第21話 また朝が来る
そして日が昇り、朝が訪れた。
誰もがこの緊張状態の中で眠れない夜を過ごしたようだ。
ただ一人、あの村野先輩を除いては。
彼女は、撮ったビデオのチェックをしていたようだが、すぐに眠ってしまい、一晩中大きないびきを立てていのだ。
怖くて眠れないだの、ずっと起きておかないと危険だとか騒いでいたくせに、この有様だ。
さすがというか、あきれるというか。
みんなが起きた後も最後まで起きてこなかった。
「さあ、飯や飯。……っていうても何もあらへんのやったなあ」
起き抜けに食事の事で騒ぐだけ騒ぎ、彼女はやっと静かになった。
眠っていても起きていても騒々しい人だ。
僕は一晩中、眠ることができずにいた。
何が起こるか分からないという緊張感、村野先輩のいびき、……そして何よりも隣で綾が眠っていたことが最大の原因だったように思う。
ぼーっとする頭をすっきりさせるために、洗面所で顔を洗った。
みんなも各々に身支度を始めている。
さすがに着替えだけは男のいる部屋でできないらしく、その時だけは食堂から僕たちは追い出された。
「さて、みんな準備はできたか? 」
食堂に戻ると、長野先輩がみんなに声をかけた。
朝食はみんな抜きである。わずかな缶詰だけしかないため、朝食に回す余裕はない。
僕たちはテーブルに腰掛けると、綾が入れてくれた濃いお茶を飲む。苦みが口の中に広がる。村野先輩だけはオリジナルドリンクを飲んでいる。
深町先輩を見ると、彼女は昨日のショックから立ち直ったのか、元気そうな顔をしている。それが空元気なのは僕でさえ気づいている。
スカートからのぞく膝には、綾がどこからか探してきた湿布が貼られている。また、右頬には殴られた後が青く痣になっているのが痛々しい。
しかし、どうして部長は自分の恋人を襲うようなマネをしたのだろう。さらに何故殺されたような演技をしたのだろうか?
……いや、まだ部長が生きていると決まったわけではない。
結論を急ぐ理由はないのだ。
ただ深町先輩が見たかもしれないという推測と部長のPHSから電話がかかってきたというだけの事実しかない。
すべてが決定打にはならない。
「徹君、どうしたの? 何か深刻そうな顔をして……」
ずいぶん考え込んでいるように見えたのだろう。
綾が心配そうにのぞき込む。
「……いや、何でもないよ。ちょっと考え事してただけだから」
「ふうん。あんまり考え込むのって、徹君らしくないよ」
軽く微笑むその姿に、何だかホッとした。
色々考え込んでも何にもならない。まずは事実を確認しなければならないのだ。
「そろそろでかけるか」
長野先輩が呟く。
「ちょっと待ってや。行くのはええんやけど、深町さんはどうするんや。この子は足を怪我してて、歩けへんやん。どないするん? 」
「私は大丈夫です。歩けます」
そう言って、彼女は立ち上がるが、痛みのために顔をゆがめ、再び座り込んでしまう。
とてもじゃないが、歩ける状態じゃない。そんな彼女が研究施設まで行くことができるとは思えない。
「深町先輩、無理です。そんな状態じゃ、あそこまで行けません」
「ほな、やっぱり深町さんは残るしかないんとちゃうん? 」
「そんな、先輩を置いてなんて行けるわけないです。まだ犯人がこの島にいるんですよ! 」
村野先輩の薄情な台詞に綾が怒りをあらわにする。
普段怒る姿を見ることがないので、ある意味ショックだ。
それにしても、ここ数日で部員達みんな、感情の起伏が激しくなっているような気がする。極限状態がそうさせるのだろうか?
「おーこわ。山寺さん、そんなに怒らんでもええやん。冗談に決まってるやん」
ヘラヘラと笑う村野先輩。
「冗談でもやめてください。深町先輩を一人で残しては行けません。それならあたしも残ります」
「二人とも落ち着け」
長野先輩が険悪なムードを漂わす二人の間に入った。
「みんな一緒に行くんだ。一人だけおいていくなんてことはできないしな」
「せやけどどうやって深町さんを連れて行くんや? まさか担いで行くん」
「もちろんその通りだ。深町ぐらいなら背負ってあの施設まで行ける」
確かに深町先輩なら背も大きくないし体重も軽そうだ。
長野先輩なら鍛え抜いているから、造作ないことかもしれない。
もしかすると、ぼくでも運びきれるかもしれない。……村野先輩なら10mも運べないだろうけど。
「そんな、私重いです。先輩にそんな負担をかけられません」
「気にするな。それに、ここに女だけ残していくのは危険すぎる。状況が把握できるまではそんな危険は冒せない。俺では不満かもしれないが、緊急事態だ。我慢しろ」
そう言って彼は笑った。
その笑顔は普段彼が見せたことのない優しさにあふれた笑みだった。
仕方なく思ったのか、彼女は頷いた。
「よし、これで問題はないな。研究施設へ急ぐぞ」
そういうと彼は深町先輩をひょいと背負うと、玄関へと歩き出した。
みんなもそれに続く。
僕たちはそれぞれの荷物を持ち、再びあの研究施設跡地へと向かうこととなった。
長野先輩が人一人を背負っているため、前回研究施設へ行った時よりも多めの休憩を挟み、到着したの時には、すでに陽は真上に来ていた。
深町先輩は何かあるたびに「ごめんなさい、迷惑をかけて」と謝ってばかりだった。
彼女には何一つ非はない。
部員たちも彼女に励ましの言葉をかけた。
「おいおい、俺には何も言ってくれないのか? 深町を運んでいるのは俺なんだぞ」
彼にしては珍しくふざけて見せる。
何だか最初にあそこに行った時よりも緊張感が無いようにさえ思う。
この後明らかになるであろう事をみんなが予想し、その現実からできるだけ目をそらそうとしているのだ。
信じたくない事実、信じられない事実。
それが現実になろうとしているのだから。
研究施設はあの日と変わらず、古ぼけた姿のまま佇んでいる。
あの事件を経験したせいか、むしろ不気味さが増したかのようだ。
アスファルトを突き破って生えてきている雑草の広場に僕が持ってきておいたままになったクーラーボックスが転がっている。
中にはお茶が入ったままだろう。
みんなはそれに興味も示さず、一直線に部長が殺害された現場へと向かう。
入り口にたどり着くと、長野先輩は深町先輩を降ろした。
「先輩、ありがとうございました。重たかったでしょう」
「気にすることはない。ちょうど良い負荷だったから良い運動になった。ここからは田中にでも肩を借りてくれ」
素っ気なく言うと、ライトを取り出し点灯する。
他の部員たちも後に続く。
「先輩、じゃあ肩を貸しますよ」
僕は駆け寄ると声をかけた。
「ごめんなさい」
そう言うと彼女は僕に身を預けてきた。
長い髪が僕の頬に触れる。
柔らかい香水の香りが漂ってきて、意識が遠くなりそうになった。
「じゃあ行きましょう」
僕は片手でライトを取り出すと、点灯させる。
暗闇の中に足を踏み入れ、あの忌まわしい事件の起こった場所へと向かう。
長野先輩を先頭に僕たちは部屋へと入った。
数日前に来た時と何ら変化は無い。不気味なほどの静けさだけが漂っている。
「よし、みんなすまないが、手をつないでくれ」
先輩の合図に僕たちは頷き、柱の角を掴んだ僕を支点に手をつないだ。
深町先輩は負傷しているため、入り口に座っている。
長野先輩はライトを片手に、慎重に陥没した穴へと向かう。
「やはりか……」
穴をのぞき込み、ライトで地下を照らしながら呟いた。
「どうやったん? 部長の死体はあったん」
僕たちは固唾を飲んで、返答を待った。
「……長谷川はいない。地下には誰もいない。……あまりに予想通りだったが」
「そんなアホな! 」
村野先輩が叫ぶ。
予想されていた事とはいえ、それが現実になったということで衝撃が走った。
部長が死んではいなかった事。それは問題はない。あの事件は部長の狂言だったというだけのことだ。
……しかし、その後が問題だった。
部長は自分が殺されたという演出をし、深町先輩を襲った。発見が遅かったら、彼女は死んでいたかもしれない。もしそうなっていたとしたら、事情を知らない僕たちは外部犯と確信し、恐怖に浸るだろう。もしくは部員達の中に殺人鬼がいるという猜疑心にさいなまれたまま時を過ごさねばならなかった。
最初の被害者が犯人……。ミステリではごく当たり前の話。それを部長が演出したというのか?
部長の目的は何なのだ。深町先輩を殺害することが目的なのか?
それとも……。
「ウチも見てみたいわ。実際に確認せえへんと信じられん」
村野先輩と綾は交代で穴の底を覗き、現実を知った。
僕は見るまでもなかったので、穴に近づこうとはしなかった。それ以上に思考に忙しかった。
「一つの問題は解決した。だが、次の問題を解決しなければならない」
「何が問題なんですか? 」
「あいつがいかにしてあの地下室へと降りたかだ。それをまずは調べなければならない。俺が館内を調べるから、みんなはここで待っていてくれ。何かあったらピッチに連絡を入れる」
と、僕の問いに答えると、彼は駆けだして行った。
残された僕たちは、廊下へと出た。
ライトを点灯したままにし、僕たちは廊下に座り込んだ。
長野先輩と一緒に地下への入り口を探したかったが、女性達を残したままにはできない。
部長がどこかで監視をし、隙を狙って来るかもしれないのだ。
ほんの少し前までは半信半疑だったことが、今では現実となっている。部長が部員の殺害を狙っている。その理不尽さと恐怖に僕たちは取り憑かれたままだ。
「なあなあ、外で待っていたほうがええんちゃうん」
「それは言えるかも。こんな真っ暗なところにいるのは怖いわ」
村野先輩も頷く。
確かに暗闇は人を不安にさせる。
何者かが僕たちを襲ってきたら、反応は明るいところと比較すれば大きく遅れるだろう。
「確かにそうだな。ここにいて万一襲われたら防ぎきれない……。外にいた方が安全だ」
と、僕も呟いた。
結局、外へ出て待つということで意見がまとまった。
「ほな、さっさと外へ出よ……」
村野先輩が言いかけた時に、僕のPHSが鳴り出した。
「はい……」
僕が応えるとノイズ混じりの音声が聞こえてきた。
「もしもし、俺だ。入り口を見つけたぞ」
電話は長野先輩からだった。
「先輩、どこにいるんですか? 」
みんなが僕を注目しているのが感じ取れる。
「おまえ達がいる隣の建物だ。すぐにこっちに来てくれ」
僕はみんなに今の電話の内容を伝えた。
「隣の建物に地下への入り口があったっていうの? あたし達が調べた時には何も見つけられなかったのに」
「あの時は事件が起こったから、そんなに調べる時間が無かったじゃないか」
「……あ、そうだったわね」
「あんたら、さっさと行かんと先輩にどやされるで」
僕と綾の会話を遮るように、村野先輩が言う。
「そうでしたね。じゃあ行きましょう」
僕は深町先輩に肩を貸すと、外へと歩き出した。
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