第16話 贄
一人で穴に近づいて二次災害を起こすのは賢明ではない。僕は部員達が到着するのを待つことにした。
「部長! そこにいますか? 返事をしてください」
念のため、声をかけてみるが当然のように反応はない。
少しして、人の声が聞こえてきた。
部員達が集まって、こちらにやってきたようだ。
僕は声を張り上げてみんなを呼ぶ。
「みんな!! こっちです。こっちへ来てください」
「徹君! どこなの?」
綾の声だ。
「こっちだ、ドアの開いている部屋だ。みんな来てください!! 」
複数の走る音がして、懐中電灯を手に持った部員達がやって来た。
「みんな気を付けて歩いて! 」
僕は警告しながら、床に口を開けた穴の辺りをライトで照らし出した。
「あ! 」
部員達は床に口を開けた穴の存在に気付き、声を上げる。
「どないなっとるんや、この部屋!!」
村野先輩が悲鳴めいた声を出す。
みんなは、慎重に、ごくゆっくりとした歩調で僕の側まで歩いてくる。
「この穴は……? 」
と、綾。
「そんなことより! 卓は!……部長はどうしたの? どこにいるの 」
パニック気味に深町先輩が叫ぶ。
事情を綾から聞いて、パニック状態にあるのか、普段の物静かな彼女からは想像できないくらい取り乱している。当然だ。恋人の危機を聞いて動揺しているのだろう。
「深町先輩。事情は綾から聞いていますよね? 」
彼女は小さく頷く。
「電話の内容から、恐らく部長はこの下に……」
そう言った途端、彼女は穴へと近づこうとした。
「危ない!! 」
叫ぶと同時に、僕は彼女の腕を掴んだ。
「離して! 」
彼女は僕の手を振りほどこうとするが、そんなことはさせまいと、僕は彼女を後ろから抱き寄せ、腕に力を込めた。彼女の長い髪が振り乱れ、僕の顔に触れる。香水の香りが漂ってきた。
「先輩、しっかりしてください。状況をよく見てください! あの穴は地震か何かで床が抜け落ちたに違いないです。不用意に近づくと、更なる落盤が起こり、先輩も落ちてしまう!! 」
はっと気付いたように、穴へと駆け込もうとするのをやめた。
「ご、ごめんなさい……。でも」
「分かっています。気をしっかり持ってください。……長野先輩、村野先輩、綾。ちょっと手を貸して貰えますか? 」
長野先輩が開いた扉の所の柱を掴み、それを支点として部員達それぞれが手をつなぎ、命綱代わりとして穴の奥を覗けるようにしたのだった。
深町先輩はパニック状態なのでそれを頼めなかった。
これで穴へと近づける。
「みんなしっかり手を握っておいてください」
僕は綾の手をしっかり握り、懐中電灯を片手に慎重に穴へと近づく。
床の穴の大きさは直径3mくらいの円だ。外周はタイルがいびつに剥がれ落ち、かなり危険だ。
僕は出来る限り体勢を低くし、懐中電灯を掴んだ手で地面を撫でるように注意深く進む。床は微妙にたわみ、支点とした左足に嫌な感触を伝えてくる。
穴に近づいたことを確認すると、全身を伸ばすようにして穴を覗き込む。
やはり下には大きな空間があった。床まではかなりの深さがあるようだ。
ライトで捜索する。なんとか明かりは地下室の床まで届き、下の状況が見ることができる。
ロッカーらしき物が倒れているのが見える。その隣に何かが見えた。
僕はライトをそこに当てる。
……予想通り、あまりに最悪の予想通りの事態がそこにあった。
床に大の字で倒れ込むように部長が倒れていた……。
「部長……部長!! 大丈夫ですか!! 」
僕の叫び声にみんなが反応する。
「部長がおるん! 大丈夫なん? 」
「大丈夫なのか? 」
僕は、部長の体にライトを当て、慎重に状況を見る。全く動く気配は無い。それ以前に……それ以前に僕は見てしまった。
彼の右胸に突き刺さったナイフ。
ライトの光を浴びて、銀色の禍々しい光を放っている。それを中心として、部長の白いシャツは赤黒く染まっていた。
「そんな……」
僕は呻いた。
「どうしたん? 田中君、部長はおるん?
大丈夫なん? 」
「部長は、部長は殺されて……」
僕は自分の声が消え入りそうになるのを感じた。部長は、倒れたままピクリとも動かない。
「あほな!! 」
村野先輩が天を仰ぐ。同時に深町の絶叫する。
「徹君、本当なの?
冗談でしょ……。どうして部長が」
綾が起こった事実を認められないのか、僕に今言ったセリフの取消を要求してくる。
「部長はナイフで刺され、ここから落ちたんだろう。残念だけど……」
「そんなの信じられない! 」
綾が叫ぶ。
その後、部員達は代わる代わる穴の底を覗き、起こった現実を目の前にたたきつけられた。唐突に僕たちを襲った悲劇はあまりに非現実的であり、それを受け入れることは困難であった。しかし、それは事実であるのだ。
深町先輩だけは泣き崩れ、立ち上がろうとはしなかった。綾と村野先輩が彼女を介抱している。深町先輩は村野先輩にしがみつき、嗚咽している。
「誰がこんな事をしたんだ……」
重い雰囲気の中、長野先輩がポツリと呟く。
そうなのだ、部長を殺害した何者かがこの島にいるのだ。彼の言葉で殺人鬼の存在を初めてみんなが認識したようだ。
「綾、みんなが来るまでに誰かを見なかったか? 」
僕の問いかけに綾は首を横に振る。
「だとすると、犯人はこの建物の中にまだいる可能性が高いということだな」
冷静な口調で長野先輩が言う。
親しい人間が殺されたというのに、まるで動揺の気配すら見せない。僕は部長とのつき合いは半年もないが、彼は少なくともミステリ研究会で2年以上のつき合いがあるはずだ。冷静と言えば聞こえは良いが、僕にとっては普通とは思えなかった。
しかし、感情を普段からみせない彼にとってはそれが当たり前なのだろうか。
「犯人がこの建物にいるのなら、探してみましょう」
僕は立ち上がった。
「せやけど、相手は人を殺している人間や。危ないんちゃうの。ここは一端宿泊所に戻ったほうがええわ」
村野先輩は怯えを隠しもせずに言う。
確かにたとえ5人で探すとしても、相手は人殺しだ。もし見つかったとしても、相手は必死で逃走しようとするだろう。そうなった場合、僕たちに危険が無いとはいえない。
「確かにそうだな。たとえこの大人数でも相手は殺しをしている人間だ。今はかなりの興奮状態にあるだろう。そんな手負いの奴を相手にして、こちらが人数が多いからといって全員が無事でいられる保証は無い」
冷静に分析する長野のセリフは説得力に満ちている。
「犯人探しなんてくだらんことやってる場合やない。まず宿泊所に帰ってから無線で警察を呼んで、後は警察に任せるべきや」
村野先輩は頷いた。
どうやらみんなの意見は決まったようだ。
「これで決定だな。とりあえず外へ出るぞ」
長野先輩の一言でみんなが立ち上がる。
「深町先輩も行きましょう」
綾が声をかける。
「嫌!! 」
唐突な拒絶の言葉に、さしのべた綾の手が止まる。
「彼をあんな場所になんて置いていけないわ。誰か、……長野さん、田中君。彼をあの場所から出してあげて……お願い」
深町先輩の悲痛な叫びが暗闇に響く。
恋人が殺された事実、そして悲しみ。暗闇に放置されたまま置いて行こうとする部員達への怒り。その声はやがてヒステリックな叫びへと変化していく。
このままここにとどまることは彼女にとっても、僕たちにとっても危険であることは明らかだった。だが、どうやって説得すればいいのか。僕は犯人探しよりそちらに注意が行っていた。
「駄目だ……。警察が来るまでは部長はあのままにしておかないといけない。無闇に犯行現場を荒らしたり、遺体を触ったりしては駄目だ。……そんなことミス研にいるんだから常識だろう?まずは警察に連絡し、あとは警察に任せるべきだ」
あまりにも正しく、あまりにも冷酷なセリフだ。
僕は長野先輩に対してそんなことを感じた。
殺人事件だから現場を荒らしたりしてはならない。そんなことは第三者的立場なら常識だろう。しかし、殺されたのは同じ部員で、しかもそれは恋人……。深町先輩にとってはあまりに配慮に欠けた発言だ。彼はそんな気持ちがわからないのだろうか。
いや、……きっと彼は肉親や恋人が殺されたとしても今と同じ対応をするだろう。意思と感情を完全に切り離すことができるのが、長野先輩という男なのだ。
「先輩、そんな言い方酷すぎます。深町先輩の気持ちを考えてください」
綾が問いつめる口調で反論する。
「分かっている。だが、今はそんな状況じゃない。この付近に犯人がいて、まだ安全な状態ではない。とにかくここから離れるのが先決だ。警察の応援が無ければ俺達はこの無人島に隔離されている状況であることも考えろ」
「……ごめんなさい。長野先輩の言うことが正しいわ。私たちは早くここから離れて、警察を呼ばないといけないわ。彼の仇をとるためにも……」
ずっとしゃがみ込んだままだった深町が立ち上がった。左手で顔を拭う。一時の恐慌状態から抜け出したようだ。
「深町先輩、大丈夫ですか? 」
綾が駆け寄って、手をさしのべる。
「ありがとう、大丈夫。さあ、行きましょう……」
僕たちは警戒を強めながら部屋を出、廊下を歩いて外へと出た。
その間、人の気配は感じられなかった。犯人はどこに隠れているのだろうか。
誰か一人が宿泊施設まで行って警察に連絡するか、それとも全員で行くべきかで協議したが、結局、全員が行くことになった。
殺人犯の彷徨く島で、分散して行動するのは危険との長野先輩の判断だった。確かにここに残ることは、殺人犯と遭遇する危険があるし、また誰かを宿泊施設に行かせるというのも、現段階では危険だ。
犯人は一人とは限っていないのだ。
こんな無人島に一人で来ているとは考えにくい……。
僕の杞憂であればいいのだが。
また、誰も口に出しはしないが、どこか奥底でもしかしたら、
犯人は部員達の中にいるのではないか? という想像が
どす黒いシミのように広がっているのではないだろうか。
そういう僕でさえ、その考えを否定しきれないでいた。
こんな無人島にわざわざ来る人間がいること自体考えられない。
さらに殺人を犯すような事態まで至る確率はどれほどのものだろうか?
部員達の誰かが犯人の方がしっくりくるのは間違いない。
動機があるのかどうかはわからないが。
そんなことありえない、頭では理解できても、
どうしてもその考えを否定するような証拠はどこにもなかった……。
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