第14話 旧日本軍施設探索 2

「じゃあ、あたしたちも行きましょう」

 僕たちは目的の建物へと歩いていった。

 近づくにつれ、遠目に見ていたよりもそれは荒廃の度合いが酷いことが分かった。

 外壁の一部にはツタが絡まり、窓ガラスはあちこちで割れている。長年の風雨にさらされたせいか、建築当時は白かったであろうその外壁も変色している。建物の中央部は玄関となっている。通常のアパートとは異なり、玄関から中に入らないと各戸といけないようになっているようだ。

 セキュリティ関係でそうしたのだろうか?

 僕たちは建物の壁沿いを歩きながら玄関へとたどり着いた。ガラス両開きの扉は割られ、破片が内部に向かって飛び散っている。明らかに外部から割られたようだ。

 これは部長が調査するときにしたのだろうか?


 内部を覗くと、電気は来てないので薄暗い。その暗闇は奥に進むにつれて濃くなっているようだ。真夏の白昼というのに、建物に一歩入ればこんな暗黒があるのだ。

 入ってすぐに管理人室っぽいものがあり、その脇に郵便受けが並んでいる。それぞれに名札がついている。……退色してはいるが文字は判読できる。斉藤、安本、田中、島本、長谷川、塩川、山寺……。

 予想通り、ここは居住区だったようだ。

 かつては、この研究施設に勤務する人々の家族達がこの建物内を歩き、にぎやかだったのだろう。

「さて、中に入ろうか」

 建物内部は、かなり薄暗くかつ無音の世界だった。

 懐中電灯に照らされる風景は、ごく普通のアパートの廊下でしかない。だが、人々の生活の臭いや喧噪は無く、ライトを消せば一瞬で闇に取り込まれていく。

 その静けさがむしろ耳に痛い。

 僕たちが歩く音のみが廊下に反響する。廊下にはコンクリート片が散らばっているのが見える。

「何だか…不気味だわ」

 綾が僕の左腕にしがみついてきた。

 そう言えば、こういったシチュエーションは彼女の最も苦手とするものだ。震えているのが左腕からも感じ取れる。

「大丈夫だよ、ここは無人島だ。何もいやしないさ」

 そう言いながら、僕は最も近くにあったドアにライトを当てる。

 鉄製の扉。

 茶色に塗装されていたであろうそれは、錆び付き、塗料があちこちで剥がれ落ちている。

 周囲の壁には無数のひび割れがあった。老朽化のためなのか、施工不良か、地震の影響なのか?

 さっぱり分からない。

 ドアノブに手をかけ、回す。

 ……。

 ドアには鍵がかかっているようで、押しても引いてもびくともしない。試しに他のドアをいくつか開けようと試みたが、同様だった。

「当たり前か……。ここから出るんだから、鍵くらいかけるよな。……でも、ここを出たときは施設自体から人がいなくなったんだっけ? 」

 僕は呟いた。恐らく上の階も同様に施錠されているのだろう。

「徹君……。ちょっと見て」

 綾に促され、僕は彼女の指さす方を見た。

 彼女の指示した場所は、先ほど僕がドアを開けようと試みた部屋だった。

「ドアじゃないわ。その上のほう……」

 ライトに照らされた天上を見て、僕は驚愕した。

 天上には大きく深い亀裂が廊下の端から端へと一直線に走っていた。それも何本もだ。

 どうりでコンクリートの欠片が散らばっているわけだ。

「暗いせいで気がつかなかった。……こりゃかなり危険なんじゃないか? 」

 これほどの亀裂を生じさせた原因は何なのだろうか。内部でこの状況なのだから、外壁だって相当なダメージを受けているはず。建物の中をうろうろして大丈夫なのだろうか?

「部長が下見をしているから大丈夫だとは思うんだけど」

 そう言う綾も不安げだ。暗闇のせいで更に不安が募る。

「と、とにかく、外へ出てみよう」

「でも、中の調査を全然してないわ」

「一度外に出て、部長に連絡を取ってから判断しよう。この建物の外の状況を確認したいし、どうせ一階の状況がこうなんだから、上だって鍵がかかっているさ。調査なんてできないよ」

 部長が調査しているんだから、施錠されていることも分かりきっているはず。どうして調査する必要があるんだろうか? そんな疑問を感じたが口にはしなかった。

 僕は綾の手を引っ張りながら小走りで外へと出た。どうにもならないいやな予感がしたのだ。

 外へ出ると、僕は建物の外壁を見てみた。

 内部のような大きな亀裂は無いが、よく見ると建物全体に及ぶような小さな亀裂があちこちに散見している。この亀裂が建物倒壊を導くほどのものかは分からない。

 単なる経年劣化によるものかもしれないけど、専門家で無ければわからないだろう。僕なんかに判断できるわけは無い。ただ廊下の天井に走ったあの亀裂を思い返すだけで、いいようのない不安感を感じずにはいられなかった。本能的に危険を察知しているのだろうか。

 これ以上、あの建物の中を探索するのは、できることなら避けたい。少なくとも綾を危険に晒したくはない。

 僕の心配をよそに綾は退屈そうに建物を見回している。


 どうしたものか考えている時、不意に綾のPHSが鳴り響いた。その着メロから部長のものであることが分かった。

「あ、部長からだわ。私たちがちゃんと調査しているかどうか確認してきたんじゃないかしら?

 丁度いいわ。今の状況を報告しなくちゃ」

「いくら何でも部長は千里眼じゃないよ」

「はい、もしもし」

 綾は僕に笑いかけ、電話に出た。

 気になった僕は、彼女のPHSに耳を寄せて、内容を聞き取ろうとした。

「やあ、山寺君かい?……調査の状況はどうかな。? 」

「あ、えーと、その……」

 綾が口ごもり、僕のほうを見た。

「ありのままを言えばいいよ」

 僕は小声でささやいた。

「えーとですね、建物内部に入ってみたんですが、扉には鍵がかかっていて、部屋には入る事はできませんでした。それに建物内部にはあちこちに大きな亀裂があって、かなり危険な状況です……」

「……そうか。そういえばひび割れはあったな。暗かったんであまり気付かなかった。でも大丈夫だよ。私もあそこに何度か入ってみたが、取り立てて危険なことは無かった。暗闇の中、ライトに照らし出されたものは陰影が強調され、より大きなものに見えるものだ。実際にはそれほど大きなものでは無く、建物に影響を与えるようなものじゃないよ。安心したまえ」

 本当か嘘か分からない説明だ。それでもそれなりに説得力がある。部長の普段からの対応がそう思わせるのだろうか。

 綾も安心したようだ。

「わかりました。もう一度、中に入って調べてみます。もしかしたら上の階に鍵のかかっていない部屋があるかもしれませんから」

「そうだね。……もし他の部屋も鍵がかかっていたら、それはそれで仕方がない。しかし、一階部分はベランダから進入できるから、ガラスの割れている所から、もしくはガラスを割ってでもいいから中に入り、そこだけでも調べてくれたまえ」

「……分かりました。ところで、部長のほうはどうですか? 」

 部長は歩きながら電話をしているらしく、足音が反響しているのが聞こえてくる。

 音声は時折ノイズが入り途絶える。通信状態はあまり良くないのだろう。

「私は今、一階部分を調べている。ここは実験室やその系統のものがあるようだ。ふむ。確かにこちらの建物も地震か何かの影響でかなりダメージを受けているようだな……」

「大丈夫ですか? ……無理しないでください」

 綾は心配そうに声をかける。

 地震によるダメージ……? ならば、僕たちの調べている建物もやはり危険なのではないだろうか。

 そんな疑問を感じた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る