておいても死ぬ。そんな男に義理立てする必要は無いじゃないか。

 安心しろ。俺たちは孤立しているわけじゃない。迎えの船は予定通りに来るようになっているんだからな。何も心配することはない」


「それ以上近づかないで! 」

 綾が叫ぶ。


 それでも近づく長野先輩に綾が反応した。

 構えた両腕を少し後方に引いた状態で構えたかと思うと、次の刹那、木刀をそのまま長野先輩に向けて突き出す。

 ほとんどモーションのない突きだ。彼女の試合ですら見せたことのない強烈な突き。防具無しで受けたら無事ではすまない。


「あーあ、仕方ないなあ」

 長野先輩は呆れたような声を上げる。

 その彼ののど元に向け、木刀が突き出される。


 ドン!

 小さな音。

 

 綾の渾身の突きは、あっさりと長野先輩の左の手のひらで止められていた。

 次の攻撃に移ろうと木刀を引こうとするが、

 その切っ先は攻撃を受け止めた手でしっかりと握りしめられていた。


「最後の最後で急所をひと突きするのを躊躇したな。それが失敗の原因だ。さあ、次はどうするのかな? ……綾ちゃん」


 綾は必死に木刀をふりほどこうとする。しかし彼女の力ではどうにもならない。

 

 長野先輩は掴んだ木刀を上へと持ち上げる。

 小さな綾はそのまま持ち上げられそうになり、慌てて手を離した刹那、彼女に一歩踏み込み、腹部へ手加減の無い一撃を入れる。


 小さなうめき声を上げ、綾が倒れ込む。


 綾を殴った勢いで、長野先輩の手にした木刀は彼の手から離れ、ころころと僕の方に転がってきた。


「綾! 」

 僕は、起きあがろうとするが、体が言うことをきかない。


 綾は少し痙攣したような動きを見せたが、そのまま動かなくなった。


「だから言ったのに。—————俺はこんなことしたくなかったんだけどなあ。さてと……」

 彼は僕の方へ歩み寄る。


「だいぶひどい怪我のようだな、田中。こりゃ放っておいても死ぬな」

 ニタリと微笑む。

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