第38話 一息ついて

「先輩……、大丈夫ですか」

 綾もそのことに気づいたのだろう。

 深町の側に寄り添っている。


「大丈夫よ。ごめんなさい、心配させて」

 彼女は笑顔を見せる。


「さあ、下に降りるぞ。ここにはもう用は無い」

 感傷に浸る間もなく、長野先輩が打ち切る。


 僕たちは長い下り階段を降り、宿泊施設にたどり着いた。

 犯人の死により事件が解決したのだが、その死のもたらすものの重みのため、足取りは恐ろしく重かった。


「深町達は部屋に戻っていろ。俺と田中はアイツの遺体を片づける」

 

 おいおい、またそんな仕事をしなきゃなんないのかよ。思わず口走りそうになるのを押さえ込んだ。


 先輩はとても冷静に、当たり前のように言うが、死体、しかも他殺体を見たりさわったりするのがどれほど苦痛か彼には分からないのだろうか?

 未だに村野先輩を運んだときの感触や臭気が僕の体にまとわりついているのだ。


「わかりました。お願いします。徹君も大変だろうけどお願いね。……じゃあ、先輩。部屋に帰りましょう」

 綾は深町先輩の背中に手を当てた。


 玄関のドアが閉まると、先輩がため息をつく。

「お前も辛いと思うが、我慢してくれ。俺一人じゃ運べないからな」

 珍しく僕のことを気遣う。


「仕方ありませんよ。我慢するしかないですから。……毛布かなにかを持ってきた方がいいですね」


「そうだな。アイツの部屋に余った毛布があっただろう。それを持ってきてくれ」


「わかりました」

 僕は少し躊躇したが、仕方ないなという感じで玄関のドアを開けた。


 部長の部屋ということは、村野先輩の死体が安置されているのだ。それだけで気分が滅入る。


 僕は廊下に上がり、部長の部屋だった場所の扉を開ける。

 僅かな臭気と共に、冷気が廊下に流れ込んでくる。臭気がすぐに死臭だと分かった。部屋は猛烈に冷やしているが、やはりその腐敗の進行を止めることはできないのか。


 カーテンをしっかりと閉めた部屋には外の光はほとんど入ってきていない。

 暗闇を解除するため、部屋の電灯を付ける。


 部屋に入るとすぐにドアを閉める。

 室温が上がったら大変だ。


 毛布は押入の中に入っていたはず。押入と反対方向にベッドがある。極力そっちは見ないようにしないと。


 僕は早足で押入の扉を開け、下の方に置いてあった毛布を掴む。

 早くこの部屋から出ないと。


 ドアへと向かい一気に開く。

 電灯のスイッチを切り、外へと出ようとしたとき、思わずベッドに目がいってしまった。


 何かの拍子に毛布が動いたのか?

 ベッドに横たわり、全体に毛布をかぶせていたはずの村野先輩の顔の部分が見えていた。


 顔はこちらを向き、閉じたはずの目が開いていた……。廊下から入る光に濁った目が光ったように感じた。

 それどころか……。


 僕は小さく悲鳴を上げたかもしれない。

 必死でたたき付けるようにドアを閉め、玄関へと走った。

 後ろを振り返るのが怖かった。


「遅かったな……」

 僕が外へ出てくるなり、玄関の側に座り込んでいた長野先輩が呟く。

 息を切らせているのが不審なのか、

「何かあったのか? 」


「いえ、……何でもないです」

 そういうのが精一杯だった。


「フン。まあ死体のある部屋に行ったんだから、ちょっとは怖いんだろうな」

 ありきたりの解釈をすると長野は立ち上がった。

 どこから持ってきたのか担架を肩に担ぎ、裏庭へと歩いていく。

 倉庫にそんなものあったかな?


 僕も慌てて後を追う。

 さっきの事は単なる幻覚だろう。ありえないし、考えられない。疲れがひどいから、その影響に違いない。


 このことは彼には言えないな。おかしくなったか、怯えているとしか思われないからな。実際、幻覚でしかなかったのだろうと思う。ありえないから……。


 裏庭のコンクリート擁壁から少し離れた場所に、人が倒れているのが見える。

 考えるでもなく、部長だ。


 ジーンズに茶色っぽいシャツを着ている。首と右腕がありえない方向に曲がっているのを見て、彼が既に息絶えているのだと分かる。


「さっさと作業をするぞ……」


 長野先輩に続いて死体に近づく。

 極力見ないように注意をしたが、意志とは無関係にその遺体の状況を確認しようとしてしまう。


 首が90度に折れ曲がり、強く頭を打ったのか割けているのが見えてしまった。冷静に、本当は冷静じゃないが、付近を見回すと薄桃色の奇妙な肉片が飛び散っているのが分かった。


 幸いなことに部長は目を閉じているようで、部屋で体験したような事態には陥らずにすんだ。


 思ったより出血は少ないようで、部長の倒れている地面には血だまりが無いように思えた。

 飛び降りた時に何度か崖の法面で体を打ち付けながら落下し、最後に地面に激突したのだろうか?


「どうした? 」

 僕が考え込んでいるのに疑問を感じたのだろう。

 先輩が話しかけてきた。


「いえ、なんでもないんですが」

 目線は地面へと向く。


「……血のことか? 」


 僕は頷く。


「俺も詳しくはないが、地面がコンクリートとかじゃない。土に血が染みこみ、血だまりができてないんだろう」


「確かに……。血だまりができるというのは固定観念にすぎませんね」


「どういう理由でこうなるかなど素人では分からない。俺たちができることは、死体を腐敗からできる限り守り、警察の調査を手助けするだけだ」


 僕は頷く。

 地面に置かれた担架に毛布を敷いた。


 先輩は遺体の横にしゃがみ込み、両手を地面と遺体の間に差し込む。。


「あ、手伝います……」

 僕が遺体に手を触れる間もなく、転がすように、担架に乗せてしまった。

 シャツに血痕がついているのも気にせず、てきぱきとした動作で部長の死体を毛布で覆ってしまった。


「さあ、さっさと運ぶぞ」

 担架の片方を持ち、長野先輩が構える


 ……一人で動かすことができたんなら、村野先輩の時もやってくれたら良かったのに。僕はああいったのは苦手なんだ。


「なにをぐずぐずしている……」


「あ、すみません! 」

 僕は反対側を持つ。


 朝食後と同じように、部長の部屋へと二人して入っていく。

 同じように遺体を担いで……。


 冷気が部屋から廊下へと流れ出す。僅かながらの死臭も感じ取れる。

 

 これで終わりなのだろうか。

 余っている布団を床に敷き、毛布にくるんだままの部長を寝かせる。そういった作業を行いながら、僕は思いを馳せていた。


 被害者と犯人が同じ部屋に死体として並べられている。

 犯人である部長の動機ははっきりとはしない、理解できないものであるが、これで解決となるのだろう。

 犯人死亡によるエンディング……。後味の悪い結末であり、最悪の合宿だ。


「俺は風呂に入って、もう寝る。今日はいろんなことがありすぎて何も考えられない」

 珍しく弱気な台詞を吐き出し、そんな自分を自嘲気味に笑う長野先輩。


「こんなことがあったら、誰だって嫌になります……」


「そうだな。……だがこれで終わりだ。何もかもが終わる」


「これからどうなるんでしょうか? 僕たちは助かるんでしょうか」


「わからない。誰かが不審に思って船を出してくれれば助かるだろう。部員が島に合宿へ来てることは親たちは知っている。一週間の予定なのに、期日に帰ってこない子供達を知れば確実に助けが出るだろう。……遅くとも、あと2日もすればそうなるだろう。食物は無いが、それくらいならどうにかなるだろう」

 勇気づけるように、彼が笑う。

 こうやって笑顔を見せる彼を初めて見たように思う。


「そうですね。安心しました。事件は解決しても助けが来ないなんてしゃれにならないですからね」


「さて、俺は風呂に行く。お前は、山寺達の様子を見ておいてくれ。女連中にとっては今日はあまりにショックだろうからな」

 そう言うと、先輩は部屋を出て行った。

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