第11話 合宿二日目の朝

 賑やかな笑い声に目が覚めると、美味しそうな香りが部屋中に充満していた。すでに女性陣が朝食の準備をしているところだった。

 ソファーに座って寝ていた僕の体には、綾に渡したはずの毛布が掛けてあった。

昨日は、ずっと考え事をしていたため、いつ眠りについたか覚えていない。眠りも浅かったせいか、偏頭痛がするし体も異常に怠い。

「おはよう、ちゃんと眠れた? 」

 僕が起きたことに気付いた綾が話しかけてきた。昨日の恐怖に怯えた顔をした綾はすでにそこにはない。いつも通りの闊達な彼女に戻っていた。

「ああ……。なんとか眠れたようだよ」

「ごめんね。迷惑かけちゃって……」

「気にするなって」

 僕は目をこすりながら答えた。

 綾は急に声をひそめて、

「昨日の事だけど、みんなに言った方がいいかな? 」

 と囁いた。

「いや、はっきりしない部分が多いから、まだ言うべき時じゃ無いと思う。変に騒ぎ立てたら、みんな怖がるだろう? 昨日、綾が見たのが何者なのかがある程度はっきりするまでは、黙っておくべきじゃないかと思う」

 彼女は何か言いたそうだったが、それ以上何も言わなかった。

 まあ見たところ元気そうだし、特に気にする必要性は無いだろう。彼女も昨日の事は夢か何かだと思っているはずだ。

「田中、朝ご飯できたから部長達を呼んできてや」

 食卓の準備をしながら村野先輩ががなり立てる。

 紺の上下のジャージが彼女のふっくらとした体型を強調する。小太りという表現がふさわしい。樽みたいと言う方が適切だろうか。それにしても、村野先輩も年頃の女の子なのに、ダイエットとかに興味が無いのだろうか? その怠惰を象徴するかのような下腹の出具合を見ると、そう思わずにはいられない。

 他の二人と比べるとあまりに……ね。

 それにあんなに気が強いと彼氏なんてできるのかなと心配になったりもする。まあ僕なんかに言われたら、大きなお世話だと彼女も激怒し、大惨事になるんだろうけど。


 僕は食堂を出て、未だに起きてこない先輩部員達の部屋へと向かった。

 二人ともノックをするとすぐに部屋から出てきた。部長に関しては、起きたばかりとは思えないように身支度がきちっとできていた。シャワーを浴びたのだろうか? ほのかにシャンプーの香りが漂よってくる。今すぐにでも出かけられる状態だ。

 長野先輩も一応は着替えているようだが、無精ひげが伸びていて顔にも疲労の色がありありと出ていた。しかも汗くさい。この人、昨晩は寝ずにいたのかな……。一体、何をしていたんだろう。


 綾の部屋を覗いていたのは長野先輩かもしれない、などという疑念も沸く。

 確かに彼は運動神経はかなりのものだと聞いている。この宿泊施設の二階の屋根に昇ることも不可能ではないだろう。倉庫には鍵を掛けていたから、梯子は取り出せないはず。雨樋をつたって屋根に登ったのか、もしくは二階の他の部屋から屋根を渡ったのだろう。

 動機については思い当たらないけど。

 しかし、部員の誰かが部屋を覗いていたならば、たとえ月明かりの元でもある程度誰だったかは分かる。綾が言わなかったことから、先輩達ではないのだろう。


 僕たちが食堂に戻ると、すでに配膳が終わり、机の上には見慣れた朝食が並べられていた。

 ご飯に暖かいみそ汁、綺麗な焦げ目のついている焼き魚、そしてサラダ。

 うーん。美味しそうだ。

 ほぼ完璧な見てくれなのだから、綾は一切朝食にはタッチしてないようだ。

 部長達は何も言わずに席についた。僕も慌てて席に座る。隣は綾と村野先輩だ。

 僕は綾にささやいた。

「綾は何か手伝ったのか? 」

「ううん。朝食は順番を決めて作ろうって昨日の晩に決めたの。今日の朝は深町先輩がメインで作り、あたしたちはお手伝い」

 それを聞いて心の中でガッツポーズ。。今朝は美味しい食事が頂けそうだ。

「綾はいつなんだ? 」

「あたしは明後日よ。期待しててね」

 明後日の朝は寝坊しようと決めた。

「ああ、期待してるから」

 と、心にもない返事をしたけど。


 部屋を見回すと、台所の近くに三脚が置かれ、ビデオカメラがこちらに向けられている。こんな何でもない、朝の風景さえもビデオに納めるのか? しかし先輩もビデオ撮影が好きだな……。一体、何に使うつもりなのだろうか? 思い出作り? それとも単なる趣味? うがった見方をするなら、誰か彼女が想いを寄せる人物がこのミステリ研究会の中にいるのかもしれない。その人の映像を得るために、カメラを回しているのだ。そうすれば誰に疑われることなく、目当ての人の映像が得られるから……。

 そんな事を思いながらぼんやりしていると、部長が席を立った。

 みんなを見回し、話し始める。

 どうやら今日の行程を説明するようだ。

「さて、今日は今回の合宿の目的である、旧日本軍及び製薬会社が研究施設として使っていた所を探索する。それぞれ必要なものを持ち、私の指示に従って行動してもらいたい。昨日見て回った時に、一部危険な場所があったのでその辺は現地において説明する。安全か危険かは独自で判断できると思うが、常に油断無く行動して貰いたい。合宿前に渡して置いたPHSをみんな忘れないようにお願いする。……それでは今日の探索がみのあるものになるよう、がんばろう。以上だ」

 堅苦しい挨拶の後、みんなは一斉に食事を始めた。


 それほど手が込んだ料理ではないにしても、深町先輩の料理は美味しかった。何か魔法のエキスでも入れているのではないかと思わせる味わいで、本当に深町理彩という女性は完璧だなと再確認した。

 美人だし頭も良い、スポーツもそこそここなす。食べた人間しか分からないけど料理は本当に上手だ。唯一の欠点といえば闊達さが無いというところだけだろう。しかしそれも彼女を謎めいた女性と感じさせ、男から見れば長所に見えるんじゃないかな。

 何気なく彼女のほうを見ると、黙々と食べている。


 テレビもラジオもないところだから、会話が無ければ本当にお通夜のような食事だ。食器が当たる音、食べる音……ただそれだけしか音が無い。誰も取り立てて話をしないので本当に静かだ。みんな二日酔いなのかそれとも早く食べて出発の準備をしようと考えているのかは判別できない。場を盛り上げるような話をしようと思ったけど、そういったネタは何一つもっていないので黙っているしかなかった。


 部長が一番に食事を終え、席を立ち上がった。

「出発は9時だ。みんな遅れないように玄関前に集合してくれ」

 そう言い残すと部屋へと消えていった。それに続くように長野先輩も席を立った。

 僕もご飯を食べ終え、食器を積み上げると流し台へと歩いていった。

 洗い桶に食器を浸けると、再び食堂のテーブルに腰掛ける。

 女性陣は、まだ食事を続けている。


「今日はどうなるんやろなあ。何か見つかるんやろか? 田中は、どう思うん」

 部長がいなくなって急に元気を取り戻したのか、村野先輩が僕に話しかけてきた。それもご飯を口にほおばったまま。

 とても女性らしくない仕草に辟易しながら僕は答える。

「どうなんでしょうね。部長が前に言ってた事件と関連するようなものは残ってないとは思いますが……。かれこれ二十年くらいの歳月が経ってますからね。何もかも風化してると思います」

「そうやろ?ウチもそう思ってるんよ。もし事件が何者かの陰謀やったら、その犯人が証拠なんか残さへんよなあ。ただでさえそれやのに、時間がえらい経ってしまってるもんやから難しさは倍増やな」

「でも、そうとは言えないかもしれませんよ」

 二人の会話に綾が割って入って来た。

「綾ちゃんはどう思ってるんや? 」

「完全な犯罪なんてこの世には無いと思うんです。どんなに念入りに練られたものでも、人というものは必ずどこかでポカをやってしまうのが現実なんじゃないかと。たとえ、当時はうまく隠蔽したと思っていたものでも、時間の経過が真実を明らかにすることだってあると思います。だから、今日の探索だって全く成果が無いとは思えません。違った視点で物事を見れば、新たな真実だって見えてくるかもしれませんし。それに……部長だってそれなりの考えがあってのことだと思います」

「確かに、綾の言う通りかもしれないなあ。あの切れ者の部長がわざわざこんな無人島に調べに来ようとするくらいだからなあ。僕らレベルでさえ無駄って思うようなことなら、部長ならとっくに解っているはずだ。だから何か考えがあるんだろうね。……そういえば、先輩は去年もこの合宿に参加してましたよね。その時はあの施設の探索はしなかったんですか? 」

 僕の言葉に一瞬ではあるが、村野先輩の顔が青ざめたような気がしたのは気のせいか?

「先輩、どうかしたんですか? 」

 彼女は驚いたような顔をして、手をバタバタした。

「い、いや……。なんでもあらへんねん。ちょっと他の事考えてたんや。で、何やったっけ? 」

「だから、去年もこの島にミステリ研究会が合宿に来ていますよね。その時は軍の施設を見に行かなかったんですか? 」

「どうやったんやろなあ……。なんや行ったような気もするしそうでないかもしれへん。去年の事だから忘れてしもたわあ。なんでやろうなあ、どっちにしても印象にあんま残ってへんねん」

 突然、呆けが入ったかのように、とぼけだした。

 ……どうしたんだ?

「先輩、どうしたんですか? 」

 綾も不審な顔をしている。

「うーん。なんて言ったらいいんやろなあ。去年の合宿は、なんやかんやでいろいろバタバタしてたから、そんなことまで気が回らなかったんやろなあ。……ま、ええやん。今年探索するんやから。……細かいことをゴチャゴチャいってたらアカンでえ! 」

 村野先輩は、そそくさと食器を重ね、流し台へと運んでいく。

「ほな、時間が来たら玄関でな」

 僕たちの追求から逃れるかのように、立ち去っていった。

「変な先輩……。どう思う、徹君」

 僕は黙っていた。

 余りにあからさまな態度に、僕は疑惑を持つ以前に呆れてしまった。明らかに彼女は何かを隠している。去年の合宿において、何かがあったのは間違いない。それがどういったことなのかまでは、現段階では掴めない。しかし、部外者には話したくない何らかの事情があるのは間違いないだろう。あのお喋りな村野先輩が口を閉ざすぐらいなんだから。

「深町先輩はどう思います?今の村野先輩の態度っておかしいですよね」

 静かに食事を続けている深町先輩に話を振ってみる。

 彼女は何かを考えているようでしばらく反応が無かった。やがて気付いたように、

「さあ、私にはわからないわ。だって、この合宿に来るの初めてだから。いろいろとあったというのだけは想像できるけど……」

 と、答えた。

「そうですよね。何か隠すことなんかあるのかしら? 部長たち、どうしてあんなに隠そうとするのかな」

 綾の言葉を聞いているのかわからないが、深町先輩は食器を片づけると、この議論には興味が無いかのように食堂を後にしていった。

「どうしたのかしら? 何だか話したくないみたいだったけど……」

「そうだな。ま、部長に去年の事をしゃべるなって言われてたからね。深町先輩は部長の彼女らしいから、何らかの話を聞いている可能性があるんだけど、口止めされてるなら知ってても話してくれないだろうなあ」

 明らかに何かある。去年、何かがあったのは間違いない。それも僕たちには知られたくない何かが……。

 去年もこの島に来ていて、あの施設を調べなかったはずがない。なのに今年もその施設を調べようとしている。どんな意図があるのか?


「そういえば、この合宿に来る前に事故がどうとか言ってたのを徹君は憶えている? 」

「ああ、確か村野先輩が言って部長にひどく怒られたよなあ」

「多分、その事故が原因で合宿が中止になってしまったんじゃないの」

「その可能性はあるね。どういった内容の事故だったかはわからないけど、それが原因で施設の調査までできなかったのかもしれない……。ただ、先輩達が教えてくれない限り、想像するだけしかないんだよなあ。あー、昔の部員の人に聞いておいたらよかったなあ。その時は気になるんだけど、すぐ忘れちゃうんだよなあ」

 合宿自体が中止になるような事故、それは何なのか。事故と言うからにはそれなりに緊急事態が去年の合宿で起きたのだろう。部員達は誰もそのことに触れたがらないし、口を滑らせた村野先輩は部長から烈火の如く叱責された。

 探索中にけが人でも出たのだろうか。

 去年から大幅に部員が減ったこととの関連性もあるのだろうか。

「考えてもしょうがないよね。さ、徹君。あたし達も出かける準備をしなくちゃいけないわ。いろいろ思うところはあるけど、とりあえずは研究施設跡地の探索準備をしましょう。

 徹君は荷物運び役なんだから、しっかりしないといけないわよ。お昼のお弁当は冷蔵庫に入っているから、クーラーボックスに移し替えるのを忘れないでね。お茶も一緒のところにあるから。……あ、そうそう。村野先輩のお茶だけは別の冷蔵庫に入っているから、それだけは忘れないで。大変なことになるからね」

 考えるだけ無駄と判断したのか、綾はさっさと切り替えをし、言うだけのことを僕に言い、出かける準備をするようだ。その切り替えの早さはさすがだ。

 時計をみるともうあと少しで出発の時間となっている。ぼやぼやしていたら間に合いそうもない。

「そうだな、僕も準備をするよ」

「じゃあ、あたしも準備があるからまた玄関でね」

 そう言うと、綾は食堂を出ていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る