第10話 予兆

 どれくらいの時間が経ったのだろうか?

 僕はドアをノックする音で目が覚めた。

 電気を点けっぱなしのまま眠ってしまったようだ。時計をみると二時を少し回ったところだった。

 ふらつきながら僕はドアまでたどり着き、ドアを開けた。

 不本意な目覚めだったため、激しく頭痛がする。

 廊下の電灯は消されていないようで、その明かりに目がくらむ。

「ごめんなさい……」

 そこには綾が立っていた。パジャマ姿の彼女を見るのは小学校の頃以来だろうか。

「どうかしたの? 」

「こんな夜中に起こして、ごめんね」

「どうした? 何かあったのか? 」

 彼女は急に僕にしがみついてきた。シャンプーの香りが僕を包み込む。

 体は小刻みに震えていた……

「誰かが、誰かが部屋を覗いていたの……」

「なんだって? 」

 僕の胸に顔を埋め、消え入りそうな声で綾が言う。

「酔ってたせいで、カーテンを閉めずに寝てたみたい。夜中に急に目が覚めて、カーテンを閉め忘れた事に気がついてカーテンを閉めようと思ったら、部屋の中を覗いている人影をみたの。暗闇の中に瞳だけが二つ光るように見えて。ねえ、怖いよ……」

 綾の部屋は二階だ。もし部屋を覗こうとするならば、屋根に登らなければならない。

「綾、しっかりしろ! その人影が誰だったのか見たのか? 」

 綾は首を横に振った。

「じゃあ、その人影は、その後どこに行ったんだ? 」

「しばらくあたしを見ていて、笑って屋根から飛び降りたわ……。この島には、あたし達以外に誰かがいるのよ!! 」

 今にもパニックに陥りそうになる綾を僕は宥めようと必死になった。

 深夜にこの無人島の宿泊施設を覗きに来る人間がいるとは思えなかった。船をチャーターして3時間もかけて、こんな無人島に来ている人間が、はたして存在するのだろうか?

 それは考えにくい……。

 そうすると、ミステリ研究会の誰かということなのだろうか?


 綾の部屋を覗くとするなら男だ。

 すると部長か長野ということになる。

 夜這いでもかけるつもりだったというのか? だが、わざわざそんなことをするとは思えないし、こういった状況下においてそんなことをするタイプには二人とも思えなかった。

 外部の人間、内部の人間、どちらも考えにくい。どちらの意見を述べても、いい結果にはなりそうもない。結論からすれば外部の人間としたほうが話はまとまりやすそうだが。

 僕は大きく深呼吸をして、極力笑顔になるようにした。

「綾、たぶん寝ぼけてたんじゃないのか? いや、きっとそうに違いないよ」

「違うわ!あんなにはっきりと見たのよ。徹君は、あたしが嘘を言っているとでもいうの? 」

「いや、そんなつもりじゃないよ。でも、よく考えてみろよ。ここは街じゃないんだ。無人島だぞ。しかも船で3時間もかかるような辺鄙な所だ。そんな島に一体誰が来るって言うんだ? こんな夜中にわざわざ覗きに来るために来たっていうのか? それも僕たちがこの島に来ることを知っていて。そうなるとものすごい確率だぞ……」

「だったら、ミス研の人?……」

「それもありえないなあ。部長も長野先輩もそんなことする人には見えないし。綾だってそう思うだろう? 」

 そうだよね、と綾も頷いた。そして何かに気付いたように震えだした。

「どうしたんだ? 」

「じゃ、じゃあ……。もしかして幽霊……」

 しまった!! 僕は焦った。

 外部の人間でもミステリ研究会の男でもないとすれば、当然のように考えつく結論を忘れていた。綾がもっとも苦手とする心霊関係のほうへと話が進んでいくようだ。

「幽霊があたしの部屋を覗いていたんだわ。そ、そんなの……怖い、怖いよ。鬼女伝説の祟りかなにかで、あたしを……」

 綾は僕の体に強くしがみついて離れない。明らかに震えているのが分かる。嬉しい反面、この状況をどうしようということで頭の中が一杯だ。

「幽霊なんかじゃないよ。きっと幻覚を見たんだって」

 と、そんなことを言ってみるが、綾には全く聞こえていないかのようだ。

「こんな所嫌、幽霊が出るところで泊まるなんて耐えられないわ。あたし帰る。今すぐ帰る!! 」

 パニックに陥った綾に、僕はどう言っていいかわからなかった。

 彼女の声は、夜間にしては不謹慎なほど大きくなっている。

「落ち着けよ、落ち着くんだ。帰るったって船は一週間後だって言ってただろう? そりゃ無線で連絡すれば来てくれるかもしれないけど、こんな時間だからみんな寝てるよ。それに無線に出てくれても、どんなに急いだって今すぐは無理だ。寝ぼけた状態で見た幻覚なんだから気にすること無いよ」

「徹君だってあたしがその手のものが大の苦手だって知っているじゃない! このままじゃ耐えられないよ……。徹君……」

「どうしたんだい? 」

 綾が思い詰めたような瞳で僕を見つめている。

「徹君の部屋で寝てもいい? 怖くて一人で眠られそうにないの」

 鼓動が高鳴る。

 これが普通の時なら、普通の男ならこれほど嬉しいことはないだろうな。こんな美少女に言われたら有頂天になるだろう。しかし、綾は怯えているだけだ。それに添い寝するなんて大変だ。こんな合宿で一晩を過ごしたなんて知られたら、大騒ぎになる。みんな誤解するに違いない。それは綾にとっては可哀想すぎる。


「ちょっと待ってろ」

 僕は部屋に入ると毛布と寝袋を持ってきた。

「食堂で寝ればいい。僕が起きてずっと見張っていてやるから」

「……ありがとう、徹君。やさしいのね」

 綾は僕の意図することの意味が分かったようで、微笑んだ。

「別にあたしは徹君の部屋でもいいんだけど……」

「冗談が言えるようになったようだから、少しは落ち着いたようだな。じゃあ行こうか」

 廊下の白熱灯に照らされた綾の頬に赤みが差していたような気がしたが、たぶん灯りの加減だろうな。


 僕は綾をソファーに寝かすと、毛布を掛けてあげた。エアコンは点けっぱなしだから、涼しい。

「ごめんね、迷惑かけちゃって」

「大丈夫だよ。安心して眠ればいいよ」

 綾は頷くと瞳を閉じた。

 僕は向かいのソファーに腰掛けてしばらく考え事をしていた。微かな寝息だけが部屋に聞こえてくる。どうやら眠りについたようだ。

 僕は軽くため息をついた。

 電気は消さないでくれということなので、点けっぱなしで眠るとするか。

 綾の寝顔をみると安心しきった表情で眠っている。こうしてみると本当に綺麗な顔をしているな、と思う。


 しかし、彼女が見たという人影は一体なんなのだろう。

 綾が幻覚を見るとは思えない。まして幽霊などありえない話だ。

 誰かが綾の部屋を覗いたのは間違いない。だとすれば何者なのだろうか。綾の言うようにこの無人島には僕たちミス研の部員以外に誰かがいるのか? それとも部員の誰かが覗いていただけなのか?

 結論は出ない。

 みんなには黙っておいた方がいいということだけは間違いないだろう。


 しかし……。

 僕はどういう訳か胸騒ぎがしていた。

 昼間の誰かの視線。

 綾の部屋を覗いていた人物。

 すべてが何かの始まりを告げるもののように思えて、何故だか寒気がした。



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