第15話 事件
「ちょっと待ってくれ。……今、何か音がした。……そっちへ行ってみる」
急に部長の声に緊張感がみなぎった。何か異変が生じたのか?
「どうしたんだろう……」
僕の問いかけに、綾は首を傾げるだけだ。
「部長、大丈夫なんですか。何があったんですか? みんなを呼びましょうか」
問いかける綾に部長は返事をしない。
電話の向こうで、部長の足音と衣擦れの音だけが聞こえる。
部長は通話状態のままで歩いている。
この配付されたPHSはかなりの通信能力があるのだと関心する。建物の中からでも電波が届くのだから。FM電波で通話する程度のものしか知らなかった僕にとってはテクノロジーのすごさに感動していた。
「……誰だ!誰かそこにいるのか!! 」
部長が声を張り上げる。
しかし、静寂のみが広がる。
「部長、何が起こったんですか」
「どうも状況が良くない方向に向かっているようだ。……すまないが、みんなを呼んでくれ」
心なしか部長の声に恐怖がこもっている気がする。それ以降、彼は言葉を発さない。何かに警戒をしているようだ。
こちらまで鼓動が高鳴る気がする。
「部長、どうしたんですか!? 」
綾の問いかけに反応は無い。
足音と微かな呼吸音が聞こえてくるだけだ。かなりの緊迫状態にあることだけは分かる。ゼーハーという普段部長が発さない呼吸音が受話越しに聞こえてくる。一体、あの研究施設の中で何が起こっているのだろうか。
「綾、僕が中を見に行くよ。君は僕のPHSでみんなに連絡してくれ」
そう言って僕がPHSを手渡そうとした時、何かが砕け散るような音が綾の手にしたPHSから聞こえた。
「部長、どうしたんですか! 」
綾の声も大きくなる。
しかし、部長は答えない。
僕は密着するように耳を綾の手にしたPHSに近づける。微かに声が聞こえてくる。うめき声のような消え入りそうな音声……。
「誰だ……。くだらない悪戯はやめろよ。出て来いよ……。おい、おい、一体誰なんだ? 」
部長が呻く。
何か緊迫した状態であることしか推測できない。再び何かが倒れるような音。
「う、うわああ!! 」
部長の悲鳴と共に激しく衝突する音。
「ぐへっ!! ……お、おおおおおお」
どん、と肉同士が衝突する音がし、部長のものらしきものすごい悲鳴が受話器に響き渡る。
そしてほんの数瞬ののちに再び砕け散る音がし、部長の断末魔が響いた。
「部長! 部長!! 何があったんですか!! 」
僕は綾のPHSを奪い、叫んだ。
……しかし、その後はただ静寂が広がるだけだった。
何かが部長の身に起こった事だけは確実だった。それも生命に関わるような重大な事が。
「綾、僕は部長のところへ行ってみる。
君はみんなに連絡をしてくれ」
「でも、徹君、危険だわ」
綾は戸惑いを隠せない。
「まだ間に合うかもしれない! 」
僕は研究室棟へと駆けだした。
部長が何者かに襲われた? 部員達しかいない無人島のはずなのに。
何故? 誰が? 僕は混乱の中、走る。
何がなんだか分からない。しかし分かっていることは僕たち以外の何者かがこの島にいて、部長を襲ったこと。
そんなことあるのか……?
昨夜、綾が言っていた事が蘇る。
二階の部屋を覗き込む人影の存在……。あれは綾の幻覚じゃなかったのか。それは実際に存在し、僕たちを監視していたのか?
僕は研究室棟の入り口から中に入り、懐中電灯の光を頼りに部長の姿を探す。階段を駆け上り、四階から探索するかそれとも一階から探索するか考えた。
まずは一階からだ……。僕は即座に判断した。部長を襲った何者かがまだこの建物にいることは間違いない。上から調べるとすると、犯人に逃げるチャンスが増えると判断したのだ。なんとしても犯人を逃がすわけにはいかない。
僕は全神経を集中して気配を探る。
異常の無いことを確認して、入り口すぐ側の部屋の扉を開け、懐中電灯で中を照らす。
「部長、いますか」
意識してないのに声がうわずる。緊張で声がまともに出ない。
落ち着け、そう自分に言い聞かせる。
部屋の中は5m×5mくらいの正方形の部屋だった。
かつては会議室か何かだったのだろう。床には絨毯が敷かれている。しかしその上にあったであろう机や椅子はすでに運び出され、何もない空間が広がっている。絨毯もかなり痛んでいる。
ここには誰もいない……。
僕は一安心するとともに、同じ緊張を再び味わわなければならないという恐怖を感じた。
部屋を出て、隣の建物へと進む。
全くの無音の建物内部。人の気配は感じられない。なのに誰かに見られているような気がする。かなり怯えが入っている。
早く綾がみんなを連れて来てくれないだろうか。そんな弱気さが僕の心の大半を占めていく。何も僕一人が危険を冒さなくても、みんなが来てから捜索すればいいじゃないか。 ……いや、そんなわけにはいかない。部長は生きているに違いない。まだ襲ってきた奴がそこにいて、部長にとどめを刺そうとしているかもしれない。僕の躊躇が部長の生存の可能性をゼロにしてしまうかもしれないのだ。
別に義理も恩も無いけど、災難に見舞われ助けを求めている人を見殺しにはできない。
「部長! いますか? いたら返事をしてください」
僕は声を張り上げた。この声に襲撃者が逃げてくれればそれでいいのだ。無用な接触を避け、今は部長を発見することが先決だ。
暗闇に一人でいたせいか、先程までは犯人を捕まえてやると意気込んでいたのが、できるだけ犯人とは遭遇せずに部長だけ発見したいと思うようになっている。
部屋の扉を開ける。老朽化の為か、ギシギシと嫌な音を立てる。ライトの光に照らされた室内は、先ほどの部屋とは雰囲気が異なっていた。
床は全面タイル張り。かなりの汚れが目立つ。
排水溝があちこちに見える。
作りつけのテーブルがあり、床にはいろんな物が散乱している。気のせいか、テーブルは傾いているように見える。入り口の壁側にはガラス戸のロッカーが並んでいる。窓は全くない部屋だ。天上には大きな換気扇らしきものが見える。
試験管やビーカーがいまだに机に置かれたりしているところからすると、ここは実験室だったのだろうか。
部屋はさっき入った部屋と同じくらいだ。
ライトの光を頼りに部屋の中央へと慎重に歩いていく。
遮蔽物があるので、そこに襲撃者が隠れていたら発見が遅れそうだ。充分に気をつけなければ。
僕は歩みをさらに遅めた。
懐中電灯を右へ左へと振りながら、見落としのないように気を付ける。
何か視野がゆがんで見える気がする。僕はその場に立ち止まった。
どうも違和感を感じるのだ。
慎重にライトで照らしながら確認していく。やはり、テーブルは傾いているように見える。気になってその下の方を照らす。
「!! 」
驚いた!
テーブルの足は途中で中空に浮いていたのだった。
よく見ると床の中央付近が陥没していて、ぽっかりと深い暗黒が口を開けていた。遠くからライトで照らしてみても、その内部がどうなっているかは判断できない。
注意せずに歩いていたら、穴に落ち込んでいたかもしれない。
床が抜けるほどの何かがあったということは、このフロアの床自体相当なダメージを受けているんじゃないだろうか。ここにいることは危険なのではないだろうか?
状況から判断すると、部長が襲われた部屋はここと判断される。
ガラスの割れる音、何かが落ちる音……。可能性としては部長はこの穴の下にいるはず。
この部屋の穴は、何らかの原因で床が抜けたものだ。下には空洞か地下室があるのだろう。不用意に穴に近づくと、さらなる落盤を起こす可能性がある。
……僕一人ではこれ以上近づくことはできない。
どうするべきか。
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