第40話 またも人さらいがあああ。
040 またも人さらいがあああ。
桶狭間の戦いにおいて、織田信長は大軍の今川勢を破った、これにより、織田家の家名は全国に広まったのである。
そして、史実では生き残るはずだった松平元康は、松平家菩提寺において切腹し果てたのである。
だが、ここで奇妙なことが起こる、情報では切腹したはずの元康が三河の国で蜂起したというのである。
そもそも、松平家
「まったく奇妙なことでございます」と藤林長門。
「なるほど、奇妙だな」
「確かに、切腹されました」
「そうか、ではそういうことだ」
「え?」
「影武者だな」
「なるほど」
切腹したのが、本人なのか影武者なのかは不明であるが、元康は立ち上がったのである。
「これが、歴史の修正力というやつか」一人ごちる男だった。
そうしているうちに、清州同盟が結ばれる。(織田家・徳川家)
織田家は、美濃攻略に集中することができるようになる。
一方畿内半分を制圧した鈴木家は大阪城(仮)を建設中である。
入り組んだ水運を巧みに使いながら、星型要塞を作っている。
土塀、堀、石垣、セメントを利用した近代型の稜堡型要塞である。
三好家の部隊が攻撃に来るのだが、それはすでに察知されており、作業員はみな退避している。
そして、防御物の隙間から、鉄砲が恐ろしく正確に撃たれるのである。
たちまち、死者が多数発生する。
そして、近ごろは、僧兵から転職してきた兵士たちも戦闘に参加するようになり、もっとも弱かった弓部隊の補充を行うことができるようになっていた。
その弓は、和弓ではなく、中国で使われている短弓であったが。
持ち運びに不便であったので、輸入品である。
短弓というが、日本のような大きな弓は世界基準ではないので、短弓こそが、普通の弓なのである。
そのころ、堺であるものが売り出され、驚愕の事態が発生していた。
「これは、真珠!しかも首飾りですと!」硝石と鉄砲でかなりの儲けをだしていた今井宗久であったが、これには驚いた。
「こんなものが世の中に存在するとは」
堺は自治都市であるが、完全に鈴木家の支配下に置かれており、一定の税金(矢銭)を支払うことで、自治を存続させていた。
「これは、高く売れそうか?」
「九十九様、高くどころか!」
当時の真珠は、自然ものしか存在しない、当然、真珠貝を何千個もとってやっとでるくらいなのである。
もちろん、真円からは程遠い形のものばかりである。丸い真珠はほぼ奇跡的な確率ということだ。
それが、真円に近い形の真珠で首飾りになっているのである。
値段など付けられない。
まさにぶっ壊れ状態であった。ルールブレイカーだ。
「とりあえず、帝に献上しておいてくれ」
「わかりました、これはすごいものですね」
「まだ、できるから、売り先を考えておいてほしい、できれば南蛮が良い」
「え、まだできると」商人は顔色を出さない訓練を普通に行っているが、明らかに顔色が変わっていた。
「それ以上は秘密だ、好奇心猫を殺すという言葉を知っているか」
志摩での真珠養殖はうまくいっている。
そして、秘密を探ろうとするものはすべて抹殺されている。
まあ、志摩国にそんなものがあると知っているのはごく一部の人間しかないがな。
「南蛮船の職人を雇いたい、無理なら船が欲しい」
熊野水軍の南蛮船はあくまでも、日本の技術で似せて作っているので、本場のものと違うに違いない、その違いを埋めておくのと、最新技術を手に入れておきたいと考えてのことである。
湯浅の近く広川で作られている男山焼(ボーンチャイナ)は、ジャパンチャイナという珍妙な名前で南蛮に輸出されている。
チャイナというのは、中国製の磁器という意味であり、ジャパンでできた磁器ということでジャパンチャイナという。
しかし、本来ジャパンは漆塗の事をさす言葉である。
大阪城(仮)は建設途中であるが、信貴山城、多聞山城は一応完成した。
築城中であるが、周辺の制圧にも力を入れることできるようになっていた。
兵力が余り気味なのは、問題となっていたのである。
精兵は養う必要があるが、それ以外はそれほど必要としないのである。
そして、普通の兵隊?は合戦のたびに死ぬのだが、これまでの戦いでは、それほど戦死しなかったため、余剰気味であった。
根来、高野山、興福寺などの僧兵からの転職組、和泉、河内、大和、紀伊の国人の兵たちである、それに、淡路の国人たちも加わった飽和状態であった。
摂津有岡城、越水城と、鈴木軍は姫路城を手に入れるべく侵攻していた。
有岡城は、堅城として有名であったが、バリスタで打ち込まれる炸裂弾、と青銅砲、鉄砲による攻撃と圧倒的人数による総攻撃を受けて、落城した。
制圧射撃ののちに通常兵力による力攻め、それでも落ちない場合は、兵糧攻めをしつつ、精鋭部隊による侵入作戦や、忍びによる奇襲、新兵器(手りゅう弾)などの攻撃を加えれば、持ちこたえられる城などそうはない。
越水城などは、海上から南蛮船による威嚇射撃まで受けている。
・・・・・
1562年(永禄5年)
「どなた様ですか」家の若主人が現れる。
「初めまして、某は、鈴木紀伊守の家臣にて、鈴木大和守重當と申します」
「これはこれは、遠方より来られましたな」
ここは、美濃国である。
「しかし、鈴木家はわが美濃斎藤の敵、織田と同盟を結んでおられる」
「左様ですな」
「私は、調略には乗りません」
「おう、そういう考え方もございますな、
それを調略とよぶのだが。
「そうですか」
「ただ、今の状態では、斎藤も長くは続きますまい、それに、竜興殿が政に興味をお持ちではないでしょう」
この言葉に若主人の顔色も沈む。
まさにその通りであった。
「西美濃衆も軽んじられている」客が続ける。
「よくご存じですな」
「戦とは、情報により決します故」
「なかなかな見解と申せましょう」
「我らは、畿内にかなりの領地を有しました、しかし、人が足りませぬ、ぜひ竹中殿や西美濃衆の方で、領地替えを行ってもよいとおもわれる方は、おいでください」
「うむ、考えておきましょう」
「ぜひ」
「では、これをお納めくだされ」
そういって取り出されたのは、木箱であった。
「なんですかな」
「まあ、某は他家を訪れる際には、いつも持っていく土産です」
木箱のふたを開けると、そこには、火縄銃が10丁入っている。
このころ、名が知れ渡り始めた雑賀鉄砲である。
この男は、土産に火縄銃を持ってくる男だった。
「これは、貴重なものを有難きこと」竹中は眼を丸くした。
「自家生産なので、安くついて、しかも喜ばれるので、では、次の用事に向かいますので、失礼」
九十九たちは、立ち上がる。
「次の用事とはなんでしょうか」
美濃で調略をかけられまくるのも困るので、竹中が聴く。
「
「遠江に人材が?」
「ええ、生きのいいのがいます」
「生きのいい?」
竹中は、話に釣り込まれてしまった。
近ごろ、美濃の状況は面白くないものばかりだった。
「そうだ、竹中殿もご一緒に富士見物といたしましょう」
「え、いいのですか」
「味方ではないにしても、敵ということではございません、竹中殿ほどの方と旅行できるとは、うれしき事といえるのではないでしょうか」
こうして、竹中はうさ晴らしを兼ねて、遠江へ旅行することになる。
竹中、その従者、九十九、望月、そして本多平八郎(15歳)、榊原亀丸(15歳)とそのほかの一行になった。
美濃尾張国境では、関所が設けられていたが、鈴木家の家紋(八咫烏)を見ると簡単に通れた。
信長には会わず、熱田から船旅である。
熊野水軍(九鬼水軍)の南蛮戦艦である。
「船というのはこのようにすごいものなのですか」
始めてみる南蛮船に竹中半兵衛は驚いている。
「ええまあ、うちの船はみなこんな感じですよ」周りには、海兵隊の精鋭が船を動かしている。このころには、海兵隊は操船技術も手に入れている。船員が海兵隊化したものもいる。
「ああ、遠江は今川殿が桶狭間で討たれたので、少し混乱しています、荒事になる場合も、我らが全力でお守りしますので、ご容赦ください」
「いえいえ、私が憂さ晴らしをさせてもらっているのですから、うまくいくよう願っております」
「そうですね、ぜひそのように行きたいものです」
斯くして、南蛮船は出港したのである。
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