第23話 幼馴染

「うっ! 」

 痛みが走ったのか、彼女はうめき声を上げた。


「大丈夫ですか! 」


「……ごめんなさい、大丈夫。ちょっと足下がふらついただけだから」

 梯子ごしに下を覗く彼女の顔が見えたが、とても大丈夫そうには見えない。かなりの苦痛に耐えているのが分かった。


 ゆっくりとゆっくりとではあるが、彼女は片足だけで器用に梯子を下ってくる。

 両手で全体重をささえ、タイミングを計って飛ぶような感じで一段したの梯子に足を乗せていく。

 ハシゴに一歩一歩足を下ろすたびに衝撃が怪我をした足に伝わり、痛みが走るのだろう。彼女はそのたびに僅かにうめき声を上げる。


「先輩、がんばってください。あと少しです」

 僕は、梯子のすぐ側に近づき、ただ彼女を応援するしかできなかった。


 あと数段で床に足が届く。

 僕は自分のことのように彼女を見つめていた。

 その刹那、彼女は足を踏み外す。

 小さな悲鳴を上げて彼女の体が梯子から滑り落ちる。


 僕は考えるよりも速く体が動き、彼女を抱きとめた。


 しかし、落下重量に僕の腕力が耐えきれず、僕たちは床へと転倒した。必死で彼女の体が地面に衝突しないように自分の体を入れる。


「ぐえっ! 」

 地面に激突した衝撃で思わず呻いてしまう。

 それでも何とか彼女を守ることができたようだ。

 頭も強く打ったせいで、激痛が走っている。


「先輩、大丈夫ですか! 」


「私は大丈夫よ。それより田中君こそ大丈夫なの! ……ごめんなさい、私のせいで」


 彼女は僕に体を預けたまま上体を起こすと、心配そうな顔で僕をのぞき込む。

 長い黒髪が僕の顔に当たり、何かすごくいい香りが漂ってくる。


「先輩、足は打たなかったですか? 」


「ええ、田中君が庇ってくれたおかげで私はどこも打たずにすんだわ。……でも、あなたが」


 僕はにっこりと微笑んだ。

 本当は頭が痛いし、まともに打った背中の痛みのため、呼吸も苦しいのだが。

 こりゃ頭にたんこぶができてそうだ……。


「……先輩を守ることができたら、本望です。良かった。先輩にもしものことがあったら僕は……」


 彼女の瞳が潤んでいるのが分かる。

「田中君……、あなたって人は。……ありがとう。守ってくれて」

 そう言って、彼女は微笑んだ。

 普段、あまり見せることのない笑顔を僕に見せてくれたのだった。

 そう言えば、彼女の笑顔を前に見たのはいつ頃だったのだろうか? 思い出そうとしても思い出せない。

 彼女は普段から笑顔を見せない。いつも思い詰めたような表情をしていたことを思い出す。部長といるときには笑顔を見せているのかもしれないが、部活の時や校内にいる時、その顔に笑顔は無かった。


 そんな彼女が僕の為に微笑んで見せてくれた。

 彼女を庇ったということに対する感謝だけかもしれない。しかし、それでも嬉しさがこみ上げてくる。僕は体中から痛みが消えていく気がした。

 

 深町先輩は僕を見つめている。薄暗い地下でもそれははっきりと分かる。

 ……感じ取れる。


「田中君、私は……」

 彼女は僕に何かを言おうとした。

 

「はいはい、ええムードやなあ」

 その刹那、暗闇のどこかから関西弁が聞こえた。


 あわてて周りを見る。

 暗闇に赤い小さな光が見える。

 ……それはビデオの撮影中のランプの点灯だとすぐにわかった。

 そして、その持ち主が誰であるかも。


 懐中電灯でその赤い光を照らすと、そこにはビデオカメラを構えた村野先輩が立っていた。

 ニヤニヤした笑みを浮かべ、ゆっくりと近づいてくる。


 慌てて深町先輩が僕から離れた。


「ラブシーン、しっかり撮らしてもらったで。これ以上放っておいたら、越えたらあかん一線を越えてしまいそうやったな」


 どうやら夜間撮影モードに切り替えているのだろう。しゃべりながらも撮影を続けている。

 彼女はずっとここに留まっていたのだろうか。


「田中ぁー、アンタあかんなあ。深町さんが魅力的なんはわかるけど、浮気なんかしたら、彼女が怒るやんか。場所をわきまえんとな。一緒に同じ場所に来とるんやから」

 そう言いながら、右の方にライトの明かりを向けた。


 嫌な予感がした。

 ……何か得たいのしれない、殺意に満ちた悪意を持った意志を僕はその空間から感じた。


 ライトに照らされたもの、それは綾だった。

 口を一文字に閉じて僕のほうを見ている。いや、見ているというより、睨んでいると表現すべきか。


「あ、綾……」


「……徹君、こんな時に何をしているの? そんなことは町に帰ってからでいいじゃない。せっかく待ってあげてたのに、何なの? 」

 綾の目は笑っていなかった。

 彼女の胸の前で組んだ両指からボキボキっと音がした。


 やばい、殺される。

 一瞬ではあるがそんな予感がした。


「いや、綾、誤解だよ。僕は先輩を助けようとしただけだ」


「ふうん……。わかっているわ。徹君が助けなかったら、先輩は怪我をしていたかもしれないもんね」

 綾は笑った。

 しかし、相変わらず目が笑っていない。


 僕はそれ以上何も言えず、黙り込んでしまった。

 どう発言しても無理っぽい。ここはやり過ごすしか無い。

 ……そこで気がついた。

 何故、綾が怒っているのか理解できなかった。僕は先輩を助けただけだし、彼女もそれに対して感謝の意を述べていただけだ。

 確かに端から見たら、抱き合うような形になっていたから、良い感じに見えたかもしれない。

 深町先輩は僕に何かを語ろうとしていたし。


 それが僕に対する好意を表現しようとしていたのか、ただ感謝の言葉を言おうとしていたのかはわからない。

 最も注意すべきポイントとしてなのだが、綾は僕の恋人でも何でもなく、ただの幼なじみであることを認識しなければならない。

 どうして、綾が怒っているのだろうか?

 彼女が怒っていることがわかったから、つい反射的に言い訳をしてしまったが、実際には理解できずに口にしただけだ。


「まあまあ、それくらいにしといたげたら? 田中も深町さんもそんな気持ちは無いはずやし。さあさあ、急がないと輩に追いつかへんよ」


「そうね。山寺さん、行きましょう。私はあなたの彼氏にお礼を言おうとしただけだから。

 誤解してたらご免なさいね」


 二人の先輩に言われ、はっと自分が怒っていることに気づいたのだろう。

「い、いえ、違いますよ。あたしと徹君は別にそんな仲じゃないし、別に怒ってもいません。……深町先輩、どこか打ったりしてませんか? 」

 と、言い訳をするかのように早口で捲し立てた。


「ありがとう。田中君が庇ってくれたおかげで、どこも打ってないわ」


「そうですか。よかった……。ここからはあたしが肩を貸します。徹君に任せてたら、先輩が何をされるかわかりませんから」


 相変わらず毒を持った発言だ。

 顔には出していないが、綾は、まだ怒っているようだ。


 それにしても、綾はどうかしたんだろうか?

 いつもなら、僕の行動に関して、ここまで過剰な反応をすることがなかったのだが。

 いつもは、ずけずけと僕に対して意見を言ってくるが、それはいつもアドバイス的なものであり、批判的な態度を取ることはなかった。

 何かあるんだろうか?

 考えてみれば他の二人もそうだけど、この島に来てから若干ではあるが人柄が変わっているような気がする。

 人里離れた無人島、異常な事件の連続等々で通常とは違うキャラクターが出てきているのか。


 そういった考えは置いておき、今は綾をなだめるのが先決だ。

 僕は綾の方へと近づこうとする。

「酷いなあ。綾、そこまで言わなくても。そんなつもりは無かったよ」


「さあ、行きましょう」


「せやな。セクハラ男は置いていこ」



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