第36話 追いつめる我ら
綾が突然立ち止まる。
「徹君。あたし、徹君が思うほど小さくないよ」
そういうと再び歩き出した。
「綾、何……? 」
綾は何も答えず、そのまま歩いて行った。何だかわからないまま、後を追う。
宿泊施設が近づくと、僕たちは崖に張り付くように移動をした。
展望台から部長が見ているかもしれない、その可能性が否定できないから動きも慎重になる。
物陰からこっそりと覗き、展望台の様子を見る。……崖の上に微かに見える展望台の屋根。そして階段と手すり。何も動きはなく、ただ青い青い空が広がるだけだった。
「どうやら大丈夫みたいだ」
「そうね。でも注意は忘れずに進みましょ」
壁を伝い、かに歩きで進んでいく。
やがて宿泊施設が見えてきて、展望台への階段の所に立つ二人の姿が見えた。
僕たちは再び物陰から上を見る。先ほどと同じく、何の気配もない。
お互い顔を見合い、頷くと一気に駆け出す。
飛び込むように展望台への階段を数段駆け上がり、長野先輩たちの側まで来た。
「ずいぶん慎重だな。……そんなにしなくても大丈夫だ」
息を切らせて立つ僕たちに彼は冷静な口調で指摘する。
「でも部長がどこで見ているかわかりませんから……。慎重すぎるということは無いと思うんですが」
「確かにそうだが、長谷川の性格からずっと監視をすることはしない。自分の予定通りに行動していることさえ把握すれば、あとは安心して寝るだけだろうからな。アイツは宿泊施設に盗聴器があることを俺たちが知らないと思っている。それがある限り絶対に大丈夫だ……」
綾の意見をあっさりと否定する。
確かに筋が通った意見だ。
自分が絶対的優位に立っていると思っている部長の立場からすると、僕たちが攻勢に出ているとは考えない。彼にとって時間は無限にある。
彼は休養を取り、万全の体勢で行動を起こすことができる。逆に僕たちは、昼夜を問わず緊張をしいられ、食料も尽きて衰弱していくだけ。
これほど簡単な狩りは無いだろう。
部長がそう考え、油断し続ける限り、僕たちに勝機がある。
長野先輩は目で合図をする。
僕たちは彼を先頭に深町先輩、綾、僕の順番で階段を上っていく。怪我をしている深町先輩も足を少し引きづりながら歩を進める。
見た感じだが、だいぶ怪我も良くなった感じがする。洞窟探検をしていた時は本当に歩くのが辛そうだった。今は僅かに足を引きづるだけで、きちんと歩けている。長野先輩がどこかから持ってきた薬草の効果なのだろうか? しかし、島のどこからあんな薬草を採ってきたんだろうな。
「先輩、足は大丈夫ですか? 辛かったら肩を貸しますよ」
「ありがとう、山寺さん。先輩に貰った薬草で湿布したせいで腫れも引いたし、痛みもほとんどないのよ。階段を歩くのもそれほど辛くないから……」
「そうですか。よかった」
再び沈黙の中、四人の行進は続いた。
前回来た時よりはその疲労度は軽かった。目的があるためなのだろうか? ついに真犯人を追いつめたという……。
展望台が視界に広がってくる。
円筒形のガラス張りの建物。
この中に部長が潜んでいるというのか?
日差しは相変わらず強い。日向にいれば僅かな時間で日射病になりそうだ。
島に来た最初の日に展望台に入ったが、相当な気温だった……。あんなところに潜む、それどころか寝て体力を温存するなんて、とても信じられないのだが。
「こんなに外が暑いのに、あの中なんて蒸し風呂じゃないんですか」
「確かに……。ガラス張りのあの展望台の中は相当に暑そうね。かといって外に隠れる場所なんてなさそうだし。冷房装置もなさそうだしね」
僕の言葉に深町が同調する。
「ああ、お前達は知らなかったんだな」
今頃気づいたように、長野先輩が言う。
「この展望台に電気が来てないと思っているようだが、宿泊施設の裏庭を通り、崖に張り付くように設置した配管を通り、電線が来ているんだ」
初めて知らされたことに驚きを隠せない。
電気が来ているということは、冷暖房設備も可能だし、電灯なんかもありそうだ。
「ガラス張りの展望室には何もないが、その上の屋根裏部屋には人が暮らせる設備が整っている。お前達は知らないかもしらないな。……もともとは無かったんだが、長谷川の親父の会社が施設を引き取った時に新たに設置したらしい」
「展望台に隠し部屋があって、電気も引かれている。まるで何かから隠れるために造られたような部屋ね。こんなの何に使うのかしら」
綾がもっともな疑問を口にする。
それは、今回の事件を起こすためじゃないのか? そんな思考がかすめたが、ありえないことなので排除した。
長野先輩は僕たちを集める。
これからの作戦を伝えるのだろうか。
僕たちは木陰に集まると、地面に円を描くように座った。
「これから役割分担をする……」
そういって木の枝を持った彼は地面に配置図を描く。
「中央にあるのが展望台。そして今俺たちがいるのがここだ」
そういって木の枝で示す。
「部長は屋根裏の部屋で昼寝をしているか、とにかく体を休めているはずだ。下からの入り口は一カ所しかない。そこで俺が奴を捕らえに行こうと思う。
……そして、展望台の入り口では山寺が待機。崖側は深町が待機しろ。そして、田中、お前は万一に備え、ここで隠れていろ」
「みんなで展望室に行った方がいいんじゃないですか? 」
深町先輩が反論する。
「どうしてだ? 」
「入り口は一カ所なら、数が多い方が何かあったときに対処しやすいと思うんですけど」
「確かにそうだ。……しかし、俺だって展望台の構造をよく知らないんだ。万一、外に抜け道があって捕り逃すことになったら取り返しがつかない。次はアイツも慎重になるだろうから、逆転のチャンスはより少なくなる。今を逃せば勝機は大幅に減る、……いや、ゼロになるだろう。建物からの出口は一カ所。仮にあっても隠し扉くらいだろう。深町と山寺はもし何かあったら声を上げるだけでいい。この建物からの脱出口は複数あるかもしれないが、敷地からの出口は一カ所しかない」
そう言って長野先輩は僕たちが上がってきた階段を指さす。
「田中、……万一の時は俺が来るまでの時間稼ぎを頼む。……できるな? 」
「もちろん。任せておいてください」
部長が武道をやっていたなんて聞いたことがない。たとえ殺人者であったとしても、こちらは木陰から、不意打ちをする。なんとかなるだろう。
それに、ちょっと格好良いところも見せたかったし。
「徹君大丈夫なの? 」
心配そうに綾が見る。
「これでも剣道を習っている身だ。大丈夫さ」
僕は手近にあった木ぎれを掴んで構えて見せる。
「あ、そうね。物陰から急に襲うから、よっぽどの人じゃ無い限り、対応できないもんね」
納得したように腕組みをする。
「おいおい、それじゃああんまりじゃないか」
僕たちのやりとりをみて、深町先輩が吹き出す。
「先輩、何かおかしいんです? 」
「いえ、ご免なさい、こんな時に。でもあなた達が本当に仲が良さそうだったから……。羨ましいわ」
綾の疑問にあっさりと答える。
綾はどういうわけか少し顔を赤らめ、それ以上何も言わなかった。
「さて、もういいか。行動を起こすぞ」
まったくいい加減にしろといった感じで、腕組みをして見ていた長野が、頃合いだと判断したのか僕たちに指示をする。
「わかりました」
僕たちは立ち上がり、行動を開始し始めた。
長野先輩、深町先輩、綾の三人は展望台へと歩いていく。途中で深町先輩は別れ、建物の裏側、つまり崖の方へと歩む。ほぼ同じくして長野先輩たちも玄関にたどり着いた。
長野先輩だけが何か合図をし、展望台の扉に手をかけ中へと入っていった。
僕はさっき拾った木ぎれ、80センチはありそうな少し太めの棒きれを右手に持ち、木々の影に隠れしゃがみ込んだ。
葉っぱの隙間から展望台付近の景色がはっきりと見える。
深町先輩は完全に建物の裏側に回ったのか、こちらからは見えない。綾は玄関から少し離れた場所で立っている。どこで拾ったのか、僕が持つ木ぎれのような棒を手にしている。
遠目に見える綾の姿は、ポニーテールのせいか少年剣士のようだ。道場で竹刀を構え、一人素振りをする姿は本当に美しいと思う。
もし部長が玄関から出てきて、綾を襲おうとしたら、部長が可哀想だと思った。殺人鬼と化した部長でも真っ正面から木刀を持った綾と対峙した場合、勝てる確率はゼロパーセントだ。防具なしなら病院送りになる確率が100パーセントとなるだろう。(綾の突きをまともに食らったことのある体験者談)
僕の出番は無いな。
ただ、隠し扉から出てきた場合には僕の出番もあり得る。
心配なのは深町先輩が襲われないかだ。
……考えてみると、部長は確実に不意を突かれた状態で飛び出してくると思われる。
逃げるのに必死だから深町先輩を襲ってという考えは及びつかないだろう。もちろん、その気になれば彼女を人質として逃げおおせることは可能だ。しかし、動転しているであろう部長からはそんなアイデアは浮かばないはずだ。
そう思うしかない。
付き合いの長いはずの長野先輩が言うのだから、間違いないだろう。それを信用するほか無い。
すぐに結論がでるんだろうな……。
余裕を持って、なぜだか余裕があるんだが、僕はこれから起こりうる事態を想像しながら展望台を眺めていた。
ゆっくりと意識が遠のく気がする。
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