第46話 受け入れられない現実の中で

「徹君、徹君、しっかりして……」

 取り出したハンカチで僕の傷口を押さえる綾。その声はうわずり、目も潤んでいるように思える。純白のハンカチはあっという間に真っ赤に染まり、血が地面にしたたり落ちる。


「だいじょうぶだよ……」

 僕はこれ以上立っていられなくなり、地面へと倒れ込みそうになる。


 綾が僕の体を必死に支え、地面に横たえてくれた。

 視界が霞んでいくのがわかった。刺されると、こんな風になるのかと冷静に考える。痛みは相変わらずで少しでも体を動かすと激痛に変わる。


「綾、……怪我は無いか……」


「な、何であんな無茶をしたの」

 僕を見つめる綾の瞳から涙があふれ、ぐちゃぐちゃだ。


「大丈夫だよ。急所は、はずれている……」

 この出血具合からすると、かなりやばい状態であることは素人でもわかる。早期に治療を受けないと、たぶん、いや、受けたところで恐らくダメだろう。

 妙に冷静な思考をする自分がある。

 しかし、ここで弱音を吐いて綾を動揺させてはならない。


「……山寺、田中のことは頼む。俺は深町を追う」

 今まで黙ってこちらを見ていたらしい。

 長野先輩はそう言い残すと洞窟の奥へと駆け出していく。


「そ、そんな。徹君に早く手当をしないといけないのに。私だけじゃ運べないよ……」

 絶望的な表情を見せる。彼女にもかなり危険な状況であることはわかるんだろうか。


 そんな中、僕は自分の怪我の事より全く関係のない事を考えていた。時折、意識が飛びそうになり何かを掴みそうになるのにまたリセットされる。それを綾の腕の中で何度も何度も繰り返す。


 部長を殺害し、秘密を知り逆に脅迫してきた村野先輩を殺害した。

 それはすべて去年の事件の復讐から始まった……。

 ……去年の事故で行方不明となった二人の部員のうち、篠本という部員と関係があった。事故死とされた恋人の死に不信感を感じた彼女は、独自に事件を調べたのだろう。ただ、調べたところで事故以上の証拠は無かったに違いない。

 ドラッグがらみの事件故、事実は秘密とされていたからだ。

 そこで事件の当事者であるミステリ研究会の部員に接近をし、事件の当事者であり、かつ彼女の美貌に反応しやすかったのが部長の長谷川だったのだろう。


 彼女に気を許している部長から全ての話しを聞いてしまった。

 事件の真相を。そして、真実を知った彼女は復讐の機会を伺っていた。そんなときにこの合宿でのイベント—————部長による部員皆殺し計画を知ったのだろう。

 ほとんどミステリ小説だな……。そんなことを考えている。


「徹君、しっかりして。お願い、お願いだから」

 綾は泣きじゃくり、普段の彼女からは想像できないほど取り乱している。自分の服が血だらけになっていることも全く気にしてないようだ。


 幸い動かなければ痛みは我慢できるレベルのようだ。出血は傷口に当てたハンカチで少しは止まっているのだろうか。……幸いなことに出血は止まっているように思える。


「大丈夫だよ。これくらいではどうってことない。まあ、まともな状態じゃないけど、手当すれば助かるさ」

 そういって僕はまた綾を刺激してしまったことに気付いた。

 

 ここは無人島であり、外部に助けを求める手段は無い。さらに、ここには病院などあるはずもなく、医療品さえも無いのだ。


「嫌だよ、そんなの嫌だよ。どうしてこんなことに……徹君まであたしを置いていくの」


 パニックに陥りそうになる綾の頬に、僕は右手を当てる。

 精一杯の笑顔を彼女に見せる。

「マイナス思考は止めよう。綾が悲しい顔をすると、傷に応えるんだよ。……そうだ! 今回の事件の整理をしないか? 」


 彼女は大きく瞳を見開き、呆然とした顔をしている。突拍子もないことに思考が停止しているようだ。


「事件は深町先輩が実行犯であることは間違いない。だけど、気になる事があるんだ」


「そんな場合じゃ無いわ。喋っちゃ駄目、お願いだから……」


「ははは。こうやって何かを考えている方が痛みも少なくなるし、黙っていたら眠ってしまいそうなんだ。

 それにそんな悲しそうな顔をしないでくれよ。まるで僕が死んじゃうみたいじゃないか。……悲しそうな顔、綾には似合わないよ。お願いだから、笑顔を見せてくれよ」

 

 彼女の手に少し力が入るのが感じ取れた。

 諦めたように頷く。


 僕の顔は普段と変わらなかっただろうか。痛みに歪んでいなかっただろうか……。

 そんなことを考えた。


「いいかな—————。まず思ったのは、展望台から部長が飛び降りたことだ。確かに、深町先輩が展望台の秘密の入り口に死体を隠していて彼女が投げ捨てたというのなら、不可能じゃない。

 ……だけど思い出してくれ。

 長野先輩は、深町先輩を展望台の裏の見張りにたてた。おかしいとは思わないか」

 痛みをこらえ、それを彼女に悟られないように注意する。

 一言一言力を入れて話し、元気であることを彼女に印象づけなければならない。


「……そうね。展望台に秘密の抜け道があるかもしれないって言ってたのは長野先輩本人なのに。深町先輩を危険な場所にわざわざ配置するのは違和感があるわ」

 泣きそうな顔で彼女が僕を見ている。瞳は涙で潤み、声は鼻声になっている。


「そう。部長が出てきたら間違いなく人質に取られるはずなのに、あえて彼はそうした。そして、結果論でしかないけど、深町先輩が作業を、部長飛び降り自殺を演出しやすいように、わざわざ 彼女をあの場所に配置した。

 ……本来なら秘密の出入り口があるかもしれない場所に男である僕を配置せず、遠く離れたところに配置した。綾も同様にね」


「それは一体どういうこと? 」

 綾は一瞬僕から顔をそらし、鼻をすするようなそぶりを見せた。

 片手で目を擦ったのか、振り返った時にはいつもの彼女に戻っていた。


「少なくとも、長野先輩は知っていたんだ。深町先輩が死体を展望台に隠していたことをね。そして、部長はまだ生きていて、僕たちに追いつめられたことにより、投身自殺を図ったと見せるように仕向けたんだ」

 推理を展開しながら、僕は綾が一生懸命、何かに耐えていることを認識した。

 僕の言葉を聞き逃さぬよう、必死に耳を傾け頷く。今にも泣き出しそうになるのを耐えている。

 それがわかるだけに辛かった。


「それじゃあ、まるで長野先輩が深町先輩の共犯みたいじゃない」

 綾は驚きの表情を浮かべる。

 幼なじみの僕にはわかる。その表情は作り物だということが。

 もはや彼女にとっては犯人が誰であろうとどうでもいいのが分かる。


 僕は頷いた。

「恐らくはそうだろう。村野先輩を毒殺したのだって同じだよ。深町先輩が青酸カリをどこで入手できる? 普通の人間が入手することは不可能だ。……盗みにでも入らない限り」


「でもそれじゃあまるで……」


「わからない……。でも長野先輩は、何らかの意図があって合宿に来る前に、毒物を入手し、持ってきてた。もしくは、可能性は低いけど、この島のどこかで見つけていたかもしれない」

 廃村の民家の倉庫で見かけた袋に入った薬品。あれがそうだったんじゃないかなとふと気づいた。


「……確かに二人が共犯関係にあったほうが話しが通じやすいわ。長野先輩に動機があるのかどうかわからないけど、単独犯によるものよりは、説明がつきやすいものね」

 

「そうだよ。それに最初に起こった先輩が襲われた事件。考えてみたけど、おかしなところが、多いんだよな」


「それは? 」


「うん……。先輩は窓から犯人が入って来たって言ったけど、部屋は二階だ。外から部屋に侵入するには、梯子か何かが必要だ。だけど、外にそんな道具は、無かった。

 雨樋をつたって昇るかもしれないけど、老朽化がひどく、昇るのには耐えられない。

 宿泊施設に侵入し、階段から二階へと上がり、別の部屋から屋根づたいに行くという方法もあるけど、玄関は施錠されていたし、二階のそれぞれの部屋も同様だ。

 ……すべて不可能だ」


「じゃあ、一体どうやって侵入……。まさか! 」


「考えられるのは、深町先輩の狂言しか考えられないんだ。実際に、彼女の部屋の窓を調べてみたんだけど、ガラスの割られ方がおかしかった。外部から侵入するのなら、普通は、クレセント鍵の側を割るはずなのに、何故か、鍵から離れたガラスの中央部分が割られていた。仮に犯人が先輩に見つかったので、侵入するために慌ててガラスを割ったというならガラス全面が破壊されているはずだ。なのに損傷はそれほど大きくなかった。

 おかしいとは、思わないか? 」

 視界がクルクル回り、吐き気を感じていた。今にも意識が遠のいてしまいそうで、僕は話している言葉が綾に伝わっているか心配になった。

 

「分かったわ。深町先輩は外部犯に見せかけるために窓を半分開け、外からガラスを割った。そうなるとどうしても鍵の側は割ることができない。……その後、自分で足を殴った? 」


 どうやら綾は、僕の体調の変化には気付いていないようだ。

 僕は意識して言葉をはっきりと発音するように心がける。

「殴ったのかどうか、はわからない。服を破ったりはしてたけど。怪我に関しては、長野先輩だけが確認したから、僕たちは、まともには見ていない。

 まさか二人が連んでいるなんて思わないから、先輩の言葉を信じてしまった」


「今思えば、二人とも怪我をした場所をあたし達には見えないようにしていたわね……。二人が共犯でなければ、絶対に不可能な演出ね」

 綾は極力僕の考えを推測し、僕の代弁をしてくれている。


 僕は頷いた。


「ちょっと整理してみるね—————。

 最初の部長殺害事件は、部長のシナリオによるものであり、それには長野先輩が協力者だった。深町先輩も聞かされていたんでしょうね。自分の死を演出後、部長は近道をして宿泊所に帰り、無線機を壊し、食料を隠してどこかに、……たぶん展望台でしょうけど、潜伏した。

 その後、深町先輩は部長と合流し、彼を殺害。これは長野先輩には不可能だし、動機もないことから間違いないんでしょうね。死体は展望台の隠し部屋に隠しておき、みんなに合流。その晩に深町先輩は自分が部長に襲われたように演出。これに関しては部長のシナリオを実践することにより、部長は生きていて彼の犯行として事件中も事件後も思いこませることを考慮したものね。

 でも、順調に進んだ計画もほころびを見せた。ずっとビデオ撮影をしていた村野先輩に疑惑を持たれ、脅されてしまう……。たぶん、ビデオに何かが映っていたんでしょうね。そこで深町先輩は長野先輩に相談し、毒物を入手して毒殺した。村野先輩があの時、あたしを指さして何かを唸っていたのは、あたしを深町先輩と見間違えたからだわ」


 そう、あの時、綾は珍しくポニーテールにしてなかったな。疲れていたのか、忘れていたのかわからないが……。

 

 村野先輩は自分のお茶に毒を入れたのが深町先輩だとすぐにわかったのだろう。それで最後に犯人を指摘しようとしたが、朦朧とした意識の中で綾と深町先輩を見間違った。

 視力は既に衰え、輪郭でしか見えていなかったのではないだろうか。それ故、同じ髪型をした二人を判別できなかった。それで、綾に対してああいった発言をしたのだろう。


「計画に変更点はあったけど、先輩は最後の行動を起こした。それが展望台へのあたしたちの調査。

 あたしたちの目の前で部長が投身自殺を行えば、全ての事件は部長が犯人だと言うことで終わる。死んだ人は反論できないから。計画通り、あたしたちは部長が自殺したと思った。あのままだと、全て計画通りで終わるはずだったのね」


 僕は頷いた。

「長野先輩がどういう考えで深町先輩に力を貸したかはわからない。しかし、彼の協力なくしては深町先輩の犯罪は完成しなかっただろう」


「……じゃあ、あの二人は」


「逃走したのかもしれない。しかし、外部との連絡手段は無い。一体……。ま、まさか!」

 僕は起きあがろうとしたが、再度激痛を感じ、思わず呻く。

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