第7話 疑惑の影
見回すと長野先輩だけがむっつりとした表情でビールをあおっている。
深町先輩と綾は甲斐甲斐しく肉や野菜を焼き、皿に載せてみんなに配っている。村野先輩はビールを飲みながら、何やら部長に話しかけている。彼女はいつの間にか部長の隣に座っている。こびたような態度で部長にコップを渡し、ビールをついでいる。
普段とは違う、オンナってものが彼女から発散されているように感じ、そんな一面を持っているんだなと関心した。
「徹君、肉焼けたよ〜」
そういって肉が乗った皿を綾が差し出してきた。
「う、お、ありがとう……」
僕は皿を受け取り、食べようとした。
「あ、あの、綾……」
「どうかしたの? 」
「折角焼いてくれて有り難いんだけど、……この肉ってまだちゃんと焼けてないんじゃない? 」
綾が焼いてくれた肉は焼いたとは思えないほど見事なまでに真っ赤だった。はっきり言えば生だ。焦げ目など無い。トレイからそのままお皿に載せたとしか思えない。そうかと思えば黒こげに炭化した、かつては肉だったらしきものもある。
「え? 焼けてない? ちゃんと焼けているじゃない」
「いや、焼けているのは焦げすぎだよ。焼けてないのは生だし」
ほとんど嫌がらせかと思わせるが、これも綾だからこそこういったことになるのを知っているだけに怒りは沸き上がらない。本当に料理とか家事は一切駄目。根本的にセンスが無いとしかいいようがない。
ただ肉を焼くだけでこの有様なのだから……。
「そうか……。ごめんね。焼き加減っていうのがよくわからないから」
「いや、いいよ。食べられるから」
僕は炭化した肉と生の肉を口に押し込んだ。……冷たくて血の味がする。微妙に解凍されてその触感が妙な感じ。はっきり言って気持ち悪い。
「ま、まあ大丈夫そうだよ」
「そう? よかった」
良くは無いけど仕方ない。肉は自分で焼こう。
しかし、綾は甲斐甲斐しく、僕の為に今度は炭化した肉を皿に乗せてくれる。生焼けにならないように気を遣いながら。
他の部員は綾の犠牲にならないよう、自分で焼いている。
断ることのできない僕は、仕方なく食べるしかない。ビールで流し込みながら食べるため、ドンドンと酔いが回っていく。アルコールのせいなのか、生肉を食べているせいなのか不明だけど、なんだか気持ち悪くなってきた。
「おー、なかなか良い感じやない。相変わらず綾ちゃんと田中君は熱々やなあ」
僕と綾の間に体をねじ込むようにして村野先輩が割込んできた。
頬が少し赤らんでいる。
「あ、どうも」
「ま、二人ともご苦労様。疲れてるやろうから一杯飲みや」
そう言ってどこからか持ってきた紙コップを僕たちに手渡す。
「さあさあ、ぐいっとやりや」
僕のコップにはなみなみとビールが注がれた。
仕方なく僕はコップをあおる。彼女の持つビールは生ぬるくなっていて、あまり美味しくない……。
「綾ちゃんも飲み」
妙になれなれしく、綾にもビールを注ぐ。
村野先輩はだいぶ酔っているようだ。顔は真っ赤だし口調もおかしい。いつの間に飲んだんだ?
「なあなあ、前から聞きたかったんやけど、あんたらできてるん? 」
「は? 」
僕は彼女の意図する事がわからなかった。
「それはつき合っているとかそういった意味ですか? 」
「そらそうに決まってるやん。あんたら妙に仲がいいし、いっつも一緒にいるやん。ウチの目は誤魔化せんよ」
「違いますよ、僕たちはそういった仲じゃなくて……」
「いや絶対そうや。そっれにしてもやなあ、綾ちゃんも男の趣味悪いなあ。田中みたいなこんなパッとしない男とつき合うなんてなあ。まあ好きになったらそんなんも見えんようになるんかもしれんけど」
僕を指さしながら先輩が言う。
「僕たちはただの幼なじみなんですって」
僕の弁明に聞く耳を持たないかのように、まくし立てる。
「嘘ついても誤魔化されへんで。あんたのその綾ちゃんを見る目は普通と違うんは解ってる。……あの嫌らしい中年の親父のようなネバネバした視線で、いっつも綾ちゃんの体をなめ回すように見とるんは知ってるんや。そんな嫌らしい目に晒されながら、綾ちゃんはどういうわけか、何かにつけあんたのことを庇うしなあ。ちょっとやばいんとちゃうの? 」
「……おいおい、綾。なんとか言ってくれよ」
僕は綾に助けを求めた。しかし綾は何も言わない。トロンとした目で僕たちを見ているだけだ。
どうも彼女も酔っているらしい。
「綾ちゃんもなんか言いや。あんたらつき合っているんやろ? 」
「違いますよ、村野先輩。あたしは徹君を異性として意識したことないですし、恋愛の対象と思うのは無理です」
「ホンマに?……おっかしいなあ。絶対つき合ってるって思ったんやけど」
おいおい、僕が否定しても全く無視なのに、綾が否定したら即納得するのか?
「まあ確かにそうやなあ。綾ちゃんみたいな可愛い子が田中みたいな男とつき合ったりしてたら、世の男達は死んでも死にきれんわなあ。部長と深町さんがつき合っているのは理解しやすいんやけどなあ」
「いや、どうしてそこで部長達を引き合いに出すんですか。僕と比較しないでくださいよ」
部長は背も高く、理知的で男からみてもルックスはいいし、家も金持ちと来ている。もちろん成績も優秀……。もてて当たり前という感じだ。
そして深町理沙先輩は誰もが認める美少女だ。
美男美女のカップル。使い古された表現だがそれがピッタリとはまるのも珍しい。
「そうですね。部長と深町先輩ってお似合いですよね。あたしもうらやましいわ。でも……」
「でも? どうかしたのか」
僕は綾に尋ねた。ついでに村野先輩にビールを注ぐ。
「何か、何かちょっと違う気がするんだけど……」
「どういうことだい? 」
「あたしの気のせいかもしれないけど、深町先輩、部長と一緒にいてもあまり楽しそうに見えないんだけど」
僕は話し込んでいる部長と深町先輩を見た。
ビールを片手に部長は彼女に何かを話しているようだが、確かに彼女はぼんやりとどこかを見ているだけのように見える。
恋人同士が会話をしているように見えないのは気のせいだろうか?
「わひゃひゃ、あんたらまだまだ子供やなあ。あの二人は最近うまくいってないみたいなんや。しらんかった? 」
「え、そうなんですか? 」
「部長はあの通りエエ男やから、他の女の影がちらつくんよ。浮気っぽいしなあ。そや、綾ちゃんやって部長に口説かれたりしてたやん。そんなん見てたら愛想つかすやろ」
そう言えば綾を口説いている場面を何度か見たことがあった。
「徹君、あたしは大丈夫だからね」
弁解じみた口調で綾が言う。
で、何で僕に言い訳するの?
「しっかしなあ、理沙ちゃんは一途な女の子やから可哀想やな」
「だったら別れたらいいのに」
「そうもいかんのが男と女の仲なんよ。お子ちゃまの田中には、わからんやろうけど」
浮気っぽい男と一途な女。
何かどこかで見たことのあるシチュエーションだ。そんな男と離れられない女というのも理解できない。男の気持ちは分からなくはないけど。
「ま、男と女にはいろいろあるってこと。外野が騒ぐこやないわ」
「そうですね。でも深町先輩はあんなに美人なんだからさっさと見切りをつければいいのに。あたしなら絶対そうするけど……」
「まあ綾ちゃんは大丈夫や。田中みたいなヘボ男君が彼氏やから浮気されることはないやろ。でも注意しーや。男はアホやから、どんなに美人を彼女にしていても浮気の虫が騒ぎすみたいやから。田中やってへなへなな顔しとるけど、他に女を作るかもしれへんよ」
だから僕たちはつき合ってないっていうのがわからないんだろうか?
「先輩、つき合ってもないからあたしたちはそんな話は無いですよお」
綾の否定になにやら不審気な顔をした。
「まあええわ。ところでなあ綾ちゃん、ちょっと教えてや」
「はい? 何でしょう」
「綾ちゃんってめっちゃ可愛いやん。で、あんたお兄さんとかおらへんの? もしおるんやったらウチにも紹介してや」
唐突に先輩が話題を変える。
いきなり何を言ってるんだろう?
「兄ですか。……いたんですけどね」
うつむき加減で綾がつぶやく。
「おるんかいな? 綾ちゃんに似ているんなら男前なんやろなあ。なあなあ紹介してえな」
暑苦しいくらいの笑顔で先輩がせがみだした。
僕は何も言えないまま二人を見ている。あまりに唐突な先輩の言葉に何故だか動揺している。
「……紹介したいけどできないんです」
「へ? 彼女がもうおるんかいな」
「いえ、違います」
「なんや気になるなあ、さっさと言うてや」
急かすように先輩は綾の腕を掴む。
「4年前に、事故で死んじゃったんです」
その言葉を聞いて、興奮気味だった先輩の表情が変わった。
「なーに言うてんの、綾ちゃん。酒の席やからええけど、そんな冗談アカンわ」
大笑いする、先輩。しかし、綾はまじめな顔で黙っている。綾の言っていることが冗談ではないことに気づいたのか、先輩の顔から笑いが消えた。
「ホンマかいな? ご、ごめんな。いらんこと聞いてしもうて。ウチはしゃぎすぎたわ。ホンマ謝るわ」
「いいえ、気にしないでください」
「んでも、事故ってどうしてなんや。そんなんあるんかいな」
反省しているようで反省していない先輩。無神経だ。
それ以上に僕はこれ以上、その話に触れてほしくなかった。近くにあったビール缶を掴むと、先輩のコップに注ぐ。
「先輩、どうぞどうぞ。いやあそれにしても、今日はたいへ」
「お、すまんな、田中。……綾ちゃん、どうしてお兄さんは亡くなられたん」
会話を違う方向に誘導しようとするが、全く無視された。
綾は少し悲しそうな顔をした。
「駅前にある百貨店、知ってますよね」
「おうおう。結構あそこは大きくていろんなもんがあるから、よく行ってるわあ」
「前は違う建物が建っていて、4年前に火事で取り壊しになったんです。先輩は知らないですよね」
「そうやな。ウチがこっちに越してきたんは2年前やし」
「昔はあそこは3階建てのスーパーと専門店があったんです。あの日、ちょうどあたしたち家族が全員で買い物に来てて、火事に巻き込まれたんです。炎がものすごい勢いで建物中に回って、来ていた人がみんなパニックになって……。あたしも両親も逃げまどう人たちに巻き込まれて、離ればなれになったんです。幸い、両親とは外で再会できたんですが、お兄ちゃんだけ別の階に行っててそれで」
「ほんまかいな。それでお兄さんが……。辛かったんやろな」
気遣うような口調になる。
綾は小さく首を振る。
「悲しいんでしょうけど、あたしはそのときの記憶が全くないんです。小学生の六年生だから忘れるはずがないのに、その日の記憶が完全に消し飛んでいて」
「……ショックによる記憶喪失やな」
そういって頷く。
「覚えているのは徹君が煙の中、あたしを助けてくれたことだけなんです」
「うお? ホンマかいな。田中、あんた綾ちゃんの命を救ったんかいな」
「いや、僕は……」
それ以上言う気になれず、口ごもる。できればこの話題はもう終わりにしたい。これ以上は話を続けたくなかった。
4年前、駅前にあったスーパー。当時はこのあたりでは一番大きな店で、他に専門店とかもいくつか入っていて、結構流行っていた。あの日は日曜日の朝でそんなに人はいなかった。火は瞬く間に建物全体に燃え広がった。古い建物だったため防火設備が不備だったと新聞には書いてあった。ただ、従業員が冷静に誘導したせいと客が少なかったためにで、被害は最小限に抑えられた。犠牲者は綾の兄、山寺隆一と身元不明の成人男性の2人だけだった。
後に新聞に書いてあったが、当時近くで殺人事件があり、その犯人が逃走中、あのスーパーに逃げ込み、観念して焼身自殺を図ったとのことだったが、その真偽は結局不明なままだった。
「あの時は無我夢中だったんで、僕もはっきりとは覚えていません」
と、嘘をつく。この嘘は綾にもついてる。
「そうなんや。二人ともショックな出来事を乗り越えてきたんやな」
村野先輩は僕たちを見回し、感慨深そうにする。
ふと見るとコップが空になっていた。慌ててビールを注ぐ。
「ありがと。これ以上この話聞いても綾ちゃんが辛い思いするだけやもんな。やめとこか」
先輩はビールを一気に飲み干すと、今度は部長と深町先輩のところへと歩いていった。少し千鳥足になっていて、椅子をひっくり返したりしている。
何とかこれ以上、あの時の話題にならなくて良かった。僕も他の先輩達にビールでも注ぎに行こうかな。
「よし、長野先輩に注いでくるよ」
驚く綾を後目に僕は立ち上がり、一人で黙々と肉を食べている長野先輩の横に座る。このまま綾と一緒だとあの時の話になるのは間違いない。できれば避けたかった。昔の記憶を彼女が取り戻したって、ただ悲しいだけでしかないから。そんなことはさせたくない。
知らない方が良いことが世の中にはたくさんあるのだから。
「先輩、どうぞ」
僕は早速彼のコップにビールを注いだ。
「おお」
一言だけ発して、彼は再び食に戻った。それ以降何も言葉を発さない。黙々と肉を焼き、それを食べ、ビールをあおる。
「長野先輩は今日どこへ行ってたんですか? 」
ちらりとこちらを向くと彼はビールを飲み干した。
「それがお前に関係があるのか? 」
「いや、部長は研究施設跡地に行ってたみたいですが、長野先輩は何してたんだろうって思っただけです。僕も島中を歩き回ったんですが、全然合わなかったから」
「俺も島を歩いてただけだ」
「部長と一緒じゃなかったんですか? 」
「アイツとは一緒じゃない。それに研究施設なんて見たって何も得るものがないだろ」
冷めた口調で言う。
施設を見ても意味がないとはどういう意味だ?
今回の合宿は施設に残された資料を探し出し、不可解な連続不審死事件の謎を解くのが目的だったはずなのに。
「今回の合宿のメインなのに意味が無いというんですか」
「そうだ……、単なる戯言だ。アイツのやることはただのイベントに過ぎない。合宿をやるからには嘘でも目的が必要だからな」
そこまで言い切られると、僕たちは何をしにきたかわからなくなるだろう。明日からの合宿が無意味と断言されるとむなしいのではないか。
「合宿が無意味なら、長野先輩は何をしにこの島に来たんですか? 」
一瞬、睨むような目をした先輩に、どういう訳か寒気がした。
もともとどういう人物か知らない男だけに、読めない。何を考えているのだ?
彼は遙か遠くを見つめながらつぶやいた。
「俺にとっては、間違いを修正するためだ……」
微かにつぶやいた。
それ以後、彼は一言も口をきかなかった。俯いたままなにやら考えているようだ。今の意味不明な言葉は何を意味するんだろうか。
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