第17話 囚われの者たち

 僕たちは、長野先輩を先頭にし、最後尾は僕という隊列で、元来た道を引き返し始めた。

 クーラーボックスや荷物は邪魔になるので、置いていくことにした。


 誰一人、何も話すことなく、沈黙の隊列は歩き続ける。時折、深町のすすり泣きが聞こえてくるだけだ。僕は何度も後ろを振り返り、警戒を続けた。


 行きは荷物の重みに耐えながらの行程だったが、今思えば、そちらの方がずいぶん楽だと思えた。この心にのしかかるような重みのほうが苦しく耐え難い。

 ミステリ研究会の合宿で殺人事件が発生した。ごく親しい人が殺害されたという非日常的な出来事をはたして何人の人が受け入れられたのだろうか。

 こんな事件が起きても、風景は朝とまるで変わらず、穏やかな風と波の音が聞こえてくる。平和そのものだ。

 第三者が僕たちをみたら、ハイキングかなにかをしている学生グループにしか見えないだろう。


 ……1時間を超える行程を経て、僕たちは宿泊施設にたどり着いた。

 誰もが急ぎ足で歩いたために、息を切らせている。

 本来ならば、探索を終えて帰ってくるはずだったのに……。

 宿泊所は朝と全く変わらず、古ぼけた外観のまま佇んでいる。僕たちは疲れた体を休める事無く、そのまま玄関へ入り、無線機の置いてある食堂へと急いだ。

 機器に関しては事前に部長から操作方法を聞いている。

 使うことなんて無いと思っていたのに、それが役立つとは。


 僕は一人遅れて玄関を上がる。体に若干の悪寒がずっと残っている。どうやらかなり疲労しているようだ……。左目に違和感が走り、少し意識が遠のくのを感じた。側頭部が何かで刺されているような痛みがする。このままの状態が続くとちょっとまずいかもしれない。……せめて警察が来るまで持ちこたえてくれればいいのだが。


「そんなあほな!! 」

 施設内に村野先輩の叫び声が響く。

 僕は我に返り、食堂へと走った。


「どうしたんですか? 」

 食堂に入ると、みんなが食堂の片隅の小さいテーブルに置いてあった無線機の周りに集まっていた。

 僕の声に綾が振り返る。

「これを見て……」

 綾を指さす方を見て、僕は言葉を失った。


 そこには無線機が、いや無線機だったモノがあった。

 何かハンマーか何かで力任せに殴られたように、その長方形の黒い箱は中央でへし折られ、割れた本体から内部の基盤や配線をのぞかせていた。ご丁寧にも、これをやった何者かは無線機のマイクのコードや電源コードもズタズタに切断していた。

 どうみても修理は不可能だ。

「酷いな……」

 僕はそれしか発せなかった。

「徹君、どうしよう……。これじゃあ警察に連絡できないよ」

「みんな落ち着くんだ」

 長野先輩がみんなの動揺を抑えようとするが、広がった動揺は押さえ込むことはできなかった。

 無線機が壊されたということは、もはや僕たちに島外に連絡する手段が無いということだ。それは、殺人鬼がいる島から逃れることはできないということを意味する。警察も呼べず、迎えの船が来るという一週間後までこのままだというのか?


「落ち着けったって無理や! 無線機が壊されたんやで。警察に連絡できんやん。殺人犯のいる島に、ウチらこのままおらんといかんの? 」

「外部に連絡を取る方法は、もう無い。携帯電話はエリア外。定期航路から外れ、フェリーや貨物船も通らない。漁場としても良くないから漁船も通らない。俺達は孤立したわけだ。

 ……それが現実だ。

 今やるべきことは喚いたりするのではなく、どうやってこの現状を乗り越えるかを考えることだ」

 静かに、そしてきっぱりと長野先輩が言い切る。

「安心しろ、俺達は5人もいる。殺人犯一人相手なら、迎えが来るまでどうにかなる」

 そう言って彼は自信ありげに笑った。

 その笑みは、みんなに安心を与えたようだ。なんだかこの状況を楽しんでいるようにさえ見える。 

 様々な格闘技を学び、ナイフなどの武器にも精通していると噂で聞いたことがある。彼ならなんとかしてくれるだろういう安心感さえ与える。

「誰がこの無線機を壊したのかしら」

 綾が口を開いた。

「……多分犯人だろうね」

「でも、それじゃあ犯人は部長を殺……あんな目に遭わせた後、ここまで走ってきたっていうの? そんなこと可能なの? 」

「ちゃうちゃう。綾ちゃん、犯人はウチらが出発した後に、ここの進入して無線機を壊したんや。その後で部長を殺したはずやで。そうでないと物理的に不可能やろ? あそこからこの家に来る道は一本しかないんや。犯人は建物の中にまだいたはず。となるとウチらを追い越さずに先にたどり着くことはでけへんやろ」

「そうか……。じゃあ犯人は最初から部長を狙って、朝どこかに隠れていたんでしょうか? 」

「そうやろな。やっぱり、鍵かけていったら良かったんや」

 鍵をかけたところで、こんな建物なら窓ガラスを割ったら侵入できる。そんなことを思った。しかし、1つ安心したことがあった。

 これで部長を殺害した犯人は、このミステリ研究会の人間ではないということが分かったからだ。部員の誰一人として無線機を壊すことは不可能であり、共犯者がいないかぎり、部長殺害犯と無線機破壊犯は同一。よって犯人は外部の人間。そういう結論となる。

「あたし達、どうすればいいんでしょう? 」

「そら迎えの船が来るまでの間、待つしかないんちゃうん。こんな無人島に殺人犯と一緒におらなあかんのは怖いけど、外との連絡ができへんから仕方ないわ。まあ長野先輩と田中君がおるから、犯人一人くらいならどうにかなるやろ。……一人は頼りにならへんけど。

それに、山寺さんは剣道やってるんやろ? 」

「……ええ、一応。徹君のお父さんに教えて貰ってます」

「へえ、田中君のお父さんって剣道やっとるんや。しらへんかったわあ。田中君もそしたら剣道を仕込まれてるんや」

「一応は……。でも嫌々道場に通っているだけですよ。だから、綾みたい有段者ではないし……」

 僕は答えた。

「そんなことないわ。徹君だって本気でやったら、あたしなんかよりずっと強かったじゃない。小学生の頃なんて高校生にも負けたこと無かったでしょ」

「いや、それは昔のことだよ。サボってばっかりで、あっというまにみんなに抜かれたけどね。高校生の人にも負けなかったっていうのは、親父に気を遣ってわざと負けてくれていたからさ。一生懸命やってたって、綾には勝てっこないから」

 僕は思わず言葉を濁してしまう。

「へえ、田中は予想通りやな。山寺さんは有段者なんや。ほんなら、何かあったら長野先輩と山寺さんに守ってもらえばええんや」

 僕は戦力外通告を受けた。まあ実際のところ、その通りであるが。

 なんて暢気な会話をしているんだろう。ふと、僕は思った。

 人が殺され、僕たちは無人島に孤立させられている。それなのに彼女たちは、長野先輩も含めての話だが、どうしてこうも余裕があるのだろうか。

 確かに犯人一人なら、長野や綾がいれば撃退は可能だろう。だが、それ以前に部長が殺されたという事実を彼女たちは忘れたのだろうか?


 ふと見ると、深町先輩はずっと俯いたまま黙っている。再び泣き出しそうな雰囲気だ。恋人が理不尽に殺された彼女を見るのは耐えがたい。彼女の悲しみや苦しみをみんなは分かっていないのだろうか。

 すっと深町先輩の側に村野先輩と綾が近づき、何かを話しかけた。小声でよくは分からないが、彼女は小さく頷いている。

 その状況から綾たちが深町先輩を慰め励ましていることが分かった。

 彼女たちだって状況を理解していないわけではないのだ。この沈鬱な雰囲気を誤魔化すため、関係のない話をしたり、わざと空元気を出すためにあんなことを言っているのだ。

 それを見て安心した。

 深町先輩も彼女たちの励ましに頷いている。

 

「さあ、いろいろ考えても仕方がない。この後の数日をどうやって乗り切るかを考えるんだ。犯人探しをするのか、それともここに籠もり安全を確保するかを」

 普段、ほとんど話さない男が、いつになく能弁になっている。危機においてその力を発揮するタイプなのだろうか。

「そうやな……。今はとにかく、どうやって迎えの船が来るまでの間を乗り切るかやな。

 長野先輩はどう考えてるん? 」

 少し俯いた後、長野先輩は彼女の問いに答えた。

「ふん。ミステリなら、ここで犯人探しをするんだろうな」

「ほんなん無理や。小さいゆうても、この大きさの島の中で隠れた犯人を捜すなんて不可能や。それに、廃村や研究施設、森や山の中は危ないわ。犯人に出くわしたら、逆に襲われるやんか」

 ……その通りだ。無闇にこの島を探し回るのは危険が大きすぎる。

 犯人はどこに潜んでいるかもしれないし、僕たちはこの島のことを全然知らない。山や廃村を探したりしているときに襲われたら、たとえ大人数だとしても被害を避けられるか? それにこちらは女性が3人もいる。彼女たちを人質に取られたら、更に状況は悪くなる。

 犯人はすでに一人を殺しているのだ。何をするかなど想像できるはずもない。


「ウチはここで迎えの船が来るまで待つべきやと思う。山寺さんはどうなんや? 」

「あたしは、犯人をどうしても捕まえたい……。相手は一人だし、みんなで探すんなら大丈夫だと思います。このまま手をこまねいて犯人を探さず、ここにとどまるなんてしたくありません。部長のためにも……」

 そう言って深町先輩を見る。彼女は俯いたままだ。


 心情的には、綾の言うことが正しい。しかし、実際問題として、それはかなりの危険を伴う。今はみんなの安全を計るのが最良の選択だと思う。冷たいと言われれば、その通りでしかないのだが。


 殺されたのが部長だから、僕は冷静でいられるのかもしれない。もし、綾があんな目に遭っていたとしたなら、僕は、前後の判断などできなくなり、復讐の為だけに島中を探し回っているだろう。

 深町先輩だって、女じゃなければ同じような行動をするに違いない。部長は彼女にとってはかけがえの無い存在だということは、彼女の取り乱し方、その後の魂の抜けたような状態を見れば分かる。


「冷静になれ……。犯人を捜す事は、あまりにリスクが大きいことは分かるだろう? 何も犯人探しを諦めろと言っているわけではない」

「長野先輩、それはどういうことですか? 」

「犯人の行動を推理しろと言っているんだ。犯人が何故、無線機を壊したか、わかるか? 」

「そうやな。外部との連絡を断つ為やろな」

 村野先輩がしたり顔で答える。

「そう。通常、犯人がそういった手段に出る場合、目的は何だろうか? 」

「……逃走の為の時間稼ぎ、でしょうか? 」

 今度は綾が答える。

「そうだ。ミステリならば、これから続く連続殺人のための布石ということになるが、これは現実の事件だ。犯人にとってそんなリスクの高い行動はしない。そもそもミステリ研究会の全員を殺すほどの動機のある人間が存在するか? ……つまり、犯人が考えることは、ただ一つ。自分の逃走する時間を確保するためだ。さて、犯人がどういった手段でこの島に来たのか? ……当然、船だろう。俺達が研究施設を離れてからすでに二時間近くなる。犯人はすでにこの島より離れ、もう遙か彼方に逃走しているはずだ。理屈からすると、俺達はすでに安全圏内にいることになる」

「そ、そんな。じゃあ犯人はもう捕まらないと 」

 綾が絶望的な声を上げる。

「捕まるかどうかは警察の手腕にかかっている。事件が突発的なものか、計画的なものかにもよるがな。前もって俺達が無線機を持っていることを確認し、犯行前に無線機を破壊することから想像するに、周到に練られた計画的な犯行だろう。

 ならば部長の身辺を当たれば、彼に恨みを持つ存在に確実に犯人にたどり着くだろうな。この島への定期航路など無い。船を自己所有している、もしくは借りる、盗むなどしないかぎり、この島に来ることはできない。ならば、そう時間もかからずに、警察は犯人にたどり着くだろう……あくまでも希望的観測だが」

「ふう。なんや、犯人はすでに逃走済みなんや〜。ウチはまだ島に残っているって思ってたから、ちょっと怖かったんや」

 安堵の情状を浮かべる村野先輩。


 確かに僕も犯人がこの島に残留しているのでは無いか? と思っていた。

 しかし、考えてみれば殺人を犯した人間は、一刻も早く現場から去りたいだろう。無線機を破壊することにより時間を稼ぎ、その間に自分は安全圏内へと逃げ切る。


「でも、犯人が船で来たとして、どこに着岸していたんです? 港といえば、ここの前か研究施設のあるところしかなかったわ。研究施設の方はとても泊められる状態じゃなかったから、砂浜の沖合にでも泊めたのかしら? 」

「研究施設の沖合にでも碇を降ろしておいて、そこからはゴムボートか何かで来たんやないん」

「ああ、……その可能性もありますね」

「そうだろうな。

 そうした方がロスが少ないだろう」

 犯人は既に逃走済み。

 僕たちは迎えの船が来るまで、ここで過ごすだけということか。

 

「いろいろ考えても仕方がない。今は迎えの船が来るまでの間、ここでどうやって過ごすかを考えるだけだ。今更、合宿の続きをすることはできない。村野と山寺は深町のことをよろしく頼む。俺と田中は、念のため、犯人が島に残っていることを想定して、交代で近辺の警戒を続けるということでいいな」

 長野先輩の指示で今後の予定が決まった。


「みんな喉が乾いたやろ? いろいろ考えてもしゃーないから、何か飲んで落ち着かへん? 」

 そう言って、村野先輩は冷蔵庫へ歩いていった。

 確かに歩き通しだったので喉が乾いている。何かを飲んで一息つくのもいいだろう。

 僕は椅子に腰掛けた。

 深町先輩は呆然とした状態でソファーに腰掛けている。

 彼女になんて声をかければいいか、僕には浮かばない。綾達に任せるしかないだろう。今は起こった事が受け入れられず、困惑しているだろうし。


「なんや、これ!! 」

 部屋中に村野先輩の奇声が響く。

 一緒に冷蔵庫へ向かった綾も悲鳴を上げた。


「どうしました? 」

 僕は立ち上がり、彼女たちの所へ走った。

「こ、っこれ見てや! 」

 と、先輩は開けられた冷蔵庫を指さす。


 冷蔵庫の中に1枚の紙切れがセロテープで貼り付けられている。

 そして、紙には赤黒い文字が書かれてあった。

 

 【島を暴くものは死】


 そう殴り書きがされていた。

 綾は凍り付いたように動かない。

 後ろで舌打ちをする音がした。

「厄介な事になったな」

 振り返ると、長野先輩が文字を見つめながら呟いた。

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