第9話 不安げな夜
僕は椅子を積み上げ、倉庫へと運んでいくことにした。こればっかりは力仕事なので男の僕がやらざるをえない。部長や長野先輩も男だが、彼らは当然のようにこの場にはいない。部長は怒って部屋にでも帰ったのだろうが、長野先輩はどこに行ったのだろうか。
部屋から漏れる灯りを頼りに、僕は宿泊施設の裏庭へと歩いていく。
遙か遠くから遠吠えが聞こえてくる。
犬か……。
宴会の最中は肉の焼ける音、炭のはじける音、人の喧噪で聞こえなかったものが耳に届くようになっている。
しかし、こんな無人島に犬がいるとは不思議だ。それも一匹や二匹の遠吠えじゃあなさそうだ。エサは何を食べているのだろうか? かつてはこの島の村で飼われていた犬が野生化して繁殖しているのだろうか。
幼い頃、野犬の群に囲まれて、怖い思いをしたことを思い出し、寒気がした。そういえば、あの時は綾に助けてもらったっけ。親父にひどく叱られた記憶がよみがえる。女に助けられるような弱虫は出て行け!って怒鳴られた。確かにその通りで何も言い返せなかった。
犬に襲われたことより、僕自身が何もできず、綾に助けられたという事がトラウマのようになっている。あれ以来、僕は犬が苦手になっている。
でも、あの時よりは僕は強くなっている。綾を守ることもできると思っている。いや、今はその当時と変わらないくらいに弱いかもしれない。でも、どんなことがあっても守るんだ。
ガサっと近くで物音がした。一瞬、凍り付く気がしたが、なんとか声を上げずにすんだ。
犬だったらどうしよう? そんな恐怖が過ぎる。僕は恐る恐る物音へと近づいていく。物音は倉庫から聞こえてくるようだ。
微かに見える存在……。それは犬では無かった。
明らかに人だった。
倉庫の中を懐中電灯で照らし、何かを探しているように思える。
胸をなで下ろすとともに、こんな時間にこんな場所で一体誰だ? という疑念が沸いた。
「誰だ! 」
僕は暗闇に問うた。
倉庫内で何かをしていた人影がこちらを振り、ライトでこちらを照らす。目映さに耐えきれず、僕は手で顔を覆う。
暗闇に慣れた僕の視界に現れた物、筋肉質の体、短い頭髪をした長野先輩だった。
「何だ、長野先輩でしたか……」
彼は何も言わず、こちらを見ているだけだった。
「びっくりしましたよ。こんなところで何をやっているんですか? 」
「田中か。別に何もしていない」
そういうと彼は逃げるように去っていった。
こんなところで何をしていたんだろう? 僕は倉庫の中を見てみた。暗闇ではっきりとは見えないのでわからないが、特に何も見あたらない。
先輩は何を探していたのだろう。聞いてみない限りはわからないな。
僕は倉庫に椅子を押し込んだ。そして倉庫の鍵をしっかりと掛けた。無人島だから問題ないけど、何となく気になって施錠をする。
「これで完璧だ……」
一人満足して、玄関へと戻っていく。
途中、屋上からつながってくる雨樋にぶつかって転びそうになる。やはり暗闇は遠近感を更に狂わすようだ。最近はどうも調子が良くない。町中でもよく人とぶつかったりするからな。注意が必要だ。本の読み過ぎか勉強のしすぎか、ゲームのしすぎか……。
プラスチック製らしい樋に手をかけるとグラグラと動く。どうやら経年劣化で相当痛んでいるようだ。思いっきり引っ張ったら、屋根毎落ちてくるかもしれない。
玄関に戻ると、すでに片づけも終わったようで、女性陣は中に入っているようだ。コンロだけが取り残されたようにポツンと存在している。
僕は玄関のドアを開け、中へと入っていった。無人島なので鍵はかけない。
廊下の奥の食堂から声が聞こえてくる。スリッパを履き、そちらへと向かう。
食堂のソファーに二人の女性が腰掛けて、何か話している。
深町先輩と村野先輩だ。
綾はどこかに行っているようで、見あたらない。部屋にでも帰っているのだろうか。
「あ、田中君、お疲れさま」
「とりあえず片づけは終わりました」
深町先輩に答え、僕は冷蔵庫の扉を開けた。
冷蔵庫は食堂に二つあり、1つは2ドアの大きいタイプ。
その隣に1ドアの小さい冷蔵庫が置いてある。
僕は大きい方の冷蔵庫を開けたのだった。中にあるペットボトルを一本取り出す。
「田中君、小さい方の冷蔵庫にあるペットボトルは飲んだらアカンでえ。そっちに入っているお茶はウチ専用のやからな」
町で買いに行かされた妙な色をしたお茶、それは村野先輩からの命令で買いに行かされた物だった。何か特殊な物らしく、一本がとても高かった。
「ああ、わかってますよ。飲みませんよ」
「村野さん、そのお茶って何なの? 」
「ウチ専用のお茶や。水とか他のお茶とかを飲んだら気分が悪うなるから、ウチはこのお茶をかかせられんのや」
深町先輩の問いに答える。
そういや村野先輩はアレルギー体質だとか聞いたことがある。暑い夏場でも長袖シャツに手袋を欠かさないのは、そういった事情があるのかもしれない。
もっともそういった事を聞くのは失礼だし、万一傷つけたりしたら大変だから黙っていた。
「せやさかいあの小さい冷蔵庫に入ってるお茶は飲まんといてや。……もっとも普通のお茶とは違うから飲み慣れてないと飲めへんやろうけど。ま、冷蔵庫には鍵がかかってて開けることはできひんから問題ないやろうな」
「わかったわ。気を付けます」
「僕も間違って飲まないようにします」
絶対に間違えることは無いけど、そう答えた。
「まあ本当に欲しくなったら、鍵は食器棚の奥に隠してあるから飲んでもええんやけどな。慣れない人間にとっては、濃すぎる味やろうけど」
くれると言われても飲まないな、たぶん。
廊下から足音が聞こえ、綾が入ってきた。
「あ、徹君お疲れ様」
「綾、どこ行ってたんだ? 」
「トイレです! 」
ちょっと失礼だったかな。
「さあ、片づけも終わったからこの後部屋で飲まへん? 」
「あ、いいですね」
女性陣が語りだした。
「じゃあ、あたしの部屋に来ませんか? 」
「それいいわあ。ほな、田中。さっさと風呂に入っておいてや。部長はもう入ったみたいやし、あとはアンタと長野先輩だけや。女の子はその後に入るさかい、覗いたらあかんで。……それから、あんたが出たら、ちゃんと風呂は洗っておいてや。浴槽から風呂桶、風呂蓋、椅子もやで。お湯は絶対に張り直すこと。わかった? 」
そう言い残すと彼女たちは二階の部屋へと消えていった。
ぎゃーぎゃー騒がれたら大変だ。
僕は一階の自分の部屋に戻っていった。
男性陣は一階、女性陣は二階と部屋割りは決まっている。部長の部屋からは灯りが漏れているが、長野先輩の部屋は真っ暗だ。寝ているのか、どこかに出かけているのか。全く分からない。そんなことはどうでもいいか。部屋に戻って風呂の準備を始めよう。
軽くシャワーを浴び、汗を洗い流すと部屋に戻る。
各部屋にエアコンがあるから快適だ。風呂上がりの火照った体が冷えていくのが心地よい。冷蔵庫から持ってきたビールを軽く飲む。……ちょっと気持ち悪い。
やはりアルコールは体が受け付けないのかな。
食堂へと戻ると、食器棚からコップを取り出し、水を入れると一口ぐっと飲む。酔っているせいか、昼に飲んだときは変な臭いとなんともいえない味ではき出したのだが、それもあまり気にならない。ここの水は飲めない程不味いわけではないのだか、そのまま飲もうとは思わない味だ。確か地下水だと部長が言っていたが、地下水ってもっと旨いイメージがあったんだけど。
水をつぎ足すと、コップを持ったまま部屋へと戻る。
部屋に戻ると、バッグの中を探し、小さな小瓶を取り出すと、中にある白い錠剤を2つ取り出して口に含むと、水で流し込む。
ベッドに横になった途端、視界がぐるんぐるんと回り出し、同時に猛烈に眠くなってきた。今日の船旅の疲れとアルコールの為か、すぐに睡魔が襲ってきたのだろう。
上の方からは綾達の話し声が聞こえてくる。楽しそうにやっているのかな。そんなことを考えながら、ウトウトとしていく。
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