第3話 到着そして島の探索 その1

「はい……」

「徹君、着いたんだね〜」

 綾の声だった。

 船が到着したのに気付いたようで、早速トランシーバー機能を利用したようだ。

 せいぜい100mくらいの通信距離しかないと思っていたのに、ここまで電波が飛ぶんだ。海ということで遮蔽物が無いから届くのだろうか? そんなことを思った。

「ああ、もうすぐ港に着くよ」

「お疲れさま。荷物って結構あるんでしょう? 今からそっちに向かうから、運ぶの手伝うわ」

「いや、大した量じゃないから自分で運ぶよ。それにみんないるんだろ? 部長とかに伝えてくれたらいいよ」

 僕はどういう訳か強がっていた。

 荷物が多いからって、綾に運ぶのを手伝わせるのは気が引けた。……何故かは分からないけど。


 電話の向こうから笑い声が聞こえた。

「また無理言って。 買い出しの荷物が多いってぼやいていたじゃない。あたしに格好つけたって意味無いよ」

「いやそんなつもりじゃ……」

 心を見透かされたようで、一人顔が赤くなるのを感じた。

「それに他の人はみんなどこかに出かけちゃって、暇してるんだよ。気にしない気にしない」

「……はあ。じゃあ、お願いします」

 結局、僕は断り切れなかった。


 男のくせに女に荷物を持たせるなんて。親父の教育方針に反するな、こりゃ。

 でも本音を言うと、手伝って貰ってありがたい。荷物の量も多いけど、小高い丘に立つ建物までこの猛暑の中何往復もするのは体が持ちそうもないもんな。


 船は港に着岸し、真田さんはロープを持つと軽々と船から飛び降り、結びつける作業を始めた。

「よし、着岸完了だ。田中君、降りていいぞ」

 僕は荷物を何個か持つと、恐る恐る島に足を踏みおろした。

 そしてまだ残っている荷物を取りに行こうとすると、すでに真田さんが残りの荷物を担いで船から下りてきた所だった。

「あ、すみません」

「気にするなよ。それよりあの建物までこれだけの荷物を運べるのか? 何だったらオレが運んでやろうか? 」

「い、いや、僕が運びますんで、大丈夫です。それに手伝いに来てくれるみたいなんで……」

 慌てて否定した。

 真田さんはちらりと僕を見ると、「そうか? 」とだけ言った。

 なんだか自分を否定されたような気がした。

 本音は運んで貰いたかったが、船で送ってもらい、さらに荷物まで運んで貰うのは気が引けたのだ。彼は、今から同じ行程を帰らなければならないのだ。今から帰るとすると港に着くのは夕方遅くになるだろう。ここで荷物運びに更なる時間を取らせるわけにはいかない。彼だってこの後予定があるかもしれないのだから。


 荷物を下ろすと、

「じゃあ、オレは帰るから。また三時間の行程だから、さっさと帰らないと日が暮れちまう。……迎えに来るのは一週間後の午前中と言われている」

「はい、分かりました。今日はありがとうございました。またよろしくお願いします」

 彼は軽く頷いた。

「そういや、台風が発生している。この季節の台風は結構こっちに来るからな。注意が必要かもしれない。それと、もし台風がこっちに来るとなると、ちょうど迎えに来る日と重なるかもしれない。そうなると台風が過ぎるまでは船が出せないってことだけは覚えておいてくれ。……まあ、見たところ食い物や飲み物は充分持ってきているようだから2,3日遅れても大丈夫だとは思うが。それにあの建物にいれば、台風が来ても大丈夫だろう」

 そういえば太平洋上に台風が発生しているというニュースを見た。進路はどちらに行くかはしれないが、注意するに越したことは無い。

 僕は頷いた。

「じゃあな、合宿中の安全を祈る。楽しんでこいよ」

 そう言うと、男はロープを外し、船に飛び乗った。

「ありがとうございました」

 男は手を振ると、船を発進させた。

 船は次第に島から遠ざかっていった。


「さてと……」

 僕は地面に降ろしたリュックを背負い、重そうな袋を両手に抱えた。まだ荷物は残っている。残った荷物はまた取りに来ればいいか。

 港から高台にある宿泊所へと続く道へと僕は歩き始めた。


 坂の上を降りてくる人影を見る。

 Tシャツにジーンズ姿の少女。タイトなジーンズを履いているせいか、脚の長さがさらに強調されている。

 すぐにそれが綾だと分かった。

 長い髪をポニーテールにした彼女は、僕の姿を見つけると、駆け下りてきた。


「お疲れさま、大変だったでしょ? 」

「確かにね。でも船酔いはしなかったよ。日焼け対策もしてたしね」

「準備は万端だったのね。徹君は直射日光を長時間浴びると貧血で倒れるもんね」

 失敬だな、思ったが口には出さなかった。

 長時間、太陽の光を浴び続けると吐きそうになるのは本当のことだ。実際にちょっと気持ち悪い。

 僕はペットボトルのふたを開け、生温くなったお茶を流し込んだ。

「ホントにお疲れみたいね。まだ荷物があるようだし、手伝うわ」

「いや、僕が運ぶから大丈夫だよ」

 強がってはみたが、本音はありがたかったりする。

 綾は何も言わずに、港に残されている荷物を持ち上げた。

「あ、ちょっと重たいかも」

 そう言いながら、僕の所に戻ってくると、

「さあ行きましょう」

 と、さっさと歩き出した。

 僕の持つ荷物とそんなに重さは変わらないと思うのだが、彼女は楽々と歩いていく。

 遅れまいと後を追うが、その差は縮まらない。

 すらりと伸びた長い足。白く細い腕。

 そのどこにあんな荷物を運ぶ力があるんだろうか、と考える。

 いやいや、僕が本格的に運動不足なだけだ……。綾が運動神経抜群だということを差し引いても、自分の体力の無さが悲しかった。

 気合いを入れ直し彼女の後を追う。


 傾斜のきついコンクリート舗装の坂をしばらく行くと、今回の宿泊先が見えてきた。

 二階建てのコンクリートの建物だ。よくある古いタイプの旅館みたいだな。庭はそれなりの広いスペースがあり、ここでならバーベキューとかもできそうだ。


 しかし、遠くから見たのとは違い、実際に近づいてみると建物は結構傷んでいた。

 雨風にさらされてコンクリートは薄墨色に汚れていたし、外壁のあちこちにひび割れがある。庭らしきものもあるのだが、雑草が好き放題に生えている。しばらくこの施設を利用した人がいないということがよく分かる。

 外から見える窓は換気のためか全て開け放たれている。

 日の当たっている窓全てから、布団も干されている。見た感じ、布団自体は結構新しい感じだ。


「外は汚いけど、中は結構綺麗になってるよ。昨日みんなで掃除したんだから」

 綾は弁解するように言った。

 別に彼女が悪いわけではないのだが。


 中に入ってみると、確かに外から見るイメージとは違い、綺麗に片づいていた。壁紙がところどころ剥がれていたりするが生活には何の影響も無い……。

「掃除大変だったんじゃないのか? 」

「うん。ほぼ全員で丸々一日かかっちゃった。昨日の晩はみんなへとへとですぐに寝ちゃったから」

 部員のほぼ全員、それを聞いてああ、あの人は掃除を手伝わなかったんだなと分かった。

 三年の長野伸也が手伝いをしなかったのだろう。

 確かにあの厳つい顔、筋骨隆々のガタイを見たら、誰も手伝えとか言えないだろう。部活にはほとんど参加しないが、部内における地位だけは確保している。部長でさえ何も言えないようで、ある意味無法者と言ってもよかった。


 僕は玄関を上がると、廊下の奥にあるリビングへと荷物を運んだ。往復して、綾に運んでもらった荷物も運び込む。


 僕は綺麗に清掃されたリビングの古ぼけたソファーに腰掛ける。バネが痛んでいるようで、ちょっと体を動かすとギシギシと音を立てる。しかし、背もたれのある椅子に腰掛けると体がとても楽になった。

「綾、みんなはいつ頃帰ってくるのか知ってる? 」

「さあ。みんな好き勝手に出かけていったから、何時頃になるのかわかんない。部長は研究施設の下見に行くって言ってたし、村野さんは島の景色を撮るとか言ってた。深町先輩と長野先輩は何処に行ったかわかんない」

 すると帰ってくるのは夕方ぐらいかな。だったら僕も島の観光をしてみるのもいいかもしれない。まだ夕方までは結構時間がありそうだ。


「そうだ、晩ご飯はどうすんだい? 準備とかあるんだったら手伝うよ」

「それは大丈夫。料理は女性陣でやるから」

「え? 綾が料理するのか! 」

 声にしてからしまったと思った。

 料理の話はタブーだった……。

 しかし、時既に遅く綾は怒った顔でこちらを見ている。

「徹君、失礼ね! まるで私が料理するのが嫌みたいじゃない」

 実際嫌だ。———————だが何も言えない。

 過去に綾の料理を食った者のみが知る恐怖……。

 綾は外見は美少女で頭も良いし、性格も明るく気さくで飾ったところがなく、みんなに好かれている。運動も抜群だし男にもてるが女の子にも人気がある。何の問題も無いように見える彼女でも、たった1つだけ欠点があった。

 彼女はどういう訳か料理、掃除、洗濯といった日常生活能力が 完全に欠如していたのだ。そういった機能を持たずに生まれたアンドロイドって感じかな。

 彼女の作る料理はとても食べるという基準から大幅にそれた物でしかなかった。一体、どうやったらこんな物が作れるのか? これ自体は、ある種の才能と言えなくはなかったが。

「いや、嫌じゃないよ……」

 ほっぺたを膨らませてこちらを睨む綾。幼なじみで彼女を知りすぎていなけりゃ、こんな顔している綾も可愛いと思うんだろうな。

 ……それも、「抜群」の。


「もう! ……まあいいわ。夕食の時にびっくりするから」

 びっくりするのは間違いないとは思うが、それ以上、僕は何も言わなかった。

「さて、島の散策でも行こうかな」

「あ、じゃあ、あたしも一緒に行く。一人でいるのも退屈だし、いいでしょ? 」

「ああ、それは構わないけど。……どこへ行こうか? 」

 小さな島だからいろんなところを見て回れそうだ。真田さんが言っていたとおりだと、何もない島なんだろうけど。

「徹君が決めてよ。あたしどこでもいいし」

「……そうだな。とりあえず島の全景が見たいから、上に見えてた展望台へ行こうか」

 僕たちは宿泊所を出ると、展望台へと続く階段を上り始めた。


 宿泊所のすぐ裏は傾斜のきつい山になっていて、階段はそこをジグザグに昇っている。

 保養施設か何かで造られたあの建物の敷地から階段が伸び、遙か山の上の展望台へと繋がっている。

 宿泊施設は部長の親父さんが造ったって真田さんが言っていたな。敷地内から伸びている階段から展望台も彼が作ったのだろう。何を考えてこんなのをわざわざ作ろうと思ったのかはしらないけど。しかし、展望台からなら、海が一望できそうだ。

 島の廻りには何も無いから、美しい海の眺望が楽しめるのだろう。


「エレベータでもあればいいのにね」

 傾斜のきつい階段を上りながら綾がぼやいた。

 距離にして100メーター以上を昇らないと展望台には辿り着けない。直線なら大した事はないが、この傾斜のきつい階段を登るとなると相当な運動量だ。

 一体、何段あるのだろうか。

 僕自身、息が荒くなっていた。三時間の長旅の後、この運動はキツイ。いや拷問といっても良い。

「もう少しだ……。がんばろう」

 僕は息を切らせながら、後ろを歩く綾に声をかけた。

 後ろを振り返ると、綾は平然とした顔で階段を上ってくる。エレベータがあればとか言ってたのに、綾は全然疲れてないようだ。運動神経抜群の綾と運動オンチの僕との体力差がここでも出てしまった。

 綾は僕の事を気遣って言っただけのようだ。

 階段の幅が狭いので、思わず踏み外しそうになる。そのたびに「大丈夫? 」と綾が声をかける。

「いや、結構幅が狭いから、踏み外しそうだよ。それに手すりもない階段だから万一ふらついたら真っ逆さまだろうなあ」

「え? そうなの。別にそうは思わないけど」

 馬鹿にしたのか不思議なのか、その両方が入り交じった困惑した表情で僕を見る。

「うーん、……やっぱり疲れているからかな」

「たぶんね」

 綾は笑った。

 再び階段を上っていく。一歩一歩、踏み外さないよう注意しながら。 

 

 やがて階段が終わり、正面に二階建ての円柱状の建物が見えた。天辺に黒い瓦の屋根がついた白い建物だ。

 かつては白かったと言うほうが正解で、やはり風雨にさらされたせいで色はくすんで彼方此方に痛みが来ている。高い場所に立っているせいか分からないけど、建物からブーンといった変な音が時折聞こえる。

 確かに風が下と比べると結構強い。あの音は建物のどこかが風を切る音なんだろうな。


 屋根のすぐ下には大きな窓ガラスがはめられていて、そこから景色が一望できるようだ。敷地は10m四方のほぼ正方形の土地に煉瓦が整然と敷き詰められている。歳月の経過と手入れ不足からか、煉瓦の隙間からは雑草が芽を出している。

 崖側には丸太を模した柵が作られている。こちらも敷地や建物と同様に痛みが来ているのが遠目にも分かる。

 柵の向こうに目をやると、視界の全面に青い海のパノラマが広がっている。

「うわ。ここからでも綺麗ね……。ここまで昇ってきた甲斐があったね」

 いつの間にか綾が僕の隣に来ている。

 微かな香水の香りが漂ってきた。

 一瞬、ほんの一瞬だがちらりと見た彼女の横顔にドキリとした。

「どうかしたの? ぼーっとして」

「い、いや。何でもないよ。……展望台に昇ってみよう」

 僕は慌てて建物に入ると、階段を上って行った。

「変なの」

 彼女はそう言いながら、後をついてくる。

 

 展望台の中は薄暗く、埃っぽい。

 何段か階段を上ると、上が明るくなってきた。

 登り詰めたところは、円形の板張りの部屋だった。

 見渡す限りの海が広がる風景が僕の視野に広がる。ガラスから差し込む強い日差しのため、中は温室のようだった。

 

「おお! あんた達、ここに来たん? 」

 この蒸し暑い展望室の中にずっといたのか、汗ばんだ顔の村野良子がビデオを構えてこちらを撮影していた。

「うわ!びっくりした。村野先輩ですか、びっくりするじゃないですか。それにしても、ずっとここにいたんですか? 」

 急に現れた予想外の人物に綾が思わず声を上げる。

「せや、ここからの景色を前に撮るの忘れてたからなあ」

「でも、ずっとここにいて、暑くないんですか?」

「そりゃ暑いわ。せやけど、ここって窓が開かんのや。しゃーない。折角ええ景色やから記念に撮影しとかんとな」

 綾の問いにカメラ女が答えた。

 しかし、こんな暑いところにずっといたのだろうか? 熱中症で死ぬぞ、普通。

 窓からやってくる熱気で本当に温室だ。いや温室なら温度管理がなされるが、ここはほったらかしだから半端じゃない温度になっている。すでに汗が染み出してきているのが分かる。

 「せや、あんたらちょっとモデルになってや。海と恋人同士って感じで撮ったるわ」

 村野先輩にせき立てられて、僕たちは窓際に立たされた。

「うーん。山寺さんはホンマ、うちのイメージとピッタリやな。隣のはイマイチやけど。……まあしゃーないわ」

 相変わらずの毒舌を聞きながら、僕は窓から見える蒼く遠大な海を見つめる。

 ……景色だけは抜群だな。

 この室内の暑ささえなければいつまでも海を見てるかもしれない。

「あんたら、恋人同士なんやから腕を組むなり抱き合うくらいせなあかんやろ? 」

「え?」

 僕が疑問を呈するより早く、村野先輩がやって来ると、僕の腕を綾の腰に回させ、二人の体をピタリとくっつけさせた。

「そうそう、そんな感じや! キャキャキャ」

 右腕に伝わってくる綾の柔らかい感触。

 頬が赤らむのが分かった。

 綾を見ると取り立てて変わった様子は無く、逆に僕の肩に頭を乗せてきたりした。

「徹君、ちょっとは演技をしたら? 恋人同士なんだから」

 綾から伝わってくるほのかな香りに頭がクラクラするのを感じた。

 思わず右手に力を入れそうになる。


「さ、良い絵が撮れたわ。もうええよ。ありがとな。記念になるわ。……さてと、こんな暑いところにこれ以上いたら熱中症で死んでしまうわ」

 先輩は用事が済んだのか、さっさとビデオを止めると展望室から出ていった。

「なんだ……」

 拍子抜けした僕は、しばらく動けずにいた。

「ちょっと徹君……」

「ん? 何」

「手を放してくれない? 痛いんだけど」

 そう言われて初めて僕が綾の腰を抱いたままだったことに気付いた。

 慌ててその手を離す。

「ごめん……」

「ちょっとは恋人気分を味わった? あたしみたな美少女を抱きしめられて嬉しかったでしょ?……何だったら、キスでもしますか? 」

 と潤んだ瞳でまじまじと僕を見る。

 綾は僕にはこんなことをしてくる。

 何もできやしないことをしっていてからかっているのだ。

「いや、そ、それは」

 そういいながらも顔を赤らめ本気にしてしまう初な自分。

「冗談冗談。徹君がそんなことするわけないもんね」

 綾は笑った。

 一瞬でも抱きしめそうになった自分が照れくさく、何も言い返すことができなかった。


「あたし達もここから出ましょう。これ以上いたら、本当に熱中症でダウンしちゃうわ」

 僕たちはこの蒸し風呂状態の展望室から出て、階段を下っていった。


 外に出た途端、冷気が僕たちの体を撫でる。

 本当なら外もかなりの気温なのだが、あの蒸し風呂にいたために心地よくさえ感じる。

「徹君、次はどこに行こうか? 」

「そうだな……そうだ。こっちに来る途中に漁師のおじさんに聞いたんだけど、この島の中央部の山に洞窟があるって言ってた。ちょっと見に行ってみようか? 」

「あ、それならあたしも聞いたわ。 鬼女伝説の洞窟ね……。なんだか、可哀想な話」

「しかし、そんなの本当にあるのかなあ。海賊の頭領と豪族の娘の禁断の恋っていうのもそうだけど、その後、呪いで鬼子が……っていうところが特にねえ」

「民族伝承なんて全て真実というもんじゃないしね。……あたしも図書館で調べてみたけど、実際、紀黒島にはそういった伝説が残ってたわ。船に乗せてくれた真田さんが言ってたのと同じだったんだけどね。——————違うのは娘が頭領の子を宿していたってこと」

「妊娠してた?っていうのか」

「そう……。幽閉された娘は、死ぬまでの間、譫言のように何かを唱え続けていたみたい。

 何ヶ月かして明らかにおなかの膨らみから彼女が明らかに妊娠していることが分かるようになった。

 しかし、さすがに自分の娘ともども殺すことはできなかったみたいで、赤ちゃんが生まれたらどこかに捨てるつもりでいたみたい。

 さらに数ヶ月。……娘はとうとう狂い死にをしてしまったんだけど、不思議なことに娘の遺体を確認した時には彼女のお腹はしぼんでいて、お腹に居るはずの胎児はどこかに消えてしまっていたそうよ」

「そんなことあるのかな。そもそも無人島に幽閉されていたんだっけ? だったら、どうやってそんな期間生きていたんだろう」

「狂った娘が餓死してしまうのは耐えきれなかったみたいで、自分で無人島に追放したのに父親が、わざわざ島まで部下に食料を秘密裏に運ばせていたらしいわ。本音と建前ってやつでしょう」

「それなら納得だ」

 疑問に帰ってきた答えに納得する。

「でも、綾……」

「何? 」

「その子供はどこへ行ったのだろうか?誰かが逃がしたのかな」

「そこまでの記述は無かったけど。ただ、部下も食料等を娘が幽閉された洞窟へ運んだだけで、常時監視していたわけじゃなかったみたいだから、どうなのかなあ。運んでいた人は豪族の腹心でしょうから、幼い頃から知っている娘が狂っていくのを見るのは耐えられなかったでしょうね。でも彼女を島から救い出すことはできないというジレンマに苦しんでいたはず。せめて子供だけは……って気になったかもしれないね。でも、それだったら妊娠していた事なんて伝えるはず無いだろうし……」

 ならば生まれたばかりの赤ちゃんはどうなったんだろうか。考えてもどうにもなりそうもない。なんといっても、はるか昔の話だ。今のように病院なんか無い時代。はたして、こんな無人島で、妊婦一人という状態で無事に赤ちゃんは生まれたりするのだろうか。昭和初期でさえ死産は多かったはず。そんな時代よりはるか昔、しかも無人島でひとりぽっちでまともに出産なんてできるのだろうか。———————わからない。

「事実として語られているのは、豪族の娘がこの島に幽閉され狂い死にした。その娘は妊娠していた。しかし、死体発見時、遺体には生前あったお腹の膨らみは無くなっていたということかな。……これだけで充分なミステリーだな」

 綾は何か考え込んでいるようだ。

「どうかしたのかい」

「ううん、別に何でもないよ」

「そう、じゃあ洞窟へ行こうか」

「……ちょっと怖いけど、入り口だけなら大丈夫よね」

「まあただの伝説だから、何もないよ」

 そういえば、綾は幽霊といった類のものには、極端に怯えるんだったな。考え込んでいたと思ったら、どうやら曰く付きの洞窟に入ることに躊躇していたようだ。

 確かに恨みを持って死んでいった女の情念がこの洞窟にいまだ蠢いているかもしれない。なにせ後世に鬼子などの呪いを残すほどの恨みだったのだから。そう思うと不気味ではある。


 僕たちは展望台へと続く階段を下り、宿泊所のある場所にと戻っていく。階段を踏み外さないように慎重に。

 登り以上に下りは神経を使う。不用意に足を踏み出せば転がり落ちそうになる。

 そんな僕を綾が不思議そうに見る。

「どうかしたのかい? 」

「ううん、何か徹君へっぴり腰だから」

 僕の問いに彼女が答える。

「……いや、ちょっと角度が急じゃないか。下を見たら怖くて、ね」

「え? 徹君って高所恐怖症だったの! ……知らなかったわ」

 僕は小さく頷いた。

 それ以上何も言わなかったが、特に何も感じなかったのだろう。

 綾はその話題にそれ以上触れることはなかった。


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