第6話 島の夜

「あんた達、遅い!! 」

 宿泊施設の敷地に入った途端、甲高い声が響いた。

 玄関のガラス戸を開けて、小柄な村野先輩が仁王立ちで睨んでいる。

「夕食の準備をするんやろ? 山寺さん遅刻やで」

「すみません。ちょっと島を探索してて遅くなりました」

 綾がペコリと頭を下げた。

「フン! 男やったらあんたみたいな可愛い子は許すんやろうけど、時間は守らなアカン! 常識や。……まあええわ。準備手伝って」

 綾は先輩に見えないように舌を出し、そそくさと中へと入っていく。

 僕はどうしようかと考えた。

「あんたも新入部員なんやから、手伝いせな」

「あ、……はい」

 僕は怒鳴られて、渋々中へと入っていく。

 彼女のキンキン声でまくし立てられると、何も言えない。確か役割分担で食事の準備は女性部員ということに決まっていた筈なんだが……。


 キッチンに入ると、深町先輩が野菜を切っている。手慣れた感じで作業を黙々と続けている側で綾が何かをしているようだ。

 自家発電機が稼働しているようで、外からはぶーんという音が聞こえてくる。その恩恵で、宿泊施設の全ての電化製品は使用可能だ。


「何か手伝いましょうか? 」

 僕は深町先輩に問いかけた。彼女は振り返り、僕を見た。

「あら、田中君……、食事の準備は女性陣がやるんじゃなかったかしら? 」

「そうなんですけどね。村野先輩にどやされて仕方なく……」

 僕は頭を掻いた。

 彼女は微かに笑った。

 いつも悲しげな顔をしている(それは僕の思いこみかもしれないが)彼女の笑顔を見て、なんだか体が熱くなるのを感じた。

 やっぱり綺麗だなあ……。

 清楚で儚げ……。誰かが守ってあげないと、壊れてしまいそうだ。本当に。

「村野さんに言われたら、逆らえないわね。特に手伝って貰うことは無いんだけど、何もしていなかったら彼女に叱られるわね」

「ですよねー……」

「それじゃあ、外に出たところにある倉庫から、テーブルセットを出してきて、庭に置いてくれないかしら」

「外? 庭? 倉庫? 」

 僕は怪訝そうな顔をした。

 ここって倉庫や庭ってあっただろうか? リビングの近くの庭は雑草が生い茂っていたような気がするんだが。

「裏の庭のに倉庫があるのよ。テーブルセットは玄関前の広場に適当に並べて。今晩はバーベキューの予定だから」

「あ、分かりました」

 僕は倉庫へと向かおうとして、綾と目が合った。

 何か面白そうな顔をしている。

「どうした? 」

「なんでもないよ〜」

 綾が何を言いたいのか分からなかったのでそれ以上は何も言わず、僕は外へと出ていった。


「ゴラア、田中ぁー! サボったらアカンやない!! 」

 背後から怒鳴られ、僕はビクッとした。

 振り返ると先輩が先程と同じように、仁王立ちになっている。牛乳瓶のようなめがねの奥の目は怒りに燃えているのだろうか?

「サボってなんかいないですよ。バーベキューの準備をするんですよ」

「そう、それならええんやけどね。あ、そうや」

「は? 何でしょうか」

「ついでに火もおこしておいてや。ウチがやらないかんのやけど、か弱い女の子には無理や。あんたついでやからやっといて」

「炭とかコンロはどこにあるんでしょうか」

「多分その辺にあると思うから、探しといて」

 そう言うと、キッチンへと戻っていった。

 か弱い女ね、……誰が? か弱いというイメージがピッタリするのは深町理沙だろう?小太りで気が強い村野先輩の口からそんなセリフが出るとは。自分が見えてないのか何なのか。まあか弱いと小太りは関係ないけど。

 僕は外へ出ると、倉庫へ向かった。


 埃っぽい倉庫から古ぼけた折り畳みのテーブルと椅子を取り出すと僕は運んでいく。6人分だから三往復した。雑巾を探し出して拭き掃除をし、宿泊施設の廻りを歩き回り、置いてあったバーベキューコンロと炭の入った袋を運び出す。

 炭をコンロに放り込むと、古新聞を使って火をおこす。

 着火材とかは買ってないのか!!

 僕は一端室内に戻り、リビングに置いてあった扇風機を運び出した。幸い、外にもコンセントがあったのでそれが使える。

 新聞紙の上に小さめの炭を置き、ある程度炭が赤くなってきたら扇風機で豪快に風を送り込む。何度か失敗を繰り返しなんとか炭に火が回ってきたようだ。こんな作業をしているだけで、結構汗をかいてしまった。

 どちらかといえばインドア派の僕にとって、こういった作業はやったこともないし、未知の領域だから……。


 コンロの前に座っていると、どういうわけか煙が僕の方に流れてくる。炭火の熱気と夕日でかなり暑い。こちらに向けている扇風機はあまり効果がなさそうだ。

 僕はコンロに網をかぶせると席を立った。


 食堂からは食材を切る音や女性陣の笑い声が聞こえてくる。なんだか楽しそうだな……。

 自分が嫌な仕事をしているとき、他人はどうして楽しそうに思えるんだろう。

 それにしても部長と長野先輩は帰ってくるのが遅いな。既に日は沈みそうになっている。一体、二人とも何をしているんだろうか? 部長は研究施設跡地に下見に行ってるとのことだったが、長野先輩はどこへ?

 僕は島のあちこちを見て回ったが、彼とは出会わなかった。

 確かにあの人は見た目通りの行動派だから、山の中を駆け回っているのかもしれない。しかし、こんなジャングルに匹敵するような山を動き回る人の気がしれない。真夏だし。


「どうしたの? 」

 不意に玄関の方から声がし、振り向くと綾が立っていた。

「晩御飯の準備はできたのかい? 」

「もちろんできたよ。もっとも野菜を切るだけの作業だけどね。スープは深町先輩が作ってたし」

「いや、別に僕は綾の料理を恐れているわけじゃ……」

「何を訳のわからないことを言ってるの。言っちゃなんだけど、私の手料理を食べられる幸運の持ち主なんてそうそういないわよ。一体、何人の男の人があたしの料理を食べてみた言ったか、徹君は知らないんだよねえ」

 彼女は怒ったような口調で言う。

 確かにそうだろう、と僕は思った。彼女の料理を食べたがる男は多いかもしれないけど、食べることが叶った時、幸運だと思うかどうかは知らないけど。

 彼女の父親が僕の親父に愚痴ってたことを思い出した。娘の手料理を食べて寝込んだとか言ってたっけ。

 ふと綾の旦那になる男の事を思い、悲しくなってきた。僕も一度だけ彼女の手料理を食べたことがある。綾が一生懸命作ってくれた料理だから、残すこともできずに無理矢理押し込み、その反動で一晩中うなされた。お腹を壊すし吐きそうになるし。トイレで座っている時に吐き気が襲ってきて、一体どっちを先にすればいいのかの究極の選択を迫られ、のたうち回った。

 あの地獄の苦しみは忘れた事など無いし、思い出すたびにうなされる。トラウマになっているといえるだろう。おかげで僕はカレーライスを食べられない体になってしまった。


 小学校の高学年の頃だから、綾も料理は上手になっただろうけど、もう一度チャレンジしてみようなんて、そんな賭けにでる勇気は無い。生活能力ゼロの彼女の夫になる人は一生彼女の料理を食べ続けなければならない。その宿命を彼女の愛を得る代償にしなければならないのだ……。

 誰かが犠牲になるのなら僕が、そんなことを思ってみたが、僕なんかじゃ彼女は納得しないだろうけど。

 客観的な視点で見れば、僕と綾とではあまりにも釣り合いがとれていない。こればっかりは僕が彼女の彼氏になりたいと思ったとしても無理なんだよな。外見、能力、性格等すべてに秀でた(僕以外の人間から見たらという条件付き)彼女と、何をやってもヘナチョコで地味な僕とではね。

 まあそんな僕に対して綾はいつでも(基本的には)誰よりも優しくしてくれるし、はたからみたら彼氏のように見えることもあるのかもしれないって思うこともある。凄く嫉妬に充ちた悪意ある視線を感じることがあるからな。現実を知ればみんな納得するんだろうけど。


「明日以降の食事を楽しみにしているよ」

 僕は心にも無いことを言った。

「期待しててね。……それにしても部長達遅いわね。一体、どこに行っているのかしら?

 もう準備も出来ているし、早く帰ってこないかしら? もうお腹ペコペコなんだけど」

 玄関を歩いてくる音がして、村野先輩と深町先輩がクーラーボックスを運んできた。

「たなかあー、ダラダラやっとらんと、手伝わんかい」

「あ、すみません。僕が運びます」

 僕は慌てて二人が持っているクーラーボックスを受け取ると、椅子を並べたところより少し離れた場所に置いた。ずっしりと重い。

 何気なくふたを開けると、大量のビール缶が入っていた。

「ビール? 」

「そうや、ビールや。折角こんなへんぴな島に来たんやから、羽目を外さなあかんで!! それに焼き肉にはビール。これ常識やん。目障りなあのおっさんもおらへんからバンバンやるでえ」

「はあ、そうなんですか」

 夏の海、無人島、バーベキュー。ビールは必須か。未成年なのにこんなことして大丈夫なのだろうか……。無人島だから、誰かに見つかることも無いから、まあ問題はないだろうけど。

「早くみんな帰ってこないかなあ。あたしもおなか空いちゃったし、喉が乾いたし」

「確かにね。遅いよなあ」

 僕と女性陣3名は椅子に腰掛け、炭の火を眺めている。

 食事の準備も出来ている。あとは焼くだけなんだが。


 村野先輩は玄関の入り口近くでなにやら作業をしている。どうやら三脚を立ててビデオカメラを固定しているようだ。

 宴会の風景をビデオに納めるつもりらしい。こんなの撮って意味があるのかは不明だが、まあ趣味だから仕方ないな。こんなにビデオ撮影が好きなら、ミステリ研究会なんかに入らずに、映画研究会かカメラ同好会にでも入ればいいのに……。


 やがて足音が聞こえてきた。

「あ、帰ってきたわ」

 深町先輩の声にそちらをみると、部長が歩いてこちらにやって来ているのが見えた。

「みんな遅れてすまない……。ちょっと下見に時間がかかってしまったよ」

 そう言いながら部長がジーンズに半袖シャツの姿で帰ってきた。

 シャツやジーンズに泥が付いている。どんなところを歩き回っていたのだろうか。

「部長、明日の探索は大丈夫そうですか? 」

「ああ山寺君。一年ぶりに見てみたが、去年のままだ。君たちは行ったことがないだろうから楽しみにしておいたほうがいい」

「船から見ただけなんでよくわからないんですけど、だいぶ荒れていたように思えるんですけど」

「風化しているが、探索するに問題は無い。何にせよ楽しみにしていいよ。……ところで長野はまだ来てないのか? 」

 部員たちを見回し、またかといった表情になった部長がつぶやく。

 未だに帰ってないようだ。

「まったく。あいつのには困ったもんだな。まあもうすぐ日が暮れる。腹が減ったら帰ってくるだろう。仕方ないから夕食の準備を始めよう」

 それを合図に女性陣が動き出した。

 食堂へ戻ると冷蔵庫から食材を運び出し始めた。

 僕も玄関に入り、外灯のスイッチを入れた。廊下に上がり、持ってきた荷物の中から蚊取り線香を取り出し、適当な場所に配置していく。

 さっきから蚊が気になっていたのだ。

 これはホームセンターで購入した、農作業なんかで使うタイプの強力なやつだ。家庭用蚊取り線香なんかより遙かに効果が期待される。


 肉や野菜が運び出され、炊飯器も運び出されてくる。ご飯が注がれた紙のお椀、タレを入れた皿や割り箸がテーブルに並べられた。

「ほなみんな、適当に焼けた肉を取って食べてや〜」

 雄叫びを上げ、肉や野菜を次々に網に乗せていく。

 ジューっと肉が焼ける音と良い薫りが広がる。

 僕はクーラーボックスから缶ビールを取りだし、みんなに手渡していった。(クーラーボックスにはビールしか入っていない……のか?)

「よし。準備が出来てきたかな? 」

 部長が挨拶を始めようとした時、薄暗い場所から長野先輩が現れた。

 やっと帰ってきたのだ。

 ブーツに迷彩の上下を着ている。手には軍手をはめている。

 ぱっと見、サバイバルマニアとしか思えない出で立ちだ。

「やっと帰ってきたか。ちょうど始めようと思っていた所だ」

 部長の問いかけにも、ふん、とだけ答え、長野先輩はどすんと椅子に腰掛けた。

 僕からビールを受け取っても何も言わない。遅れて来てこの態度はどういったらいいものか。

 部長は苦笑いを浮かべるだけだった。

「みんな揃ったから、そろそろ始めよう。今日、田中君が島に着いたことで、我がミステリー研究会の全員が集結した。明日は予定通り、全ての謎の鍵となる旧日本軍の施設跡を

 探索したいと思う。どういった物が発見できるかわからないが、謎の連続不審死事件に関する何らかの手がかりが見つかればいいと思う。……まあこんな話は明日以降の話だ。今日は新入部員を迎えての初めての合宿の夜でもある。ミステリ研究会の懇親の意味を込めて楽しくやってくれ……。それでは明日以降の調査で何かを発見できることを祈って、乾杯!! 」

「乾杯! 」

 みんな缶を上に掲げて声を上げた。



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