第45話 惨劇

 綾が小さく悲鳴を上げた。


 僕は二人がいる空間に飛び出していった。

「待てぇっ! 」

 急なダッシュをかけたせいか、足が縺れ勢い余って転ぶ。強く体を打ち付けたが、気にしていられない。


 両手を地面につき、起きあがろうとする。

 顔を上げ、前を見る。


 洞窟内にできたその空間。

 床に置かれたランタンの光に照らされて、空間の全容が見て取れる。

 ランタンの明かりでは天井を照らし出すことはできないようだ。広さは半径20m程度の歪な円形になっている。鍾乳石でできた壁に立てかけるように、箱や袋、棒切れが無造作に置かれてあった。これらは何時、何の為に使われていたのだろう。


 そんな空間の中央で、数メートルの距離で対峙する、綾と深町先輩の姿があった。

 深町先輩は両手にナイフを握っている。


「徹君! 」

 綾が叫ぶ。


「……綾、大丈夫か? 」

 彼女は小さく頷く。

 僕も頷くと、ナイフを持った深町先輩の方を向く。


「深町先輩、もうやめてください。もう逃げられない!! 諦めるんだ」

 僕は叫びながら起きあがると、二人の間に割り込む。


 彼女はあたりを見回す。

 地下洞窟のこの広間の入り口に立つ長野先輩を確認したはずだ。凶器を持っているとはいえ、男二人を相手に勝てないことはわかるだろう。

 彼女の退路は断たれた。

 

 諦めたような表情で僕を見つめる。

 その瞳は悲しみにぬれているようにさえ思えた。両腕を垂れると、力無く俯く。


「さあ、ナイフを渡してください。 これ以上罪を重ねないでください」

 もう大丈夫だ。もう深町先輩は戦意を喪失している。僕は近づき、彼女が手にしたナイフに手をかけようとする。


「……」

 何か深町先輩が喋ったが、あまりの小声のため聞き取れなかった。


「危ない田中!!  気を付けろ」

 突然、声を上げた長野先輩に、思わず僕はそちらを見てしまった。


 視界の隅に銀色の輝きを捕らえたと思った刹那、綾が悲鳴を上げた。


 深町先輩が、綾に向かって突進しようとしている!

 瞬間、体は動いていた。

 二人の間に割って入る。考えて行動する時間は無かった。そんな暇などなかった。ただ、綾を守らなければ、その一念だけだった。長野先輩の声に振り向いたため、反応が遅れてしまった。深町先輩を止める時間的余裕は無かった。

 僕は綾の前に飛び込む。

 次の刹那、体に今まで感じたことのない衝撃が走った。


「いやああーっ! 」

 その悲鳴が綾のものであることにすぐに気付いた。

 一体どうしたというのか……? 僕は周囲を見回す。


 はたから見れば、深町先輩と僕が抱き合っているように見えたかもしれない。

 右脇腹にはナイフが刺さっていて、それを深町先輩が握りしめていた。僕のTシャツはナイフの刺さった場所からどんどんと赤く染まっていき、ナイフを伝って深町先輩のブラウスも赤く染め、地面へと落ちていく。

「どうして邪魔をするの」

 小さく深町先輩がつぶやく。

 

 一瞬、その現実と思考とのブレがあって、僕は起こったことを理解できなかった。


 そばに深町先輩がいる。青ざめた顔で僕を見上げている。彼女の手には何か銀色のものが握られていて、それは僕の体から生え出ている……。


 どくどくと流れ出る赤い液体。それは僕の服を赤く染めていく。深町先輩の腕を伝わり、彼女の服も染めていく。


 あーあ、こんなに汚れちゃったら、洗濯しても落ちないじゃないか。


「徹君!! 」

 我に返ると綾がこちらに駆け寄ってくるのが見える。


 右脇腹に激痛が走った。

 駆け寄る綾に気づいた深町先輩は、ナイフを握りしめたまま、僕から離れた。


 ナイフが体から抜ける瞬間、さらなる激痛が走った。ここで初めて自分が深町先輩に刺されたことを認識する。全身を貫くような激痛。傷口から血が流れ出る。


 深町先輩は怯えたような、すこし狂気の入った目で僕を一瞬見た。そして近寄ろうとする綾にナイフを向け、威嚇する。


「どきなさい! 」

 今まで聞いたことのないような強い口調で綾が叫ぶ。

 ナイフを持った深町先輩が見えないかのように、綾は僕に駆け寄ってくる。


 深町先輩は呆然と見つめるだけだったが、我に返ったのかナイフを投げ出すと、洞窟の奥へと駆け出した。

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