第18話 疑心暗鬼を生ず
冷蔵庫にたっぷりと詰め込んであった食材、飲み物、そして台所の奥の棚に入れてあった保存食すべてが無くなっていることに気付くのにそれほど時間はかからなかった。
鍵の掛けられた冷蔵庫にある、村野先輩のオリジナルドリンク以外は。
僕たちは食料を全て奪われた。
船が来るまでの数日間、僕たちは空腹に耐えながら待たねばならなくなったのだ。
この時、僕たちは犯人の僕たちに対する悪意を認識せざるをえなかった。
夕刻……。
それぞれが起こった現実の認識と、今後の対応を考え、結局のところ何の解答も出ないまま、再び食堂へと集まってきた。
残された食料は、部員達が自分用に持ってきていたお菓子や、たまたま違う部屋に置いてあった僅かな缶詰と水が少々。
それでも、うまくやりくりすれば、飢え死にだけは避けられそうな量だ。
それぞれが疲れ切った表情で椅子に腰掛ける。
深町先輩もなんとか部屋から出てきている。憔悴した姿が痛々しい。何か励ます事ができればいいのだが……。
「俺達の置かれた状態は、良好とは言い難い」
そういって、長野先輩が話を始めた。
「持ってきていた食料の大半はこの建物から消え失せた。残された食料から考えるに、とりあえずは飢え死にはしないで済みそうなレベルだ」
長野は冷蔵庫の横に積まれた缶詰とスナック菓子の袋を指さす。
缶詰が20缶、スナック菓子が10袋。
あまりに寂しい量だ。
「水に関しては、井戸水があるから大丈夫だから、缶詰で飢えをしのげばいい」
「20個やから、一人5個かいな。そんなんお腹の足しにならへんわ」
食事の事だけに、村野先輩が不平をまき散らす。
みんな自分が持ってきたお菓子等を持ってきているが、彼女は何も持ってきていないとのことだ。
考えられないとは思うが、持っていないと言われれば、それ以上追求することはできなかった。疑念を持つのはお互い良い結果を生まない。
「水があるから、生き延びることはできそうですね。あんまり美味しい水じゃ無いけど無いよりはマシですね」
僕の隣で綾が呟く。
「さあ、食材を配付する。迎えの船が来るまでの日数を計算して、それぞれの責任で、きちんと食材管理をしてくれ」
そう言いながら、長野は空袋と一緒に缶詰を各人に配付していく。
マグロ缶詰、サンマ蒲焼き、シーチキン……。
ご飯か何かがあればいいんだが。
「スナック菓子に関しては、予備食として食堂に保管することにする。それでいいか?……」
「それでええわ」
ごそごそと食材を袋に詰めながら、村野先輩が言う。
その目は戸棚にしまい込まれるスナック菓子に釘付けだ。
僕も袋に缶詰を詰める。
「徹君」
「? どうした」
綾を見ると、彼女は深町先輩を見ている。
彼女は机の上に置かれた缶詰に興味が無い様子で、ただぼんやりとしているだけだ。
「深町先輩、どうしたんですか? 」
綾の問いかけにもしばらく反応が無い。
「深町さん、はよー缶詰を袋にいれときや。でないと盗られるでえ」
どん欲な目で村野先輩は缶詰を見ている。
「……私はいらないわ。食欲がないもの」
小さな声で彼女が呟く。
「ほ、ほんならウチが貰ってええやろか? ……深町さんがイラン言うんやったら、勿体ないもんな」
待ってましたとばかりに、村野先輩が缶詰に手を伸ばそうとする。
「村野、待て」
「な、何やの? いらん言うから、ウチが貰おうとしただけやん」
長野先輩の静止に不満げに村野が答える。
その目は理不尽な事をされ、怒りの色さえ見える。
「それは深町の取り分だ。おまえにはきちんと配付しているだろう。それ以上は認められない」
静かだが、有無を言わせない口調だった。
何か反論をしようとした村野先輩だったが、結局何も言えず、フン!と鼻を鳴らしただけで椅子に座った。
「深町、おまえの気持ちも分からないわけではないが、気持ちを切り替えろ。悲しむなら家に帰ってからにすればいい。
今は迎えの船が来るまでの間、いかに過ごすかが大事だ。
おまえが何も要らないと言っただけで早くも1つのトラブルが発生しそうになった。誰しもこの程度の量の食材では満足できない。この隔離された空間で、さらに空腹が重なれば今後小さないざこざがやがて重大な事態へとなることがあるんだ。
そういった事をわざわざ起こす必要はないだろう。……その辺を理解しろ」
「で……」
僕は反論をしようと思ったが、綾に腕を掴まれた。
彼女を見ると首を横に振って、僕に自制を促している。
そうだ……。
これもトラブルの種だ。
深町先輩のたった1つの行動が新たなトラブルを産もうとしている。
村野先輩と長野先輩と確執。僕と長野先輩の確執。村野先輩と他の部員との確執さえも。
日常なら何の問題もない些細な事も、この状態なら重大な結果をもたらす危険性をはらんでいることが認識できた。
たかだか缶詰5個で人間関係が壊れることさえあり得るのだ。
今はまだみんな空腹では無い。
しかし、この程度の食材しかなければ、やがて空腹による苛立ちから、普段ならどうってことのない事さえ、重大なトラブルを産むのだろう。
僅かな人間関係の亀裂がより重大な事態を発生させるかもしれない。
それが極限状態……。
「ごめんなさい……。私が勝手な行動をしたら、みんなに迷惑をかけてしまいますね。これは頂いておきます。……村野さん、ごめんなさい」
「え、ええんや。ウチもがっつきすぎたわ。深町さん、ごめんな。腹が減るんだけはウチ耐えられへんから、つい欲張ろうとしてしもうた。長野先輩、謝りますわ」
そういって彼女は二人にペコリと頭を下げた。
「さあ、全て解決したんだから、食事にしましょうよ。何にもないけど……ね」
そういって綾が立ち上がった。
「お茶でも沸かします。缶詰だけだと塩辛くて耐えられないでしょ」
そう言えば、お茶だけは残されていたのだった。
それがここの不味い水の味を誤魔化す唯一の手段だろうな。
確か井戸水を浄水しているはずなのに、臭く少し苦みがある。
湯が沸き、お茶の入った紙コップがそれぞれに配られた。
部員達は配給された缶詰の蓋を開け、割り箸で食べ始める。
僕はマグロ缶を開けた。
空腹なのであっというまに無くなりそうな量だ。暖めた方がいいだろうか?それとも水を足して量を増やそうか……。どっちにしても大して変わらないな。
悩んだ結果、何もせず、一口一口良く噛んで食べることとした。噛むことで満腹感が増すとか聞いたことがあるし。食べ盛り育ち盛りの僕たちにとっては、とても充分じゃない食事だ。
僅かな食材なので夕食が終わるのは早かった。
結局、深町先輩は何も口にせず、「疲れたから部屋で休んでいます……」と言って
みんなより先に部屋へと消えていった。
僕も最後のひとかけらまで食べて、それなりに満足をした。
お茶を飲みながら辺りを見回す。
綾は食事を終えてお茶を手にしている。長野先輩はお茶に手をつけず、虚空を見つめている。村野先輩はいまだ缶詰の隅にへばりついている欠片を箸でほじくり出そうと苦戦中だ。最後には犬みたいに缶にしゃぶりついていた。
「田中、ちょっといいか? 」
「はい? 何ですか」
不意に長野先輩に声をかけられた。
「今から宿泊所の見回りに行こうと思う。まず全ての戸締まりをし、それから敷地を見回ろうと思う」
「分かりました。じゃあ僕が先に鍵をかけてきます」
「ああ、頼む。雨戸も閉めるようにしてくれ」
僕は席を立ち、まずは二階へと行こうとした。
「ちょっと待って、二階はあたしがやります」
そう言って綾も立ち上がる。
「上は女の子の部屋だから、徹君は入れないでしょ? あたしがそれぞれの部屋の戸締まりをするわ」
確かに女性陣が宿泊している部屋に入るのは僕にはできないな。
「じゃあお願いするよ。長野先輩の部屋にも入りますが……」
「ああ。鍵はかかっていないから、勝手に入ってくれ」
僕はまずは食堂の窓を開け、雨戸を閉める。
その後、窓を閉めて鍵をかけた。同様の作業を各部屋で行っていく。
そして部長の部屋にも入った。
僕の部屋と同じく、ベッドと小さなテーブル、そしてロッカーがあるだけの殺風景な部屋だ。
テーブルの上には、飲みかけのペットボトルと有名作家の箱のような単行本が2冊、置いてある。
大きなバッグが部屋の隅においてある。
僕の部屋のように、ベッドの上に下着や服が投げ出されてはおらず、整然としている。
少し彼のバッグの中身が気になったが、そんな好奇心を抑え、部屋の雨戸を閉めた。
食堂へ戻ると、綾と長野先輩が椅子に座っていた。
既に村野先輩の姿は無かった。
途中シャワーの音がしていたから、シャワーでも浴びているのだろうか。
「徹君、上は戸締まり完了したわ」
「ああ、ありがとう。
長野先輩、一階も完了しました」
「よし、見回りに行くか」
僕たちは玄関を出ると、懐中電灯を片手に肌寒さを感じる外に出た。
宿泊施設は背面を切り立った崖、そのほかは高い塀で囲まれているため、玄関以外から敷地に入ることは不可能な構造になっている。
「田中、おまえは時計回りで敷地を一周してくれ。俺はその逆に見回りをする。特に何も無いだろうが、ちょっとでも不審な気配を感じたら、PHSに連絡しろ」
「わかりました」
二手に分かれ、僕は暗闇にライトの光を走らせる。
遠くから波の音。草むらからは虫の鳴く声が聞こえてくる。
少し冷たい風が吹いていて、普段なら穏やかな気分にさせる情景も部長殺害事件の後ということで、何か薄気味悪ささえ感じてしまう。
長野先輩の言うように、犯人は既にこの島から逃走している筈だ。
パトロールすることの意味は無いと分かっている。
しかし、まだ犯人がこの島にいるような気がして、僕は暗闇の中にライトの光芒を向ける。
ほんの僅かな距離でしかないが、妙に緊張しながら僕は歩いた。
やがて、施設の裏庭で長野先輩と出会う。
「どうだ? 異常はあったか」
「いえ、全く何もありません。異常なしです」
「そうか、こちらも異常は無い」
そう言いながら、長野は裏庭の崖にライトを向ける。
コンクリートの高い擁壁が遙か上まで続いている。所々に排水の穴が空いている。上は展望台だ。
「よし。パトロールを続けてくれ。玄関で落ち合おう」
僕は再び歩いていく。
狭い敷地を壁ごしに歩いて、玄関にたどり着いた。
すでに長野先輩も到着している。
「異常無しだな。よし、中に入って鍵をかける」
僕たちは建物の中に入り、玄関を施錠した。
長野先輩はポケットから何かを取り出し、玄関の扉と壁の境に取り付けている。
「何を取り付けているんですか? 」
「大したモノじゃない。ただのフラスコさ」
恐らく研究施設にあった物を持ってきたのだろう。
手のひらに隠れるほどの小さなフラスコを彼はガムテープで張り付けていたのだ。
「誰かがドアを開けたら、これが床に落ちて大きな音を立てる。ちょっとした警報装置だな」
なるほど。
暗闇ならこのフラスコの存在は分からない。
誰かがドアをこじ開ければ、フラスコが落下し、床に落ちて大きな音を立てるだろう。
気休めでしかないかもしれないが、侵入は感知できそうだし、その音に驚いて侵入者は逃走するだろう。
僕たちは作業を済ませると、再び食堂に戻った。
綾がソファーに腰掛けて、携帯で小説を読んでいる。
風呂上がりらしい村野先輩がジャージ姿で椅子に座り、お茶を飲んでいる。
「あ、お疲れさまでした。お茶でも飲みますか」
僕たちに気付いた綾が席を立ち、台所へと歩いていった。
僕たちは椅子に腰掛ける。
すぐに綾がお茶を出してくれるた。
葉っぱの分量を間違えたのか、異常に濃い色だ。
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