第31話 そして、新たな展開

 朝……。

 この島に来てから、4日目の朝となる……。


 目覚まし無しでこんなに早くに起きられるようになったのは、無人島での合宿というイヴェントのお陰なのだろうか。


 相変わらず、寝起きには激しい吐き気がやってくる。

 吐き気は頭痛を伴い、日を追うごとにひどくなっている。慣れない環境とこの異常な事態が体の不調を呼ぶというのだろうか。

 この島に来て以降、どういうわけか脱力感が抜けない。食欲もあまり無いのが本音だ。食料のほとんどが部長によって処分され、満足な食事をしていないはずなのに、あまり空腹を感じない自分がいる。


 空腹感が全く無いというわけではない。しかし、食物があっても食べようという気が起こらないのだ。お茶漬けでさえと食べられそうにない。そんな状態で、あの味の濃い缶詰のラベルを見たら、うんざりしてしまう……。

 結局、何も食べないと体が保たないと自分に言い聞かせ、水で無理矢理押し込んでいる。

 しかし、この体調の異変は何なのだ。本当に事件の緊張がもたらすものなのだろうか……? それとも。


 他の部員達も似たり寄ったりの状態らしい。最初は配分に不満を感じていた村野先輩でさえ、食事の量に関して何も言わなくなっている。

 もっとも、これは僕が思っているだけで、本人は言うだけ無駄だから何も言わないだけかもしれない。


 しかし、皆一様に体調を崩しているのが顔色はっきりと分かる。みんなどこか怠そうだし、下痢気味なのかトイレに行く回数も普段より多いみたいだ。これは僕がどうも下痢気味であること、女性陣のトイレがいやに長いことからの推測でしかないけど。村野先輩は何か下痢気味やあって嘆いていたのも参考にしている。

 慣れない環境だから体調を崩すのはありがちな事だと思うけど、どういうわけか部員たちの性格面にも変化が生じているように思える。こういった状況下にあるから、ある意味仕方が無いのかもしれない。しかし、部員間で何かギスギスした関係がずっと続いているのは事実だ。表だって出たのは一時のことだったが、いまだにみんなの心に蟠りがあるようで、合宿初日から日を追うに従って会話が少なくなっているように思える。

 

 ふう。

 いろいろ考えても仕方がない……。

 僕は儀式に向かう者のように部屋を出て、食堂へと歩く。

 空腹感は無い……。しかし、食べる食べないにかかわらず、三度の食事の時間には顔を出しておくべきだ。

 お互いの安否を確認するために。


 食堂に入ると、既に綾たち女性陣の3人がテーブルに腰掛けていた。

 昨日はぐっすり眠れたとかそういったたわいの無い話を村野先輩が一人で喋っている。昨日の晩と変わらずテンションは高い。

 綾はどこか眠そうだし、深町先輩はどこを見ているわけでもなく、ぼんやりと村野先輩の話を聞いているようだ。

 ふと見ると、今日は珍しく綾は髪を束ねていなかった。ポニーテール以外の綾を見るのは何年ぶりだろう。

 こうしてみると綾の髪が長かったんだということを再認識する。深町先輩よりも長いんだ……。それも思ったより綺麗な黒髪で艶々している。

 いつもと違う幼なじみの姿にどきりとする自分がいて、それがとても照れくさかった。


 机に腰掛けると、すぐに綾がお茶を入れてくれた。

 僕は彼女に礼を言うと、湯飲みを口へと運ぶ。苦みの強い液体が口中に広がる。ここの井戸水はどうにも苦みが残るようだ。……ただ、綾が入れると余計に苦くなるんだけど。

 僕はため息をつくと、湯飲みをテーブルに置く。


「田中はご飯食べんのか? 」

 ツナ缶を箸でつつきながら村野先輩がこちらを見る。


「ええ。何かあまり食欲がないです。それに朝からツナ缶ってのはキツイです」


「そう? ウチは全然平気やで。朝飯抜きのほうが、体に応えるしな。体力の維持ができんかったら、万一の時に対応できんで」


 この人は本当に元気だな……そう再認識する。

 こんな状態でも食欲が落ちないとは、かなりの大物なんだろう。しかし、缶詰一個だけで足りるのだろうか? 部活動中は、常に何かを食べている印象しかない。しかし、合宿に来てからは、ご飯時しか食べている姿を見ていない。どうやってエネルギー補充をしているのだろう? そんな疑問も感じたが、口には出さなかった。


 ……もしかすると何か食物を隠しているのかもしれない。

 ありきたりで、実は真実に近い考えが浮かんだが、状況が状況だ。いらない争い事の種になりそうなことを口にしてはいけない……。


「田中、もし、缶詰が食べれられんのやったら、いつでも貰ったるからな」

 そう言って、村野は持ってきていた特殊飲料、(深緑色した不気味などろどろした液体)を一気に飲み込む。


「プハー!! こののど越しがたまらんなあ。冷えてて気持ちええわ」

 一体、あの飲み物の成分は何なのだろう。決して旨い物ではなさそうだが、それでも彼女は美味しそうに飲む。

 不思議だ。


 ペットボトルを空にした先輩は、ペットボトルに蓋をすると、大きくのびをした。

「さあて、これからどうしょうかなあ」 

 そう言って、にやけながら部屋を見回す。

 明らかに何かを言おうかどうか思案しているように見える。悪戯っぽい目で部員達を見ている。


「ど、どうしたんですか、先輩。何かあったんですか? 」

 不気味な視線を送り続ける彼女に耐えきれなくなったのか、綾が口を開く。


「うほほほ。ウチなあ、昨日気づいたことがあるんや。……名探偵村野さんの推理が炸裂や。全ての謎は、昨晩、解けたんやな、これが」

 自慢げに綾を見る。


「全ての謎? 」


「みんなが揃ったら、教えたるわ。……この合宿の謎の全てをな! 」

 まるでミステリ映画終盤の探偵のように啖呵を切った。

 妙に芝居がかった口調で喋るので、冗談にしか思えなかった。腹一杯になって頭おかしくなったのか?


「なんだか騒々しいな……」

 タイミングを計ったように長野先輩が入ってくる。

 

「おはようございます」

 綾と深町先輩が声をかける。

 二人に軽く頷くと、彼は空いた席に腰掛けた。彼も僕と同じく、食べ物を持って来ていない。

 みんなの顔を見に来ただけなんだろうな。


「長野先輩も朝は何も食べないんですか? 」

 綾がお茶を入れながら問いかける。


「ああ。特に腹は減ってない」

 相変わらずぶっきらぼうな態度だ。


「ほげe?! 」


 奇妙な声を聞き、僕たちはそちらを見る。

 そこには大きく目を見開き、口を大きく開けた村野先輩がいた。

 先ほどまで食物をがっついていた姿はもうない。


「どうした? 」

「先輩、何やっているんですか?」


 みんなが口々に声を上げる。

 

 唐突に彼女の口から涎がどろりと垂れ、机に糸を引きながら落ちていく。何かを喋ろうとするが、息を吸い込むような音がするだけで言葉にならない。

 椅子が大きな音を立てて床に倒れる。

 村野先輩は呻き声を上げ机に倒れ込むと、のどを激しくかきむしりだした。


「おい、どうしたんだ! 」

 長野先輩が椅子から立ち上がる。

 僕たちもここで初めて異変に気づいたのだ。冗談だと思っていたのだけれど、そうではなかった。

「ゲボゲハッ!ゴビューッ」

 呻くような声を上げ、机の上から床へと転がり落ちる。ウゲウゲ、何かを呻くが聞き取れない。

 激しく暴れるため、さっきまで食べていたツナをお茶とともに床にぶちまける。


「先輩! 」

 綾が彼女に駆け寄り、背中をさする。

 一体何が起こったのか理解できない。みんなどう対処したら良いか分からない。だが何かをせずにはいられない。

 そんな気持ちが綾を動かしているようだ。吐瀉物が体につくことすら気にしていない。


「長野先輩、これは一体」

 僕は何もできず、慌てふためくしかできない。


「深町、水を持ってこい! 田中、とにかく吐かせるんだ」

 僕たちは指示されるまま、動く。

 

「うげげげえっ!! 」

 とても正視できない状態、顔で先輩が苦しそうに悲鳴を上げた。苦痛に顔を歪め、何かを必死に吐き出そうとしている。

 両手の爪を立てて首をかきむしり、皮膚が裂け鮮血がほとばしる。


「どうすればいいんです?! 」


「とにかく吐かせるんだ。口に指をつっこめ」


 言われるままに僕は自分の指を先輩の口に押し込む。強く指をかまれたが、気にしてはいられない。

 刺激を受けたのか、彼女が吐く。

 指から腕、そしてシャツにまで彼女の吐瀉物が飛び散る。部屋全体に異臭が立ち上るのがわかる。


「先輩! 水を持ってきました」

 そういって深町先輩が走ってきた。


「よし」

 彼はコップになみなみと入った水を村野先輩の口に当てる。

「さあ飲むんだ!! 吐き出せ」


 しかし、目を見開きばたつくだけの彼女は決して飲もうとはしなかった。

 無理矢理コップを口に当て傾けようとした時、彼女にこんな力があったのかという動きでコップをはじき飛ばす。

 コップは壁に当たり、激しく音を立てて割れる。


「しっかりして先輩。水を飲んでください! 」

「しっかりして!! 」

 綾たちが声を上げる。

「無理矢理でもいい、飲ませろ! 」


 一際、大きな音を立てて村野先輩が嘔吐した。それは霧のように広がり、床の広範囲に飛び散る。

 そしてありえないくらいの力で、僕たちを突き飛ばす。床に倒れ込んだ僕たちは、呆然と彼女を見る。


 ぜえぜえと呼気音をたてる。顔には汗が噴き出し、頬を伝って床へと落ちる。全身にも相当な汗をかいているようだ。Tシャツが汗でびっしょりして下着が透けて見えている。

 

 そしてひっかいた首の皮膚が剥がれ、幾筋もの赤い液体が垂れ落ち、白いシャツに不気味な斑紋を生じさせる。

 彼女は時折咳き込む。何かを探すようにきょろきょろと見回す。

 やがて気づいたように、カッと目を見開いた。

 その目は飛び出し、血管が浮かびあがり、不気味なほどの赤みを帯びている。

 般若というものを見たような気がした。

 鬼は右腕を差し上げ、前方を指さす。

 僕たちはあまりのことに動くことさえ忘れた。


 その指さす方向に綾がいた。


「あ、あんただけは、許さへん……。ころした……」

 言い終わるかどうかのタイミングで彼女は綾に向かって飛びかかろうとした。


 が、次の刹那、再び咳き込んだかと思うと何か赤黄色いものを大量に吐き出し、断末魔のような奇声をあげたかとおもうとそのまま床に倒れこんでいく。


「先輩! 」

 綾が慌てて駆け寄ろうとする。


 ゴンッ。

 村野先輩は受け身すらとらず、顔面から床に激突し、激しい音をたてる。

 僅かばかり痙攣したかと思うと、そのまま動かなくなった。


 綾を制止し、長野先輩が近づく。

 首に手を当て、そして見開いたままの瞳を見て

「……だめだ」

 と、呟いた。

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